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雨の日は憂鬱になる。
長雨になると尚更だ。
傘を差しても、足元で跳ねる水玉までは防げなくて、制服のズボンはびしょびしょの泥塗れ。
風が酷くなれば傘も大した役目を果たさず、鞄の中の教科書はふにゃふにゃのびしょ濡れ。
何よりジメジメとした湿気が鬱陶しくて、ただ暑いだけの日以上に不快指数は半端なく高く。
けれどもこれが日本の夏前の風物詩である以上、避けて通れるものでもなく。
寧ろこの時期に降ってくれないと、夏真っ盛りに入って水不足に喘ぐ事となるのだ。
それは勘弁願いたい。
「…降るんだったら、授業中だけ降ってりゃいいのによ」
机に頬杖を突いて呟いたのは、京一だ。
時分の机ではなく、龍麻の机にて。
決して大きくはない机の面積の半分を侵入された龍麻であるが、特に気にする事もなく、数学ノートに落書き中。
「取り敢えず、行き帰りに降るのは勘弁だな」
「うん」
それには同調したので、龍麻はノートの落書きを続けながら頷いた。
学校の登下校中の大雨は、学生にとっては辛い。
絶対に濡れなければならないからだ。
車で出勤する教師陣が恨みがましくなる位に濡れる事も少なくない。
その時間に限らず、外を出歩く時間の雨は面倒だ。
だから京一は、外に出る必要のない授業中にのみ降っていれば良いと言う。
「あと休憩時間もだな」
「うーん…?」
それには同調できなかった。
し辛かったと言うのが正しいか。
休憩時間に入ると、京一は大抵、屋上か中庭の木の上に行く。
お気に入りのスポットはそれぞれ天気が良ければ心地の良いもので、確かに魅力的ではあるのだけれども、其処にやたらと固執しているのは京一だけだろう。
龍麻は教室にいてものんびりと過ごせるので、彼のお気に入りスポットへの愛着は判るものの、完全に同意は出来ずにいた。
教室の中はいつもより人が多い。
休憩時間になるとあちらこちらへ散らばる生徒達が、何処にも行かずにいるからだ。
今日は廊下も水浸しになっている。
教室移動で濡れた渡り廊下を通った生徒達の足元は、外を歩いた後と同様に濡れていた。
それで廊下を歩かなければならないから、フローリングの床は薄らと水で濡れ、滑り易くなっている。
皆、それを嫌い、また雨も止まないしで、教室で落ち合ったり、グループで固まったりしているのだ。
人口密度が高くなるのも無理はない。
常よりも人が多くなった教室内は、その所為だろうか、いつもより少し暑い。
密集した人間と、降り続く雨の湿気によって、教室内の不快指数はまた上がって行く。
ああ、確かに休憩時間も出来れば止んで欲しいかも知れない。
雨が止んでくれれば、この人口密度も少しは解消されるのだ。
じとじととした嫌な湿気も、薄くなってくれるだろう。
だが、希望も空しく雨は降り続く。
「あーだりィ」
頬杖をぱたりと倒し、京一は腕に頭を乗せて突っ伏した。
癖毛の髪が龍麻の机に散らばる。
チャイムが鳴った。
教室内にいた生徒の何人かが、バラバラと教室を出て行く。
自分のクラスの教室に戻る為に。
出て行った生徒と入れ替わりに、3-Bの生徒が教室へと戻って来る。
チャイムが鳴り終わる頃には、殆どの生徒が自分の席へと落ち着いていた。
それから、教室の前のドアが開いて、―――――入って来たのは生物教師の犬神だ。
「龍麻」
「何?」
「やっぱ授業中も雨止んだ方がいいな」
……暗にサボる事を言っていると気付いて、龍麻は眉尻を下げて笑った。
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梅雨なので雨ネタを。
