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きっと誰も気付いていない。
彼の放つ光は、傍らの太陽を反射しているものなのだと言う事を。
車椅子を押されて街を巡る龍治は、背を押す人物よりも気に止まる存在があった。
車椅子を押す人物――――緋勇龍麻の意図が読めないのは勿論。
もっと判らないのは、彼と共に行動している、紫色の太刀袋を持った人物だ。
緋勇龍麻が何を目的として、自分をあちこち連れ回しているのか。
先の件を忘れてはいないだろうし、自分にとってはどうでも良い事ではあったが、彼にとっては違う。
だって自分は彼が最も大切にしているだろうと言う存在を、壊したのだから。
その憎しみから、彼がどんな行動をとっても何も可笑しな事はないだろう。
しかし彼の後ろをついて歩くように同行する人物は、龍治に対して接点がない。
龍麻の親友だと言って憚らないから、間接的には関係があるのだろうが、直接どうこうあった訳ではなかった。
それ故と言う理由だけではないだろうが、彼は龍麻に何かと構いつけるものの、龍治には殆ど話しかけて来ない。
龍治には、龍麻以上に彼の親友――――蓬莱寺京一の意図こそ読めなかった。
「腹減ったな」
「ラーメン食べに行こうか」
「…あのガキいるじゃねェか」
「京一がコニーさんに押し付けたんだろ」
「……そーだけどよ」
龍治は肩越しに後ろの二人を見遣る。
龍麻はクスクスと楽しそうに笑い、京一は拗ねたように唇を尖らせている。
其処にあるのは陽だまりの世界で、龍治には透明ガラスの向こうにある世界のように見えた。
が、龍麻が振り返って此方を見た事で、龍治も陽だまりの世界へと手を引かれる。
「龍治君もラーメンでいい? コニーさんのラーメン、美味しいよ」
「……好きにしたら」
他に言いようもなく。
平坦な声で答えた龍治に、龍麻はまた笑った。
何故そんなにも笑えるのだろう。
陽だまりのように。
笑顔の形は龍治も覚えているし、学校で笑っていた記憶もある。
だがそれは“此処は笑う所”とか“笑えば相手が満足する”と理解していたからだ。
状況と理解と計算による笑顔だと気付いた人間は、周りに一人もいなかったけれど。
龍麻もどちらかと言えば同じものであるように感じたが、彼の笑顔には確かに色があるのだ。
彼の感情と言うものが反映されており、龍治のように空ではない。
「あのガキ、何かってーとオレを目の敵にしやがって」
「京一が乱暴するからだよ」
「してねーよ! っつーか、絶対オレの方があのガキに乱暴されてるぞ」
「京一の方が大人なんだから、それ位許してあげなよ。嬉しいんだよ、あの子も」
「何が」
「ケンカ出来る相手がいるって楽しいんだよ」
微笑む龍麻に、京一はよく判らないと言うように眉間に皺を寄せる。
そんな親友に龍麻は笑いかけるだけで、それ以上言おうとはしなかった。
龍麻が今朝の内に龍治を迎えに来てから、ずっとこの調子が続いている。
会話をしているのは龍麻と京一、龍麻と龍治と言う組み合わせばかり。
京一は龍治を伺い見る事はあるが、目線を合わせることはなく、二人の間は龍麻と言う壁が取り持っている状態が続いた。
必ず、京一は龍麻の半歩後ろ、多くは斜めをついて来る。
其処からなら、親友も龍麻に車椅子を押される龍治の姿も見えるからだ。
それに気付いてから、ああ監視の役目なのかと龍治も理解した。
龍麻が何を思って龍治と行動しているのか、龍治に理解出来ないのと同じく、仲間達にも判然としない部分が多いのだ。
龍治が思うように憎しみなのか、それとも慈善主義のような博愛精神からか。
