例えば過ぎる時間をただ一時でも止められたら。 忍者ブログ
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こどものじかん 03





此処しばらく、京一は落ち着いていたと言って良い。
八剣の家で過ごす日々は相変わらずだが、保育園ではケンカをする事がなくなったと言う。

それだけに、この事態は八剣にとって青天の霹靂であった。






「きょーいちー、聞いてるー?」






おーい、と声をかける保育士に対し、ぶすッと膨れ面になっている預かり子。

お気に入りの動物図鑑を持つ手は、何故だかボロボロで、腫れていたり引っ掻き傷があったり。
顔もあちこち傷があって、それは大したものではないだろうとは思うのだが、かと言って心配にならない訳がない。
増して預かっている子供であるのだから、ついつい過保護に見てしまうのも無理はなかった。


遊戯室のカーペットの上に座ったまま、京一は動かなかった。
八剣の隣で、遠野が繰り返し「お迎え来たわよ」と言っているが、まるで効果がない。
聞こえてさえいないようだ。



朝はごくごく普通だった筈だ。
いつも通りに起きて、いつも通りに朝食を食べて、一人でちゃんと保育園へ行く準備も済ませた。
もうちょっと手をかけさせて欲しいな、と八剣が苦笑を漏らすほどに、ちゃんと。

保育園へ預けた時も変わりはなく、保育園の門を潜った途端に、一人でさっさと園舎へ入って行った。
京一より後に入ってきて、最初に仲良くなったと言う子供に朝の挨拶をされて、ぶっきら棒に返事をする様も、同じ。



京一に何某かがあったと言うなら、無論、この園内での出来事だ。
それを遠野に聞こうとして、八剣は止めた。
遠野は不機嫌真っ只中の京一を宥めるのに必死になっている。

ならばと、部屋に散らかったオモチャを片付けているチーフのマリアへと目を向ける。
マリアは直ぐに視線に気付いて振り返り、動く様子のない京一と、無言でその理由を問う八剣を見た。


マリアは片付けの手を止めて此方に歩み寄り、声を潜める。






「他の子とケンカしてしまったんです」
「それを今も怒っていると」
「いえ、それは違います。その子とも仲直りしましたから」






マリアが気付いた時には、派手な取っ組み合いになっていた、京一と他の子供とのケンカ。
しばらくぶりに起きたケンカだっただけに一瞬対処に遅れたマリアだったが、それでもなんとか宥める事には成功した。
お互いにごめんなさいを言って、それから強制ではなく一緒に話をしている所も見られたから、京一の中でケンカそのものがしこりになっている事はないだろう。






「多分、ケンカの原因になった、図鑑の事だと思います」






京一の手にある動物図鑑を指差して、マリアは言った。


あの動物図鑑は、京一にとって一等お気に入りのものだ。
図鑑と言うだけあって分厚くて重いのに、京一はいつも鞄の中に入れて持ち歩き、暇があれば開いている。
開いたページはいつも同じページで、言うまでもない、パンダのページだった。

この図鑑に他の子供が何かしたのだろうか。
そう思っていると、別の方向から答えのヒントが零れて聞こえた。






「ページならくっつけたじゃない。ね?」






遠野のその言葉で、八剣は理解した。
多分、故意ではない出来事とは思うが、他の子供が図鑑のページを破ってしまったのだと。






「他の子が動物図鑑を見たいって言ったんです。京一君はいつも持ってるから、借りようって事になって……でも、京一君は嫌だって言ったんです」






それは京一が意地悪で言ったのではないと、八剣には判る。
京一が図鑑を大事にしているから、他の子供の手に任せたくなかっただけで。

けれども、言葉を受け取った子供にとっては意地悪でしかなく。
貸せ貸さないと言い合いになって、相手の子が京一の図鑑のページを一束掴んで引っ張った。
勿論京一はそれを嫌がり、図鑑を取り返そうと抵抗し────力は拮抗し、最悪の結果になってしまった。

大事な図鑑を破られた京一の我慢の限界は早く、マリアが相手の子にごめんなさいを促す前に、京一は相手の子を殴ってしまった。
相手の子も負けん気が強かったものだから、そのままケンカはエスカレート。
図鑑も京一も相手の子も、ボロボロになってしまったと言う訳だ。