特になんでもない日常の中で。
龍京はこういう“どーでもいい話”が一番書き易いかも知れない。
ダラダラ中身があるんだか無いんだか判らない話。
まがみのお山の梅雨は、麓の村より雨が多い。
おまけに、山の中だから天候も変わり易い為、いつ頃雨が降るのか動物達にも判らない。
突然、ばけつを引っくり返したような大雨が降ったと思ったら、急に雲が晴れて、かと思ったら――――その繰り返し。
そんな時期、山の中の動物達は、皆棲家で静かに過ごす。
遊び盛りの子供達は不満で外に出ようとするけれど、親に捉まって穴の中へと引っ張り戻された。
雨が止んだら出ても良い? と子供達は聞いたけれど、親は梅雨が明けるまで待ちなさい、とばかり。
今降っている雨が止んでも、次の雨はまたすぐ降るから、そうしたら子供達は雨に濡れて冷えてしまう。
子供達を大事に思うから、親は外で遊んで良いよと、送り出してあげる事が出来ない。
けれども、親心子知らずとは言うもので、子供たちは巣穴の中で遊びたいよ外に出たいよと鳴いていた。
―――――そして此処にも、外に出たがっている仔狐が一匹。
「ヒマ」
切り株の椅子に座って、ぷらぷらと足を遊ばせている京一。
その足には葉っぱの包帯が巻かれていた。
たった二文字の言葉を聞いた八剣は、苦笑して京一の方へ振り返る。
「そうだね」
「まだ止まねェの」
「そうだね」
同じ言葉を繰り返し返事に使う八剣に、京一は唇を尖らせる。
雨が止まないのも詰まらない、八剣の返事に変化がないのも詰まらない。
京一はそんなイライラをぶつけるように、傍にあった切り株のテーブルを蹴った。
「なあ、ヒマ」
「そうだね」
「ヒマなんだよ」
「そうだね」
「………」
京一は眉間に皺を寄せて、椅子から降りた。
包帯を巻いた足をずるずる引き摺って、にこやかな笑顔で自分を見ている八剣に近付いて、
「このッ」
包帯を巻いている足を振り回す形で、八剣の足を蹴る。
判り易い八つ当たりだ。
蹴った痛みに蹲ったのは八剣ではなく、京一の方で、京一は包帯を巻いた部分を押さえてしゃがみこむ。
尻尾がまるまってぷるぷる震える小さな姿に、八剣は漏れそうになる笑いをどうにか堪えた。
堪えて一つ息を吐いた後、蹲って動けない京一を抱き上げる。
「無理したら駄目だよ。治りが遅くなるだろう?」
布団の上に下ろして、まだ痛むらしい患部を尻尾で優しく撫でてやる。
京一のこの傷は、人間が仕掛けたまま忘れた古い罠に引っ掛かって出来たものだ。
子供の力では外せなかったそれと奮闘している間に、時間が経って傷も広がった。
回復力の強い子供でも、まだまだ治らない位、其処は酷い有り様になっていた。
八剣が京一を拾ったのはその時で、それから約一ヶ月、京一は八剣の世話になっている。
家はどうやら遠いようだから、せめて京一の怪我が治るまで、此処に留まる事になったのだ。
だから、きっと早く帰りたいだろうと、八剣は思うのだけれども。
何故だか―――子供故にじっとしていられないのか―――京一は直ぐに無茶をして、折角塞がり始めていた傷をまた開いてしまう。
その度に痛くて泣き出しそうに蹲るのに、京一は何度も何度も繰り返した。
尻尾で患部を撫でていると、小さな手が尻尾の毛を一房掴んだ。
少し引っ張られる感覚があったが、八剣は何も言わずに好きにさせる。
京一は八剣の尻尾を気に入ってくれたようで、寝る時は抱き付くようにしがみ付いて離れない。
平時もこうして触れて来て、ふわふわとした毛の中に顔を埋める。
その時の仕草が、八剣には可愛くて可愛くて堪らない。
「……ヒマ」
「そうだね」
「………」
かぷ。