後者であるならまた理解できないな、と龍治は前方へと視線を戻して呟いた。
「お前は暢気でいいよな。あのガキ、お前にだけは懐いてっから」
「京一の事も好きだと思うよ、マリィは」
「何処をどう見りゃそんな風に見えるんだよ。おちょくってるだけだろ、ありゃあ。しつけェったらありゃしねェ」
「嬉しいんだよ。今までちゃんと構って貰った事とかなかったみたいだし。京一だったら、絶対何か反応してくれるから」
前を向いた龍治には、後ろにいる二人の顔は既に見えない。
しかし、龍麻がどんな表情をしているのかは、声のトーンでなんとなく判る。
龍麻は、京一との会話を楽しんでいた。
打てば返って来る反応は、確かに構って欲しがる人間には面白いだろう。
だがそれ以上に、龍麻は“京一”との遣り取りに喜びを感じていた。
「アニキー!」
「あ? …なんでェ、お前らか」
不意に聞こえた声に京一が立ち止まり、龍麻も足を止める。
風景の変化が止まって、龍治はまた肩越しに背後の二人を見遣った。
京一を囲むように四人の男が集まっている。
包帯やらガーゼやら裂傷やら、どれをとっても穏やかではない外見の男達ばかりだ。
それらは京一をアニキと呼び、莫迦のような仕草であれこれと話をしている。
京一はポケットに手を突っ込んで猫背になったまま、男達の下らない話を聞いて笑っていた。
……それを龍麻が見詰めている。
「で、その時にこいつがですね、よりによって酒飲んでて酔ってやがったんスよ」
「適当に逃げりゃ良かったのに、気が大きくなってやがったから、売り言葉に買い言葉で」
「オメーなァ……一週間前にも同じ事やったばっかじゃなかったのかよ」
「あー…そうなんスけどねェ。どうも酒飲むとつい…」
「しばらく禁酒だな。お前の分の酒、オレが飲んでやるから残らずこっち回せよ」
「ンな殺生なぁああ!」
それだけは勘弁を、と縋る舎弟に、京一は意地悪くクツクツ笑う。
周りの他の舎弟達はそれが良いと言い出す始末で、禁酒を言いつけられた男はがっくりと項垂れてしまった。
――――――龍麻は、ずっとその光景を見詰めていた。
眩しい光を見詰めるかのように、柔らかに瞳を細めて。
視線に気付いた京一が、舎弟達から此方へと目を移す。
龍麻と京一の視線が交わり、京一がイタズラが成功した子供のように笑う。
まるで真夏の太陽のように。
そして、龍麻がふわりと微笑んだ。
龍治は気付いた。
この陽だまりの世界を作り出しているのは、誰なのか。
「アニキ、丁半しやせんか? 龍麻さんもいる事ですし。あっしらも腕上がりましたぜ!」
「あー……悪かねェが、オレらこれからラーメン喰いに行くからな…」
「そんじゃあ、その後でも!」
「だとよ。どうする? 龍麻」
問うた京一に、龍麻は迷わず頷いた。
了承、と言う事だ。
「決まりだな。いつもの場所でいいんだな?」
「へい!」
「お待ちしてます!」
頭を下げる舎弟達に、おう、と短い返事をして、京一はまた歩き出す。
龍麻も龍治の車椅子を押しながら、当初の目的通りラーメン屋へと向かった。
時折、龍治は後ろを二人を伺い見る。
その都度、思った通りだと再認識を繰り返した。
この陽だまりを作り出しているのは、彼ではない。
彼は自分に当たる光を、月のように反射させているに過ぎない。
ならば、光は何処から生まれているのか。
京一だ。
彼が光を放っている。
眩しいほどの輝きを。
龍麻はそれを反射させ、拡散させているだけだ。
彼は自ら光を放ってはいない。
やはり、彼は自分と同じなのだと、龍治は口元が笑みに歪むのを感じた。
初めて緋勇龍麻を見た時、龍治は彼が最も生き生きとしているのを感じた。
陽だまりの世界で笑う彼と友人たちの中で、彼が最も“生きている”と龍治には感じられたのだ。
