例えば過ぎる時間をただ一時でも止められたら。 忍者ブログ
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summer memory 4











茜の空

茜のとんぼ


きらきら金色の太陽が、茜色になって山の向こうに隠れていく




ばいばいするには、もう少しだけ早いから

手を繋いで、寝転がって空を見る


























summer memory
- 夕涼み -



































みぃん、みぃん。
じー、じー、じー。







8月が半分過ぎた。
夏休みが終わるまで、あと二週間が残っている。

相変わらず蝉の声は山のあちこちから聞こえてきて、降り注ぐ太陽の光は暑くて眩しい。
それでも川を流れる水は冷たくて、きらりきらりと閃く光の反射は子供達の心を躍らせる。
跳んで行くオニヤンマを虫取り網を持った子供が追いかけて、道行く大人達はその光景に目を細めた。


夏はもう終盤だ。
だけど、夏が終わるなんて、まるで思えないくらいに暑くて、子供達は元気に駆け回っていた。




夏祭りの日に取った二匹の金魚は、龍麻の家の玄関口の土間で、今も水槽の中で元気にスイスイ泳いでいる。
水の中にきちんと酸素を送り込む道具を入れて、餌はパンの耳を細かく千切ったものだ。

あの日、京一にあげた二匹の金魚も、元気だと言う。
京一が自分でちゃんと餌をあげて、毎日毎日、元気に泳いでいるのを覗き込む。
今まで動物を飼ったことなんてなくて、なんだかとても新鮮な気持ちらしい。

金魚の話をする時、京一は楽しそうで、龍麻も楽しくて、その話はいつまで経っても尽きなかった。


龍麻は、金魚に名前をつけた。
京一も、金魚に名前をつけた。

でも、時々どっちがどっちだったか判らなくなったりした。
まじまじと見て、ようやっと違いを見つけて、区別が出来た。



一日のやることリストの中に、金魚の世話が増えたけれど、龍麻は相変わらず山の麓にも行った。
昼前には其処に着いて絵を描いていて、昼頃になると京一が来る。

初めて二人一緒に山に入ったあの日から、時々、二人揃って山に入るようになった。
龍麻は京一の虫取り網を借りて、蝉が取れるようになったし、カマキリも触れるようになった。
でも木登りをすると、やっぱり京一の方が早かった。


帰り道の途中で、畑帰りの母に会った時、初めて京一を家に招いた。
二人、縁側で並んでジュースを飲んで、京一は空が暗くなる前に帰った。
帰る京一を見送る時、少し寂しかった。

それから時々、京一は龍麻の家に寄ってから帰るようになった。
うっかり帰るのが遅くなって空が暗くなると、京一の父が迎えに来た。














































みぃん、みぃん。
じー、じー、じー。






―――――その日は山に入っていつも通りに遊んで、空が茜になる前に下りた。

美味しいスイカが出来たから、京一君を連れておいで、と龍麻が父に言われていたからだ。
だから外で遊ぶのはそこそこにして、腹が空いた頃に家に帰った。



いつもよりも早い時間に、二人並んで帰ってきた子供達を、母は笑顔で迎えてくれた。
そしていつものように縁側に座って待っていると、さあさあ、お待たせ、とスイカがやって来る。







「うめェ!」






しゃぐっと口いっぱいにスイカを齧って、京一が言った。
満面の笑みに、龍麻も嬉しくなって、スイカを齧る。






「うめーな、このスイカ!」
「うん」






真っ赤な果肉が、すごく甘い。

龍麻は、苺が一番好きだけれど、夏はやっぱりスイカもいい。
母が丹精こめて作ってくれたスイカは、冷たくて甘くて、凄く美味しい。



京一は種を飲み込んでしまうんじゃないかと思うくらい、早いペースで一切れ平らげた。
赤い部分がキレイになくなって、残っているのは見事に皮だけ。
種もちゃんと吐き出して、皿にはそれらだけが残された。