京一が八剣の尻尾に噛み付いた。
痛くはない。
寧ろ八剣には、自分の尻尾の痛みより、京一の傷の方が心配だった。
「京ちゃん、足はまだ痛む?」
さっき無理をしたからではなく。
雨の所為で疼いたりはしないかと、問いかける。
京一は尻尾に顔を埋めたまま、しばらく考えるように視線を彷徨わせた。
それの意味を察して、八剣は京一を自分の膝の上に乗せてやる。
小さな体はちょこんと其処に収まって、八剣は京一を左手で抱きながら、右手で京一の足を撫でてやった。
家族のものではないからか、居候と言う身分を気にしてだろうか(構わないと言うのに)。
京一は甘えるのが下手なようで、痛いと思っても痛いと伝えてくれない事が多い。
自主性だけでなく、八剣が聞いても中々答えようとしないのはこの為だ。
でも、退屈を訴える位には気を許してくれていて、八剣から触れる分には甘えてくれる。
お気に入りの八剣の尻尾を離してくれない位には、気に入られているのである。
「雨が降ると、傷は痛むものだよ」
「…知ってる」
「ああ。だから、痛くなったらすぐおいで。おまじないしてあげるから」
「……インチキまじないなんかいらねェ」
京一がインチキだと言うまじない。
それが今、八剣が京一に対して行っていること。
包帯の上から、未だに癒えない傷を撫でる行為。
それで実際、痛みがなくなる訳ではないだろうけど、京一はこの行為を嫌がらなかった。
多分、気持ちだけでも少し落ち着くのだろうと、八剣は勝手に思う事にした。
だから、雨が降ると疼く傷の事は心配だけれど、
この意地っ張りの仔狐が甘えてくれるのは嬉しいから、雨は時々降ればいいと思う。
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ただでさえ京一に対しては、何処までも寛容するうちの八剣。
チビ京相手だと、更に際限がありませんね。
伸ばした手を、君が捕まえられないと言うのなら、
伸ばした手で、君を捕まえよう。
路地裏で蹲る子猫を見つけた。
足に傷を負って、喉が枯れて、鳴く事も出来なくなって蹲る子猫を見付けた。
どうにも放って置く事が出来ずに近付いたら、毛を逆立てて威嚇された。
痛む足の所為で逃げる事は出来ないから、代わりにシャーと高い音を鳴らす。
けれど、その音も掠れ勝ちに聞こえるだけ。
一歩分は歩けるだろうと思ったから、届くか届かないかの距離で手を伸ばした。
怖がらせない為には、それが多分、良いだろうと思ったから。
けれど、子猫は毛を膨らませて威嚇してくるばかり。
がりがりとコンクリートの地面を引っ掻く爪は、もうボロボロで。
泥と埃に塗れたこんな場所に蹲っていたら、きっと黴菌が入ってしまう。
そうしたら、この子猫は歩くことすら出来なくなるかも知れない。
怖くないよと笑いかける。
子猫はぎりぎり睨み付ける。
何もしないよと囁いた。
子猫はじりじり後ずさり。
一向に埒が明かないので、伸ばしていた手を一度引っ込めた。
どうしたものかと顎に手を当てて考える。
――――そうすると、子猫の尻尾と耳が不安そうに揺れた。
それを見て、気付いた、気付く事が出来た。
ああ、この子は怖いだけなんだと。
ヒトの所為で傷付いたから、ヒトの手が怖くなってしまったんだと。
嫌いじゃなくて、怖いんだ。
嫌いじゃないけど、信じた後で、また傷付けられるのが怖いんだ。
信じたいけど、怖くて。
怖いけど、信じたくて。
小さな体で、痛む傷を引き摺りながら、伸ばされる手をじっと見て。
この手はもう自分を傷付けたりしないだろうかと、測ろうとする。
それは疑っているのではなくて、信じてみたいと思うから。
