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ずっとずっと、此処にいるよ
あるがままで、キミの傍に
Be here....
楽しみにしていてね、京ちゃん、と。
そう言ったのはアンジーで、言われた京一はへいへいとおざなりな返事をしただけ。
この『女優』の人々と京一の関係がいつ始まったのか、龍麻は知らない。
聞いてみたいと思う事はあるのだが、此処は過去の事は問わないのが暗黙の了解。
別に根掘り葉掘り聞こうと思っている訳ではないけれど、それを聞いているから、なんとなく問うのが躊躇われた。
ただ、決して短い時間ではないのだろうと、それは感じる事が出来る。
何故なら京一がこの人々へ見せる顔と、自分達に見せる顔とでは、明らかな違いがあるからだ。
京一は龍麻に対して肩を組んだり小突いたり、時には頭を撫でて来たりと、スキンシップが多い。
しかし龍麻から京一に触れようとすると、どうにもぎこちない空気を醸し出すのだ。
他のクラスメイト達にもそれは同じで、鬼との戦闘の際に出来た傷を葵に治療して貰っている時も、何処か居心地が悪そうな顔で触れられた場所を見ている事があった。
まるで自分の領域を侵されまいと警戒しているようにも見える。
最初の頃に比べれば随分軟化したとは思うが、未だその片鱗は見え隠れする。
それが『女優』の人々が相手だと、彼女達の過剰なスキンシップに嫌な顔をしない。
胸板の暑苦しさや力強さ、じょりじょりと当たる青髭などには辟易しているらしいが、彼女達が触れる事については決して拒むことはしないのだ。
するだけ無駄―――――とも言えるだろうが。
多分、『女優』の人々は、京一にとって、とても近しい人達なのだろう。
単純に寝泊りの空間を与えて貰っている割には、京一の態度が酷く柔らかい。
そして『女優』の人々も、京一の事を愛している。
可愛い可愛いと言う彼女達の言葉に嘘はなく、彼女達は本当に京一を「可愛い」と思っている。
まるで小さな頃から見ている近所の子供を相手にしているかのように。
――――――そんな訳だから。
時々、京一と彼女達の間では、彼らの間だけで通じる会話が顔を出す。
「……何かあるの?」
カウンターで苺牛乳を飲んでいた龍麻からの問いかけに、ソファを陣取っていた京一が顔を上げ、此方を向く。
「何かって、何がだ?」
「さっきお兄さんが言ってた事」
楽しみにしていてね。
アンジーは主語を抜いてそう言った。
龍麻には何を楽しみにしていて欲しいのか判らなかったが、京一は判っている。
いや、京一だけではない、キャメロンもサユリも、ビッグママも判っているようだった。
今この空間で彼らの会話を理解できていないのは、龍麻を除けば京一と向かい合って座っている吾妻橋だけだ。
「あっしも気になりやしたけど…なんなんスか?」
「あぁ? なんでもねーよ、気にすんな」
「あら、なんでもない事ないわよ」
面倒臭そうに返す京一に、アンジーが微笑んで言った。
京一は渋い顔でアンジーを見る。
どうやら京一にとっては、あまり楽しくはない話のようだ。
知られたくないと言外に言っているのが判る顔。
だがアンジーはそんな事は構わずに、嬉しそうに答えを言ってしまった。
「もう直ぐ京ちゃんの誕生日なのよ」
「マジっすか!」
「………兄さん……」
目を丸くして素っ頓狂な声を上げた吾妻橋を無視し、京一はがっくりと項垂れた。
なんで言っちまうんだよ、と小さな呟きが龍麻の耳に届いた。
「だから京ちゃん、24日はちゃんと戻って来てね」
「……へーいへい。判ってるよ」
住所不定に近い京一である。
週の半分は『女優』で寝泊りしているようだが、後半分はいつも決まっていない。
龍麻の家に泊まることもあるし、吾妻橋達と一晩中ブラブラしている事もあるし、一人でいる事もある。
気ままな野良猫みたいだ、と龍麻は時々思う事があった。
そんな京一を一足先に捕まえようと思ったら、先に予定を此方が予約して置かないと。
これが春先、相手が小蒔や葵であったら反故にする事もあっただろうが、此処は京一のお気に入りの空間だ。
其処にいる人々も京一にとって大切な人達で、その人達の好意を無碍にはしない。
聊か気が乗らないと言う顔をしている京一だが、今までの会話からしても、もう恒例行事なのだろう。
表情には半分諦めが混じっていて、それからほんの少し、照れ臭そうな色が浮かんでいた。
「アニキ、水臭ェっスよ。教えてくれてりゃ、あっしらも何か用意したのに」
「バカ、いらねーよ」
舎弟の好意は蹴るんだなァ、と内心で呟きつつも。
龍麻は、いらないと言う京一の顔が赤らんでいることに気付いていた。
完全に照れ隠しのポーズだ。
「どうしてもなんかくれるってんなら、この間の負け分寄越せ」
「いぃッ!? そいつはもうしばらくご勘弁をッ」
正に今出せと言わんばかりに手のひらを突き出して言う京一に、吾妻橋が物凄い勢いで頭を下げる。
京一も冗談だったようで、クツクツ笑って手を下ろす。
いらねェけど、くれるんならなんでも良いぜ――――そう言って。
遊ぶ京一と遊ばれる吾妻橋と、そんな様子を楽しそうに見ているアンジーと。
彼らの向こうで、本―――どうやら何かのカタログらしい―――を見てアレがコレがと相談しているキャメロンとサユリ。
カウンター向こうのビッグママは相変わらず自分のペースを崩さず、恐らく明日の京一の朝食になるのだろう料理に手を加えている。
それらを一通り、ぐるりと見回してから、龍麻は苺牛乳に口をつけた。
つぅ、と吸い込めば甘い甘い苺の味が口一杯に広がる。
(なんでも)
なんでもいい。
なんでも。
……それが一番困る要望だと、龍麻は音なく呟いた。
よくよく考えてみれば、龍麻は京一の事をよく知らない。
普通の人よりも剣術が飛び抜けて強くて、無類のラーメン好きで、勉強が大嫌い。
初見には目付きが悪くて危険そうで、付き合ってみると天邪鬼で素直じゃなくて、嫌われるのが得意で好かれるのが苦手。
ストレートな好意の言葉に慣れていなくて、意外と赤面症。
ある筈の自分の家に帰る事をせず、歌舞伎町の知り合いの所を転々として過ごす。
“歌舞伎町の用心棒”の通り名を持ち、都内有数の不良高校生として有名。
だが歌舞伎町のあちこちに存在する舎弟は皆、京一の事を「アニキ」と慕い、他にも「京ちゃん」と親しく呼びかける人物多数。
それから、学校の校庭の木の上がお気に入りの昼寝床で、そんな時でも得物の木刀は決して手放す事はない。
それが、龍麻が知っている京一の事。
……並べてみると案外少ないような気がした。
深い場所まで思い返していけば、多分、もっと思い付くものはあると思う。
しかし、今龍麻が欲しい情報には全くと言って良い程足りない。
龍麻が知らない足りない情報―――――それは、京一の趣味趣向についてであった。
剣術が得意で、ラーメンが好きで、勉強が大嫌い。
最低限判っているのがそれだけで、だがそれは彼の趣味などではないだろう。
単純に得手不得手、好き嫌いの問題だ。
彼が暇な時に何をしているのか、日頃何をして何を楽しい面白いと思うのか、龍麻は知らない。
連れあう者が誰もいない時、彼が何をして過ごしているのかが判らなかった。
もう直ぐ、彼の誕生日だと言う。
大好きな親友の誕生日だ。
生まれて初めて出来た親友の。
何かプレゼント出来たらいい、と思って考え始めたのだが、これが意外と難しい。
龍麻自身、友人にプレゼントを贈ると言う経験が殆どない所為とも言える。
何を手渡せば彼が喜んでくれるのか、龍麻は全くと言って良い程判らなかったのだ。
丸一日、龍麻は悩んだ。
悩んで悩んで考えて、答えは出なかった。
その時思い出したのだ、自分達が知る限りで最大の情報量を持つ人物を。
「――――――で、あたしの所に来たと」
「うん」
経緯を説明した後の少女の言葉に、龍麻はこっくり頷いた。
現在、龍麻の目の前にいるのは、真神学園の新聞部の部長を勤める遠野杏子。
毎日スクープを狙って東奔西走している彼女の情報量は、本当に驚く程のものがある。
思い返せば、嵯峨野の事件の時に行き詰まりかけた道を見つけ出したのは彼女なのだ。
春の鳳明高校の少女の事件の時も、彼女に繋がる人物を探す際、頼ったのは遠野だった。
彼女の情報量と網は、折り紙つきだと言うことだ。
他校の生徒の事でさえ、人となりから人間関係から住所から、見事に暗記している遠野である。
同校であり同級生であり、何かとスクープを狙って気に留めている相手の事なら、他校の生徒以上によく知っているだろう。
そう思っての頼りだった―――――が。
「京一の趣味ねェ……やっぱりラーメンじゃない?」
「やっぱり?」
それは龍麻も思った。
だって彼は無類のラーメン好きだから。
「ラーメン以外って言ったら…剣とか、あと…ケンカ?」
「あれは趣味じゃなくて、日常になってるんだと思うな…」
「……そうね」
剣もケンカも、京一にとっては日常のもの。
好んで手を出すものとは違うだろう。
「う~ん……京一の趣味ね~……」
「遠野さんも知らない?」
「……だって京一、流行の曲も知らないのよ。密着取材してた時も、そういうの興味なさそうにしてたし」
流行のものに少しでも反応してくれたら、其処から京一の好きな傾向も見出せただろうに。
しかし残念ながら彼は、街中で流れる流行のアーティストの歌にも特に反応を示さない。
街頭テレビで巨乳アイドルが映った時は目で追うが、それは健全な男の自然現象だろう。
名前や顔はまともに覚えていないだろうし。
漫画も彼は殆ど持っておらず、誰かが読んでいて面白そうだったら借りて読む、程度のもの。
何か一つに没頭している事がなく、挙げるとするなら、確かに遠野が言う通り、剣とラーメンとケンカくらいのものなのだ。
―――――遠野がこれ以上の事を知らないのだったら、お手上げだ。
「ごめんね、緋勇君」
「ううん。ありがとう、遠野さん」
「まぁ、ほら、元気出して。京一なんだし、ラーメンでも奢ってあげればいいのよ」
ぽんぽんと肩を叩いて言う遠野に、龍麻は緩い笑みを浮かべて頷いた。
確かに、それが彼にとっては一番嬉しいことかも知れない。
天邪鬼な性格だから、改まって祝われるよりもずっと。
来週の新聞のネタを纏めると言って部室に向かう遠野を見送りながら、思う。
改まって「誕生日おめでとう」
と言う事を、多分彼は望んでいない。
その辺りでは『女優』の人々は別格になるのだろう、昔から知っている間柄の特権だ。
龍麻は其処には割り込めない、多分、恐らく―――――。
初めて出来た親友だから、初めて出来た家族以外でとても大好きな人だから、出来れば――――と思っていたのだけれど。
「あ? 何してんだよ、龍麻」
背中にかかった声に、振り返る。
と、今正に悩みの対象である彼が其処に立っていて、
「授業出るなら、マリアちゃんに言っといてくれ。腹痛ェって」
要するにサボリだ。
それだけ言うと、京一はくるりと踵を返して歩き出した。