同時に、彼の中が自分とよくよく似通っている事も知った。
彼は陽だまりの中にいるけれど、根底は恐らく、自分と同じ空なのだ。
龍治に注がれなかった“もの”が、彼に注がれているのだと、龍治は直感的に悟った。
その“もの”は、決して一人の人間によって注がれ満たされたのではない、けれど。
「そういや、ムッツリ何処行ったんだ? あのボロい店燃えただろ。路上生活でもしてんのか?」
「織部神社にいたよ」
「なんでェ、面白くねェ」
…最初の一滴を注いだのは、恐らく、彼だ。
蓬莱寺京一。
太陽のように笑う彼に呼応するように、龍麻は陽だまりの世界で笑う。
龍治は歪む口元を欠伸で誤魔化した。
退屈だと言う風の龍治に、龍麻は向かうラーメン屋について話してくる。
龍治は、殆ど聞いていなかった。
そんな下らない話など聞いていられない。
龍治の意識は、少し遅れて歩く人物へと固定された。
彼はそれに気付く様子はなく、歩き慣れているだろう街並みを眺めている。
その目が龍麻ではなく此方を見たら――――そう思うと、浮かぶ笑みを止められない。
この陽だまりの世界を壊して、世界を照らす太陽が自分だけを見る瞬間、
きっと生まれて初めて満たされる。
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皆既日食を見て、無性に書きたくなった龍治。
本編中で龍麻は月、龍治は太陽と言っていましたが、やっぱり一番の太陽は京一だ思ってる私です。
で、龍治は完全な皆既日食の真っ黒な太陽と言うイメージです。
だから光みたいな京一の存在が欲しくなる……と言うのが龍治×京一の基本形。
7月7日、七夕。
葵の家で星見をしようと言う話になった。
参加メンバーはいつもの鬼退治部だ。
唯一、京一は面倒臭いからパスと言ったのだが、遠野のゴリ押しにあって半ば強制参加。
放課後、約束の集合時間までに各自時間を潰す事になり、いつものように歌舞伎町へと赴く彼の背中は、若干憂鬱そうだったが――――無理に来なくても良いよとは誰も言わないのであった。
言ったら言ったで、今更ドタキャンもどうだよと言って参加するのだろうし。
そして約束通り、集合時間きっかりに、京一を含めた鬼退治部全員が美里家に集まった。
葵の自室に一番近い客間を利用させて貰い、縁側に並んで座るのは、葵、小蒔、遠野の三人。
明かりを消した部屋の中から、三人の後姿と星空を眺めるのは、龍麻、京一、醍醐であった。
「今日は鬼もいなくて幸いだったな」
「だな」
「うん。良かった」
醍醐の言葉に京一と龍麻も頷く。
そうでなければ、こんなにものんびりした一夜は過ごせなかっただろう。
また鬼だけではなく、天気も良かったのも嬉しい。
お陰で空で瞬く満点の星がよく見える。
美里の屋敷は高台にある為、ビルの人工灯も見えず、空は本当に星だけの世界となっていた。
「あ、ホラホラ、あれが彦星よ!」
「え~、何処の星? ボク全然判んないよ」
「夏の大三角形を探したら判るわ。白鳥座と、ワシ座になる部分がそれぞれ彦星と織姫で…」
「だからァ、それも判んないんだって。どれがどの形になるの?」
剥れる小蒔に、葵が指差し教えるが、小蒔はそれも読み取れない。
先ず星の見方からして判らないのだから、仕方がない。
どうやって教えたら判るだろうと頭を捻る葵に、龍麻達は顔を見合わせて苦笑する。
「オレもまるで判んねェな」
「俺もだ」
「僕は判るよ。ちょっとだけ」
「へェ」
京一は感心したように声を漏らしたが、じゃあどれがどれかとは聞いて来なかった。
聞いても小蒔と同じように判らないのを自覚しているからだ。
醍醐も同じく。
