例えば過ぎる時間をただ一時でも止められたら。 忍者ブログ
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10 キミとボク












上手いものだな。
最初にそう言ってくれたのは、隊長だった。









寺子屋を営んでいたと言う隊士の監督下、字の練習をしていた時だ。
失敗して丸めようとしていた紙の白い部分を見て、何気なく筆を走らせた。
その時、幼馴染は隣で悪戦苦闘していて、此方なんて見ていなかった。
監督していた隊士は左之助の方にかかりきりになっていて、克浩は、実に手のかからぬ子供だったのである。

隣の喧騒を(慣れていることもあって)特に気にする事もなく。
気の向くままに滑らせた筆が描いたのは、行軍の途中、川の辺で見かけたカワセミだった。
思いの外上手く描けたのが嬉しくて、捨てるのが勿体無くて、綺麗に折って横に退けた。


飯が出来たぞと他の隊士が呼びに来て、書道教室はその日はお開きになった。
カワセミの絵は、やっぱり捨てる気にならなくて、いつか失くすだろうとは思ったけれど、懐に締まった。



食事を終えて食器を片付けるべく立ち上がった時、それはぽろりと落ちたのである。







「克、なんか落ちたぜ」






そう言った左之助の手にも、膳があった。
拾う為には、自分も左之助も一度膳を下ろさなければならない。
故に下ろそうと少し身を屈めた時、長い腕がそれを拾った。

顔を上げれば、敬愛する隊長が、それを手に持っていて。
あまつさえ――――弾みに開いたのであろう中身を、しっかり見られていた。







「これは、カワセミか?」
「なんスか? それ」






見えない中身に興味を示して、左之助が膳を持ったままで背伸びする。







「克浩、お前が描いたのか?」
「あ……は、い」






見られたと、しかも隊長に――――そんな恥ずかしさに、克浩は少し俯き気味に答えた。

なんだなんだと背伸びしている左之助に、隊長がひらりと表を見せてやる。
ああ、また見られた、倍に恥ずかしくなって、克浩は膳を持ったまま棒立ちになっていた。







「へー、カワセミだ、カワセミ!」
「ああ。上手いもものだな」
「克、お前ェやっぱ器用なんだなァ」






左之助が大きな声で言うものだから、他の隊士にもそれは聞こえたようで、おまけに興味も注がれたらしい。
なんだ、どうしたと集まってくる大人達から逃げるように、克浩は膳を片付けてきますと、そそくさその場を後にした。
待てよ克、という幼馴染の声も殆ど無視して。


へえ、上手いもんだァ。
誰が書いたんだ?
ええ、克が、へェ上手いなァ。

背中にめいめい聞こえてくる声が、恥ずかしくて仕方がない。
その中で一際高く響く少年の褒める声が、正直、一番恥ずかしかった。






































へえ、上手いもんだ。




着色が済んだばかりの錦絵を見て、左之助がしみじみと呟いた。

それを聞いた克浩は、これで食っているのだから上手くなきゃ可笑しいだろう、と返す。
そりゃそうだが、と言うと、また左之助は黙って絵を覗き込んだ。


絵心なんてものに左之助はとんと縁がないが、綺麗な色を見るのは悪い気がしない。
またまた生憎ながら風情だなんだを語るような口ではないが、良いものは素直に良いと思う。



克浩は“月岡津南”として絵師で生きて行くことを止めた。
今は新聞屋を生業としているが、今の時代では、まだまだ規制が厳しくて、これだけでは食っていけない。
そこで昔取った杵柄とでも言うのか、“絵師・月岡津南”としてではないが、時折錦絵の仕事を受けている。
美人画、役者絵、相撲絵など、多岐に渡る。

新聞屋として土地土地を歩く傍ら、名所絵も描くようになった。
左之助が見ているのは、それである。


何処の土地だか知らないが、綺麗な色がふんだんに使われていた。




へえェ、と感心したように覗き込む左之助に、克浩は版画を彫る手を止め、







「お前も一つやってみるか?」
「あ? ああ、止めとく。チマチマした事ァ向かねェや」






ひらひらと手を振って言う左之助に、それは確かに、と思った。
幼い日、字の練習でさえ中々集中してこなせなかった左之助に、細かい版画を彫れと言うのが無理な話だ。







「そういや、覚えてるか? 克」
「なんだ」






顔料が乾いた絵の一枚を手に、左之助が振り返った。











「お前ェが描いたカワセミ」









――――――随分、古いことを言い出してくれるものだ。

悪戯するような子供の笑みで、左之助は言った。
覚えていない訳がないよなァと、そんな意がちらほら見え隠れしているような気がする。



実際、忘れられる訳も無い。


ほんの気紛れで描いた絵、言わばあれは単なる落書きだ。
それを隊長に見られて、左之助に見られて、他の隊士達にも見られて、その上上手い上手いと賛辞された。
子供の絵が上手いなんて訳がないだろう、と当時子供にしては少々捻くれていた克浩は、そう思った。
勿論、褒められたのは子供心に嬉しかったけれど、それよりも羞恥心の方が強かった。

皆からの褒め言葉から逃げるようにその場を離れた克浩を、左之助は絵を手に持って追いかけて来た。
二人で自分達の膳を運びながら、よりにもよって左之助は、「これ貰って良いか?」なんて言い出したのである。






あのカワセミは、本当に子供の落書きだった。
黒の墨で描かれた、技法も何も知らない、本当にただの落書き。

けれども、あの日あの時、敬愛する人はそれを褒めてくれて、目の前の幼い頃の幼馴染は、欲しがってくれて。


十年という歳月の中、出会いと別れを繰り返す中で、あの落書きはすっかり消え失せてしまったけれど。
幼い日の思い出と、其処にあった一枚の落書きを知る人は、もう自分達だけになってしまったけれど。












「こいつも綺麗だけどよ。俺ァあの絵、今も好きだぜ」












って訳で、こいつ一枚貰って良いか? と。

笑う幼馴染と自分の、変わらぬ関係が嬉しくて、好きにしろと言ってやった。
















自由性の高いお題だなぁ(汗)。
最後の最後で、昔と今をリンクさせてみました(妄想捏造バリバリですけど)。
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