例えば過ぎる時間をただ一時でも止められたら。 忍者ブログ
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STATUS : Enchanting 11













――――――判っている事を改めて人に言わると、やっぱり腹が立つものだ。
























【STATUS : Enchanting 11】



























……危うく逆上せる所だった。

誰かと一緒に風呂に入るなんて事が久しぶりだったからだろうか。
その程度の事ではしゃぐような幼稚な歳ではない筈だが、やはり気の知れた相手だったからか。
らしくもなく、羽目を外したという自覚はあった。


年甲斐もなく風呂場で騒ぐという行為をしてしまった事に、今更ながら恥ずかしさを感じつつ、京一はシャツに袖を通した。
その隣で、同じように龍麻もインナーを着て、制服のズボンを履く。







「あったまったね」
「そうだな」






にこにこと、火照った頬にタオルを押し付けながら言う龍麻に、京一は頷く。

少々羽目は外したが、お陰で温まった。
大抵カラスの行水宜しく短い入浴で終わるのだが、気兼ねなく長風呂するのもたまには良いものだ。


肩にタオルを引っ掛けて、京一はバーへと向かう。
しかし、カウンター奥から見た店は既に営業を始めていて、客も入っていた。

居?%E:221%#フ身である自分が出て行っても、邪魔になるだけだ。
カウンター内に座るビッグママが此方を見たので、それに言葉なく風呂上りを告げてから、京一は其処から離れた。
龍麻もビッグママに一つ頭を下げて、直ぐに京一について行く。
盛り上がる声が背中越しに届いた。







「んじゃ、もう寝るか」
「うん―――――あ」







する事もないからと告げた言葉に、短い返事をして、龍麻が正面を向いて立ち止まった。
同じように京一も。




見据えた正面、それ程奥行きのない廊下である。
元は従業員用に作られた部屋も、数は然程多くはない。
一見ですぐに全体が見渡せる。

その廊下の突き当たり、一番奥にあるのが、京一がいつも使っている部屋だった。


小さな店とは言え、壁は薄くはないが、初めて京一が此処に来たのは、自身がまだ小学生の頃。
謂わば水商売である店の影響は必ずしも良くはないもので、アンジーが配慮した結果だった。
幼い頃の京一は、よく意味が判らず、店で流れるCDの音楽に眠りが妨げられないなら良いと思った程度だったが。

今となってはそんな配慮も必要なくなったが、染み付いた習慣とでも言うのか。
すっかり、一番奥の部屋は、京一の部屋になっていた。



―――――その部屋の前に、佇む男が一人。








「ちゃんとトリートメントはしたかな?」
「……なんの話だよ」








八剣の言葉に、京一はくっきりと顔を顰めて返した。








「綺麗な髪なんだから。きちんと手入れしないと、勿体無いよ」
「女じゃあるまいし、ンな事誰が気にするか」
「男でも身だしなみには気を遣うものさ」







口元に笑みを浮かべて言う八剣に、京一は益々眉間の皺を深くする。
その反応すら楽しそうにして見せるから、余計に京一の神経は逆撫でされた。







「つーか、其処退けよ。邪魔」
「ああ、ごめんね」






謝っているが、邪魔だと判っていて其処に立っていたのは明らかだ。


ついと塞いでいた部屋への道を避ける八剣。
京一はしばしその顔を無言で睨み付けていたが、それに気付いた八剣が笑みを刻むものだから、また眉間に皺を刻んで視線を逸らし、奥の部屋のドアノブに手をかけた。
そのまま扉を押し開けようとして、京一はまた八剣を睨み、







「入って来んじゃねーぞ」
「勿体無い」
「何が………言うな」







聞きかけて、止める。
確か此処で初めてこの男と対面した時も、同じ遣り取りをした気がする。

聞き返そうとしていながら、嫌な予感が過ぎるのだ。
聞かない方が良い、聞いたってどうせ碌な話ではない―――――と。


返す言葉を遮られた八剣は、またクスリと口元に笑みを浮かべた。
その顔面に一発食らわしてやろうかと物騒な考えが浮かんだ京一だが、結局止めた。
実行した所で、学校のようにかわされてしまうのが容易に想像が付く(甚だ癪ではあるが)。