母はスイカを三角の形に切って持ってきてくれた。
全部で4切れ。

龍麻一人なら、二つ食べるのが精々なのだけど、京一なら全て食べてしまいそうだ。






「もう一個食って良いか?」
「うん」






断ってから、京一は二つ目に手を伸ばす。
しゃぐっと水気のある音がして、嬉しそうに笑う。
美味しそうに食べるなあ、と龍麻は思った。






「やっぱ夏はスイカだなッ」
「京一、この前はカキ氷って言ってた」
「あー。ま、いいじゃねェか、どっちでも」






美味いから、と言って、京一はスイカに齧りつく。


うん。
どっちでも良いと思う。

よく冷えた甘いスイカも、キンキンのカキ氷も、暑い夏の季節によく似合う。
京一の麦わら帽子も、日に焼けた腕も、麦わら帽子の笑顔も。
全部似合っていて好きだから、龍麻はそれで良いと思う。



とんとん、歩く音がして振り返ると、母が此方にやって来た。






「よく食べるわね、京一君」
「だってスゲーうめェもん」
「ふふ、ありがとうね」






ふんわり笑う母に、京一が照れくさそうに鼻を掻いた。






「この分だと、足りないかも知れないわねぇ。持って来てあげましょうか」
「いいのか? おじさんとおばさんのもあるんだろ?」
「大丈夫よ。畑に行けば、まだまだあるから。沢山食べてね」






頷いて、京一はあと少し残っている手元のスイカに齧り付く。
龍麻はやっと一つ食べ終わった。

二個目を先に食べたからと、残っていた一つは龍麻が食べることになった。
少し待っていれば、母がまた持ってきてくれる。
それまで待ってる、と京一は言った。
別に、先に食べてもらっても龍麻は構わなかったけれど、京一が良いと言うから、食べることにした。






「いいなー、龍麻。お前の父ちゃんと母ちゃん、優しくてさ」
「京一のお父さんも優しいよ」
「おめェにだけでェ。オレにゃ直ぐにヤな事言いやがる」






京一は唇を尖らせて、拗ねた顔になって言う。
いつもいつも、ああだとか、こうだとか。
優しいなんてあるもんか、と言う京一だったけれど、その目は必ずしも父を嫌っている訳ではないようで。

確かに、京一の父は、龍麻の父のように優しい言葉をかけるよりも、息子をからかっている方が多い。
でも何も本気で酷いことを言っている訳じゃなくて、それは京一も感じているのだろう。


龍麻は、自分の父も優しくて好きだけど、京一の父も優しくて好きだ。
この“優しい”にはそれぞれ違いがあって、京一の父はちゃんと京一に対して優しい。
それが少し判り憎くて、そして京一も素直じゃないから、お互いにケンカみたいな言い合いが始まるだけで。



だって、山の中で迷子になったあの日、京一は父を呼んだ。
迎えに来た父に抱き付いて、大きな声で泣いた。

父は、そんな息子を抱き締めて、頭を撫でていた。


お互い大好きじゃなかったら、あんな風にはならないと、龍麻は思う。






みぃんみぃん……
じー、じー……






少しの間沈黙があって、その間に蝉の声が少しずつ静かになってきた。
空の向こうで、蒼と橙が混ざり始めている。

それを二人で見ていると、母がお盆にスイカを乗せて戻って来た。






「はい、どうぞ」
「うん」
「さんきゅー、おばさん!」






早速、京一が一切れに齧り付いた。
景気の良い食べっぷりに、母がくすくすと笑っている。

龍麻も真似して、思いっきり大きく口を開けて齧り付いた。
口いっぱいに甘い味が広がって、大粒の果肉を噛むのが大変だった。






「ひーちゃん、京一君、スイカは好き?」
「大好き」
「オレも!」
「じゃあ、今度はスイカジュース作ってあげようね」






聞きなれぬ品の名前に、龍麻と京一は顔を見合わせる。
オレンジジュースやリンゴジュースは知っているけど、スイカジュースなんて見たことがない。






「スイカジュースってどんなの?」
「オレ、見たことねェよ」






知らない知識を発見して、二人は興味津々に母に尋ねる。
母はふんわりと笑って、






「スイカの種を取ってね、砂糖とちょっとお塩を入れて、ジューサーにかけるのよ」
「それ、うめェの?」
「さっぱりしていて美味しいわよ。ひーちゃんも飲んだことある筈よ」
「……? 僕、覚えてない」
「お夕飯の後に、時々出してたわ。でも、スイカだって言った事なかったね」






