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近くて遠い、そんな関係。
ほんの少しでも立ち止まったら、あっと言う間に置いて行かれる。
そう思うから左之助は、いつも一所懸命、足を動かした。
子供には辛い山道でも、自分だって田舎育ちなのだから大丈夫だと言い聞かせて。
高い高い谷の上、揺れる吊り橋を渡る時も、自分は軽いから落ちたりなんかしないと言い聞かせて。
怖いことなんて、なんにも何一つとしてないんだと、幼心を奮い立たせて。
長い長い行軍に、足にマメが出来て、潰れた。
痛かったけれど、その程度の事で皆の足を止めて迷惑をかけたくなかった。
だから必死で痛いのを我慢して、一所懸命、大好きな背中を追い駆けた。
置いていかれないように。
これ以上、離れてしまわないように。
マメが出来た箇所を出来るだけ圧迫しないように、踵に体重をかけたり、足の甲を丸めようとしてみたり。
そんな事をしながら、なるべく歩き方が可笑しくならないように、気を付けて歩く。
置いていかれないように。
これ以上、離れてしまわないように。
痛みを少しの間堪える為に、時々、ほんの数瞬立ち止まる。
隊長が振り返ろうとする仕種を見せたら、直ぐに歩き出す。
隣に並んで見上げれば、敬愛する人は苦笑を漏らして進んでいく。
心配なんてして貰えたら、きっと死ぬほど嬉しいけれど、同時に死ぬほど申し訳なく思ってしまう。
だから左之助は、一所懸命、痛みを我慢して歩く。
でも、その時は痛みと疲労で堪えた足が、縺れて。
「左之助」
転んだ左之助に、いち早く気付いたのは隊長だった。
後ろに並んでいた隊士達よりも、誰よりも早く。
「おい、左之助、大丈夫か?」
「足ィマメ出来てんじゃねェか、お前」
言って、隊士の一人が左之助の草鞋を解く。
案の定、足の裏は血塗れだった。
それを見た隊長が、短いけれど溜め息を吐いたから、左之助は泣きそうになった。
けれど顔を上げた時にはちゃんと笑顔で、左之助は言う。
「へへ、すんません」
「……左之助…」
「大丈夫っスよ、これぐらい。あの、隊長も皆も先行って下さい。其処の川で足洗ったら、すぐ追っ駆けます」
想像していた通り、眉を潜めた隊長に、左之助は努めて明るく告げた。
隊士の持っていた血の滲んだ草鞋を返して貰うと、片足でひょこひょこと、傍を流れていた川に向かう。
左之助、と幼馴染が呼ぶのが聞こえた。
へーきへーき、と空の手をひらひら振りながら告げながら、本当は、心底泣きたかった。
あの幼馴染だって足の裏は同じぐらい血塗れなのに、どうして自分だけ転んだりしたのだろう。
それが、隊長の隣に並ぼうと、彼を追いかける分だけ必死になっている所為だとは、判らない。
この当りには攘夷志士の気配もなく、山賊達もいない。
野生動物も鹿や野兎が精々で、子供を一人残しても、特に危険はなかった。
難があるのは、少々険しい山道だけ。
進めるうちに進まなければならないのだから、自分になんか構ってないで、先に進んで欲しい。
―――――前進、と支持を出すのが聞こえた。
………置いていかれる事に、自分で言っておいて、泣きそうになった。
(隊長は、オレよりずっと先を歩いてる)
(オレなんかより、ずっとずっと先を見てる)
(だから、オレなんかがあの人の足を止めちゃ駄目なんだ)
刀持ちをさせて貰って、隣を歩くことを赦されているけれど。
誰よりも近くにいさせてもらえる事を、ずっとずっと誇りに思うけど。