八剣から視線を剥がして、京一は龍麻を見る。







「龍麻、お前は好きな部屋使えよ」
「何処でも良いの?」
「ああ」






じゃあ……と少し考える声が聞こえ、京一はそれを待たずに部屋に入った。












程無く、扉は少し軋んだ音を立てて、閉じた。







































慣れた足取り―――実際慣れている―――で部屋に入った親友を、追って部屋にお邪魔させて貰おうとして、阻まれた。








「何か用?」
「いいや?」







肩を掴んだ相手に向かって問えば、あると思うかい、と言うニュアンスで返される。
ないと思う、と龍麻は迷うことなく首を横に振った。
それで正解だった。


八剣は口元に薄い笑みを浮かべていたが、瞳の奥はそれと矛盾している。
睨むと言う程剣呑でもないのに、全くの隙がない。

八剣の左腕が、腰に挿した刀に引っ掛かる。
食指は鞘にも柄にも触れないが、その気になれば龍麻にさえ知覚できない速度で抜刀することも可能だろう。
いや、正確には相手に知覚されない角度からの攻撃する事が可能なのだ―――この男の得意とする“鬼剄”という技は。
同じ剣技を扱う京一でさえ一度は破れた技である、リーチで劣る龍麻が即座に対応出来るかは少し怪しかった。

……目の前の男の氣は、そう働くつもりはないようだけど。








「駄目だろう、京ちゃんのお休みの邪魔したら」
「しないよ。一緒に寝るだけだから」







瞬間、ピシリと何かの軋む音がした。
が、二人の表情は笑顔のままで動かない。







「どの部屋でも好きに使うと良いって、京ちゃん言ったよね」
「うん。だから、京一と一緒に此処で寝るんだ」
「こう言っちゃ失礼だけど、狭いと思うよ。男二人は辛いんじゃないかな」
「僕、慣れない所だと一人で寝られないんだ。でも京一と一緒だったら寝れると思う」
「そんな風には見えないけどねェ」
「人って見掛けによらないもんね」







ピシリ、ピシリ。
見えない亀裂が広がっていく。

しかし、今此処でそれを追及するような人物は、誰もいない。
扉一枚向こうにいる少年は、さっさと寝る姿勢に入っているだろう。
『女優』の人々は、営業真っ最中だ。








「僕ね、気付いたんだ。京一と一緒だったら、凄くよく眠れるって」
「ああ、そうだね。不思議だねェ、京ちゃんは。寝顔も凄く可愛いし」
「見たの?」
「この間ね」







この間。
いつの事だろう。



ふと、龍麻は一週間程前の事を思い出す。


学校で終始疲れた顔をしていた京一、泊まる? と誘えば頷いた彼。
就寝前の酒盛りで、ハイペースで飲んで、酔っ払っていた京一。
いつもは安心できる筈の場所で、寝れる状況じゃなかったんだとぼやいた京一。

あの時、恐らく彼は言うつもりはなかったのだろう、どうしてと問うた所で真実を口に出すとは思えなかった。
けれどもアルコールに酔って緩んだ意識は、ポロリと答えを漏らしてしまって。







『――――――あの野郎が寝込み襲って来やがるから』







……京一が前に『女優』に泊まった時、目の前の人物は、恐らく既に居たのだろう。


例えば、『女優』の人々が寝ている京一に何某かするとして。
それは恐らく、弟を構いつけている程度のものであるだろうから、京一があそこまで疲弊する事はないだろう。
何より、幼い頃から世話になっている人達を捉まえて、京一が「あの野郎」なんて言う?%E:221%#ェないのだ。
彼女達が京一に何かしたと言うなら、恐らく「兄さん達が……」と言う筈だ。

あの時の京一の口振りは、明らかに親しくない人物を示してのものだった。
仮定の話、如月や雨紋であっても、ああまで苦々しく言う事はないだろう。
第一、隠そうとする事もしないだろうし、笑い話の一つとして日常会話に昇っても可笑しくない事だ。
あの言い方は、親しくない上に苦手意識がある事を暗に感じさせていた。