言われて、龍麻は去年の夏を思い出す。
確かに、夕食の後、赤くて冷たいジュースを飲んだような気もする。
あれはスイカのような味がしていただろうか。


思い出せたような、よく判らないような。
曖昧な記憶に、龍麻は首を傾げた。

そんな息子に母は微笑んで、今度作ってあげるわね、と言った。
その時は京一も一緒が良いと言ったら、じゃあ、今作りましょうか、と言って台所に戻って行った。






「トマトジュースなら知ってんだけどな」






片手のスイカを一齧りして、京一が呟いた。






「お母さんの畑のトマトで作ったジュース、美味しいよ」
「すげーな。なんでも美味くしちまうんだな、龍麻のおばさん」






京一の言葉が嬉しくて、なんだか龍麻は自分まで褒められたような気がした。



すい、と何かが視界を横切った。
茜色のとんぼだ。






「あ、アカトンボ」
「ナツアカネだな」






龍麻の呟きに、京一が付け加えた。


ナツアカネ? と首を傾げる。
アキアカネなら聞いたことがあったけれど、ナツアカネは知らない。

京一は食べかけのスイカを置いて立ち上がり、虫取り網を手に持つと、すいすい飛ぶ茜のとんぼを追いかけた。
程なく、網にとんぼを捕まえて、京一はその羽を持って縁側に戻ってくる。
とんぼを虫かごの中に入れて、龍麻にそれを見せた。






「ほら、やっぱナツアカネだ」
「……アカトンボじゃないの? 赤いよ」
「アカトンボだよ。アカトンボのナツアカネ。尻尾も頭も目も赤いだろ。これがナツアカネ」






確かに、尻尾の先から頭まで、そのアカトンボはキレイな茜色をしている。
まるで夕日がそのまま体に溶け込んだみたいだった。






「アキアカネとかと違うの?」
「アキアカネは、此処まで赤くねェんだよ。もうちょっとでかいし。尻尾の方の内側に、黒い点々があるのがアキアカネ」






京一は色んなことを知っている。
虫の飛び方、色、鳴き方で、見分けることが出来る。

龍麻は生まれてからずっとこの山で育ったけれど、あまりよく知らない。
ミンミンゼミやクマゼミは知っているけど、他の蝉は覚えていないし、どれがどう鳴くかも判らない。
毎日のように山の中で虫取りをしているクラスメイトは、多分知っていると思うけど。
龍麻が虫に興味を持つようになったのは、京一が見せてくれるようになってからだった。


今から色々覚えても、京一に追いつけるだろうか。
京一に色んなことを教えて欲しかった。






「僕、アカトンボってアキアカネだけだと思ってた」
「ま、オレも最初はそんなのだったぜ。父ちゃんに教えて貰った」
「お父さん?」
「なんか知らねェけど、そんなのばっかり知ってんだ」






虫の取り方も見つけ方も、最初は父から教わったんだと京一は言った。

木登りが出来るようになるまでは、肩車をして貰って虫取りをしていた。
剣術稽古の後の暑い日でも、父は面倒だなァなどと言いながら、時々息子よりも楽しんでいたりした。






「凄いね、京一のお父さん」






龍麻の言葉に、まぁな、と京一は言って、縁側に腰を下ろした。
地面に届かない足が、宙に浮いてぷらぷら揺れる。


もう十分見たから、と、京一が虫かごのフタを開けた。
茜色のとんぼはしばらくすいすい二人の周りを飛び回り、やがて高く飛んで行った。
自分と同じ、茜色の空に向かって。