それでもあの人が立っているのは、常に、自分なんかじゃ届かない程に遠い場所。
だから、だから。
これ以上離れてしまわないように、置いていかれないように。
一所懸命歩いて来たけど。
痛い。
足の痛みじゃなくて、置いていかれた痛みが。
今よりもまた、ずっとずっと離れてしまう痛みが。
「……いてェ…………」
呟いたのは、無意識。
涙を拭ったのも、無意識。
「だったら、そんなになるまで我慢するんじゃない」
――――――――置いていかれなかった目の前の現実に、呆然として。
頭を撫でる手が好きで、やっぱり離れたくないと思った。
隊長×仔さのの物理的な距離は、殆どゼロだと思ってます。
隊長の隊服の裾掴んだりとかしてたし、刀持ちなんてさせて貰ってた位だし。
でもメンタル面はそうもいかんだろうなーと思って、こんな文章出ました。
手に入れる事は出来ない。
手に入れる事など赦されない。
だけど、でも、だからこそ――――――……
「――――――隊長……?」
自分を見上げる子供の眼に、怯えという名の感情の色が灯ったのは、これが初めてだ。
いつだって子供は無邪気に、尊敬と言う感情をぶつけて来た。
それはあまりにも透明すぎる子供らしい感情で、裏切ってしまうのを躊躇わせる。
きっと誰にも劣ることなどなく、子供は真っ直ぐに相楽を見つめて来た。
その子供の純粋すぎる想いを、滅茶苦茶に壊してみたくなったのは、いつからだっただろうか。
「隊、」
「じっとして」
見上げた先にある大人の顔に、この子供は何を思うだろう。
これでもまだ、自分が信じた“隊長”を信じようとするのだろうか。
そして子供は何があっても、目の前の人間を嫌うことなどあるまい。
その考えは殆ど確信となっていて、相楽は小さく笑みを浮かべる。
例えばこのまま細い首を締め上げても、子供はきっと恨みもしなければ妬みもしないし、憎むこともない。
子供が相楽に向ける目は、余りにも透明すぎて、邪な感情など欠片も宿してはいないのだから。
まだ世界のことなど一握りにもならぬ程しか知らない子供だ。
相楽は、その子供の世界で、絶対神にも似た位置に存在している。
神に心酔した殉教者は、天から火の雨が降ろうと、地が割れ飲み込まれようとも、神を憎むことはないだろう。
これは神が己に課した試練であり、尚も神を信じようとするだろう。
――――――子供にとっての相楽は、それだった。
「んぐ……」
口付けて、その咥内を好きに蹂躙した。
容易く子供の息は上がり、息苦しさに目尻に涙が浮かんだ。
酸素を求めてか、抗議する様に小さな手が相楽の胸を押す。
止めるなら、今だ。
ちょっと揶揄い過ぎたなと、笑って流して、なかった事にすればいい。
子供はまだ、穢れていない。
まだ、この手の中に閉じ込めることはない。
赦されない領域に、まだ、踏み込んでは、いない。
止めるなら、止めるなら、止めるなら。
「た、い……ちょ………」
息が出来ない。
苦しい。
助けて。
そんな風に、子供が救いを求める相手は、今その呼吸を奪っている人間で。
己を追い詰めている人間が誰であるかぐらい、子供だって判っているだろうに。
それでも救いを求める相手を、迷う事無く、子供は選ぶ。
助けて。
助けて。
助けて、隊長。
自分の手で追い詰めて。
その相手に縋る子供が、無性に愛しくて。
手に入れる事は、赦されない。
それなら、せめて。
同じ場所まで、堕ちておいで。
ダークな隊長。
左之、食われるよ!