冬であるのに今日の気温は随分と穏やかで温かいから、向かう先は恐らく校庭の木の上だろう。
その背中をしばらく見詰めた後で、そうだと思い付き、龍麻は京一の後を追った。
足音に気付いて京一が振り返った。
「? …なんでェ」
「僕もサボる」
「そーかい」
端的な会話の後は、もう続かない。
京一は今から欠伸を漏らしていて、教室に向かう生徒達とは逆方向へと進んで行く。
龍麻は、そんな京一を斜め後ろからじっと見ていた。
流行りものにも興味がないし。
ラーメンはいつも食べているし。
拳武館の一件から、前にも増して薄着で過ごしているのを見ると、服の一着でも良いかも――――とは思うのだが、京一は殆ど毎日を制服着で過ごしており、洒落た格好をする事がない。
アクセサリーも右に同じで、親指のリングは今年の春に如月が《力》を増幅させる為に手渡したものだ。
実用があるから身に着けているに過ぎない。
多分、本人は本当に“なんでも”良いのだろう。
プレゼントを貰うこと事態が、彼にとってはくすぐったい事だろうから。
でもやっぱり、出来れば彼が欲しいと思うものをあげたいし、喜んで欲しい。
じっと背中を見ていたら、視線を感じたのだろう、眉根を寄せて京一が振り返る。
「何ジロジロ見てんだ、お前」
「んー……」
言いたいことがあるなら言えと。
到着した下駄箱で靴に履き替えながら、京一は言う。
サプライズ、とか。
したら驚いてくれるかなぁと、龍麻はこっそり思っていた。
でも幾ら考えてもプレゼントも思い付かないし、サプライズには何が必要なのかも判らない。
趣味や好きなものも、遠野に聞いても判らなかったし。
こうなったら本人に聞くしかない。
散々悩んだ末に、開き直る。
「京一、欲しいものある?」
「あ? なんでェ、いきなり」
校庭に出て、いつもの場所に向かう道すがら、訊ねてみる。
急な質問に、京一はまた眉根を寄せて龍麻を見た。
「ほら、誕生日でしょ。何かあげたいなあって思ったから」
――――言った途端、京一の顔が赤くなる。
やはり好意の言葉に弱い。
その赤くなった顔を見られまいと、京一はふいとそっぽを向いて、頭をがしがしと掻いている。
龍麻はそんな京一に構わず、朱色の昇った耳を見ながら、のんびりと返事を待った。
「別にいらねーよ、何も」
「でも折角だし。ラーメン奢ってもいいけど、それじゃいつもと同じだし」
「いいよ、それで。他に欲しいモンなんかねェし」
それじゃ龍麻がつまらない。
むぅと唇を尖らせた龍麻だったが、京一はまだ明後日の方向を向いていて、それに気付いていなかった。
いつもの木の下に着くと、京一は早速それに足をかけて登り始めた。
木刀を持っている所為で片手が少々不自由な状態であるのに、彼は全くそれを感じさせない。
両手が自由な状態で登る龍麻と、殆ど同じ速さで登るのである。
常より少し速いペースで登る京一は、照れ臭さから逃げているようにも見える。
実際、時折見える頬は未だに赤らんでいた。
「大体、誕生日なんざではしゃぐ様なガキでもねェしよ」
「でも折角だし」
少し上を登る京一を見上げて、先刻と同じ台詞をもう一度言う。
そう、折角だから祝いたい。
だって、生まれて初めて出来た親友が、龍麻と同じこの世界に生まれて来てくれた日なのだから。
折角だからと繰り返す龍麻に、京一はいつもの枝によじ登って、
「じゃ、お前寄越せ」
――――――思わぬ言葉に、龍麻はピタリと静止した。
木に掴まったコアラのような姿勢で。
今、なんて?
問いかけたかったが、頭が停止したと同時に口も停止したらしい。
ぽかんと口が開いた状態で、龍麻は頭上の京一を見上げていた。
また大胆な言葉が出て来たものだ。
それも京一の口から、龍麻に対して。
龍麻は京一に好意を寄せていて、それはただの友愛の枠を超えている。
京一もそれを知らない訳ではなく、彼の場合はそれを受け止める前に先ず“好意”に慣れていないので、其処まで気を回すことは出来ないだろう。
その前に二人とも男同士なのだが、同性愛に偏見がある訳でもなかったので、其処はスルーされている。
そんな間柄で、京一から龍麻に先程の台詞が告げられたとなると、なんて大胆なのだと思ってしまう。
京一からの返事を待たされている状態の龍麻からしてみれば。
ずりり、少し幹を滑り落ちる。
それで停止していた思考回路が再稼働した。
「………京一?」
「勘違いすんなよ!?」
龍麻が静止している間に、自分の言葉の形の意味を理解したのだろう。
赤い顔をした京一が、木の上から此方を見下ろして声を張った。
「そんなに言うなら、一日オレの言う事聞けってんだ!」
つまり、丸一日、龍麻の時間を自分に合わせろと言うのだ。
「朝から?」
「ああ」
「昼も?」
「当たり前だ」
「京一が授業サボる時は」
「お前もサボるんだよ」
「『女優』、行くんでしょ」
「お前も行くんだ」
「トイレ行く時は?」
「そりゃ勝手に行けよ」
「京一が行く時は?」
「……ついて来る気か、手前ェ」
応酬をしている内に、京一の顔の赤みは引いた。
最終的には龍麻の問いに呆れた顔をする。
登りきって、京一よりも少し下にある枝に龍麻は腰を落ち着けた。
京一は足を伸ばして幹に背を預け、いつもの寝る姿勢になっている。
それを見上げて、龍麻はそうか――――と思いを馳せる。
丸一日。
京一と一緒に。
傍にいて。
彼の希望通りに。
うん。
悪くない。
聞こえ始めた眠る呼吸に、心地良さを感じながら、龍麻も彼に倣って目を閉じた。
≫
此処に君がいるから、止められない。
【There is a limit also in intimate relations】
何故こういう事になっているのか。
一から十まで、判るように納得できるように説明して欲しい。
京一の胸中はそんな言葉で一杯だった。
と言うのも無理のない話で、現在京一は、自分自身では到底理解できない状況にある。
場所は京一が通う都内の有名高校、真神学園のとある講堂。
時刻は授業が全て終わった放課後で、空はすっかり夕闇色に染められた頃。
放課後の部活に精を出していた生徒達も、既に帰路へと赴いてからかなりの時間が経っていた。
本来なら、今頃は行き付けのラーメン屋で夕飯にありついているか、『女優』でゴロゴロしている筈だった。
それなのに未だに教室を出られずにいるのは、机の上に山積みにされた補習プリントの所為だ。
最低でもこれらの中身を一通り埋めないと、京一に安息が訪れる事はないのだ。
しかし、今現在の京一は、その面倒臭いながらも義務となっているプリントを片付ける事さえ出来ない状態。
彼が落ち着いているのは、机に向かうための椅子ではなく、机の上。
一つの机につき、生徒が三人は並んで座れる机に、京一は上半身を背中から預ける形になっていた。
幅は広いが奥行きのない机である。
横に寝るならともかく、縦に体を乗せても、腰から肩までしか支えはない。
腹筋の力を緩めてしまえば、首から上は重力にしたがって逆さまになってしまうから、京一は必死だった。
それだけなら降りれば済む話なのだが、腕を拘束されている所為で適わない。
拘束しているものはロープ等ではなく、京一のスラックスに通してあったベルトだ。
机に立てかけていた木刀は、京一が此処に乗った時の揺れで倒れたらしく、床に転がっている。
起き上がりたいけれど、起きられない。
木刀も拾いたいが、拾えない。
その最大の原因と理由は、京一同様、居残り補習をしていた親友・緋勇龍麻にある。
「……何してんだ、お前ェは」
笑みを浮かべて見下ろしてくる龍麻を、京一はぎろりと睨み付ける。
元々穏やかとは程遠い眦が更に凶悪さを帯びるが、龍麻はまるで堪えない。
居残り補習中にあるまじき状態の京一を見下ろす龍麻は、いつもと変わらぬ笑みを浮かべているように見えるが、京一には明らかに違うと判る。
室内に自分達二人しか残っていないから、この底意地の知れぬ笑みが顔を出したのだろう。
だから自分もこんな状況に落ちているのだと。
腰骨の辺りに机の角が食い込んで痛い。
机に乗っているのは背中だけで、下半身は乗り上げていないのだから当然だ。
それからもう一つ、気になっている――――と言うか、心許無い事がある。
ベルトを抜かれている所為で、スラックスが落ちてしまい兼ねない事だ。
サイズに然程の余裕がある訳ではないが、留める物が失われていると言うのは不安になる。
それらを全て判っている上で、親友は笑っているのだ。
机に乗せられた京一の上半身横に手をついて、自分の有利に絶対の確信を持って。
「退け。帰れねェだろ」
「退いても京一はまだ帰れないよ」
それは確かな事実だ。
京一に用意された補習プリントは、全量から計算してまだ半分も残っている。
しかしそれらは机の下にバラバラにぶち撒けられており、そうなった瞬間、京一のなけなしのやる気は完全に折れた。
わざわざ持って帰って片付けようとも思わない、明日の朝まで恐らくこのまま放置になるだろう。
今から数秒以内に犬神が此処へ来ない限り、その予想は現実のものになるに違いない。
後でどれだけ怒られようと、結局はいつかまた補習で居残る羽目になるのだとしても、今日の京一はもう帰る腹積もりだった。
……龍麻が自分の上から退きさえすれば。
「帰るんだよ。だから退け」
「いや」
平仮名二文字できっぱり拒否される。
拘束された腕で龍麻の顔を押し上げる。
それで効果があるとは期待していないが、取り敢えずこのまま大人しくしている訳にも行かない。
「退けっつってんだよ」
「いや」
「こンの……!」
膝で龍麻の腹を蹴ってやる。
が、腹筋に力を入れたのだろう、堅い反動があっただけで龍麻はけろりとしていた。
とにかく腕の拘束だけでも解かなければ。
ぐるぐると無造作に巻かれたベルトは、絶妙な絡まり方をしているようで、いっそ千切ってしまおうかとも思う。
だが案外頑丈に出来ているこの代物は、簡単には裂けてくれそうになかった。
これさえ解ければ本気で全力の抵抗が出来るし、暴れまくれば龍麻も笑ってはいられない。
後は僅かでも良いから隙が生じれば、現状打破は可能になる筈だ。
龍麻の顔を見上げながら、京一は腕を何度も捻った。
千切るのも解くのも無理なら、どうにか緩めて腕を抜くしかない。
状態を確認する事が出来ないのが辛い、見えれば何処をどう弄れば良いか少しは判るのに。
ベルト相手に四苦八苦する京一を、龍麻は明らかに面白がっている瞳で見下ろしていた。
傍目には普段と変わりない表情だが、京一には判る。
他人が聞いたら被害妄想だろうといつも笑われるのだが、京一は絶対の自信があった。
「ふざけた真似してねェで其処から退け!」
「うーん」
「悩むな考えるなッ! つーか考えてもねェんだろ、どうせ!」
辛うじて自由である足をジタバタと暴れさせ、眼前の親友を跳ね除けようと試みる。
しかし龍麻はそんな京一を見下ろしながら、尚も「どうしようかなァ」等と呟いている始末。
その瞬間の微笑みの憎らしい事と言ったら!