それを少しの間見送って、京一は食べかけだったスイカをまた手に取った。






「お前の父ちゃんもすげェよ。皿とか作れるんだろ?」
「うん。一杯作ってる」
「オレの父ちゃんだったら、絶対割ってばっかぜ。すぐモノ壊すんだ、あの親父」






また悪口が始まった。
だけど、それも父をよく見ているから、出て来るものだと、龍麻は知っている。






……かなかな。
……かなかなかな。






ひゅうと涼しい風が吹き抜けて、空の蒼が少しずつ茜の色に溶けて行く。
山の向こうに沈んでいく太陽の光は、昼間の光よりもほんの少し柔らかくて、でもやっぱり眩しい。

その光の中を、茜色のとんぼが群れをなして飛んで行った。








































かなかなかな。
かなかなかな。






ヒグラシが鳴き始めて随分経った頃。
空はすっかり茜色に染められ、あと半刻もしない内に朱色が漆になる頃に、男はその家の戸を叩いた。

はいはい、と足早に向かった家主と妻が見た者は、息子の友達の父だった。







「うちのバカ息子、今日も此方に来てますかね」







世話かけまして、と男は笑う。






「ああ、蓬莱寺さんでしたか」
「はいはい。縁側で仲良くしてますよ」
「どうも。毎日、うちの倅が世話ンなって」






顔を合わせる度に恒例になった挨拶だ。
主人と客人とで頭を下げている間に、母は息子を呼ぶ。






「ひーちゃん、京一君。京一君のお父さんが迎えに来られたわよ」






そう言うと、いつも渋々顔の京一を連れて、龍麻が玄関にやって来る。
龍麻も少し残念そうな顔で。

それでも迎えが来れば帰る時間になる訳で、二人ともそれはきちんと判っていた。
だから声を出して呼べば、いつもちゃんと返事が返って来る。


―――――筈、なのだけど。



その日は、しんと静まり返ったままだった。







「ひーちゃん、京一君」
「おい、京一。京一」






父が二人で呼んでみるけれど、やはり返事がなかった。
親たちはそれぞれ顔を見合わせ、母が二人がいるであろう縁側へと赴く。


一体どうしたのかと首を捻る父達の元へ、母は直ぐに戻って来た。
困ったように微笑みながら。






「蓬莱寺さん、すみませんが、もう少しだけ待ってやって頂けませんか?」
「……と、言いますと?」






息子が何かしでかしたか、と日頃のやんちゃ振りを思って問う。
すると、母は京一の父に家に上がるように勧めて、奥へと案内した。



古い平屋作りの家。
障子戸はそれぞれ開け放たれて、夕時の風が滑り込んで来る。
日中は中々鳴らない風鈴が、今はりぃんりぃんと小さな音を立てていた。

暑い真夏の、束の間の涼。







やがて二人の父が見付けたのは、縁側に寝転がって、手を繋いで眠る息子たち。
夢路で遊ぶ子供達を、起こしたりなんてしては可哀想で。


















夕陽に照らされた丸い頬が、いつもよりもなんだか赤く見えた。



















----------------------------------------

(夏休みで5題 / 4.夕涼み)


手繋ぎ好きだー。
そのまま縁側で仲良くおねんね大好きだー。
夢の中で一緒に虫取りしてればいい。

京一、起きたら父ちゃんがいるのにきょとんとして、「なんでいんの?」ってきっと聞く。
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05 お手を触れないで下さい










「……おい、相楽」






呼ばれたので、はい、と振り返れば、仕事場の同僚が立っていた。
名を斉藤一と言う。



会社の飲み会に参加し、二次会にも引き摺って行かれ、ようやく解放されたのは深夜1時。
電車などとっくになくなってしまい、毎日二時間の電車通勤をしている彼は、タクシーでは少々懐が辛い。
そういった理由で、今日は飲み会場からも会社からも近い場所に居を構える相楽宅に一晩泊まる事になった。

猫がいるか大丈夫か、と問うて見たところ、本人は別段好きでもないが嫌いでもないと言う。
騒がしくなければ別に、と言うので、聞き分けの良い子だよと答えて、斉藤を家に招き入れた。


相楽が滅多に客人など家に連れて来なかったからだろう。
仔猫は始めきょとんとし、お客さんだよ、邪魔しちゃ駄目だよ、と言うと、ハイ、と返事をした。

相楽が言い付けた通り、仔猫は大人しくしていた。
遅くなった夕飯をかき込むように食べ終えた後は、うとうと舟を漕ぎ始め、
これならもう心配要らないだろうと思って、上司に囲まれた飲み会はやはり少し堅苦しかったから、少し飲み直そうと思ってキッチンの冷蔵庫に缶麦酒を取りに行った。