「星座なんかまるで判らないが……それでも、これは見事な星だとは思うな」
まだ星座について話をしている女子に苦笑して。
視線を星空へと移して、醍醐が呟いた。
都内にいると人口の光がどうしても自然の光を隠してしまうけれど。
こうして改めて見た星空は、やはり人口灯とは違う強さを持っていて、暗闇の世界を淡く照らす。
その色は、一粒一粒は小さくても、確かに星々が息づいているのだと感じさせた。
一粒一粒の光が小さいのは、人間も――――自分達も同じだ。
それを思うと、遠く宙(そら)の彼方で輝く星が、随分と身近なもののように感じられるから不思議なものだ。
「あーッ! 今、今流れ星あった!」
「ウソ!? 何処何処!?」
「もう消えちゃったんじゃない?」
「え~ッ!」
「あたしお願い事してなーい!」
俄かに騒がしくなった女子陣。
それを眺めながら、男子はまた顔を見合わせて苦笑した。
「情緒がねェなァ」
「京一、その言葉ちゃんと意味判ってる?」
「ケンカ売ってんのかコラァ!」
「いたたたた」
京一のヘッドロックに捕まって、龍麻が眉尻を下げながら笑う。
縁側だけでなく、部屋の中まで騒がしくなって。
やはりこのメンバーで静かに星見は無理だったなと、醍醐は思うのだった。
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鬼退治部はちょっと騒がしいくらいが丁度良いと思います。
しかし中身のない話だな(爆)。
八剣が家庭教師のアルバイトを終えて、保育園に着いたのは、午後8時。
早い方だ――――待っている幼子には酷く申し訳なく思う早さではあるけれど。
保育園の門を潜って園舎玄関へ向かうと、其処に大きな笹を見つけた。
飾られた色とりどりの短冊を見て、ああ今日は七夕だったかと空を仰ぐ。
幸い好天に恵まれた今日は、この時間になっても雲はなく、大きな天の川が夜空を彩っていた。
短冊には子供達の、ささやかだったり、大きかったりと様々な願い事が書かれている。
一部は何も浮かばなかったのか、まだ字が描けないのか、大人の目にはシュールに見える絵が描かれていた。
さて、それでは八剣の預かり子の短冊は何処にあるのか。
一通り見渡してから、子供の目には届かない高さに飾られているのを見つけた。
風に揺れて裏返っていたそれに手を伸ばし、引っくり返してみると。
(京ちゃんらしいね)
ただ一言、“ラーメン”と書かれた短冊。
書かれているのはそれだけで、絵も何もない。
多分、願い事が浮かばなかったのだろうと思う。
幼いながらに達観している節のある子供だから。
それが少しだけ寂しい。
短冊から手を離し、八剣は玄関の扉を開けた。
丁度、保育士の遠野が玄関先の掃除をしようとしていた所だったようで、下駄箱で目が合う。
直ぐに呼んで来ますと、遠野は慌しく遊戯室へと向かった。
数分の時間が経ってから、京一は遠野に手を引かれて玄関へとやって来る。
「じゃ、また明日ね、京一」
「ん」
愛想のない返事に、可愛くないなあと呟きながら、遠野は京一の頬を緩く抓る。
京一はそれにもぶすっとしていたが、嫌がる様子はない。
遠野の手が離れてから、八剣は京一の背を押して園舎を出た。
玄関扉を開けると、涼しい風が吹き抜けて行った。
隣で笹がさわさわと音を立てて揺れる。
京一がその音で笹がある事を思い出したように、脚を止めて笹を見上げた。
子供の身長で届くのは、下までしな垂れている葉っぱの一部ぐらい。
後は誰かに抱き上げて貰わなければならなくて、京一は飾られた短冊にすら手が届かなかった。
少しの間彷徨った京一の目線は、ある一箇所で止まる。