腕を擦るベルトの角が痛い。
皮製のそれは鋭利とまでは言わずとも、柔らかなものではない。
幾らか痕になっているのは確実だ。
その手首に龍麻の手が伸び、ベルトのラインが擦れた痕をなぞるように、指を滑らせる。
ヒリヒリとした小さな痛みの隙間を塗って来た緩やかさに、京一の腕が一瞬不自然に硬直した。
「龍麻ッ」
これ以上の好き勝手を許してはならないと、最後通告の如く声を荒げる。
が、それが通じるような相手ではない事は、京一が誰よりもよく知っていた。
「京一、煩い」
「んだと―――――んぅッ、」
噛み付くように唇を塞がれる。
龍麻の唇と舌によって。
ちゅく、と咥内で音がする。
歯列をなぞる生暖かい蠢くものがあって、ぞくりとしたものが背中を駆け上って脳髄を蝕む。
蠢くものは数回歯列をなぞり、隙間が開くと、其処から更に奥へと侵入を果たす。
囚われまいと逃げた舌はあっさりと絡め取られ、いっそ噛んでやろうかと物騒なことを思えば、まるで頭の中を覗いたかのように下顎を捉えられて叶わない。
頭を少し上向きに持ち上げられると、口が更に開いてしまって、侵入者の横暴を許してしまう。
長く続く口付けに、京一は呼吸することを忘れていた。
脳に回される筈の酸素が不足すれば、思考回路の結び目は解け始め、躯は抗う力を失う。
拘束からの開放を求めて諦め悪く捻り続けていた手首は、もう動かない。
辛うじて束ねられた両手が握り開きを繰り返していたが、その程度が何の働きになると言うのか。
背にした机の下をガンガンと蹴っていた足も、次第に勢いをなくし、重力に逆らう事を止めた。
「ん、ん……んぅ…ふ、っは……んん…」
「京一…ん………」
まるで飴でも舐めているかのように、龍麻は執拗な程に京一の唇を貪った。
喰われそうだ―――――と京一は思う。
常の穏やかな印象とは程遠い激しい口付けに、茫洋としながら。
「んぁ…龍、麻……ん、ぅ、ふぅッ……」
手首に触れていた龍麻の手が離れ、京一のシャツを捲り上げる。
火照り始めた肌に触れた外気は、少しひんやりとしていた。
温度差の所為だろうか、微かに硬くなった胸部の頂に龍麻の指先が触れる。
「んッ…!」
ふるりと身を震わせた京一の甘い声は、口付けによって妨げられた。
最後に唇の形をなぞるように舌を這わせて、龍麻は京一の顔から離れる。
ようやっと息苦しさから開放された京一は、ぼんやりとした瞳で無機質な天井を見上げ、呼吸する。
その間にも龍麻の指は京一の躯に悪戯を止めることはなく、若く敏感な躯は素直に反応を示していた。
「っは…あッ、あ…ん、ふぅ……あぁッ……」
「乳首、勃ってる」
「や、め……バカ…んッん、あ、ぅ…」
濃厚な口付けによって高められた官能は、京一の全身をまるで甘い毒のように犯す。
夕暮れ時になって暗くなってきた教室の中。
時折、散らばったプリントを踏んだ瞬間のくしゃりと言う音が鳴る。
それ以外は、もう艶を含み始めた京一の呼吸以外は酷く静か。
龍麻の指先によって刺激を与えられる胸と、未だ触れられてもいない下肢。
どちらも同じ熱を覚えていて、京一はもどかしさと羞恥で身を捩る。
「ひあッ、あ…!」
「下、触って欲しい?」
「んん……!」
問い掛けに、どちらであっても答えるのが嫌で、京一は口を噤んだ。
そんな親友の反応を面白がるかのように、龍麻は勃起した乳首の先端を指先で弾く。
「あ、あッあッ…! やッあ、龍麻…ッ!」
「ねぇ、下も触って欲しい?」
胸板に舌を這わせながら、龍麻は問う。
京一の答えを急かすように、敏感な先端を弄りながら。
机からはみ出た頭を支える気力なんて既になく、京一は喉を露にして、躯は仰け反る姿勢になっていた。
肩幅より少し大きめに開いた足の間には龍麻がいて、京一に覆いかぶさる彼には、親友の躯が今どんな状態であるのか感じ取れている筈。
だのに龍麻は自ら手を伸ばす気はないようで、親友の返事を待ち、上半身ばかりを刺激する。
「はひッ、あ、ん、ううッ…」
胸ばかりを集中して攻められて、後の期待は何もない。
開発された躯には、それは緩やかな拷問だった。
しかし、だからと言って自ら望みを口にする事は出来ない。
何せ此処は学校の教室で、今自分達は補習中なのだ。
この補習を言いつけた犬神が何時戻ってくるのか判ったものではない、仮に最中に教室のドアが開こうものなら、京一はその瞬間に死ねる自信がある(威張れるものでもないけれど)。
―――――それを差し引いても、京一の性格が、相手に“請う”と言う行為を簡単に赦せない。
「っは…ん、う……くぅッ…!」
「……んー……」
何度促しても、貝の如く口を閉ざす京一に、龍麻は眉尻を下げる。
困ったと、判り易い表情を浮かべつつも、情交を止めるつもりはなく、クリクリと指先で京一の胸を弄っていた。
「言わないんだったら、教えてあげるよ」
「はッ…? はあ……?」
突然の龍麻の言葉に、どう言う意味だと京一は顔を顰めた。
腹筋に力を入れて頭を持ち上げ、龍麻を見る。
龍麻は、にっこりと何とも楽しそうな顔を浮かべていた。
――――――野性の感が“危険”の鐘を鳴らすまで、時間はかからなかった。
「待て、龍ッ……うわ!」
「暴れたら駄目だよ。プリント余計に散らばるよ?」
京一の躯を引っくり返して、仰向けからうつ伏せに。
敵に背中を向ける(敵ではなくて親友なのだが、このシチュエーションでは完全に敵だ)格好に、京一は更なる嫌な予感を覚えて肩越しに後ろを見やる。
拘束した腕を支えに起き上がる事を妨げる為だろう、京一の背中には龍麻の腕が乗せられている。
重力プラス体重で押さえつけられては、容易く跳ね除けることは出来ない。
結果、京一の腕は自身の体の下敷きにされ、背後の力に抗う術は完全に封じられた。
「プリントなんか今更だッ! つーか何しようとしてんだ、お前は! いやなんでもいいから、とにかく止めろッ!」
膝で机を蹴りながら、京一は無駄な抵抗と判っていながら叫ぶ。
現状で流される事は自分のプライドが赦さなかったから、もうそれしか出来る事はなかった。
机がガタガタと煩い音を立てて揺れる。
龍麻はそれも気にした様子なく、寧ろ心配しているのは床に散らばったプリントの方。
後で集めるの大変だなぁと呟くのが聞こえ、じゃあ今すぐこの行為を止めて集めろと言いたくなる京一だ。
だが京一の願いも空しく、龍麻は京一の背中に覆い被さって来る。
拘束の為にベルトを抜いた為に既に緩んでいたスラックスに手をかけ、擦り落とした。
「龍麻ッ!!」
肩越しに睨んだ親友の瞳が、嫌に楽しそうに見える。
スラックスが床に落ちて、京一愛用のパンダ柄のトランクスが晒される。
「京一って案外可愛いもの好きだよね」
「~~~~~~ッッ!!!」
「そういう所、可愛くて好きだよ」
耳たぶにキスが降って来たが、京一はそんな事に構ってはいられない。
パンダ柄のトランクスなんて、子供っぽいのは判っているつもりだ。
他者から見た自分のキャラクターと違うのも。
高校生にもなって――――と自分で思わないでもない。
しかし、どうしてか―――習慣になっているのか、どうしても無意識に選ぶのはこんな柄だ。
他人には絶対に見られたくないから、体育の着替えの時でもさっさと済ませてグランドに向かっていた。
夏のプール授業もそれは同じで、なるべく人には知られないよう、気付かれないようにして来た。
………なのに。
一番知られたくない人間に知られてしまって、この羞恥と歯痒さと言ったら最高レベルだ。
言い触らすような人物ではないのが唯一の救いかも知れないが、知られた時点で京一のプライドはズタボロである。
それでも無意識に選んでしまい、履くのは止められないのだが。
耳まで真っ赤になって突っ伏す京一に、龍麻はくすりと笑う。
愛用のパンダも脱がせれば、引き締まった臀部が外気に晒される。
龍麻は手のひらでそのラインをなぞった。
「てめッ、龍麻!」
「何?」
「なんかやらしーんだよ、止めろッ」
「やらしいのは京一だよ」
抗議の声をさらりとかわして、龍麻は京一の股の間に手を潜らせて前部に触れる。
「あッ……!」
ビクッと京一の躯が跳ね、甘い声が漏れる。
前部は触れられてもいなかったのに、竿は既に半勃ち状態。
袋をやわやわと揉んでやると、京一は机の縁を縋るように握り、ふるふると躯を震わせた。
「気持ち良いんでしょ?」
「んッ、あッ、や…! やめ、龍麻ッ……」
「ほら、やっぱり京一の方がいやらしいよ」
吐息がかかる距離で耳元で囁かれ、京一の官能は更に高まる。
くにゅくにゅと柔らかな袋を強弱をつけて揉む手。
それにより、雄は少しずつ頭を持ち上げて行く。