目を離したのは、そのほんの数秒の事だ。






「……左之助…何をした?」






斉藤の顔には引っ掻き傷。
その手には、首根っこを掴まれて固まっている飼い猫、左之助。


膝を曲げて、斉藤に捕まえられている左之助と目線を合わせる。
左之助はムスッと頬を膨らませていた。

答えそうにないのを早々に感知して、相楽は斉藤へと矛先を変える。






「……いきなり引っ掻いて来たんだ」
「違ェ! 目ェ開けたら目の前にいたから、」
「びっくりして引っ掻いてしまったのか」






宙ぶらりんのままで抗議する左之助。
汲み取って変わりに述べてみれば、左之助はこくこくと頷く。


手を伸ばしてやると、斉藤はその手に仔猫を返した。
解放された左之助は、相楽の胸に抱きついて縮こまる。






「すまない。普段、客など来ないものだから、少し驚いてしまったんだ」
「……まあ、いいがな」






くるりと背中を向けて、斉藤はリビングへと戻って行く。

左之助は相楽に抱かれたまま、その背中にいーっと牙を見せている。
そんな飼い猫の頭を撫でて、相楽は床に下ろしてやる。






「左之助、今日は先に寝ていろ」
「そうさん、どうするんですか?」
「仕事の話も少ししなくてはならないからな。もう少し起きているよ」






不満そうに唇を尖らせる左之助。
頭を撫でると、渋々と言う様子ではあったが、こくりと頷いた。


缶麦酒を数本持ってリビングに戻る。
仔猫はその奥の寝室へと、とことこ歩いていった。

……ソファに座る斉藤の傍を、可能な限り遠回りして。



缶麦酒と買い置きの摘みをテーブルに置く。
直ぐに麦酒のタブは開けられた。






「痛まないか?」
「いいや」
「そうか」






左之助はよく爪とぎをしているが、それでも伸びるのが早い。
斉藤の顔の引っ掻き傷はくっきり残っていた。

もう一度すまなかったと謝ると、別に、とぞんざいな返事。



扉一枚向こう側で、多分、仔猫はもう眠っているのだろう。
いつもならとっくに寝ている時間だ。

今の今まで起きていたのは、相楽が帰って来るの待っていたからだ。
飲み会で遅くなりそうだと朝言っておいたら、じゃあ帰って来るまで待ってますと言った。
まさか言葉の通り待っているとは思わなかった――――嬉しかったが、悪い事をしたとも思う。

出迎えてくれた時の表情を思えば、やはり寂しい思いをさせてしまったのだろう。


今日の埋め合わせは、次の休みにしてやろう。
丸一日相手をしてやる事にした。







「……随分甘くしているもんだな」






呟きは、斉藤のものだった。

何を示しているのか、いや、仔猫の事しかないだろう。






「そうだな。何せ、まだ仔猫だから」
「今から躾しておかないと、後々面倒になるぞ」
「それはそれで、ちゃんとしてるから問題ないよ。言っただろう? 聞き分けの良い子だって」






やんちゃが過ぎる事はあるが、叱ればちゃんと理解する。
子供なので、反省しても同じ事を繰り返してしまう事はあるが、自分が何をしたかは判っている。

今日も、引っ掻いた事が良くなかった事であるとは、自分で感じているだろう。
常々人を引っ掻いてはいけないと言い付けてあるし、その為に仔猫は爪研ぎを欠かさないのだ。
言わなくても判っている事を、何度も煩く言う事はあるまい。



それより、と相楽はイカに手を伸ばしながら、切り替える。






「斉藤は猫が好きなのか?」
「…なんの事だ」
「さっき左之助が言ったからな。目を開けたら、斉藤の顔が近くにあって、驚いたと」






左之助は、舟を漕いで既に寝入りかけていた。
そんな彼が目を開けた時に、近くに、と言う程の距離に他人の顔がある――――それが、一体どういう状況で起きるのか。

寝入りかけていた左之助が床に転がって寝返りを打った所で、斉藤の顔はそれ程近くにはない筈だ。







「好きなのか?」
「………知らんな」






返って来るのは、やはりぞんざいな台詞だ。

そうか。
ビールを一度煽って、そう呟いてから、











「それなら、あまりあの子をいじめないでくれよ」











うちの、大事な仔猫なのだから。















----------------------------------------

気が付いたら、このサイトで斉藤さん初登場でした。
難しい、この人! ……隊長と絡めちゃったからか…?