でも、沢山傷付いた後だから。
沢山傷付けられた後だから。
もしかしたら。
自分で信じて、裏切られたのかも知れない。
だから次の手を捕まえるのが怖い。
同じ傷みは、もう抱えたくないと思うから。
もう一度手を伸ばして、子猫の一歩分の距離を詰める。
指先が届く距離になって、子猫はびくりと尻尾を膨らませ、その指に噛み付いた。
精一杯の抵抗の牙は、小さく小さく、震えていて。
噛み付かれた指をそのままに、空いていた手で子猫の体を抱き上げる。
子猫はふるふる震えていたけど、暴れて逃げようとはしなかった。
子猫の震えが収まるまで。
子猫の瞳の怯えが和らぐまで。
ずっと抱き締めて、ただその場に立ち尽くす。
牙が齎す傷みなど、子猫が負わされた傷に比べたら。
……やがて子猫は牙を抜いて、小さな穴の開いた指から滲んだ紅を舐める。
顔を寄せて囁いた。
もう大丈夫。
俺が守ってあげるから。
―――――ぽろり、大きくて綺麗な宝石から、透明な雫が零れ落ちた。
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最初は比喩のつもりの八京で、最終的に猫耳でも完全な猫でもOK……のつもりだったんですが、書き上がってから、チビ猫京ちゃんと飼い主八剣のオープニングなんじゃないかと思いました(遅)。
と言うか、先ずコンセプトがブレブレです(滝汗)。
ボウルに上新粉100gを入れ、熱湯80~100ccを少しずつ加えて練る。
練った生地の硬さは、耳たぶくらい。
せいろに布巾を敷き、小さく千切った生地を乗せる。
蒸気の上がった蒸し器にせいろを入れて蓋をして、強火で約25分蒸す。
蒸したら、次の手順に進む前に、生地の中心を少し食べてみる。
この時、ザラザラしていなければ蒸し上がりだ。
蒸し上がったら布巾ごと生地を取り出し、手で触れるようになるまで擂り粉木で突く。
その後、布巾を使って手でまとめ、更に滑らかになるまでよく練る。
十分に練れたら、生地を円盤状にし、冷水に直接つけて中まで冷ます。
生地を冷ましている間に、別のボウルに白玉粉20gを入れ、水大さじ2杯を少しずつ加える。
ダマが出来ないように手で混ぜる。
よく混ざったら、冷ました生地を入れ、餅状に伸びるまでよく練る。
ちなみに、昔ながらの味は上新粉だけで作る事が多いらしい。
今回は食感を加える為、白玉粉も追加した。
生地が出来たら、買って置いたこし餡とそれぞれ7等分にして丸める。
生地を楕円状にし、手前を薄く、向こう側を厚くなるように広げ、餡玉を包む。
合わせ目はしっかりと閉じる。
布巾をしたせいろに並べ、蒸気の上がった蒸し器に入れ、強火で約5分。
滑らかに仕上げる為に、途中三回ほど蓋を開けて、意図的に温度を下げる。
蒸し上がったら艶出しの為、コップ一杯の冷水をかける。
完全に熱が冷めたら、柏の葉で包む。
食べ頃は、餅と餡の一体感が出る数時間後だ。
と言う訳で、数時間後――――午後三時。
「京ちゃん、おやつだよ」
そう言って完成品を差し出せば、お気に入りのパンダのぬいぐるみを抱き締めていた子供が顔を上げる。
上質な焼き物の皿に乗せられたのは、大きな葉に包まれた餅。
八剣手製の柏餅である。
「先に手を拭こうか」
「ん」
パンダをソファに乗せてから、ウェットティッシュを一枚取って、きちんと手を拭く。
天邪鬼でも素直な子供に、八剣は微笑み、くしゃりと頭を撫でてやった。
一つを手に取り、柏の葉を取って、ぱくりと食いつく。
もごもごと弾力のある餅生地を噛めば、甘味が子供の舌には心地良く。
昼食後から数時間が立ち、空き初めていた小腹には丁度良いあんばいだ。