抵抗を抑える為に背中に乗せられていた腕が離れ、代わりに龍麻が覆い被さる。
空いた手がまた下肢に伸びて、京一の雄を扱く。
強くなる快楽の刺激に、京一はいやいやするように頭を振った。
「あ、ひぁッ、あッ! 龍麻、やめっえ…は、あぁああッ…!」
刺激された雄はみるみる内に膨張し、あと少しで達すると言う所まで来た。
その頃には京一の足は殆ど力を失い、自重を支える事も出来ない。
それを龍麻が押し開くように内股を押すと、力の作用に素直に従い、秘孔が露出する。
ヒクヒクと伸縮を繰り返す其処は、明らかに刺激を欲している。
「京一のココ、物欲しそうだよ」
「んんッ……!」
秘孔を指で突付かれて、ひくりと京一は躯を仰け反らせた。
つぷり、龍麻の指が入り口を広げて入り込む。
異物感よりも期待感が勝って、京一はそんな自分に歯を鳴らす。
快楽に慣れてしまった躯と心が悔しくて――――けれど、背後の存在を拒否する事も出来なくて。
羞恥と、迫る期待を押し隠そうと口を噤む親友に、龍麻は双眸を窄めて指を抜き差しする。
出て行っては入り、入っては出て行くそれは、決して奥へ進もうとはしない。
「んッ、あッ、やだ…あッあひッ、んぁあ…!」
「京一、可愛い。お尻振ってる」
「んぅ……あぁああ……ッ」
囁かれる言葉に耳が熱くなるのを自覚しても、腰の揺れは止められず。
秘孔から指が出て行く度に、京一は甘やかな声を漏らして身悶えた。
秘孔を攻めると同じく、龍麻のもう一方の手は京一の前部も刺激する。
指で輪を作って根元から先端まで扱き、太い部分を爪先で擦り、時折指の腹で押してくる。
敏感な箇所を同時に攻められて、京一の脳内は次第に、確実に蕩けて行く。
未だ微かながら理性が残り、羞恥を覚えているけれど、それも直に欲望の熱に押し流されそうだった。
何度も指を抜き差しされて、秘孔からちゅぷちゅぷと言う卑猥な音が聞こえて来る。
いつの間にか二本に増やされていた其処に痛みはない。
既に其処は受け入れる器として出来上がっていた。
「た、つま…たつま、龍麻ぁッ……!」
「うん……あげるよ」
夢中で腰を揺らす親友の痴態に、龍麻もまた興奮冷めやらず。
京一の秘孔を二本の指で押し広げながら、自身の下肢を寛げた。
机に上半身を乗せていた京一は、臀部を差し出すように龍麻へと突き出している。
其処に埋めていた指が抜かれて、代わりに太く熱く脈打つモノが宛がわれる。
龍麻は京一の肩を引いて上半身を起こすと、腕を支えにさせた。
だが下肢の方はまるで力が入っておらず、龍麻が腰を掴んで支えていなければ呆気なく膝から崩れるだろう。
その状態をキープさせて、雄を確りと入り口に宛がってから、龍麻は京一の腰を掴んでいた手を離した。
「あぅうぁぁあああッッ!」
龍麻が思っていた通り、膝から体勢を崩した京一は、自重によって龍麻の雄を受け入れる事になる。
待ちに待ったその刺激に、肉壁はきつく締まり、龍麻に痛みさえ与えた。
一瞬痛みで顔が引き攣った龍麻だったが、直ぐにいつもの調子を取り戻すと、再び京一の腰を掴む。
今度は支えて浮かせる事はなく、律動の突き上げに合わせて腰を引き寄せ、京一の奥を抉ってやる。
「あッあッ、いあッ! んあ、あうぅッ!」
「んっく…う…っは……京一ッ…」
「いあ、ああ! た、つまぁッ! ん、っくぅ…! あぁ…!」
机の縁を確りと握り、腕を立たせて、京一は腰をくねらせる。
拘束によって纏められている手首には、赤い痕が蚯蚓腫れのように浮き上がっていた。
身を揺らせれば更に擦れるそれを、もうどちらも気にしてはいない。
「やっぱり、…京一って、やらしいね」
「あぅ、あッ、あッ…んん、ふぁ、っはぁ!」
「こんな所でお尻出して挿れられて、こんなに感じるんだもん」
「ん、それはッ…ふぁ、お前、がぁ……あぅんッ!」
こんな事するから――――と言い掛けて、出来なかった。
最奥を擦り抉られる快感に、甘い悲鳴しか出て来ない。
放課後の学校、誰もいない教室。
居残り補習で取り残された自分達。
床に散らばった白紙の問題プリント。
いつ戻ってくるのか判らない教師。
今にも開かれるかも知れない教室の扉。
妙なスリルと緊張感があって、京一は興奮している自分に気付いた。
同じように、龍麻も場所も時間も問わず乱れる京一に、昇り高ぶる己の欲望を自覚する。
スラストに合わせて揺らめく細い腰。
龍麻はそれを壊さんばかりに、自らの腰を激しく揺らして自身の欲望を愛しい親友へと叩きつける。
「っは、あ…も…むりッ……龍麻ぁ…!」
「僕、も……ッ」
京一の痴態に、龍麻が興奮するように。
龍麻が限界を絶える声音に、京一もぞくりとしたものを覚える。
互いの躯は麻薬のようで、一度嵌ると抜け出せない。
不足したら、場所も時間も問わずに摂取しないと禁断症状が起きそうだ。
……だからこんな場所でも、繋がってしまえば夢中になって熱を貪るしか、解放する術はない。
「あッ、イくッ…! 龍麻ぁ、イっちま……」
「ん、う、うぅぅッ……!」
「っひ、い、ああぁ――――――ッ!!」
どくり、熱を吐き出す感覚にさえ快楽となり、京一は大きく身を震わせる。
同時に強く締め付けられた龍麻も、京一の体内へと濃い蜜液を注ぎ込んだ。
卑猥な音を篭らせて、結合部から粘着質な蜜が零れ出す。
京一の雄から放出された白濁は、受け皿がなかった為に、机、床、足元のプリントを汚していた。
しかし肩で呼吸を繰り返す二人は、そんな事に気付ける程の余裕はなく、
―――――龍麻に至っては、
「京一、もう一回」
「あぅんッ…! ば…ちょッ……あ!」
京一の制止を無視して、また律動を始める始末。
結局京一が教室を出る事が出来たのは、宵闇が西の空まで完全に染め切ってからだった。
居残りの生徒の下へ犬神が戻ったのは、空の茜が漆に侵食されてからの事。
山積みのプリントを全て終えるには、それ位の時間は入用だと思い――――案の定、それは的中した。
廊下の窓から様子を伺ってみた段階で、居残り二人の内一人は既にプリントを片付けていた。
時間がかかるだろうと見積もったもう一人は、これもまた予想通り、相棒の答えを丸写し状態。
とにかく今だけやっつけてしまおうと言う姿勢は明らかだったが、今更なので特に感慨は沸かない。
寧ろどんな方法でも良いから片付けてくれないと、彼等も自分も帰宅できないのだから、此処で文句をつけて振り出しに戻しても疲れるだけなのだ。
犬神は暫く廊下に留まって、丸写し作業が終わるのを待った。
やや時間が経った頃、作業を終えた少年がぐったりと机に突っ伏したのを期に、入室する。
「犬神先生」
「てめッ、何処行ってやがった!」
一人はのんびりと会釈、もう一人は噛み付いて来る。
「手前ェがどっか行った所為で、こちとら大変だったんだぞ!」
「何がだ」
「何がって―――――」
問い掛けた犬神に、京一は続けざま噛み付きかけて尻すぼみする。
その顔に朱色が上っているのが見えたが、犬神は知らぬ振りをしてプリントの回収に回った。
綺麗な文字に埋められたプリントが緋勇龍麻。
殴り書き走り書き、ギリギリ読めるプリントが蓬莱寺京一。
自力にしろ他力にしろ、終わっている事は終わっているようだ。
しかし。
「枚数が足りないな」
担当教科以外のものも含め、プリントは犬神が用意したのだから、その枚数も勿論覚えている。
数えてみればそれぞれ四枚分が足りず、それらは足元に落ちている様子もない。
何処にやった? と無言で問うてみれば――――――龍麻は満面の笑み、京一は真っ赤になっている。
「~~~~~~るせェッ! 知るかよ、ンな事!」
「僕も知りません」
「手前ェの勘違いだろ、どーせ! とにかく終わったんだ、オレは帰るからなッ!!」
中身の薄い鞄と木刀を担いで、京一は足早に廊下へと向かう。
龍麻も犬神に一つ頭を下げて、直ぐに相棒を追い駆けた。
随分と上機嫌な龍麻に比べると、京一は頗る機嫌が悪い。
待ってと言う親友の言葉に耳も貸さず、すたすたと足を進めて教室のドアに手をかけた。
―――――と、其処で犬神は二人を呼び止める。
「蓬莱寺、緋勇」
「はい」
「ンだよ!?」
今直ぐにでも教室を飛び出して行きたい。
京一はそんな形相だ。
尖ったその眦に睨みつけられた所で、犬神は欠片も動じることはなく。
「仲が良いのは結構だが、程々にしろよ」
……犬神が告げたその言葉に、京一一人が声にならない悲鳴を上げるのだった。
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放課後の教室でえっち!!
……でもプレイ内容は毎回同じような気がする(進歩しねぇ…!)