最後の最後で斉藤vs隊長になっちゃいました。

04 リサイクルにご協力を








猫には、爪をとぐ習性がある。
左之助にも、ある。





ガリガリ。
ガリガリ。



聞こえた音は、振り返らなくても判り易い。
左之助が爪を研いでいる音だ。

研ぐ道具として使っているのは、木製の板。
これは近所に木材加工をしている人物がいて、廃材を貰っている。
成長盛りの左之助は、爪が伸びるのも早いようで、しょっちゅう爪を研ぐのでこれは助かっている。


廃材なので、幾ら研いでも削っても、齧っても問題ない。
これがアパートの柱だとか、家具だとかだと困りものである。

拾った頃に二、三度やられた。
相楽が爪切りで切ろうとしても、何故かこれだけは怯えたように嫌がった。
習性だから、叱って止めさせる事も出来ない。

どうしたものかと会社帰りに考えていて、ふと今まで気にしなかった小さな工場を見つけた。
いきなりで不躾とは思いつつ、良かったら廃材を貰えないかと頼み、左之助も連れて行き、ああこれじゃ大変だろうと譲ってくれた。
譲って貰ってばかりでは悪いので、時々、差し入れを持っていくようになって、今ではすっかり良い近所付き合いが出来ている。
左之助も、遠慮なく爪が研げて、相楽に迷惑がかからないと知ると、それはそれは喜んだものだった。




ガリガリ。
ガリガリ。



最近は、近所に住んでいる野良猫と一緒になって研いでいる事もある。

その野良猫はとても器用で、研ぎ終わって綺麗に尖った爪で、板に絵を彫った。
左之助があまりに感心するから、最近は習慣付いてきて、毎回絵を彫っていく。
友人(友猫?)作の彫り絵は、きちんと取って置いてある。


左之助は不器用だが、時々、友を真似て何某かを描こうと試みる。
大概、失敗に終わる。

失敗すればガリガリ爪で削ってしまうだけなので、別に処分に困る事はない。




ガリガリ。
ガリガリ。



木材加工工場の主任は、廃材が絵に変わったのを見て、大層驚いていた。
猫がやったと言うのだから無理もない。

左之助が「オレのダチが彫ったんだ」と自慢げに見せに行ってから、新しい廃材を貰いに行く度、一緒に持って行って見せている。
主任は上手い上手いと褒めて、昨日通りかかった時には、「次はいつ来るんだ? 今はどんなの彫ってんだ?」と訊ねられた。
単なる廃材で処分する筈だった木材が、意外な所で活用されているのが嬉しいらしい。
喜んでくれるのなら、相楽だって嬉しいし、左之助はもっと嬉しい(友は恥ずかしいらしいが)。




ガリガリ。
ガリガリガリ。



それでも、一つ困ったことがあると言ったら。









(これは燻製に使えるんだったかな?)








散らばる木材の砕片を眺めつつ、相楽は捨てるのは勿体無いよなぁと呟いた。













----------------------------------------
やっと“猫”の話(爆)。

猫は飼った事がないので、どれ位の頻度で爪研ぎをするのか、正確に知りません(汗)
そして野良猫もいつどういう場所で爪研ぎするのか判りません…習性だからするんだろうな、ぐらいで…

爪とぎ器って言うのがあるんですね、知らなかった。


この隊長、貧乏性……?

03 ゴミとして廃棄してください







長年使っていたテレビが、壊れてしまった。
寿命をとっくに過ぎた代物だったのだから、仕方のない話だ。


随分前から映りが悪く、雨風の強い日は時々ビリビリと画面がブレる。
最近は電源が入って画面が映るまで時間がかかり、時々勝手に電源が落ちたりする。
直す際は回線を弄るとかではなく、叩いて直すと言うアナログな方法。