ただ一つ、餅生地が手にべったりとくっついてしまう意外は。
「うーッ」
ぺたぺたとくっつく餅生地に、京一は顔を顰めて唸る。
それがなんだか、ネズミ捕りのトリモチに引っ掛かった猫のようで、八剣は苦笑する。
「葉を全部取るからだよ」
「じゃま」
「はは。こうやれば邪魔にもならないし、手も綺麗なままだよ」
葉があったら食べれない、と言う京一。
単純で判り易い子供の発想に、八剣は工夫を加えてやる事にする。
餅に巻いた柏の葉を全部取るのではなく、半分程まで捲る。
餅の半分から下は葉に覆われたままで、手に持つのはその部分だ。
これで手はベタつかないし、持つのも手放すのも楽だし、食べるのも支障がない。
ほらね、と見せる八剣に、京一はむぅと唇を尖らせる。
機嫌を損ねたかと思ったが、京一は一つ目の柏餅を食べ終えると、二個目に手を伸ばした。
今度は八剣がして見せたように、葉を半分だけ捲って、葉に覆われた部分を持つ。
「むぐ」
「あまり一杯口に入れない方が良いよ」
「んむ。むぅ」
「喉に詰まると大変だからね。はい、お茶」
「ん」
渋みのある茶を渡せば、京一はちゃんと冷ましてからそれを飲む。
京一の実家は洋食よりも和食を好む事が多く、和菓子に接する機会も多かった。
自然、それらに合わせて渋茶も飲むようになり、子供が嫌いと良いそうな苦味にも慣れている。
京一の手が三個目に伸ばされる。
ペースが早い。
どうやら、気に入ってくれたらしいのが、八剣は嬉しかった。
好き嫌いは多いけれど、出されたものはいつもちゃんと食べる。
それでも速度の違いで、食べたいものか食べたくないものかと言うサインは見せてくれる。
その点では、この柏餅は合格したようだ。
合わせて煎れた茶も京一の舌に合っているらしい。
――――そう、満足感に浸っていると。
「う゛」
ぴたりと京一の動きが止まり。
歪んで行く表情と、青くなる顔色に、八剣は慌てた。
「京ちゃん!」
小さな体を抱えて前屈みにさせ、後ろから両手で京一の腹を引き寄せるように圧迫させる。
うえ、と何度か息苦しそうな声が聞こえたが、今ばかりは謝る暇も気遣う余裕もない。
「う゛……ぐ、ぅ…ぅえッ」
京一の口から餅の切れ端が吐き出される。
それは子供の体の作り、食道器官を考えると、明らかに大きい。
げほげほと咳き込む京一を抱き締めて、今度は落ち着かせる為に背中を叩いてやった。
「えッ、ふえッ、うぇええぇえ……」
「よしよし。怖かったね」
「ひぐッ、ひッ、ふえ、うぁあぁあ…」
「言っただろう、気を付けないとって。判ったね?」
慰めながらの注意の言葉に、京一はこくこくと頷く。
ぼろぼろと泣きながら。
意地っ張りのこの子がこれだけ泣くのだから、相当怖かったのだろう。
滅多に抱きついて来ない筈の京一は、今ばかりは八剣に確りとしがみ付いていた。
泣きじゃくる愛し子を宥めつつ。
勿体無いけど、これはもう無理かなと、残りの三つの柏餅を見て思う。
この子の為に作ってあげたのだけれど、もう仕方がない。
こんな目にあってしまっては、二度と同じ思いはしたくないと、嫌いになっても無理はないし。
取り敢えずは、落ち着かせてあげないとなぁと思いつつ、ソファでじっと見つめるパンダを差し出すことにした。
数十分後。
パンダを片手に、八剣の膝の上で。
さっきよりは遅いペースで、残りの柏餅を食べる京一の姿があった。
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なんかこの八剣は凄い家庭的だな。
本物の八剣には生活感はまるで感じないんですけどねぇ(笑)。
また泣かせてごめん、京一………