八剣はそんな京一の傍らに膝を折ってしゃがみ、京一と同じ高さから笹を見上げた。
「京ちゃんの短冊って、どれかな」
既に見付けているのだけれど、聞いた。
教えて欲しかったのだ、この子供から。
けれども、予想はしていたけれど、京一はぷいっとそっぽを向いて。
「しらね。かざったの、オレじゃねェし」
すたすたと、京一は園舎から離れて行く。
赤い鞄を背負ったその背中に苦笑を漏らし、八剣もまた、園舎を後にした。
街灯に照らされた道すがら、隣を歩く子供を見下ろしながら思う。
些細な願い事さえ、中々教えてくれない京一。
きっと、一番の願い事はもっと他にあるのだ。
でもそれを願うことを、子供が先に拒否している。
それは願っちゃいけないことだと、思って。
決してそんな事はないのに、傍らを歩く小さな子供は、ブレーキをかける事を覚えていた。
そうさせている現実が、八剣は少し恨めしい。
(だったらせめて、あの願い事は叶えてあげないと、ね)
たった一言書かれた願い事は、本当に一番願いたい事ではないけれど、嘘でもないのだ。
そう言えば前に食べたのはいつだったかなと思ったら、一週間前だったと気付く。
栄養バランスを考えて暫く作らなかったのだけど、大好物をお預けにされたのは、口に出さなくてもやはり不満だったか。
このお願い事を叶えても、多分この子は、あまり笑ってくれないと思うけど。
いつかは、一番のお願い事を、素直にお願い出来るようになる筈だ。
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子供のささやかなお願いの為に、大人が必死になるのって大好きです。
七夕の日と言う事で、保育園には大きな笹が運び込まれてきた。
その全長はマリア先生や犬神先生を抜いて、園舎の屋根に届きそうなほど。
登園して来た子供達は、皆揃ってその笹に驚き、目を奪われていた。
「そっかあ、たばなたなんだァ」
呟いたのは小蒔だ。
葵もそうねと頷いて、それじゃあお願い事を考えなくちゃと胸を弾ませる。
京一はそれを横目に見ながら、ちらりと笹を見遣っただけで、さっさと園舎に入って行った。
遊戯室に入ると、遠野先生がドアの横で待っていて、一枚の紙を渡す。
色紙よりもちょっと硬い細長い髪で、上に穴が開いてリボンが通してある。
紙には金色がちらちらと散らばってあった。
遊戯室を見渡してみれば、雨紋、亮一、壬生も同じものを持っている。
何かの目的で渡されたのは判ったが――――その目的が判らなくて、京一は眉の間にシワを作る。
「これなんだ?」
質問した京一に、遠野先生は一度ぱちりと瞬きする。
が、直ぐに笑みを浮かべて、
「短冊よ。お願い事を書く紙なの」
「おねがいごと?」
「今日は七夕だから。なんでもいいの。好きなこと書いて、マリア先生に渡してね」
タナバタだからどうしてお願い事を書くのか、京一には判らない。
でも取り敢えずやらなければならないのは感じたので、お願い事を考える事にする。
鞄をロッカーに置いて、クレヨンだけ取り出した。
適当に床に座って短冊を眺める。
なんでも良い、と言うのは、結構困る。
こういう時、実はなんでも良くなかったりする、と言うのもあるのだ。
書いた後になってから、もっとこういう事を書きなさい、と言われたりとか。
「ボク、おとうとほしいなァ」
「もういるんじゃないの?」
「もっとほしいの。いっぱいいると、やっぱりたのしいし」
「わたしはワンちゃん」
「あおい、ワンちゃんいっぱいいるじゃん」
「うん。でも、もっといっぱい、いてほしいの」
遊戯室に入ってきた小蒔と葵が楽しそうに話をしながら、短冊のお願い事を考えている。
二人のお願い事は直ぐに決まりそうだった。
