例えば過ぎる時間をただ一時でも止められたら。 忍者ブログ
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The present is ......








部屋に入るまで、京一は警戒心を剥き出しにしていた。
止むを得ない選択肢だったとは言え、やはり中々自分のプライドが納得を示さないらしい。

それを気にせず、八剣は京一を己のテリトリーへと招き入れた。


やはり他者のテリトリーに侵入する事に抵抗があるのが、京一は落ち着かない様子だった。
しかし反対に、借りてきた猫のように大人しくもあった。
部屋の中を見回るのに一々許可を求めるような事はなかったが、気になるものは目に付くらしく、腰を落ち着けたかと思えばまた動き出し、気が済めば元の位置に戻って座って―――――と繰り返す。
八剣に対しての警戒心も、多少は和らいだものの、決して損なわれてはいなかった。



八剣の部屋には、物が少ない。
趣味と言えるほどに興味を持つものがないからだ。

それが京一にとっては、逆に不思議な感覚であったのかも知れない。





少し経つと、やはり物が少ないからだろう、興味を引かれる物がなくなったらしく、京一はようやく落ち着いた。







「何か飲む?」
「……いらねェ」
「走り回って喉が渇いてるだろう」
「だから、いらねェ……って、聞いてんのか、お前」






京一の返答に構わず、八剣は茶葉を取り出して、急須に入れた。
沸かした湯を注いで、湯飲みを取り出し、ついでに茶菓子も棚から取り出す。

座布団も敷かずに床に座っている京一は、相変わらず顰め面だ。
それでも貰えるものは貰う気のようで、差し出した茶と茶菓子は突っ返されなかった。







「そういやお前―――――部屋の中でも着物か?」







茶菓子を食みながら、京一が言った。

八剣は一瞬何故そんな事を聞くのかと思ったが、その理由は特に考えなかった。
京一から声をかけられたという事の方が、八剣にとって大きな事項であった。







「そうだな。大抵、これで過ごしてる」
「…オレと逢った時も、その格好だったな」
「この八掛が一等お気に入りでね」
「ふーん」






京一の相槌は、あまり興味がない事を示していた。
それでも構わない、京一が話しかけてくれるのなら、それで。







「壬生だっけか? あいつ、コートかなんか着てなかったか?」
「ああ。あれが拳武館の仕事用の服装だね。防護用に加工してある」
「……お前はなんで着ねェんだよ。持ってんじゃねえか」







いつの間にか、クローゼットも開けたらしい。







「着物よりか、あっちの方が安全なんじゃねェのか?」
「まぁね」






あっさりと肯定する八剣に、京一は眉根を寄せた。
安全だと判っているなら、何故それを使わないのか。








「ほら。俺はこっちの方が似合うから」
「………………あーそーかい」







ふざけられたと思ったらしい。
京一は聞くだけ損だったという顔をして、湯のみの茶を一気に飲み干した。
思ったよりも冷めてはいなかったようで、喉を通過する熱さにまた顔を顰める。



似合うか否かは置いておくとして。
此方の格好の方が慣れているというのは事実だ。

防護面に置いて用意されたコートよりも劣るのは、判りきっている事。
それよりも動き易さや自分が楽である事を考えると、やはり八剣は着物の方が落ち着くのだ。







「紅葉達には、あまり良い顔をされないけどね」






特に壬生は生来の性格が生真面目である所もあるから、尚更、規定に従わない八剣に顔を顰める事は多い。
しかし短い付き合いではないから、言っても聞かない事は彼も判り切っているのだろう。








「それにしても、京ちゃん」
「あ?」
「俺に興味があるのかい?」
「…………はァ!?」







素っ頓狂な声が上がった。


二人の間には微妙な距離がある。
隣に座れば京一は嫌がり、自分から離れる。
かと言って、決して離れ過ぎる事はなく、手を伸ばしてギリギリ届かないという程度の距離。
間に茶と茶菓子を置いているから、この距離も特に違和感を覚える事はなかった。