今日も今日とて、京一の顔は痣だらけになっていた。
顔に限らず、まだまだ子供らしい細い腕や、衣服に隠された体も。
対して、一歩先を歩く師・神夷京士浪は疲れた様子も見せない。
何度も繰り返し向かってきた京一を一刀に伏し、息を乱すこともなく、寧ろその場を一歩として動く事もなく。
そんな師の背中を見て思うのは悔しさで、京一はぎりぎり歯を鳴らし、その背中を睨み付けていた。
―――――それにしても。
修行が終わった後、こうして師と一緒に歩いて帰るのは珍しい。
ビッグママ曰く放浪癖があると言う師は、気が付いたら、ふらりといなくなってしまう事が多い。
時に京一の修行の約束さえも反故にして、朝早くから姿を消し、日暮れ頃に『女優』に戻って来る事もある。
最初の頃はそんな師にやきもきしていた京一だが、流石に慣れた、と言うよりも諦めた。
そんな師と並んで(正しくは並んでもいないのだけど)一緒に帰路に着くとは、なんとも微妙な気分だ。
……いや、本来ならばこれが正しいのだ。
まだ小学生の域を抜けない京一が、一人で陽の沈んだ後の歌舞伎町を歩いている方が可笑しい。
家出小僧かはたまた迷子かと、何度警察に保護されそうになったか。
その度、家がこの先にあるんだと言い、知り合いも多いから保護はいらないと主張した。
とは言え、だからと言って「じゃあいいよ」と警察官も承諾する訳には行かず、不本意ながら『女優』まで見送られた事は少なくない。
10を越したばかりの子供が歩き回るには、歌舞伎町と言う土地は異であった。
京一はそれを気にした事はなかったけれど。
一人での帰路に慣れ切っていただけに、なんだか変な気分だ。
前を歩く背中を見ながら思う。
一体今日はなんの気紛れを起こしているのだろうか。
―――――と、思っていると、前を歩いていた背中が足を止める。
止めて、方向転換する。
京一は慌ててそれを追い駆けた。
「おい、何処行くんだよ」
京士浪が足を向けた方向は、『女優』とは違う。
この道でも帰れなくはないが、遠回りになってしまう。
京士浪も知っている筈だ。
しかし、師は足を止める様子もなく、道を間違えたと言う風でもなく。
颯爽と歩いていく京士浪に、京一は顔を顰めた。
何か用でもあるのか。
それとも、いつもの放浪癖か。
何処に行くのか知らないが、自分がついていく必要はないのではないだろうか。
京士浪は、付いて来いとは言わなかった。
だったら自分は回れ右をして、いつもの道を通って『女優』に帰ってしまって良いのではないか。
そう、思っていたのだが、
「いいから付いて来い」
背中を向けたままの師にそう言われて、京一は顔を顰めつつ、大人しく追い駆ける事にする。
この道の先に何かあっただろうか。
歩幅の差で置いていかれそうになるのを、早足になって進みながら思い出してみる。
道は細く狭い路地で、明かりはない。
こういった道は珍しくないのだが、京一は好んで通ろうとは思わなかった。
じめりと湿った空気や、どんよりとした雰囲気は、幼い子供に優しくない。
京一は別に怖いと思うことはなかったけれど、それでも無意識下で避けていた。
だからつい、きょろきょろと辺りを見回してしまうし、木刀を握る手にも力が篭る。
京士浪に拾われるまで物騒事に身を置いていた事もあってか、どうしても警戒心が先立ってしまうのだ。
対して京士浪はと言えば、歩き慣れた道なのだろう、足取りは澱みない。
時折、何かを見つけたように視線が追い駆ける事があったが、京一にはその先に物体を見つける事は出来なかった。
師の不可解な行動は気にかかったが、師もそれ以上の行動は起こさなかったので、早々に忘れてしまう事にする。