その後に入ってきた醍醐は、なんだか随分と考え込んでいる。
視線は時々、葵と話をしている小蒔に向けられて、直ぐに逸らされる。
京一はなんとなく、醍醐が考えているお願い事が解った。
そして多分、そのお願い事を短冊に書くことはないだろうと――――見られたら恥ずかしいから。
京一よりも先に短冊を渡されただろう、雨紋と亮一を見てみる。
「らいとと、ずっといっしょ」
「そんなことより、もっとでっかいことかけよ」
「おっきいよ。らいとは?」
「オレはしょーらい、ビッグになって大成功するんだ!」
「すごいなあ……」
「お前もいっしょだぞ、亮一!」
「……いいの?」
「ああ!」
なんだか随分アバウトなお願い事のような気がする。
が、それをわざわざ本人に言う必要はないだろうと、京一は疑問は飲み込むことにした。
壬生はどうかと覗きに近付いてみると、既に此方は書き終わっていた。
近付いた京一に気付いて、壬生が顔をあげる。
京一は壬生の顔を見ることなく、子供にしては綺麗な字で書かれた短冊を見た。
其処には、“おかあさんがげんきになりますように”と書かれていて。
「……何?」
「べつに」
静かな声で問い掛けてきた壬生に、京一はツンとそっぽを向いた。
壬生の短冊を見て、京一はもう随分と顔を見ていない父親と母親、姉を思い出す。
でも、それとお願い事は繋がらなかった。
普通だったら此処で――――と思ってから、それを振り払うようにぶんぶんと頭を振った。
とん、と背中に何かが乗って、京一は床に倒れそうになる。
なんとか踏ん張ってから振り返ると、其処には龍麻がにこにこと笑って、京一に乗っかっていた。
「重てェよ」
「うん」
苦情一つに頷いて、龍麻は京一の上から退く。
彼の手には、やはり短冊があった。
「きょういち、おねがい書いた?」
「まだ。っつか、おねがいなんかねェし」
「ぼくはあるよ」
にこにこ笑って言う龍麻が、京一はちょっとだけ羨ましくなる。
「おなかいっぱい、イチゴたべたいな」
「…そんなの、母ちゃんにおねがいしろよ」
龍麻のお願い事は、今更お願いするようなものではない。
京一はそう思ったが、龍麻はもうこれに決めているようで、クレヨンで早速書き出した。
そうだ。
お願い事はなんでも良い。
遠野先生がそう言った。
そして多分、本当に何でも良いのだ、此処でなら。
マリア先生や犬神先生も、書き直せなんて言わない。
だから龍麻みたいなお願い事でも、誰も駄目だなんて言わない。
“ない”と書くのは、流石に駄目だろう。
先生達は何も言わないかも知れないけれど、きっと良くは思わない。
「……ラーメンくいてェ」
「イチゴの方がおいしいよ」
「おまえといっしょにすんな」
京一の素っ気無い言葉に、龍麻はむぅと眉毛をハの字にした。
けれど、ようやく短冊にクレヨンを乗せた京一を見て、またにこにこと笑い出す。
子供達の書いた短冊は、その日の内に犬神先生が笹に飾ってくれた。
子供を迎えに来た親達は、其処に書かれたささやかだったり、大きかったりするお願い事に笑みを漏らす。
そして――――――その日の京一の晩ご飯は、八剣特製のラーメンだった。
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京一の短冊は、シンプルに“ラーメン”とだけ書いてありました。
京一は甘い物は然程好きなようではなかったが、それでも全く食べない訳ではない。
誕生日にビッグママが作ったケーキも喜ぶし、量が少ないだけで、貰えばやはり嬉しいのだ。
甘いホットココアも気紛れにだが飲みたがる事もあった。
スナック菓子なら基本的にはどれでも好んでおり、辛い物もよく食べる。