いずれは、この手を離さなければならなかったのだから。
泣きそうな顔で、不安そうに見上げてくる子供を、抱き締めてやりたかった。
だけれどそうしたら、無理にでも連れて行きたくなるから、止めた。
いい機会だと、思ったと言ったら、この子は泣くだろうか。
本当の意味を教えなかったら、きっと誤解してしまうに違いない。
でも、その方が良いのかも知れない。
この子は、自分に傾き過ぎているから。
「相楽隊長……」
預けた刀から解放された手が、心許ないように彷徨った。
その手を掴みたくて、でも引きずり込んではいけないから、自制する。
子供はそれさえ振り切って、幼い手を掴んで引っ張って欲しいのだろうけれど。
子供がどんなに自分に傾倒したとて、許される範囲には限りがある。
そして自分がどんなに子供の事を許したとて、それにはいつか限界が来る。
幼い手を引いていられるのは、幼いうちだけだと判っている。
でも子供は幼いから、そんな事は知らない。
いつまでもその手を繋いでいられるのだと、信じて疑うことはない。
誰に何を言われたとしても。
だから離す事が出来る内に、解放してやらなければならなかった。
けれど、過ごす刻が増えて行く度、繋いだ手を放したくないと思ってしまう。
このままずっと手を繋いで、時間が止まれば良いとさえ。
―――――それほど、この子の手はとても心地の良いものだったから。
「大丈夫」
「…………」
子供はいつか大人になって、大人の庇護から解放される刻が来る。
その時になってまで、この手を繋いでいては駄目だ。
だから、いい機会だと思った。
だってこれ以上一緒にいたら、引きずり込んでしまいたくなる。
子供の未来を潰してでも、同じ場所に堕としてしまいたくなるから。
まだ、それに自制が効く程には、後戻り出来るから。
「心配するな」
いつか。
いつか。
子供がいつか、大人になって。
庇護が必要でなくなっても、この手をもしも繋いだままでいたとしたら。
きっと誰かに引き離されてしまう日が来るだろうから。
その前に、手を離そうか。
お前の未来がまだ、透明なままでいる今の内に。
いつか、何も知らぬ誰かに無情に引き裂かれてしまうくらいなら。
私の手で、お前を此処から解放しよう。
これじゃ隊長エゴイスト……(汗)
てゆか、隊長書くたびに性格が違う…?
――――――あの子は準隊士で、自分は隊長で。
――――――あの人は隊長で、自分はただの準隊士で。
うとうと眠りかかっている子供に気付いて、相楽は腰を上げた。
昼間、克浩と一緒に散々街を走り回った所為だろう。
存分に駆け回って、たらふく食べた子供は、もうお休みの時間らしい。
部屋の中をぼんやり照らしていた行灯の灯火を消して、相楽は左之助に歩み寄った。
そっと抱き上げると、むずがるように身動ぎして、ぼんやりと黒々とした瞳が覗く。
「たいちょ………」
「眠るか、左之助」
ぽんぽんと、赤子を寝かしつかすように、背中を軽く叩いてやる。
鼓動の調子と同じように振動を与えられて、左之助は益々眠そうに瞼を落としかける。
敷かれていた布団に、抱き上げた時と同様、ゆっくりと下ろしてやる。
ごしごしと目元を擦る仕種が、やけに幼く見える。
特徴的なツンツン頭を撫でてやると、小さな手が咎めるようにそれを掴んだ。
「隊長、駄目っスよぉ……」
「何がだ?」
「たいちょーは…隊長、なんですから……」
ああ、またその話か、と相楽は合点が行った。
「左之助は意外と、人の目を気にするのだな」
「……オレの事じゃなくて…だから隊長が……」
父親が豪快だったと聞いたが、左之助はしっかりそれを受け継いでいる。
相手が誰でも物怖じしないし、年上だろうが年下だろうが、気に入らない事は気に入らないとはっきり進言する。
だが組織間の上下関係と言うものはちゃんと理解していて、時々こうして相楽を咎める事がある。
それは決まって相楽が左之助に触れている時で、隊長としての示しがつかない、と言うのだ。
相楽が左之助に対して甘い態度を取るのは、最早一番隊の中では公然の事であるが、