さて、この道の先に何があるかについてだが―――――京一には、とんと判らなかった。
この細い道が何処に続いているのかも判らないし、道は真っ直ぐに見えて斜めに延びているようだった。
これでは、自分が今どの方角を向いているのかも判らない。
そうなると、もう自分に出来る事と言ったら、京士浪の後ろを付いていく事だけだ。
Uターンは赦されなかったし。
京一は、少しだけ京士浪との距離を縮めた。
そうすると京士浪がちらりと此方を見遣ったが、京一は目線を合わせないように顔を背ける。
京士浪はしばらく京一を見下ろしていたが、やがて前へと向き直った。
正直。
正直に言おう。
早く帰りたい。
と言うのも、誰の目にもハードと判る修行の後なので、エネルギー切れなのである。
胃の中は空っぽで、今の時間を考慮してもそれは無理のない事だ。
早く帰って食事にありつきたい。
汗と泥で汚れた服はさっさと脱いで、風呂に入ってさっぱりしたい。
そうしたらもう寝るだけだ。
しかし、前を歩く京士浪は、そんな弟子のことなど知ったこっちゃない風だ。
でも、京一が歩くのを止めたり、別の道に入ったり、Uターンしたりしたら気付くのだろう。
気付いた後、止めるのか放置するのかまでは、京一には判らない。
しばらく歩いた。
その時間が長かったように思うのは、見慣れぬ道を歩く緊張感からだろうか。
いつまで真っ直ぐ行くのだろうと思い始めた頃、京士浪は角を曲がった。
慌てて京一も曲がり、見失わないように距離を詰めた。
京士浪は立ち止まって京一を待つような事はしなかったから、見失ったら大変だと思った。
幾つか角を曲がると、少しだけ道が開けた。
しかし大きな通りに比べるとやはり細く、車一台通れば一杯になってしまうような広さだ。
通りの両端には、ぽつぽつと街頭ではない灯りが点いていた。
あまり大きくはない看板を出した飲食屋の玄関の灯りだった。
「お、ラーメン」
ラーメン屋の看板を見つけて、京一は思わず呟いた。
が、その店には閉店のプレートがかけてある。
ちょっとがっかりした。
京士浪は其処へは目もくれず、進んでいく。
京一は路地を歩いていた時とは別の意味で、辺りをきょろきょろと見回しながらそれを追い駆けた。
しばらく行った先にあった小さな店の前で、京士浪が足を止める。
同じように足を止めて京一が店を見上げれば、古いと判る引き戸の玄関に、赤い暖簾がかかっていた。
暖簾には『そばや』と大きな江戸文字で書かれている。
「あ……おい!」
京一が暖簾を見上げている間に、京士浪は引き戸を開けて中に入ってしまった。
京一は蕎麦などそれ程好きではない。
同じ麺類ならラーメンが断然好きで、興味をそそられる店もその系統ばかりだ。
蕎麦を嫌いとは言わないが、あまり魅力は感じなかった。
けれども、此処で慣れない道に一人立ち往生するのも辛い。
閉じかけた引き戸をもう一度開けて、京一は店の中に入る。
京士浪を探すと、もうカウンター席に座っていた。
取り敢えず、京一も其処から一つ席を空けて横に座る(なんとなく隣に座るのは気恥ずかしかった)。
「らっしゃい、旦那。お久しぶりで」
「……ああ」
「旦那は盛り蕎麦で……坊主、お前ェはどうする?」
どうやら京士浪の馴染みの店らしい――――と思った所で、店の主人に問われ、京一はきょとんとした。
我に返ると慌ててメニュー表を見るが、何がどう美味いのか、先ず蕎麦に馴染みのない京一にはよく判らない。
「……一緒でいい」
結局そう言うしかなく。
しかし、店の主人は気を悪くした様子はなく、威勢の良い声を上げてざるを手に調理場に立つ。
手際良く蕎麦を仕立てていく主人を見て。
京一は隣―――一席空いているが―――にいる師を見遣る。