京一の苦手なもの。

慣れないと言う意味で、好意を示す言葉。
嫌いと言う意味で、勉強だとか、真神学園生物教師など。


そして、ただ一度でも負けた人物。








「…………見たんだ、京一の寝てる顔」







京一は他者の気配に敏感だ。
しかし、気配を絶つ事に長けた人間はいる。

今は休業状態とは言え、八剣が身を置く拳武館は暗殺集団である。
八剣の体技もそれは例外ではなく、気配を殺して人に近付く事は容易な事だ。








「見るついでに、ちょっと味見もしたかな?」







みしっ。

握った拳の骨が悲鳴を上げた音だった。








「真っ赤になって、案外初心なんだね。可愛かったよ」
「…………ふーん」
「お陰で随分嫌われたみたいだけど」
「うん、そうだね」








そもそも、京一は八剣に対して好意を持っていない。
これは龍麻からの見方であるが、拳武館の一件を知る人々は往々にしてそう思うのではないだろうか。

たった一度でも負けた事と、それが完膚ない大敗であった事と。
会う度に繰り返す呼び方に加えて、八剣の言動そのものが恐らく京一の肌に合わないのだ。
其処で更にいらぬ事をすれば、京一の警戒心がMAXになるのも当然の事である。


しかし、八剣はそれをまるで気にしている様子がない。







「京一、八剣君の事凄く苦手みたい」
「そうだな。お風呂も断わられたしねェ」
「僕は一緒に入ったけど」







中身のない争いだ。
言っていることは子供の意地の張り合いと等しい。

………二人の纏う空気がそれを、大きく陵駕していなければ。







「随分楽しそうだったね」
「うん、楽しかったよ。一緒にお風呂」
「羨ましいね」
「そう?」
「さて、そうでもないかも」







自分で言っておいて否定する八剣。









「警戒されないって言うのも、ちょっとね」








壁に寄りかかって、どうやら八剣は此処から動くつもりはないらしい。
恐らく、龍麻がこの場を離れるまで、彼は此処にいるだろう。

同じく龍麻も、動く気はなかった。


京一が使う目の前の部屋の鍵は、かけられていない。
習慣づいていないのか、単純に忘れたか―――――どちらであるかは、ともかく。
今どちらかがこの場を離れたら、残った側がどういう行動に出ようとするか、予想するのは簡単だった。








「されるより、されない方がいいよ」
「まぁ、ね。でも、」







八剣の笑みに、薄らと優越のような色が混じる。
龍麻の表情は変わらない。














「警戒するのは、意識してくれてるからね」












友達じゃあ、何したって気にしてもくれないだろう。


















――――――結局、二人は朝になるまで、其処に立ち尽くしていたのだった。





















八剣vs黒龍麻!
ブラックって結構難しいねぇ。今まであんまり書いた事なかったんですよ…

京一は部屋の中で爆眠してると思います(笑)。
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10 キミとボク












上手いものだな。
最初にそう言ってくれたのは、隊長だった。









寺子屋を営んでいたと言う隊士の監督下、字の練習をしていた時だ。
失敗して丸めようとしていた紙の白い部分を見て、何気なく筆を走らせた。
その時、幼馴染は隣で悪戦苦闘していて、此方なんて見ていなかった。
監督していた隊士は左之助の方にかかりきりになっていて、克浩は、実に手のかからぬ子供だったのである。

隣の喧騒を(慣れていることもあって)特に気にする事もなく。
気の向くままに滑らせた筆が描いたのは、行軍の途中、川の辺で見かけたカワセミだった。
思いの外上手く描けたのが嬉しくて、捨てるのが勿体無くて、綺麗に折って横に退けた。


飯が出来たぞと他の隊士が呼びに来て、書道教室はその日はお開きになった。
カワセミの絵は、やっぱり捨てる気にならなくて、いつか失くすだろうとは思ったけれど、懐に締まった。