マリアが仲裁に入って場は落ち着き、相手の子が故意ではないと言う事、それでも嫌がる京一から無理やり奪おうとしたのは良くない事をそれぞれに言い聞かせ、二人も十分それは理解してくれて、ちゃんと仲直りは出来た。
破れてしまったページをセロハンテープでくっつけて補修もした。






「……成る程」






京一は賢い子だから、相手がわざとでなかった事も、自分の言い方が良くなかった事も判っているのだろう。
これ以上怒り続けるのも意味がないと、それもちゃんと理解して。

けれど、大事にしていた図鑑が傷ついてしまった事実は、京一にとって耐え難いものだったのだろう。






「ごめんなさい、私達がちゃんと見ていないばっかりに」
「いえ」






眉尻を下げて謝罪するマリアに、八剣は苦笑する。






「何、一晩経てば落ち着きます。それより、こんな遅くまでありがとう」
「いえ、そんな」






謝罪と感謝の混じった八剣の言葉に、今度はマリアが苦笑した。


八剣は、折れ曲がった図鑑の表紙をじっと見詰める京一を抱き上げた。
いつもこうして抱き上げると、じたばたと暴れて嫌がるのに、今日は酷く大人しい。

その理由を、八剣は薄ぼんやりとだが想像する事が出来た。






「さ、帰ろうか、京ちゃん」
「………」






京一は無言だ。
ただ図鑑を見詰めているだけ。


遠野に京一の鞄を取ってきてもらい、八剣は自分の鞄と一緒にそれを肩に担ぐ。
図鑑さえ入っていなければ、京一の鞄に然程重いものは入っていない。
幸い今日は大学での荷物も少なく、この程度なら邪魔にはならない。

京一を腕に抱いて園舎の玄関まで行くと、マリアが京一の靴を小さなポリ袋に入れてくれた。
それを大学の鞄に入れて貰い、八剣は挨拶もそこそこに、ようやく保育園を後にした。



街灯がぽつりぽつりと点在する道を歩く。


擦れ違うのは定時前に上がって家路を急ぐサラリーマンや、夜の街を散策する今時風の若者ばかり。
時刻は午後8時を周り、成る程、子供の姿などあまり見られる時間ではない。
道路を行き交う車の中には、京一と同じ年頃の子供がいるかも知れないが、見えないのではカウントに加わらなかった。

それでも時折、両親に手を繋がれた子供の姿を見る事は出来た。
多分、親子揃っての外食帰りなのだろう、子供はとても嬉しそうに笑っていた。






「…………」






ぎゅ、と。
八剣の服を掴む小さな手。


顔を見られるのを嫌がってか、京一はずっと俯いている。
それでも、八剣には京一が今どんな顔をしているのか判った。
……多分、全部を押し殺した顔をしていると。



動物図鑑は、京一が母と姉と離れた後で、父から渡された物だった。
毎日を追われてろくに息子に構ってやれなくなった父の、精一杯の誠意と謝罪と、思いやり。

だから京一は、いつも図鑑を手放さない。
父がくれたものだから、父がまだ自分と繋がっていると判った瞬間だったから。
それと同じ日、久しぶりに母と姉の声を聞いたから。





破れたページ。
くっつけたページ。

でも、もう元には、破れる前には戻らないページ。


京一は、そのページを自分のページだと思ったのだろう。



離れた家族。
いつかもう一度くっつくかも知れない。

でも、もう元には、離れる前と同じには戻らない。





頭の良い子だ。
だからだろう。
京一は、最悪の場面ばかりを想像する。

それが現実になった時、自分が傷付くことがないように。
自分の所為で、誰かが迷惑になったりしないように。


でも、ふとした瞬間に淋しさや悲しさに押し潰されそうになるのは、子供だから当然の事だ。
大人だって情けないほどに喚き散らすことだってあるのだから、小さな子供なら、尚更。






「ラーメン食べて帰ろうか」






八剣の唐突な言葉に、京一は答えなかった。
行かないとも言わない。









だから八剣は、道を一つ早く曲がって、この間、美味しかったと京一が笑ったラーメン屋へと向かった。









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ケンカしたのは小蒔とか雪乃ではないかと。

京一の家庭事情をまだ出し切ってないので、細かいトコは伏せたままです。
その内、本編で書き直すかも知れない話。


耐える子って好きなんです。
そんな子に、「大丈夫なんだよ」って精一杯愛を注いで大事にしようとする大人が好きです。
そんな大人に、その子が笑ったり泣いたりを我慢しなくなるのが、好きです。

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