ラストの犬神先生が書きたかった(笑)。
タイトルは諺「親しき仲にも礼儀あり」をちょっと変換。
「親しき仲にも限度あり」です。
それはまるで、空から大地へ落ちてきた太陽に似て。
【Degeneration Sun】
最初の出会いは、いつだったか。
彼がまだ高校二年生の時分だったか。
噂を聞いたのはそれよりもずっと前だ。
多分、話自体は随分古くからあったもので、一番古いもので言えば彼がまだ子供と呼んで良い頃から存在していた。
流石にその頃の事はリアルタイムでは知らないが、とんでもなく強い少年がいる事は、その筋の連中の間では有名だったのだ。
その頃、吾妻橋もまだ若かった――――別に今老け込んでいる訳でもないが。
己の実力の天辺を知らず、正に井の中の蛙だったのである。
自らよりも強い男など幾らでもいる事は判っていたが、まさか未だ高校生の子供に負ける事はないと思っていた。
噂なんてものは単なる“噂”で、どんなものにだって尾びれ背びれがついて回るものである。
だから噂の“歌舞伎町の用心棒”もそんなものなのだと。
だが、逢って一番最初に、吾妻橋は息を呑んだ。
都会のビルが乱立するコンクリートジャングル。
汚れた猫がゴミを漁る、埃まみれの狭い路地。
冷たい光が、其処で刃を閃かせていた。
負けた。
呆気なく。
その時、吾妻橋は感じ取った。
彼が全く本気ではない事、閃かせた刃を振り上げてすらいない事。
いや、それ所か、彼は刃を鞘から抜く事さえしなかったのである。
つまりそれ程までに、彼の実力は吾妻橋と天と地ほどの違いがあったと言う事。
純粋に研ぎ澄まされ、熟練された者が持つ日本刀の切れ味は、ボロボロの屑刀など呆気なく両断する程のものなのだと。
悔しかった、血反吐を吐くかと思うほどに悔しかった。
吾妻橋とてプライドがある、それまでに築いてきた力と肩書きがある。
“墨田の四天王”の名は決して伊達ではないのだと。
だから何度も挑んで、何度も負けた。
毎回毎回、呆気なく。
彼はいつも刀を鞘に納めたままで、まるで子供を相手にするように、ひらりひらりと吾妻橋の攻撃を避ける。
人数に物を言わせて奇襲をかけても、まるで背中に目があるように、彼は簡単に避けた上で返り打つ。
どんな大人数を相手にしても怯まない彼は、泰然と冷たいコンクリートの上に存在し、向って来る敵意を片端から払い除けて行った。
その様を目の当たりにしながら、自分の強さは一体なんだったのかと自問自答するようになった。
―――――そうして初めて、ただ自己を振りかざす為だけに力を求めていた事を知った。
冷たい光をその目に宿した少年。
誰に媚びることもなく、薄汚れた路地裏で、それでも消えない鋭い光。
一体何度、その光に貫かれただろう。
彼の手の刃に触れられることさえない代わりに、その存在に何度灼かれた事だろう。
光の刺さないコンクリートジャングルの中。
彼はまるで、空から追い出された太陽の欠片のように眩しかった。
「暇だな」
ぽつりと呟かれた声に顔を上げれば、敬愛する兄貴分(と吾妻橋が勝手に奉っているのだが)がいて。
いつもの古ぼけた廃ビルの中、いつもの一室、いつもと代わり映えのないメンバーの中。
兄貴分――――蓬莱寺京一は、勝手に持ち込んだ廃棄物であった机の上にどっかりと足を乗せ、後頭部で手を組んで天井を仰いでいる。
部屋の中で意識を持っているのは京一と吾妻橋だけで、他の三人は床なりガラクタの上なり、寝転がって鼾をかいて寝ている。
半分日課と化していた丁半遊びもとうに飽きて、二人会話もなくダラダラと過ごしていた所だった。
そんな訳で、先の京一の言葉も無理はないのだが、だからと言って吾妻橋にはどうにも出来ない。
「へェ……」
「ンだ、そのリアクション」
「…そう言われましても」
つまらんと言わんばかりに京一の眉根がよって、反射的にすんませんと謝った。
面白いことをしろと言われても、生憎、吾妻橋には一発芸などのネタはない。
他のメンバーが起きていれば何某かあったかも知れないが、爆睡中の三名は起きる様子は皆無。
だから、どうにも出来ない。
先の言葉どおり、退屈そうに椅子を傾けてゆらゆら揺らす京一。
傾いたままで器用に足を組み替えたりするが、それで現状の何が変わる訳でもなく。
「なんかねーのかよ、暇潰せるようなモン」
「……勝負しやすか」
「飽きた。」
籠とサイコロを見せて誘ってみるが、ばっさりと切られた。
これが駄目なら此処で暇を潰せるようなものは何もない。
今度トランプでも探して来た方が良いかも知れない、と思った。
暢気にぐーすか寝ている仲間達が恨めしい。
しかし、殴ろうが蹴ろうが顔に落書きしようが起きないのは前例有なので、彼らを頼る事は出来ない。
吾妻橋一人でこの状況を打破しなければならないのである。
だが一人で出来ることと言ったら限界が簡単に見えてくるものだ。
…と言うか、吾妻橋の頭で考えられる事で言ったら、全く浮かばなかったりする。
やべェ。
その一言が頭を占める。
そうしている間にも、暇を持て余した京一の表情は渋いものになって行く。
「あー…………アニキ」
「あ?」
返ってきた声は低いトーン。
機嫌が悪い時の声だ。
この時、京一は完全に理不尽に吾妻橋へと苛立ちをぶつけていた。
他にどうしようもない現状による怒りを発散させる相手がいなかったのである。
激しい京一シンパの吾妻橋は、そんな不条理さなど気にもせず、ただ只管に京一の暇を潰せるような物を考えていた。
結果。
「ちょいと、そのー……ドライブにでも行きやせん?」
「………………」
すぅと京一の双眸が窄められる。
なんでお前なんかと、明らかにそんな瞳をして。
「いや、あの、此処にいたって何にもねェ訳ですし。此処でボケーッとしてるよりは」
「ボケっとしてんのはお前ェだけだ」
「………へい」
京一の木刀がぐりぐりと吾妻橋の頬を押す。
太刀袋に入ったままとは言え、その中身の先端が刀同然に尖りを帯びているのは変わらないわけで、頬骨が若干痛い。
痛いがその文句を言える訳もなく、大人しく肯定の返事をするしか吾妻橋の選択肢はなかった。
数回吾妻橋の頬を押してから、京一は木刀を下ろし。
傾けていた椅子を元に戻して、机の上に乗せていた足も久しぶりに床へと着けられた。
そして立ち上がると、ドアを失った部屋の出入り口へ。
その時になっても動かぬ吾妻橋へと、京一は肩越しに視線を寄越し、
「何してんだ、ボケっとしてんじゃねーよ」
「へ?」
「行くんだろうが、ドライブ。確かに、此処にいるよりゃマシだろうしな」
言われて数秒。
理解に時間を要してから、吾妻橋は慌てて椅子を立った。
そのまま部屋を出て行こうとして、危うくバイクのキーを忘れた事に気付き、戻ってガラクタの上に転がしていたキーを掴む。
部屋を出た時には京一は既に階下への階段を下りていた所で、吾妻橋は駆け足でそれを追い駆けた。
ビルを出て、既に使われていない駐輪場へと向かう。
其処にはポツンと吾妻橋が私用するバイクが置いてあるだけだ。
キーを入れてエンジンをかけ、出発の準備をする間、京一は何をするでもなく傍らに立っている。
ちらりと、エンジンを暖めながら京一を窺い見る。
京一はビルとビルの隙間に覗く、僅かな空を見上げていた。
瞳に映りこんだその色は、時刻に応じて既に夕暮れの緋色に染まっており、雲も橙色に変化していた。
あと数十分もすれば、この緋色は漆の色に変わる事だろう。
吾妻橋には、京一の瞳に移りこんだその緋色がなんだか酷く綺麗で、ぽかんと数秒、それに魅入っていた。
少し引いて、視界をその瞳から彼の横顔へと広げてみれば、何処か憂いを含んだ面立ちが其処にある。
――――――ドクリ、心臓が鐘を打った。
そのまましばし、吾妻橋は時間の経過を忘れていた。
傍らに立つ人の、何処か現実味の欠ける面に意識を吸い込まれたままで。
まるで、空に何かがあるかのように。
其処に何かを求めているかのように。
時折、京一はこんな風に憂いを帯びた顔をする。
出逢った頃に魅せられた冷たい光とは違う。
彼の傍らを取り巻くようになってから見つけた、照れ臭そうに笑う時の、少し幼い光とも違う。
喧嘩の最中に閃く、青い炎のような一瞬の内に燃え上がる光とも違う。
普段は片鱗すら見せない光が、こういう時――――無防備にも見える一瞬に、ちらつく。
それを見つけてしまう度、吾妻橋は呼吸も忘れて魅入ってしまう。
遠い何かに思いを馳せているような、遠い何処かにそのまま消えてしまいそうな。
そんな柔でも儚い人でもない筈なのに、この一瞬だけ、切り取られた絵画のように綺麗で。
カメラのシャッターを切った様に、吾妻橋にはこの風景が、鮮やかに記憶に残るのだ。
まるで、忘れられた記録の断片であるかのように――――――
「――――オイ、暖機もういいんじゃねェか」
聞こえた声に、吾妻橋の意識は現実へと還る。
還って一番最初に見たのは、敬愛するアニキの顔――――それもかなりの至近距離。
「うぉぉおおおうッッッ!!!?」
「うおッ!?」
素っ頓狂な声を上げて飛び退いた吾妻橋に、京一も肩を跳ねさせて数歩後退。
「なんでェ、ビビらすな! 妙な声出しやがって!」
「すいやせん!!」
飛び退いた勢いそのままに、吾妻橋は硬いコンクリートに土下座する。
其処までの謝罪を求めていない京一は、顔を引き攣らせ、地面に額を擦り付ける舎弟を見下ろし、
「……いや、いいけどよ。別にムカついた訳でもねーし」
「すんません…!」
「だからいいっつーの」
ごちん、と吾妻橋の頭に硬いものが落ちてきた。
京一の木刀である。
痛みを訴える後頭部を摩りつつ立ち上がり、バイクに跨る。
後ろに京一が乗り、姿勢を安定させたのを確認して、吾妻橋はエンジンを吹かした。
京一が吾妻橋のバイクに乗るのは、初めての事ではない。
夜通し歌舞伎町をぶらついた翌日、学校に遅刻しそうな彼を乗せて近辺まで走った事もある。
それから京一が親友と憚らない緋勇龍麻が行方不明になった時にも、どういった経緯か吾妻橋はその時聞かなかったが、彼を探す際の足として求められ、吾妻橋は躊躇わずにそれに応じた。
その時ヘルメットと言う安全の為の代物は、一度として被った事がない。
二人乗りでノーヘルと言う、危険である事を、気にするものは此処にはいなかった。
ちなみに警察に追われる時もあるのだが、これは無視するに限る。
薄暗い人通りのない道を通り抜け、大通りへ。
車が行き交う道路の端を、風を受けながら走る。
「で、何処まで行くんでェ?」
「あー……そうっスねェ……」
赤信号で止まった所で問われて、吾妻橋は特に決めていなかった事に気付く。
「東京湾でも行きやすかい?」
「行ってどうすんだ。何もねェだろうが」
「今の時間なら夕陽見れますぜ」
「だからンなもん見てどーすんだよ」
背中で文句を言われても、バイクを運転しているのは吾妻橋だ。
そして京一も何処に行きたい訳でもなかったので、結局は「好きにしろよ」と呟く。