飴やガムはちょっと小腹が空いた時、これもやはり味を気にせず口にする。
何処か背伸びしたがる感があっても、やはりまだ子供なのだ。
食べ物の誘惑にコロッと負けてしまうのだから。
―――――そんな子供がある日から、一切の菓子類を口にしなくなった。
数日前から妙に静かな小さな居候を、アンジーはどうしたのかと心配していた。
怪我でもしたのかと思ったが、見れる限りで気になるような傷はない。
修行で打たれた痕はあるものの、数日経てば消えるものが殆どだ。
京一自身もそう言った傷は気にしないし、その程度で大人しくなるような事もないだろう。
考えられるのは師から剣術について痛手の一言を喰らった――――とか。
だが良くも悪くも反骨精神の塊である京一だ、悔しさから更に高みを目指すことはあっても、落ち込む事はないと言える。
京一が何も言おうとしないので、『女優』の面々からは何も言えない。
逐一様子を見てはいるが、其処から先に踏み込まないのが、此処での暗黙の了解だった。
店の真ん中のソファで膝を抱えて蹲る京一。
その表情は沈み気味で、アンジー達の心配を更に煽る。
せめて少しでも元気になって貰いたいと、彼女たちが選んだ方法は、判り易く且つ子供には効果的なもので。
「京ちゃん、おやつよォ~」
ビッグママから受け取った手作りアイスを持って、キャメロンがソファに腰を下ろす。
今日のおやつはチョコレートアイス。
京一の好みをよく知るビッグママの手作りなので、市販の物より甘さも控えめにされている。
三角形のスコーンを付け合せに添えて、綺麗に盛り付けされていた。
夏前の梅雨となり、最近はすっかり暑くなった。
晴れれば太陽の熱気、雨の日もじめじめとした湿気で蒸し暑さがある。
食欲も減退するような不快指数の高さが続き、京一が最近殆ど菓子類を口にしないのはこの為ではないかと、アンジー達も思うようになっていた。
そんな日に、ひんやりと冷えたアイス。
子供が飛びつかない訳がない。
――――――の、だが。
「…………………」
京一は、テーブルに置かれた自分の為のアイスをちらりと見遣ってから、
「………いい。いらね」
消え入りそうな小さな声でそれだけ言って、抱えた膝に頬を乗せた。
これも食欲減退の所為と、思えなくもない。
しかしそれにしては京一の瞳がそれを裏切っており、アイスを見詰める京一の目は、物欲しそうな色を浮かべている。
だから全く食べたくない訳ではないのだろうに、京一の手は一切アイスへと伸ばされない。
「どうしたの? 京ちゃん。お腹痛いのかしら?」
「……別に」
これなら食べてくれるのではと思っていただけに、驚きが大きい。
アンジーが思わず尋ねるが、京一は素っ気無い態度だった。
思わぬ展開に店内がシンと静まり返る。
それを打ち破ったのは、ビッグママが愛用の煙管を置いた音だった。
ヒールの音を立てて、ビッグママはカウンターから表へと出て来た。
ゆっくりとした足取りでソファに近付くと、蹲って俯く京一の顔をじっと見詰め、
「京ちゃん、口開けてみな」
「!」
ぎくッ。
ビッグママの言葉に、そんな擬音が聞こえてくるかのように京一が固まる。
だらだらと汗が流れ出し、動揺しているのは誰の目にも明らかだった。
「どうしたんだい?」
「……べ、別に……」
「じゃあ出来るだろう? ほら、開けてみな」
「…………」
大量の汗を流しながら、京一は見詰めるビッグママから目を逸らす。
やばいやばいやばいやばい……ビッグママから逃れた彼の瞳は、そんな言葉で一杯だった。
このままでは埒が明かないと判断すると、ビッグママの行動は早かった。
ビッグママが手を伸ばすと、京一は咄嗟にそれから逃げようとソファを立ち上がる。