元々中古で買ったものである、今の今までよく持ったと言えるだろう。
仔猫が来るまで、深夜と朝のニュースをちらりと見る程度だけだったのに、よくぞ今まで。



叩いても、仔猫が蹴っても(痛がっていた。当たり前だ)、ウンともスンとも言わなくなったテレビ。

地上デジタルに対応していないテレビだったから、直に世代交代は余儀なくされていたのだけれど、
どうせなら、絶賛売り出し中の薄型液晶テレビがもう少し安くなるまで耐えて欲しかったと、こっそり思う。
いやいや、今まで頑張ってくれたことには、本当に感謝しているが。




まだどうにか直らないかと、仔猫がテレビの上部をパンパンと叩いている。
それを相楽は抱き上げた。






「もうお休みさせてあげよう、左之助」
「……今日、見たいヤツあるんです」
「録画予約はしたままだから、次のテレビを買うまで我慢してくれ」






撫でながら言うと、左之助は眉根を寄せたが、小さく頷いた。
良い子だともう一度撫でてやる。






「どうするんスか、コイツ」
「捨てるしかないだろうなあ……少し残念だけれど」






仔猫が来るまで、一日ほんの数時間しか映していなかったとは言え、付き合いは長い。
増して仔猫が来てからは、膝上に乗せて色々と見たから、思い出もいつの間にか随分と増えていた。

名残惜しい気持ちは否めないけれど、しかし此処に残していてもどうにもならないのだ。
完全に映らなくなってしまったし、モノも古いから修理するにも必要な物品がなさそうだし、中古屋に戻ることも出来まい。
このテレビは、完全に役目を終えたのだ。



腕の中の仔猫を見下ろせば、此方も淋しそうに真っ黒な画面を見つめている。


そう言えば、仔猫が来てから、家にある大きなものを捨てるのはこれが始めてだ。
ベッドも本棚も、クーラーもパソコンも、仔猫が来てから換えた事はない。
冷蔵庫は二年前に買い換えて、DVDプレーヤーも同じ位で、以来大きな家具製品の交換はしていない筈。

前に冷蔵庫を買えた時には、特に何を思うでもなかったと思うのだけど―――――
……テレビ一つを買い換えるのに、こんなに侘しく思う事があろうとは。






「此処に置いていても、どうしようもないからね」






動かないまま此処にあっては、それこそ単なるガラクタになってしまう。

処分と言う形で手放すことに違いはないけれど、少なくとも此処にあるよりは良い筈だ。
リサイクルにでも埋め立てにでも、何かの役に立ってくれるだろうから。









やっぱり淋しそうにテレビを見つめる左之助を、強く抱き締めた。





そんな顔をしなくても大丈夫。
思い出の形は、確かに手放すことにはなるけれど。


お前と並んで見た記憶は、捨てる事なんてないんだから。












----------------------------------------

仔さのが猫である事に意義があるんだろうか、この話は(←コラ待て)。
いやはや、中々難しい……

02 できるだけ早くお召し上がり下さい








前日、雨の中を走って帰る羽目になった。
間違いなく、原因はそれだろう。




朝から頭痛が酷くて起きられず、仔猫の鳴く声にようよう目を開けた時には、かなり酷い有様だったと言って良い。
起き上がると脳がグラグラするような感覚がして、立ち上がれば真っ直ぐにならず、足取りも覚束無かった。
まずいなぁと思っていたら、案の定仔猫の方がもっと酷い顔をして、休んで下さいとベッドに引っ張り戻されてしまった。

仔猫は仔猫で、ベッドに押し戻したはいいものの、どうして良いのか判らなかったようで、ベッドの横で右往左往していた。
体温計を持って来て貰うように頼んで、持って来られたそれで測ると、39度と言う数字。
ああそりゃあこんなにもなる、と思いながら、取り敢えず会社には休む連絡をして、
仔猫には冷蔵庫の中にある昨日の夕飯を食べるように言って、一先ず寝て過ごす事にした。



元気でやんちゃな仔猫にしては珍しく、今日は随分、大人しかった。
近所に住んでいる野良猫が遊びに来たが、今日は行けない、と言って少し話をしただけで終わった。
そうさんと一緒にいたいと言うのが聞こえて、そっか、と帰る猫に、悪い事をしたかと虚ろな頭で考えた。