自分なんかにかかずらわっていないで、隊長らしくしていて欲しいと左之助は度々言っていた。
左之助は準隊士で、立場で言えば、隊長である相楽と並んで立つというだけで異例の事。
それだけでも左之助にとっては酷く大きな事だから、これ以上、相楽が自分に甘い態度を取るのが心配なのだ。
自分などにそうして構ってやる所為で、隊長が他の大人達から何か咎められたりしないだろうかと。
けれども左之助の心配事は杞憂である。
隊長としての執務はそれなりに全うしているつもりだし、大体、左之助を構うなと言うのが土台無理な話なのだ。
どうにも構ってやりたくて仕方がない。
「隊長は、隊長らしく…してて下さいよ……」
もう直、睡魔に負けてしまうのだろうに、こんな時まで言わなくても良いだろう。
それだけ、左之助にとっては大事な事なのだろうが。
このままでは中々寝付きそうにない子供に、相楽はくすりと笑み、
「判った判った、気を付けよう。だからもう休め」
「……はい……」
とりあえず、望む返事が返って来て少しは気が済んだらしい。
直ぐにすぅすぅ規則正しい寝息が聞こえてきた。
………相楽の手を、小さな手が掴んだままで。
――――――自分なんかに構うな、と言うのに、コレだ。
左之助の場合は無意識だから、自分よりも性質が悪いんじゃないだろうか、と相楽は思う。
小さな手を軽く握ってみれば、強く握り返されて。
………だから、構ってやりたくなるんだ。
どっちも、です。なのでおあいこ。
寝惚けた左之助ってよく書いてる気がする(気の所為…?)
「隊長、宜しいですか」
子供の怪我の手当てをしている最中、呼ばれた。
振り返ると隊士の数人がいて、ああ今後の話か、とすぐに思い至る。
「直ぐに行く」
「はい」
端的な返事をして、隊士達は背を向ける。
会議室に向かうのだろう、自分もすぐに追わなければならない。
襖が閉じられるのを待たずに、相楽は子供の手当てを再開させた。
すると、子供の方が慌ててその手を掴む。
「た、隊長、後は自分で出来ますから」
これ以上隊長の手を煩わせることと、自分の所為で先輩隊士達を待たせることと。
恐らくその両方に遠慮を感じての子供の言葉に、相楽は小さく笑んで、
「大丈夫、それ程時間はかからないか」
「だ、だったら尚更、自分で」
「そうはいっても、左之助、不器用だろう」
同じような遣り取りがあった前回、会議を終えて戻った時、左之助はまだ包帯を巻き終えていなかった。
ぐちゃぐちゃになった包帯に絡まった姿は、毛糸玉にじゃれた仔猫を思い起こさせた。
結局あの時も相楽が絡まった包帯を解き、綺麗に巻き直してやった。
相楽の言葉に、左之助は赤くなる。
今度は大丈夫ですから! と言うが、相楽は期待しなかった。
克浩がいるなら後を任せても良かったのだが、今は頼んだ買出しに出ている。
他の準隊士達に預ける手もあったが、相楽はそうしなかった。
――――この子供に手を焼くのは、自分だけでいいと、そう思っているから。
そんな相楽の思考など知らず、左之助は、今度は出来ますから、と言った。
「だから、隊長は皆のとこに行って下さい。示しがつきませんから」
「大丈夫、大丈夫。ほら、腕上げろ」
言われると、左之助は素直に両腕を上げる。
脇の下に出来た青痣を覆い隠すように包帯を巻きつけた。
「オレなんかに構ってる場合じゃないですって」
「大丈夫、大丈夫。次は左手だな」
手を差し出すと、また素直に、左之助は自分の左手の甲を見せる。
派手に擦り剥いた痕が残っている其処に、相楽は其処に濡れた手拭を当てた。
冷たさか、染みるのか、左之助の方がぴくっと跳ねる。
その様子に思わず笑うと、左之助の顔が耳まで赤くなった。
「もう、自分で出来ますってばー!」
「大丈夫、大丈夫」
何がですか、と。
喚く割には、左之助は素直に手当てを受けていた。
判っているのだ、二人とも。
大丈夫、大丈夫と繰り返す隊長が、幾ら言っても止めてくれない事も。
やります、やりますと繰り返す子供が、手当てされることを嫌がっていない事も。
隊長、絶対面白がってる(爆)。
なんだかんだで左之助も甘えてます。