が、その場を離れるよりも早く、京一はビッグママの手に捕まっていた。
「………!!」
小さな子供はジタバタと暴れた。
口を真一文字に噤んだままで。
ビッグママは暴れる子供の顔を捕まえると、下顎を捉えて強引に口を開かせようとする。
京一は抵抗したが、まだ幼い子供の力で、ビッグママに敵う筈もなく。
あが、と開けられた口の中をじっと覗き込まれて、小さな体は何かに帯びえるように固まった。
ビッグママはしばらく京一の口の中を見詰めた後、はっきりと溜息を吐く。
その後に解放された子供は、口に手を当てて半目になって俯いた。
「明らかに虫歯だね」
「あらま」
「歯磨きサボっちゃったのねェ~」
ビッグママの言葉に、アンジーはぱちりと瞬きし、キャメロンとサユリは眉尻を下げて笑う。
京一の頬に朱が上る。
バレた――――と判る表情だった。
ビッグママが見た京一の歯は、素人目にも虫歯と判る程の進行が進んでいた。
冷たいもの、熱いもの等、刺激物を食べれば当然沁みる。
道理でお菓子を、今日のアイスまで食べなくなる筈だ。
だが意地っ張りな子供は、むぅと膨れっ面になり。
「別に…なんともねーし、これ位」
呟いた京一であったが、ビッグママは呆れたと息を吐く。
「またそんな事言って。痛いんだろう? この分じゃ、当分おやつは無しだねェ」
「うえッ! マジで!?」
「当然だろう、今日のアイスも勿論撤収さ」
言うとさっさとアイスを取り上げ、アンジーに渡す。
アンジーはごめんねェと京一に微笑んで、アイスを冷蔵庫へと締まってしまった。
京一は恨めしげにアンジーとビッグママを見るが、歯が痛いのは事実であって。
無理やり奪い返しても食べられないのは確かで、京一はソファにまた腰を落とした。
虫歯の所為で腫れて来た頬に手を当てて、うぅ、と小さく唸る。
「取り敢えず、歯医者に行かないとね。京ちゃん」
「でぇッ! 絶対ェやだッ!!」
アンジーの言葉に、京一は躯を竦ませて叫んだ。
歯医者が嫌いとは、こんな所もまた子供らしい。
虫歯の治療の為に歯を削る機械の、チュイーンだのガガガだのと言う音は、子供にとって凶器の音だ。
口の中で道路工事が行われているような音を嫌うのは、この背伸びしたがる子供も同じなのだ。
しかし残念ながら、虫歯をこのままにしておく訳には行かない。
何をするにも歯は命、剣を振るうのも歯をしっかりと食いしばらなければならない訳で。
虫歯は自然治癒するものではないから、子供が嫌だという歯医者は避けては通れない。
イヤだイヤだと喚く子供を、キャメロンが抱き上げる。
確りとした腕に抱え上げられた京一は、逃げようと暴れるも、叶わない。
「離せよ、兄さん! キャメロン兄さんの鬼! 悪魔!」
「あん、京ちゃんったら酷ォい」
「兄さんの方が酷ェッ! 離せー! 歯医者なんか行きたくねェーッ!」
「じゃあ岩山先生の所に行くかい?」
「もっとイヤだ~ッ!!」
キャンキャンと助けを求めて子犬のように叫ぶ子供に、大人達は揃って苦笑を浮かべる。
今から泣いてしまっている京一に、可哀想と思わなくもないが、このまま放って置けばもっと可哀想な事になるのだ。
そして見つけた今の内に連れて行かないと、京一はもっと逃げ回ろうとするだろう。
こういうものは早い内の対処が大事なのだ。
―――――結局、他にも虫歯が見付かって、数日間泣きながらの通院を余儀なくされた京一であった。
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………私が今通院している真っ最中です(爆)。
本当に口の中で道路工事の音がするよ!!
妄想して別の事考えてないとやってられないっス……。