誘う文句に夕陽を選んだが、別段、夕陽が好きな訳ではない。
他に今思い着くものがなかっただけだ。
実際、自分も東京湾も港も見たいと思っていない。
けれど何処かに食べに行くでは金がかかり、懐の淋しい自分達には辛いものがある。
同じ理由でゲーセン等も却下で、後残っているのは、ただただ走って何処かに辿り着くのみ。
―――――とは言え。
緋色に染まった空には、千切れ千切れた雲が点在するのみで、曇天は欠片もない。
綺麗な夕陽が見れるのは、恐らく間違いないだろう。
「夕陽なんて間に合うのか? 沈んじまうんじゃねーの」
「渋滞でなきゃ間に合いますよ、多分…」
「ま、どっちでもいいけどよ」
とす。
背中に重みがあって、一瞬硬直した。
危ない、事故に繋がる所だった。
赤信号に止まって、ミラーの角度を調整する振りをして、背後の存在を見た。
背中を伸ばしているのに疲れたのか、京一は吾妻橋に寄りかかっていた。
振り落とされないように片腕が吾妻橋の腹に回されており、もう片方はいつものように木刀を肩へ。
何度か京一をバイクに乗せたが、未だに吾妻橋は緊張する。
敬愛する人物が直ぐ後ろに、それもゼロ距離にいて、吾妻橋に身を任せているのだから無理もない。
そんな事を京一は知らないけれど。
京一は親友の龍麻に対してはよくスキンシップをしているが、吾妻橋達にそれはない。
京一と“墨田の四天王”の間のスキンシップと行ったら、木刀で小突かれたり蹴飛ばされたり。
とてもじゃないが穏やかな遣り取りは存在せず、少々バイオレンスなのが日常だ。
だから京一が吾妻橋に触れる事は滅多にない。
吾妻橋自身もそんな事はおこがましいと言う意識があり、自身からもあまり触れない。
その所為だろう、吾妻橋は京一に触れられる事に慣れていないのだ。
けれども、バイクに乗っている時はそうも行かない。
落ちない為にはどうしても京一は吾妻橋に掴まらなければならないし、吾妻橋もそれを受け止めなければならない。
そして緊張なんてしていたら事故を起こしてしまうから、意地でも平静を保たねば。
回数をこなして、どうにか掴まれる事には慣れた吾妻橋だが、無防備に身を委ねられるとまだ緊張する。
……別に、それで何が起こる訳でもないのだけれども。
「寒ィな」
「…そっスね」
「後で上着寄越せよ」
「俺が風邪引きますよ!」
「問題ねェだろ。引いとけ」
とんだジャイアニズム。
背中で笑う気配があるので、勿論冗談だろうが。
「お、デケェ船」
見えた港に停泊している船を見て、京一が呟いた。
その前を横切るように、海岸線に沿ってバイクは走り抜けていく。
先の言葉の通り、寒さを感じたのだろう。
京一の吾妻橋に掴まる腕に力が篭り、ひたりと体が密着する。
頼むから動揺するな、俺。
跳ね上がる心臓に対して胸中で叫んでも、鼓動は一向に休まる気配がない。
かと言って、当然、背中の存在に離れてくれなどと言える訳もなく。
ドライブに行く事を提案した時点で、こういう事になるのは判っていた筈だ。
だと言うのに、今になって何を意識しているのか。
「……おい吾妻橋」
「へい」
「お前ェ今、信号赤だったぞ」
「………マジすか」
「いいけど事故ンなよ。殺すからな」
「……へい」
自分の動揺に気を取られている場合ではなかった。
自分が少しでも運転を謝れば、ノーヘルで二人乗りなんてしている自分達の命は無い。
敬愛する京一の命を握っているのは、今現在、吾妻橋なのである。
海岸線を進むと、東京湾が見えた。
その向こうの西方に、ビルの隙間に沈み行く緋色の太陽。
ビルの隙間で光る陽光は、その閃光を十字に切り、穏やかな波に揺れる水面を照らす。
本来なら深いグリーンの色をしているだろう東京湾の水面は、今だけは夕暮れの空を映し出すように紅い。
きらりきらりと水面で煌く陽光の反射が眩しい。
「へェ」
ボォ、と近くの埠頭からだろう、汽笛の大きな音がする。
それに埋もれることなく、不思議と京一の感嘆の呟きは、吾妻橋の耳に届いた。
「悪かねェな」
「そっスね」
コンクリートを打ちっ放しにした、海に面した駐車場を見付けて、吾妻橋は方向を変えた。
今は誰もいない、停まった車もない其処へ滑り込むと、バイクを停める。
先に京一がバイクを降りて、柵も何もない波打ち際に歩み寄る。
「東京湾なんざ汚ェモンだと思ってたけどなァ。こうして見るとそうでもねェな」
確かに、汚染問題がどうのと騒がれている割に、此処から見える景色は綺麗なものだ。
その汚染問題についても、かなり改善が育まれているのだが、京一はそんな事には興味がない。
今は目の前に広がる景色だけが、彼の意識を占めている。
ビルの隙間に沈んでいく太陽と、京一は向き合っていた。
その後ろで佇む吾妻橋に、彼の表情を見ることは出来ない。
けれど、
「―――――そっスね。キレイなモンすよ」
呟いた吾妻橋の言葉の真意を、向けられた少年が知る事はないだろう。
此処から見える景色が、吾妻橋が見る景色が、綺麗だと言う事。
眩しい陽光の中で佇む少年の後姿が、最も美しく映るのだと言う事を。
「…ちょいと前まで、薄汚ェモンばっかだと思ってたのになァ」
「……そっスね」
この海も。
この街も。
ろくでもないものばかりが溢れている。
だけれどその中で、キレイな光が存在しているのは間違いない。
…こうして、束の間綺麗な景色を見る事が出来るように。
目の前の少年が、薄汚れた路地裏で、まるで太陽のように光を失わないように。
普段、汚いものばかりを見るからだろうか。
いやそれよりも、自分自身がこんなに汚いからだろうか。
吾妻橋は、闇の中に置いて光を失わず、凛と立ち尽くす目の前の少年に憧れずにはいられない。
汚泥の中にいながらにして、光の中にも存在することが出来るその強さに。
眩しい光のように行きながら、地の底を這いずる者に不器用ながら手を伸ばす、その優しさに―――――手を伸ばさずにはいられないのだ。
「キレイっスよ」
「何度も言うなよ。有り難味薄れて来るじゃねェか」
「でもまぁ、事実っスから」
「まぁな」
そう言って振り返った京一の向こうで、ビルの隙間の太陽が十字に光る。
光に照らされた少年の面影が、また一枚、切り取られて見るものの記憶に刻まれる。
眩しい太陽にも、水面で反射する光にも、劣らない。
霞むことさえ有り得ない、佇む少年が放つ、強烈な光。
時に冷たく、時に温かく、時に激しく。
幾度と無く変化する光の色は、吾妻橋を囚えて離そうとしない。
他に何にも心移りをさせる事なく、雁字搦めにして。
「オーイ、またボケーっとしてんじゃねーぞ」
「へ? へいッ」
また間近に京一の顔があった。
呆れたように細められた双眸に、吾妻橋の顔がそっくりそのまま映り込んでいる。
本日二度目の奇声が上がりかけたが、どうにか飲み込む。
その代わりに気をつけの姿勢になった吾妻橋に、京一はクスリと笑い、
「だからって別に畏まる必要もねェけどな」
木刀を肩に担ぎ直して、片手をポケットに突っ込んで。
立ち尽くす少年の笑った顔は、その向こうで輝く緋色の太陽よりも眩しくて。
―――――だから、吾妻橋は何処まででもついて行く。
少年が望もうと望むまいと、彼が向かうと言うのなら、同じ場所に向かうと決めた。
その先に待っているのが、例え異形の者共であろうとも。
其処にあるのは、空から堕ちた太陽の欠片。
地面を這い蹲って生きる者達が、
光の中で生きる事の出来ない者達が、
ただ一つ追い駆けることを赦された、小さな太陽の一欠片。
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吾妻橋→京一。
うちの二人はこんな感じ。
当サイトの京一は、鈍い上に変な所で無防備。
吾妻橋の京一シンパは、どうも神がかったフィルターが貼られているようです(笑)。
そして私は何処まで京一に夢見てるんでしょーか(爆)。
歌わせろだのいらないだの、延々続くかと思われた押し問答は、如月の咳払いで幕を閉じた。
京一は眉根を寄せ、如月に目を向ける。
「お前もなんかあんのか?」
「お前のような単細胞に必要なものがあるのかと、少し考えたが、一応な」
「……京一、怒らない」
如月の言葉に青筋を立てた京一を、龍麻が宥める。
如月の手から放り投げられた小さな紙袋をキャッチする。
袋の中の膨らみは薄く、手触りで御守りであると知れた。
「なんでェ、織部と被ってんじゃねェか」
言いながら袋を開けて、中身を取り出す。
「………二つ?」
「君には足りないものが多過ぎるからな。かと言って欲張るのも良くない。最低限これは必要だろうと、それらを選んで来た」
「ケンカ売ってんのか、手前」
如月を睨む傍らで、吾妻橋が御守りの一つを手に取る。
其処には、『学業成就』の文字。
それを見た一同の脳裏に過ぎったのは、京一の学校での成績。
はっきり言って宜しくなく、赤点・補習は常連である。
真神のメンバーには卒業さえ怪しいのではと言われているので、成程これは必要だと言う感想が沸く。
が、京一にしれみれば莫迦にされた気分だ。
神頼みという柄ではないし、骨董品屋に埋もれていた物がどれだけ利益があるかは知らないが、貰うだけ貰おう。
そう思う一方で舌打ちを漏らしながら、こっちはなんだともう一つの御守りを見る。
其処に書いてあったのは、
「………………………………………………………………安産祈願?」
呟いた京一の言葉に、しん、と店の中が静まり返った。
それから如月へと視線が向けられる。
「……如月君、間違えたの?」
「いえ」
「…なんで安産…?」
「必要かと」
「いや、京一、男だし」
真顔のまま微動だにしない如月に、一同は当然、困惑する。
女子が相手なら、気が早いと言われても、いつかは通る道である。
今は必要なくても。
気の知れた相手で、冗談を言い合うほどなら、笑って済ませる事だ。
まして、如月と京一の間柄は決して穏やかではないし、最初の頃程ではないにしても、やはり憎まれ口を叩き合う仲。
ベチッ、と音がして、京一が御守りを床に叩き付けた。
「テメェやっぱケンカ売ってんだろ、このムッツリ野郎!!」
「真摯に考えて行き着いたものだ」
「尚更悪いわッッ!!!」
「アニキ、落ち着いて下せェ!!」
「離せ、いっぺんブッ飛ばすッ!!」
木刀を振り上げた京一を、龍麻が後ろから羽交い絞めにした。
それでも激昂して暴れる京一に吾妻橋が宥めようと必死になる。
「オレになんでこんなモンが必要なんだよッ! 頭イカれてんんか!」
「近いうちに必要になる」
「ならねーよ!!」
龍麻に抑えられては、暴れたところで早々逃れられる訳もなく。
止むを得ず両脇を押さえられたままの格好で、京一は如月を睨む。
その遣り取りを眺めていた八剣が割り込んだ。
「京ちゃんじゃなくて、京ちゃんの周りで必要な人がいるとか、かな?」
「京ちゃん言うな! いねーよ、そんな奴ッ」
「いや、蓬莱寺が必要なものだ」
「お前も頭沸いてんじゃねーぞ、コラァ!!」