昼には多少はマシになって、せめて仔猫の食事だけでもと起きた。

すぐさま仔猫は飛んできて、顔が赤いです、寝てなきゃダメです、と言った。
確かに少し足はフラついた気もしたが、朝よりは良かったし、頭もスッキリしていた。
何より、変な所で遠慮して我慢しようとする傾向のある仔猫に、一日空腹を味合わせてしまいたくはなかった。

食パンを焼いて、自分はスープで済ませた。
いつもなら、平日でももう少し多めに用意して家を出る。
少なくて悪いなと言うと、仔猫は物凄い勢いで首を横に振った。


食べ終わると、仔猫が食器を流し台に持って行って、自分はまた寝た。
夜までにはもう少し回復しておかなければと、思いながら。







それから、夜になって目が覚めて。








「………左之助?」






朝から昼まで、自分が寝ている間、仔猫は傍を離れなかった。
ベッドサイドに齧り付いて、伝染るかも知れないからと言っても聞かなかった。
そうさんと一緒にいます、そうさんが治るんだったら伝染して下さい、なんて言って。

昼食後から今の今まで寝ていたので、時間にして6時間以上である。
流石の仔猫も飽いたかと思って起き上がると、寝室のドアが開いて。






「そうさん!」
「…左之助」






起きた! と嬉しさ一杯の顔で、左之助は相楽に抱き付いた。
擦り寄る温もりが愛しくて、寂しい思いをさせていたかなと眉尻を下げる。


甘える左之助の瞼にキスを落として、ふと気付く。

左之助からは、いつも暖かな匂いがする。
昼間日向で寝ているから、太陽の光がそのまま染み込んでしまったかのような。
ふわふわとした春のような、溌剌とした夏のような、そんな匂い。

それがこの時は、少し違った匂いがした。







「左之助、何をしていたんだ?」






問うと、左之助の耳がぴんと立った。
立ってから、ぺたんと寝てしまう。







「あの、その……ば、晩飯…」
「ああ、作らないとな。腹が減っただろう」







何か摘んだなと思いながら、左之助を抱いて立ち上がる。
左之助は、いや、とか、あの、とか言っていたが、この時相楽は気にしなかった。

一日何処にも行かなかったとは言え、朝も昼も簡単なもので済ませたし、育ち盛りのこの仔猫の腹が満たされる訳もない。
お菓子類はそれほどストックしていないし、冷蔵庫の中身も多く入れてはいない。
躾がきちんと行き届いているからか、左之助は滅多に冷蔵庫を荒らす事はなかった(あっても可愛いものだ)。
故に尚更、左之助の腹が限界を訴えているだろうと、相楽も容易に想像出来た。



寝室を出て、リビングに入って。
部屋の真ん中に置いているテーブルの上に並ぶものを見つけて、相楽は眼を丸くした。









「………左之助?」








腕に抱いた仔猫の名を呼ぶと、左之助は顔を真っ赤にして、相楽の胸に顔を埋めている。



リビングのテーブルに並んでいるのは、ぐちゃぐちゃの形のおにぎり。
それから味噌汁と、昨日の夕飯の残りである魚の煮付け。

白飯は多分、冷凍したものを解凍して。
味噌汁はインスタントだろう、棚の下に仕舞っていたものがあった筈。
魚の煮付けは電子レンジで温めたばかりのようで、左之助から香った匂いはこれと同じ物だ。


それらが、きちんとそれぞれ二皿ずつ。




頑張ってくれたのだと判る。
体調の悪い相楽に無理をさせないようにと、精一杯。








「……そうさん」
「うん?」







顔の赤みが引いた左之助が、ようやく顔を上げた。









「晩飯、一緒に食えますか?」








……言って、見上げる瞳の色に、ああやっぱり寂しかったんだと。
朝も昼もろくに構ってやれなかったから、もうそろそろ良いですか、と。

問い掛ける瞳に微笑んで。




食事は温かい内に食べないと。
食べ物達にも悪いしね。

―――――それに。








「折角の左之助の手作りだ。冷めてしまっては、勿体無いね」














赤い顔で喜ぶ仔猫に、たまのたまになら風邪も良いのかも知れない、と思った。













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インスタントでも残り物でも、頑張ってくれたんだから。

……自分、気が向いた時に食うので、大抵冷め切ったのを温めます。
でもどうせなら、出来立てで食べたいね(じゃ早く食え)。