食事を終えて食器を片付けるべく立ち上がった時、それはぽろりと落ちたのである。







「克、なんか落ちたぜ」






そう言った左之助の手にも、膳があった。
拾う為には、自分も左之助も一度膳を下ろさなければならない。
故に下ろそうと少し身を屈めた時、長い腕がそれを拾った。

顔を上げれば、敬愛する隊長が、それを手に持っていて。
あまつさえ――――弾みに開いたのであろう中身を、しっかり見られていた。







「これは、カワセミか?」
「なんスか? それ」






見えない中身に興味を示して、左之助が膳を持ったままで背伸びする。







「克浩、お前が描いたのか?」
「あ……は、い」






見られたと、しかも隊長に――――そんな恥ずかしさに、克浩は少し俯き気味に答えた。

なんだなんだと背伸びしている左之助に、隊長がひらりと表を見せてやる。
ああ、また見られた、倍に恥ずかしくなって、克浩は膳を持ったまま棒立ちになっていた。







「へー、カワセミだ、カワセミ!」
「ああ。上手いもものだな」
「克、お前ェやっぱ器用なんだなァ」






左之助が大きな声で言うものだから、他の隊士にもそれは聞こえたようで、おまけに興味も注がれたらしい。
なんだ、どうしたと集まってくる大人達から逃げるように、克浩は膳を片付けてきますと、そそくさその場を後にした。
待てよ克、という幼馴染の声も殆ど無視して。


へえ、上手いもんだァ。
誰が書いたんだ?
ええ、克が、へェ上手いなァ。

背中にめいめい聞こえてくる声が、恥ずかしくて仕方がない。
その中で一際高く響く少年の褒める声が、正直、一番恥ずかしかった。






































へえ、上手いもんだ。




着色が済んだばかりの錦絵を見て、左之助がしみじみと呟いた。

それを聞いた克浩は、これで食っているのだから上手くなきゃ可笑しいだろう、と返す。
そりゃそうだが、と言うと、また左之助は黙って絵を覗き込んだ。


絵心なんてものに左之助はとんと縁がないが、綺麗な色を見るのは悪い気がしない。
またまた生憎ながら風情だなんだを語るような口ではないが、良いものは素直に良いと思う。



克浩は“月岡津南”として絵師で生きて行くことを止めた。
今は新聞屋を生業としているが、今の時代では、まだまだ規制が厳しくて、これだけでは食っていけない。
そこで昔取った杵柄とでも言うのか、“絵師・月岡津南”としてではないが、時折錦絵の仕事を受けている。
美人画、役者絵、相撲絵など、多岐に渡る。

新聞屋として土地土地を歩く傍ら、名所絵も描くようになった。
左之助が見ているのは、それである。


何処の土地だか知らないが、綺麗な色がふんだんに使われていた。




へえェ、と感心したように覗き込む左之助に、克浩は版画を彫る手を止め、







「お前も一つやってみるか?」
「あ? ああ、止めとく。チマチマした事ァ向かねェや」






ひらひらと手を振って言う左之助に、それは確かに、と思った。
幼い日、字の練習でさえ中々集中してこなせなかった左之助に、細かい版画を彫れと言うのが無理な話だ。







「そういや、覚えてるか? 克」
「なんだ」






顔料が乾いた絵の一枚を手に、左之助が振り返った。











「お前ェが描いたカワセミ」









――――――随分、古いことを言い出してくれるものだ。

悪戯するような子供の笑みで、左之助は言った。
覚えていない訳がないよなァと、そんな意がちらほら見え隠れしているような気がする。



実際、忘れられる訳も無い。


ほんの気紛れで描いた絵、言わばあれは単なる落書きだ。
それを隊長に見られて、左之助に見られて、他の隊士達にも見られて、その上上手い上手いと賛辞された。
子供の絵が上手いなんて訳がないだろう、と当時子供にしては少々捻くれていた克浩は、そう思った。
勿論、褒められたのは子供心に嬉しかったけれど、それよりも羞恥心の方が強かった。

皆からの褒め言葉から逃げるようにその場を離れた克浩を、左之助は絵を手に持って追いかけて来た。
二人で自分達の膳を運びながら、よりにもよって左之助は、「これ貰って良いか?」なんて言い出したのである。






あのカワセミは、本当に子供の落書きだった。
黒の墨で描かれた、技法も何も知らない、本当にただの落書き。

けれども、あの日あの時、敬愛する人はそれを褒めてくれて、目の前の幼い頃の幼馴染は、欲しがってくれて。


十年という歳月の中、出会いと別れを繰り返す中で、あの落書きはすっかり消え失せてしまったけれど。
幼い日の思い出と、其処にあった一枚の落書きを知る人は、もう自分達だけになってしまったけれど。