「京一、どうどう」
八剣の考えを、京一だけでなく、如月までもが否定する。
益々困惑するのは周りの方で、如月の考えが全く読めない。
そんな中、誰も気付いてはいなかったが、八剣だけは如月を冷ややかな目で見ていた。
このまま京一を怒らせていたら、今日と言う日が台無しになる。
そう思ったのは様子を見ていた全員の一致で、慌てて遠野が話題転換を吾妻橋に持ちかけた。
「ね、アンタ達は何持ってきたの?」
「へッ? あ、あっしらですかい?」
「そうそう!」
話を振られた吾妻橋は、焦った様子で他の面々と顔を合わせる。
気まずそうなその表情が京一の視界に入り、京一は睨んでいた如月から無理矢理視線を外した。
京一に見られた吾妻橋達は、益々居心地が悪そうに縮こまる。
「その…あっしらは、その、金もねェもんで……」
―――――心酔する京一の誕生日。
何か出来る事はないかと考えたものの、金銭もなければ時間もない。
京一がその日その日で欲しいものは聞いているが、それを用意する事も出来ない。
集まったメンバーが各々のプレゼントを疲労する中、肩身が狭くなったのだろう四天王達は、その肩書きを忘れてきたかのように、叱られるのを恐れる子供のように縮こまっている。
京一はそんな舎弟達を見て、ガリガリと頭を掻く。
「……別に期待しちゃいねェから、気にすんじゃねえよ」
「すいやせん!!」
「だから謝るなっつーの。その代わり、今度ラーメン奢れよ。それでチャラだ」
「へい! アニキの為でしたら、幾らでも!」
吾妻橋達の目は尊敬の眼差しだ。
優しいね、と隣から声が聞こえて、京一はそちらを睨む。
其処にあるのはやはり見慣れた相棒の笑顔だ。
その下から、高い少女の声。
「あたしも何もないわよ」
「お前こそ期待してねーよ」
マリィであった。
龍麻にずっとくっついたままの彼女が、龍麻以外に何かを贈る等、考えてもいない。
パーティの場所にこの店を選び、龍麻が参加するという時点で、彼女も参加するのは自然なこと。
それ以上に参加する理由はないのだ、彼女の場合。
でも、と龍麻と京一にのみ聞こえる小さな声で、マリィが続けた。
視線は、大好きな龍麻に向けて。
「どうしてもって言うなら、一つ約束してあげても良いわよ」
「どんな?」
訊ねたのは龍麻だ。
マリィはぽっと頬を赤らめ、恋する乙女のように恥ずかしそうに手で顔を隠しながら、
「あたしと龍麻ちんのラブラブ新婚生活計画、あんたも加えてあげてもいいわ」
「へーそーかい。そりゃありがてェな」
「そうよ、感謝しなさいよ。本当なら、お邪魔虫なだけなんだからねッ」
「へーへー。ありがとーよ、チビ」
ぐしゃぐしゃと乱暴にマリィの頭を掻き撫ぜてやる。
龍麻と違う粗野な手付きが気に入らなかったのだろう、直ぐに払われてしまったが、京一は気にしなかった。
龍麻と顔を合わせると、クスクスと楽しそうな笑顔。
マリィの計画が何処まで本気なのか、本当にそうなるのかはともかく、彼女が楽しそうなのが嬉しいのだろう。
京一も、生意気な子供だとは思うけれど、本気で怒るような気にはならない。
それは彼女の見た目が、まだ子供子供している所為でもあるのだろう。
生意気な口調の一つや二つ、受け流してやればいい。
悪気があってそうしている訳ではないのだから、此方が広い心で対応すれば良いのだ。
プレゼントと言うには随分曖昧なものであったが、これでマリィからのプレゼントも貰った。
残るは真神メンバーと、八剣だ。
「ボク達からは、さっきの料理だったんだ。コニーさんに調理場借りて、ケーキは醍醐君が全部作って」
「プレゼントと言っても、毎日顔を合わせていると今更っていう気がしてな」
「どう? 美味しかったかしら」
「ああ、美味かったぜ。ありがとよ」
「あたしからは、後でね。今日の写真、全部焼き増ししてあげる」
「おう」
改めて畏まられるよりは、京一も気が楽だ。
たらふく食べた後だし、その味も十分味わうことが出来た。
付き合いが長いこともあってか、味はちゃんと京一の好みに合わせて作られていた。
それだけでも京一にとっては嬉しい事だ。
醍醐の料理も、いつもは小蒔の為に作られているものが殆どだ。
それをわざわざ、自分の為に作ったのだから、それだけで妙にくすぐったい。
小蒔、葵も指先には絆創膏が張られており、努力の色が滲んでいる。
カメラをずっと構えたままの遠野は、チャンスさえあればシャッターを切っている。
一体どういう瞬間を撮っているのか知らないが、遠野らしいプレゼントだ。
「でも、緋勇君は緋勇君で用意したみたいよ」
「龍麻が?」
一体何をと窺ってみると、龍麻は鞄の中から箱を取り出す。
ラッピングなどされていない箱には、“イチゴパンケーキ”の文字。
龍麻らしいと思っていると、それを見た八剣が、
「あらら。被っちゃったね」
「八剣君も、苺?」
「じゃあないけど」
「お前だけだろ、苺に拘んのは」
龍麻の言葉に苦笑を漏らしつつ、八剣が差し出したのは、和菓子の詰め合わせだ。
「あまり甘いものは好きじゃないようだけど」
「…まぁな。食えない訳じゃねえよ」
詰められた和菓子は綺麗に並んでおり、綺麗な彩色が施されている。
上菓子と呼ばれる、細工も凝ったものばかりだ。
あまり馴染みのない品に、京一はしばしそれに目を奪われていた。
和菓子については全くと言って良い程知識もないのだが、知らなくても凄いと思う。
冬の季節を感じさせる伝統工芸に、他の面々も見入っていた。
その中から一つ摘んで、口に放り込む。
餡の甘みが広がった。
「甘ェ」
「茶請けにするのがいいよ。抹茶と合わせると美味いから」
「ふーん。抹茶ねェ」
「良い茶葉ならうちにあるから、今度来るかい?」
「調子に乗んな」
「それは残念」
菓子の食べ方など、気にした事もない。
『女優』に抹茶なんてあったかと考えつつ、龍麻に視線を戻す。
「で、お前はソレだよな」
「うん。美味しいよ。京一も気に入ってくれると思うな」
早速、と龍麻は一つ小袋を取り出して、封を開ける。
京一は口の中に残っていた和菓子の甘みを水で流して、龍麻の苺菓子を受け取ろうと手を伸ばした。
が、届くという場所でそれは逃げる。
目的である筈のものを掴み損なった手は、中途半端に宙で浮いている。
しばしフリーズした後、改めて延ばしてみると、やはりそれは届くという距離ですいと逃げた。
―――――――間抜けな事をしている、と思ったのは当然の事である。
手に菓子を持ったまま、龍麻はいつもの笑みを湛えている。
普段から何を考えているか判らないのが、その笑顔の所為で余計に内面が測れない。
何がしたいんだと眉根を寄せると、龍麻は益々にっこりと笑み、
「京一、あーんして」
「……………はァ!?」
何を言い出すんだと、呆れで口を開けた直後、ぽいっと菓子が放り込まれた。
一口で咥内に収まるサイズのそれは、口を閉じると同時に甘味が広がる。
美味い。
確かに、悪くはない。
考えていた程、甘くもなかった。
なかったが、さっきのはなんなんだ。
胡乱な目で見ると、龍麻はにこにこと代わらぬ笑顔を浮かべている。
なんだかその表情が満足感に浸っているようで、京一は口の中に菓子が残っているのもあり、閉口してしまった。
「いいねェ、それ」
「何が……んぐ」
八剣の言葉に反応して口を開けると、二個目が押し込まれる。
口の中に入ったものを出す訳にも行かず、京一はそれも食べ切る。
「京一、もう一個」
「待て、た……む…」
「まだいる?」
「………………ちょっと待て、龍麻」
三個目も飲み込むと、京一は手で口元を隠してストップをかける。
龍麻は止められた事が不思議であるかのように、きょとんとして首を傾げた。
京一の咥内は、和菓子に続く苺菓子の連続で、今までにない程甘みで一杯になっている。
もともと甘いものは得意ではないから、それ程甘くないとは言っても、連続で食べれば限界も早い。
吾妻橋に差し出された水を飲み干して、ようやく一息吐いた。
「お前は何考えてんだ」
「プレゼントあげたいなって」
「自分で食う」
「食べさせてあげたいんだ」
「………お前等も止めろッ!」
自分が言っても無駄だと判断して、京一は見ていた周囲の面々に言う。
「あ、いや……なんか、ごく普通にしてたもんだから…」
「タイミングを外したと言うか……」
小蒔と遠野の言葉に、京一はがっくりと肩を落とす。
完全に龍麻のペースに飲まれている。
壬生が眼鏡のズレを直し、龍麻に訊ねた。
「………君達は、よくそういう事をするのかい?」
「時々」
「するか、阿呆ッ!!」
声を荒げた京一に、龍麻が傷付いたように顔を顰めた。
「でも、昨日もしたし」
「ありゃお前が勝手にオレの口に苺パン突っ込んだんだろうが!」
「美味そうだなって言ったから」
「言っただけで、食いたいっつった訳じゃねーよ!」
そうなのか、と納得しかかっている壬生の誤解を撤回しようと、京一は違うと言い張る。
しかし龍麻の方も負けておらず、その前もした、と言う。
実際、殆どは龍麻の方が勝手に京一の口に菓子を押し込んでいるパターンである。
あまりに龍麻が嬉しそうに苺ばかり食べるから、それを眺めた感想を京一は述べただけだ。
京一の言葉に「食べたいの?」と問うならばまだいいが、問答無用で口に入れるのは勘弁願いたい。
もともと、甘い物はそれほど得意ではないのだから。
否定する京一に、龍麻の表情は段々と不満げなものに変化する。
が、此処で引き下がっては誤解が広がると、京一は壬生に違うからな! と詰め寄った。
そんな京一の肩を、八剣が掴んで引き寄せる。
「まぁまぁ京ちゃん。紅葉も判ってるだろうから」
「うるせェ、手前は引っ込んで―――――ぐ」
今度は、和菓子を放り込まれた。
食べ物を出す訳に行かないお陰で、京一は閉口せざるを得なくなる。
「あ、八剣君、ずるい」
「君が先に始めたんだろう」
「京一、あーんして」
口の中の和菓子は既になくなっていたが、これ以上は御免だと京一は真一文字に口を噤む。
同じように八剣も、次の和菓子を差し出していた。
「イライラしている時には、当分がいいんだよ、京ちゃん」
「京一、あーん」
するか! とさえ怒鳴れずに、京一は詰め寄る二人をどうすべきか、必至で逃亡策を考えるのだった。
「………食べ物か…そうか、それがあったか……」
「……如月君?」
「何言ってんだ? あいつ…」
「それより、京一どうしましょうか…」
「京一って、妙に男にモテるのねー…」
「オレ達の札、効果ないかもな」
「……《黄龍の器》ですものね」
「ロックでHappy birthdayの何が不満だってんだ」
「耳慣れないものであるとは思うよ、僕もね」
「だからいいんじゃねえか」
「……僕にはよく判らないよ」
「いいなぁ。あたしも龍麻ちんにあーんしてあげたいなー…」
「アニキィィ……不甲斐ない俺達を赦して下せェ……」
「……正直、おっかねェです…」
「京一、あーん」
「はい、京ちゃん」
(いい加減にしてくれ――――――ッッ!!)