「……オレ、金持ってねェよ」
「ああ」
「…払えねェぞ」
「ああ」
京一の言葉に、京士浪は何処までも端的に返す。
元々、然程饒舌に喋る男でもないが、この時ばかりは京一も戸惑った。
つまり奢りって事か、と思いつつ、今までにない事だと言う事実が混乱を誘う。
その間にも蕎麦は出来上がり、二人それぞれに盛り蕎麦が出された。
京一の混乱は未だ続いていたものの、京士浪が食べ始めたのを見て、京一も箸を伸ばす。
先程、京一は蕎麦にはあまり興味がないとしたが、それでもこの蕎麦は美味かった。
蕎麦なんてラーメンに比べたら味気ないものだとばかり思っていたから、これは意外だった。
頭の中のランキングに変動はないものの、蕎麦への印象が一変したのは事実だ。
ズルズルと二人分、蕎麦を啜る音がする。
客に注文分を提供した主人は、明日の仕込みでもするのか、店の奥に引っ込んでいる。
其処から包丁の音やガスコンロの音は聞こえるが、それ以外は至って店内は静かだった。
美味い店なのに、繁盛していないように見えたのが不思議だった。
が、隠れ家的なものなのかなと思い直す。
今食べている蕎麦は間違いなく美味いけれど、立地条件はあまり宜しくないように思える。
大きな通りからは随分離れているし、看板も大きくなく、知っていてもうっかり素通りしてしまいそうな外観だった。
見た目で味を決めるつもりはない京一だが、それでも第一印象で店に入るか入らないかと聞かれたら、あまり入らないような気がする。
食べ盛りの京一が蕎麦を全て平らげるまで、それ程時間はかからなかった。
店奥から戻って来た主人が、空になった京一のざるを見付ける。
「坊主、替え玉食うか?」
「えぁ…えーと……」
主人の言葉は嬉しかったのだが、何せ自分持ちで払う訳ではないから、少々躊躇する。
一応師の奢りらしいが、そうであると当人から聞いた訳でもないし。
ちらり、隣の京士浪を見遣る。
京士浪は恐らくそれに気付いているだろうに、我関せずで蕎麦を食べている。
駄目だと言わないなら良いか、と京一は都合の良いように解釈することにした。
後で怒られても知ったことか、今は腹を満たすのが先決だ。
主人に向かってこくりと頷けば、ぬっと大きな手がカウンター向こうから出てきて、京一の頭をぐしゃぐしゃに撫でる。
「そうだそうだ、遠慮すんな。替え玉はタダだからな」
「そうなのか?」
「今日だけな。特別だからよ」
何が特別? と京一が問う暇はなかった。
主人がさっさと調理場に行ったからだ。
腑に落ちない所はあったものの、それでも結局、まぁいいかと思う。
タダ程高いものはない反面、タダ程安いものはないのだ。
それで食べ盛りの胃袋が満たされるのなら、幸いだった。
隣にいる大人は、やはり何も言わない。
蕎麦を食べるペースを崩す事もなかった。
二玉目の蕎麦が京一に出される。
直ぐに箸をつけた。
ズルズルと、二人分の蕎麦を啜る音だけが聞こえる店内。
その壁には、いつもは貼られていない一枚の紙が貼ってある。
『五月五日 こどもの日
小学生以下 替え玉無料』
……蕎麦に夢中の子供がそれに気付く事は、終ぞなかった。
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こどもの日ということで(一日遅れ……(泣))。
龍龍の師匠は、無口と言う印象がどうしても拭えません。
甘やかすのもこんな感じになるんじゃないかなと。京一は甘やかして貰ってるのに気付いてませんけど(笑)。
でもこんな感じがいいなぁ。
食べに行ってるのが何故蕎麦なのかと言うと、ゲームの師匠が蕎麦好きだからです。