「こいつも綺麗だけどよ。俺ァあの絵、今も好きだぜ」












って訳で、こいつ一枚貰って良いか? と。

笑う幼馴染と自分の、変わらぬ関係が嬉しくて、好きにしろと言ってやった。
















自由性の高いお題だなぁ(汗)。
最後の最後で、昔と今をリンクさせてみました(妄想捏造バリバリですけど)。

09 もしもキミが望むなら









左之助は自分の感情に正直だ。


嬉しい、悲しい、腹が立つ。
遊びたい、腹が減った、眠い。

言葉にせずとも、顔と態度に出てしまう。
勿論、きちんとした場では我慢しているが、終わると途端に駄々漏れである。
良くも悪くも素直で、自分自身に嘘が吐けない。



左之助と克浩、二人が一緒に街に買い物に出た時、それは特に顕著になる。







「なぁ克、あそこの饅頭」
「駄目だ」






袖を引っ張って言われた言葉に、克浩はきっぱり言い切った。

左之助の顔が渋面になる。







「いいじゃねぇか、ちょっと寄ろうぜ」
「いつもそう言って寄り道してるだろう。今日は駄目だ」






そう、この光景は毎回のことだった。

左之助は町に出ると、大抵こうして、何某かに気を取られてしまう。
寒村育ちで、町に対して馴染みのないものが多く、子供らしい好奇心を刺激されるのもあるのだろう。
多くは子供らしく食べ物に、時に外国からもたらされた珍しい玩具であったりなど。
とにかく目に付くと気になるようで、ちょっと見ていこうと克浩を誘うのだ。


それを、克浩は毎回きっぱりと断わり、左之助の手を引っ張って宿へ向かう。







「なんでェ、別に急ぎじゃねェんだからいいだろ?」
「急ぎじゃなくても、早く戻るべきだ。勝手な行動は慎めって、隊長も仰っているだろう」
「判ってるって。だから、ちょっとだけだって」
「…お前のちょっとは長いんだ」






袖を引っ張っていた左之助の手を逆に掴んで、ぐいぐい引っ張って歩く。
半歩遅れて蹈鞴を踏むように歩く左之助は、いいじゃねェかとまだ引き下がらない。







「別に食ってこうって言ってんじゃねェよ、寄ろうって言ってんだ」
「駄目だ」
「腹減ってんだよ」
「戻ったら夕餉だ。必要ない」
「待ってらんねェよ」






空きっ腹を宥めるように腹を擦りながら、左之助は眉をハに字に下げる。
それを視界の隅で見てしまって、克浩は長い溜め息を吐いた。


買い物を頼まれた時、克浩は一人だった。
さて行こうかと思って宿の戸口に立った時、左之助が一緒に行くと言い出した。
その時、左之助の口の横には、みたらし団子の食べカスがついていたと思うのだが。

頼まれた品物を探すのに時間がかかったけれど、あれから一刻程しか経っていない筈だ。
なのにもう腹が減ったとは―――――克浩には考えられない早さだった。




なぁ行こうぜ、と駄々っ子のように左之助は繰り返す。


金がないとは言わなかった。
買い物を頼まれる都度、渡される金は、必要な分を僅かに上回る。
お使いのお駄賃だ。

それがなくても、左之助も克浩も、僅かではあるが小銭を持っている。
茶屋で団子や饅頭一つを買うぐらいは都合できる。






腹が減ったとしつこく鳴いた左之助だったが、しばらくすると沈黙した。
ちらりと肩越しに見遣ると、唇を尖らせて、通り過ぎる茶屋を眺めていた。







――――――そんな事をしているのは予想できていたのに、どうして振り返ったりしたのだろう。








「………まったく……」
「あ? なんか言ったか? ……うぉっ」








無言のまま、左之助の手を引っ張った。












看板娘のいらっしゃい、という声が響いた。















叶えてあげるよ、なんだって。

“もしも”じゃなくて、えらい現実的なものになりました(あれッ?)