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ギャグを目指して見事玉砕。
龍麻と八剣はゴーイングマイウェイ、ひっそり如月も壊れて頂きました(爆)。
初の如月×京一だったような気がします。
地味でごめん、如月。
マリィとの遣り取りを一番書きたかったような気がします。
あと、壬生は真面目な顔でボケ(多分、本人はボケてるとも思ってない)てくれたら良いと思う。
―――――――悪い気がしない時点で、それはつまり、やっぱり嬉しいと言う事で
This is one how to celebrate
『Happy birthday、京一―――――!!』
綺麗に揃ったその言葉を切っ掛けに、クラッカーの音が次々と鳴り響く。
宙に飛び出したカラーテープが翻り、京一の頭に降り注いだ。
照れ臭いやら、恥ずかしいやら。
並んだ笑顔を前にして、京一は耳が赤くなるのを感じていた。
場所は行き付けのラーメン屋。
右隣から緋勇龍麻、マリィ、醍醐、小蒔、葵、遠野、如月、雨紋、織部姉妹、八剣、壬生、墨田四天王。
隣に立つ龍麻が顔を覗き込み、いつもの笑顔を浮かべ、
「おめでとう、京一」
改めて面と向かって言われて、京一は頭を掻いて、小さく「おう」とだけ返す。
それだけで龍麻は満足だったらしく、見慣れた笑みを尚深くする。
龍麻一人に言わせてなるものかと、醍醐、小蒔、葵、遠野からも同じ言葉が向けられる。
「京一、おめでとう」
「おめでとー」
「京一君、18歳おめでとう」
「おめでと、京一ッ。ほら、こっち向いて、こっち!」
「撮るなッ」
相変わらずカメラを手放さない遠野に制止してみるが、聞く訳もなく、しっかりピントを合わせてシャッターを切られる。
今更だとそれ以上は好きにさせる事にして、京一は集まったメンバーを見渡す。
「よくこんなに集まったモンだな。暇なのか? お前等」
「バカ言えよ」
京一の言葉に抗議が上がる。
織部雪乃のものだった。
雪乃と雛乃は、今日は見慣れた巫女服ではなく、ゆきみヶ原高校の制服だ。
少々の新鮮味を感じつつ、京一は雪乃の言葉を待った。
「店が燃えた如月は暇だろうけど、オレや雛は忙しいんだよ」
「じゃ、なんで来てんだよ」
「祝うんだったら、大勢の方がいいだろ。来てやったんだから感謝しろよ」
「姉様……申し訳ありません、蓬莱寺様」
姉の態度に謝罪を述べる雛乃に、まぁ予想はしていたからと京一は気にしていない事を示唆する。
織部神社の巫女など暇ではないだろうに、其処に大の男の居候が二人もいるのだ。
命賭けで闘った間柄とは言え、京一と織部姉妹の間の接点は薄い。
大方、小蒔か葵がゴリ押ししたのだろう。
しかし二人の手には、小さいがプレゼントのようなものが握られている。
例え他人からのゴリ押しでも、貰える物は貰うつもりの京一だ。
吾妻橋達は、恐らく龍麻が呼んだのだ。
京一の誕生日と聞けば、アニキシンパの彼らの事、飛びつくに違いない。
龍麻の隣を陣取るマリィは、元々このラーメン屋に預かって貰っている。
だからこの店に来た時点で、彼女の襲来は避けられない。
如月は、葵が声をかけたのだろう。
彼の葵至上主義は、最初に会った頃から感じていた。
でなければ、寄ると触ると憎まれ口しか出ない仲で、祝いになど来る訳がない。
それから――――雨紋。
視線を向けると、聞きたいことは解ったのだろう。
雨紋は胸を張って、
「人気バンド“CROW”のボーカリストに祝って貰えるんだぜ。喜べよ」
「押し付けがましいんだよ、テメェは。大体、オレがベースやるっつったのにお流れにしやがって」
「…その話、まだやる気だったんだ…」
ぽつりと呟いたのは小蒔だった。
ベースがお流れになった件については、言いたいことはあるが、今日は祝いの席である――――それも自分の。
心象悪くするのも嫌だし、一応、祝ってくれると言うのだ。
文句は一先ず飲み込むことにする。
最後に、一番このメンバーの中で違和感のある二人へ。
「………で、お前等は?」
壬生紅葉と、八剣右近。
拳武館の一件が片付いたとは言え、京一自身は、二人とそれ程親しい間柄ではない。
八剣の方は街中で顔を合わせると妙にちょっかいをかけてくるが、壬生の方はからっきしだ。
壬生がメガネに指をかけて、俯き加減で呟く。
「……駅前で緋勇から声をかけられた」
「ああ、俺もだね」
「龍麻ァッ!」
隣に立っていた龍麻に声を荒げると、相手は動じる様子もなく、
「だって、お祝いだし。沢山の人にして貰った方が嬉しいよ」
「相手を選べ、相手を! 節操なしも大概にしやがれ!」
「僕、節操なしじゃないよ」
「問題は其処じゃねェッ」
微妙にズレた発言の相棒に怒鳴るも、龍麻は首を傾げるだけだ。
良かれと思って声をかけたのだろうが……
そして、何故二人もこうやって堂々と来ているのか。
憤慨する京一を宥めたのは、龍麻と逆隣に立っている吾妻橋だった。
「まぁまぁアニキ。めでたい席ですから、その辺で……」
「お前もな、忘れた訳じゃねェだろうが」
八剣を指差して言うと、八剣が此方に向けて笑みを浮かべる。
吾妻橋は彼に拉致され、他のメンバーも身動き出来ない状態にされたのだ。
京一を呼び出す為に、あんな手の込んだ果たし状に。
考えないようにしていたのか、吾妻橋の顔色が少々悪くなった。
八剣の視線が此方に向いている事に気付くと、隠れるように京一の後ろに回る。
「その、龍麻サンが呼んだそうなんで……」
龍麻は京一の相棒だ。
京一が誰より何より信用している人間である。
その人が呼んだ相手だから、苦手意識はありつつも、反対など出来る訳がなかった。
そもそも、京一が一度でも完膚なきまで負かされた相手に、彼らが挑める筈もない。
あらぬメンバーが集まった原因が龍麻であると聞いて、隣に立つその人物を睨み付ける。
しかし龍麻はやはり何処拭く風と言う面持ちで、変わらぬ笑みを浮かべるだけだった。
馴染みのラーメン屋をすっかり貸し切った状態で、京一の誕生日パーティは行われた。
何も此処までしなくていいだろうと思うが、向けられる笑顔に悪い感情が浮かぶ筈もなく、寧ろくすぐったくて仕方がない。
見渡せばそれぞれの祝う笑顔があって(マリィは少々拗ねた顔をしていたが)、京一は何処を向くにも向けられる笑顔に耐え切れず、少々視線を伏せていた。
が、そうすると龍麻が覗き込んでくるので、にっちもさっちも行かない。
ラーメン屋にはある筈のないケーキは、甘さ控えめになっており、京一も無理なく食べられた。
醍醐の手作りだと聞いて、相変わらず顔と体格に似合わない性格だと思う。
チョコレートのメッセージプレートには、筆記体で「Happy Birthday」
の文字が並び、また無性に照れ臭さに見舞われた。
ケーキを食べ終え、コニーの作ったラーメン屋のメニュー料理も食べて。
満たされた腹に満足感を覚えていると、それじゃあ、と小蒔が手を叩き、
「そろそろ渡そうか、プレゼント」
言われて、ああそうか、と京一は思い出す。
気安い雰囲気から、段々といつもと変わらぬ集まりのように感じていたが、誕生日パーティなのだ。
織部姉妹が早速用意していた袋を取り出す。
手渡されたそれを開けると、織部神社の御守りが入っていた。
「オレは信心なんざねェぞ」
「ンな事期待してねーよ」
自分には不似合いであると遠巻きに告げると、雪乃がきっぱりと言い切った。
「それでも、ご利益は保証するぜ。何せ、オレと雛が氣を込めた厄除けの御守りだからな」
「私達にはそれが一番の祝品かと思いまして。どうぞお納め下さい、蓬莱寺様」
――――確かに、織部姉妹からの贈り物なら、ご利益もありそうだ。
「そりゃいいんだがよ。コレ本当に厄除けか?」
「そうだぜ。どうしたんだよ?」
「…………“交通安全”って書いてあるんだが」
「え!?」
「あら」
京一の言葉に、雪乃と雛乃が目を瞠る。
慌てる二人に御守りを見せると、其処には確かに“交通安全”の文字。
「しまった! 悪ィ、袋間違えちまったんだ」
「申し訳ありません!」
「中の札はあってると思うんだけどな。だよな、雛」
「ええ、破邪の札を……」
頭を下げる雛乃と、両手を合わせて謝る雪乃。
そんな二人に京一は手を振り、
「別に構やしねぇよ、どれがどう違うんだからオレにゃ判らねェし」
「でも……」
「お前等が祈祷したモンなら、どれでも効果ありそうだしな」
根拠もなくそう思いながら、京一は御守りを袋に入れ、鞄に詰める。
小蒔や葵のように見える場所には付けないだろうが、中に持っていてもいいだろう。
続いたのは、壬生。
「…お前からも?」
「急ぎだったので、大したものじゃないんだが…」
「いや、オレが聞きたいのはそう言う事じゃねェんだが」
八剣よりも更に接点の薄い壬生から、プレゼントを貰う理由が判らない。
いや、それよりも律儀に用意して来てくれた事に驚いた。
…ついでに遡って考えると、彼がクラッカーを持っていた事も驚きだ。
壬生が取り出したのは、薄い紙袋。
何が入っているのか皆気になるようで、じっと壬生の動向を見守る。
表情を変えないまま、壬生が袋から取り出したのは、黒のマフラー。
「良かったら使ってくれ」
「お……おう……」
意外な品物――――と思いながら、意外と言うにも京一は壬生の事を知らない。
しかし予想していたなかった物であるのは確かで、困惑気味に差し出されたマフラーを受け取った。
「セーターや手袋の方が邪魔にはならないと思ったんだけど」
「いや……」
「一日で作るとなると、中々」
「ふーん……―――――って、作ったァ!? しかも一日!?」
「正確には半日かな」
手編みのマフラー。
そういう事か。
京一が驚愕の声を上げると、他の面々も同様に目を剥いている。
唯一、八剣だけが驚く様子もなく、
「相変わらず器用だね、紅葉。流石は手芸部」
「手芸部!? お前が!?」
「可笑しいかい?」
「い、いや、可笑しかねェけどよ……意外っつーか、なんつーか」
女子がしげしげとマフラーと覗き込み、編み方が難しいだのなんだのと盛り上がっている。
黒のマフラーは特に柄もなく、シンプルなもの。
それでも、一日(正しくは半日と言うが)で作り上げるなんて、京一には到底信じられない。
「僕には他に出来る事はないから」
「あ、そ……ま、使わせてもらうわ……」
季節は真冬。
大寒の日が過ぎたとは言っても、この季節はあと一ヶ月続く。
普段から薄着の京一である、防寒具は貰っておいて損はない。
次は雨紋だった。
「…見たトコ、持ち合わせがねェって感じだが」
「まぁ、手渡し出来るもんじゃねえな」
言って雨紋は、壁に立てかけていたギターを取り出す。
「俺様直々にHappy Birthdayを歌ってやる!」
「いらね」
きっぱりと断わった京一に、雨紋がなんでだよ!? と声を荒げた。
「滅多にしねェぞ、こんな事! セッションした仲だからこそだ!」
「いや、いらねェ。ロックにノせられても嬉かねーし有り難くもねーし」
雨紋が好意で言ってくれていると、それは判るが、京一の台詞も本音だ。
散々祝いの言葉を貰って、改めてバースディソング(しかも激しい調で)を歌われるなんて勘弁願いたい。
ついでに言うなら、此処は新宿都心の中にあるラーメン屋。
それほど壁が厚い訳でもないし、ご近所に迷惑な音が鳴り響くのは予想できる。
此処に来るのが後々気まずくなるのは御免であった。
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