08 キミがいなくちゃつまんない









左之助が腕に怪我をした。
別に珍しい事ではないし、然程心配しているつもりはない。

でも、一人で釣りをするのがこんなに退屈だとは思わなかった。







昨日、左之助は派手に転んで右膝と左腕から出血してしまった。
転んだ場所が石の多い砂利道だったのが運が悪かった。
それでも生傷の絶えない左之助である、本人も痛がる様子は見せなかった。

とは言え、やはり無理をすれば痛むようで、今日一日は大人しくしている。
行軍も大人の隊士に背負われてのもので、気紛れに隊長にまでおんぶされて、その時だけは真っ赤になっていた。


日が暮れてきて、川辺の近くで天幕を張り、今日は其処に野営することになった。
道中に鹿を見たと左之助が言うので、猟師の経歴を持つ隊士が、それを狩りに山へ向かった。
左之助の道案内と共に。

幼馴染がいなくなって暇を持て余した克浩は、折角だからと川辺に糸を垂らす事にした。
―――――それが、四半刻前の話になる。



釣りとは、忍耐力との勝負である。
よって左之助には不向きで、克浩にはそれなりに向いている事だった。
だが他に同じ年頃の隊士などいない所為か、自然と二人揃っている事が増えた。


克浩が一人で魚釣りをするのは、いつ以来だろうか。
随分久しぶりの事のように思えて、克浩は少しだけ解放的な気分だった。
左之助と一緒にいるのは悪い気はしないけれど、何分、彼は落ち着きがない。
魚の食い付きを探りつつ、左之助が癇癪を起こさないように暇を持て余さないように、なんでもいいから話をして――――
………元より自分の性格を“根暗”と自覚がある克浩にとっては、意外に疲れる事だったのだ。

だから今日は久しぶりにのんびり出来る、と。



思っていたのだけれど。









「…………………」








静かだった。
喋る必要がないのだから、当たり前だ。



此処にいるのが克浩ではなく、左之助であったなら。
大人達は何くれと様子を見に来て、揶揄ったり、暇を潰してやったりするのだろう。
彼はじっとしていられないし、一人でいるよりも、誰かと一緒にいる方が好きだから。


対して克浩は、大人しいし、左之助以外に話をする人物と言ったら隊長ぐらいのもの。
あまり騒がしいのも好きではないから、皆、それを判って近付かないのだろう。

それは克浩にとってもありがたい配慮だった。
何を話していいのか判らない大人に傍にいられても、正直、戸惑うだけだ。
こうして遠くから眺められている程度が、克浩にとっては丁度良かった。








「…………暇だな……」







けれども、今に限っては、それでもいいから誰かに喋りかけて欲しかった。
別に寂しいわけではない、言葉にした通り、単に退屈なのだ。

退屈で仕方がない。


釣りは忍耐力が勝負。
暇になるのも当たり前だ。
そんな事は判っている。

判っているのに、暇で退屈でつまらなくて仕方がない。




何気なく、隣に眼をやった。
其処には誰もいない。

いつもぐちぐちと文句を垂れながら、一緒に釣り糸を揺らしている幼馴染は、其処にはいない。






左之助が一緒にいる時は、食い付きがなくたって、何時間でもこうしていられるのに。


























「克―――――ッ!!!」








盛大な呼ぶ声がして振り返れば、見慣れた幼馴染の姿があった。







「………左之?」






確かめるでもなく、判っていた事だったけれど。
名を呼んでみると、左之助は右足を引き摺りながら近付いてきて、克浩は竿を投げ出して彼に駆け寄った。







「左之、」
「鹿捕まえたぞ! 今日は鹿鍋だってよ! 克はどうだ? 魚釣りしてたんだろ?」






夕飯がご馳走とあって、左之助は興奮を隠せないらしい。
克浩の返答を待たずに早口で喋る。

その、くるくる忙しなく変わる表情が、見ていてとても楽しくて。






「――――駄目だ。今日は坊主だよ」
「なんでェ、楽しみにしてたのによ」
「そりゃ悪かったな」
「んー……ま、いいか。鍋だ鍋、早く食おうぜ!」






アタリが来ない事に、退屈過ぎる事に。
あんなに苛々していたのに、あんなにつまらなかったのに。













お前が此処にいるだけで、何もなくても、こんなに楽しい。
















克浩、多分、表情はいつも通りです。
左之助だけがそれに気付くとかしたらいいなー。

隊長が左之助をおんぶ。見てみたい……

07 キミの笑顔が









むっつりと、不満をありありと顔に描いた幼馴染。
不機嫌が判り易すぎて、克浩はどうやって声をかけようか、少しの間考えた。




この少年の機嫌を左右させるのは容易い。
切っ掛けに、彼の敬愛する隊長が絡んでしまえばあっと言う間だ。


今日の不機嫌の理由は、大人達の宴会に混ぜて貰えなかった事。

なんでもお偉方が大勢来るから、子供はいても楽しくない、と言われて。
それが子供達を納得させる為だけの言葉だと、克浩も左之助も判っていた。
下手に粗相をしたりしては赤報隊の印象が悪くなるし、子供であるからと大目に見て貰えるとは限らない。
また、失敗をして子供達が凹んでしまうのを避ける為でもあり、今回の事は隊長の温情であるのは確かだ。

だが、それを判っていはいても、やはり左之助は納得行かないのだ。
宴会になんか混ぜて貰えなくてもいいから、せめて隊長の傍から離れたくなくて。




がやがやと宴の声が聞こえてくる。



宴の席に出して貰えなかったのは、何も左之助や克浩という、子供だけではない。
準隊士の半数は同じ場所でお預けを食らっているし、隊士でも酒癖の悪い者は外された。
今回の宴は、要は“宴”の名を借りた接待なのである。


――――でも、やっぱり左之助は不機嫌だった。







「左之」






呼んでも、反応もしない。
相当剥れているらしい。

克浩は一つ溜め息を吐いて、膝を抱えて拗ねる幼馴染の隣に腰を下ろした。






「さーの」
「…………」
「左之助ー」






左之助はこちらを見もせずに、じっと正面の壁を睨んでいた。
其処に何がある訳でもない。
ただ、それしかする事がないのだ。


隊長が帰ってくれば、この表情もコロリと消えてしまうに違いない。
けれども、隊長が此処に戻ってくるまで、まだ随分と時間がかかる。

先ほど厠のついでに宴会場を覗いて来たが、まだまだ盛り上がりそうだった。
その中で隊長は目敏く自分を見つけてくれて、すまんな、と言うように微笑んだ。
あの顔を左之助が見たのなら、少しは諦めがついたのかも知れない。
でも、それを見たのは克浩であって、此処で剥れて動かない左之助ではない。






「おい、左之」
「…………」
「返事ぐらいしろよ」
「…………」






意地を張りすぎて、引っ込みがつかなくなってるんじゃないか?
克浩はそう思った。

こうも長々と拗ねた態度を取っていると、中々元には戻せない。
周囲の大人達も刺激しないように遠巻きに見ている。
気を遣わせてしまっていると感じると、余計に気まずくて、もう大丈夫だとは言い出せない。


これだから、こいつは。


言葉の先に何が続くのか、克浩は自分でも判らなかった。
莫迦にしたような言葉であったような気もするし、仕方がないなという類でもあったような気もするし。

とにかく放っておく訳にも行くまいと、克浩は左之助の手を取った。







「左之助、風呂沸かしに行くぞ」
「…………風呂?」






突然の克浩の言葉に、左之助が思わずと言った風で問い掛けた。






「宴が長くなりそうだから、終わった頃にはきっと皆疲れてるぞ」
「………で、なんでいきなり風呂なんでェ?」
「寝る前には風呂に入るだろ。今から沸かして置くんだ」





言って、克浩は無理矢理左之助を立たせ、部屋を後にする。
流石は克浩、と残された隊士達が呟くのが聞こえた。

それはそうだ、だっていつも一緒にいるんだ。
左之助がどんな時に落ち込んで、どうすれば笑うのか。
自分はよく判っている。








「沸かしておいたら、きっと隊長が褒めてくれるぞ」








ほら、この言葉。
“隊長”。

そうすれば、見慣れた笑顔がようやく覗く。











「―――――おう!」














その笑顔が自分に向くことはなくても、


お前が笑ってくれるなら、何度だって。

















左之助の管理(笑)はすっかり克浩の役目だったらいいなー。