それを一方的に詰めて顔を近付けると、京一は仰け反って離れようとする。
けれども逃げるというのはプライドが許さないようで、右手が木刀を掴み、臨戦態勢になっている。







「今まで俺の事なんて聞かなかっただろう」
「だからってなんでそんな話になるんだよ!?」
「聞くって事は、興味が沸いたって事でしょ」
「阿呆!!」






近付く距離に耐え切れなくなったか、京一は木刀を振った。
それを予想していた八剣は、京一の木刀を握る手が強くなると同時に体を退いて逃がす。

空振りした事に京一は思い切り顔を顰め、更に距離を取る。






「教えてあげてもいいよ、俺の事」
「いらねェ!」
「誕生日だろう? プレゼントだよ」
「断わるッ!!」






積んでいた座布団を盾にする京一。
木刀も手に持ったまま、完全に警戒する姿勢になってしまった。



毛を逆立てた猫宜しくの態度に、八剣は笑みを漏らす。
可愛いものだと。

しかしこれ以上は更に嫌われる要因になるので、八剣は退く事にした。


丁度良く空になった急須の茶を追加するべく、立ち上がる。
その一挙手一投足を睨むように観察する京一。
何もしないよと笑いかけてはみたが、余計に警戒される結果となった。








中々気を赦してはくれない猫だが、またそれが愛しく思えるのだから、もう末期だと思う。



ターゲットとして、最初に見た時から気に入っていた。
獲物を狙う捕食者のように眼前の敵を睨む凛とした眼差しは、本当に心地が良く、魅力的だった。

今はそれ以上に、平時の年齢相応な姿が愛らしい。
目付きの悪さは周囲を威嚇するのに役立つが、反対にふとした瞬間の幼さが際立つ。
子供のように怒鳴り散らしたり、落ち込んだり、結構表情が豊かだ。
それから――八剣には未だ向けてくれた事はないけれど――笑った顔だとか、特に。




出逢いからして苛烈だった間柄は、今も尾を引いている。

刺激的な方が記憶に残り易く、最初の邂逅を京一が今もはっきりと覚えているというなら、八剣にとっては嬉しい事だ。
いつの間にか埋もれて取り出せなくなるような、小さな出来事ではないということだから。


とは言え、八剣としてはもう少し打ち解けて欲しいものだ。


中々懐かない猫を宥めるのは楽しくもあるが、近付けば逃げてしまうのは少々寂しい。
折角近付いたと思ったら、一足飛びに遠退いて、初めからやり直しになるのだ。
その都度、残念だと思う。

無理に近付くのは失敗する、猫が警戒している限り。
だから猫の方から、近付いても大丈夫なんだと覚えて貰わなければならない。



慣れて貰うのが一番良い。
相手のテリトリーの中に居る事に。










沸かし直した湯を急須に注いで、リビングに戻る。


――――――――と、其処には。








「京ちゃん?」







確認するように呼べば、いつもの「呼ぶな」という文句は飛んでこなかった。



散々逃げ回って疲れたのか、座った姿勢のまま、夢に落ちかけている京一の姿。
立てた片膝に腕と頭を乗せて、閉じた瞼が持ち上がる様子はない。

傍らに膝を付いて覗き込んでみたが、其処にあるのは未だあどけない寝顔だけ。







「……気紛れだねェ」







起きている時には、少しでも距離を詰めれば逃げるのに。
眠っている時には、こんなに簡単に近付ける。



眠る姿を晒すなんて、信頼されていると思っても良いのかな?


手を伸ばして、いつしか触れた髪に、もう一度触れる。

あの時もそう感じた事だったが、やはり余り手入れはされていないらしく、毛先は少々痛み気味だ。
確かに京一の性格を考えると、其処まで手を回したりはしないだろう。
やはり、勿体無いと思う。


すぅすぅと規則正しい寝息を立てて、京一は身動ぎ一つしない。
そのままにして置いても良かったのだが、この姿勢では目覚めた時に丸まった状態の背中が痛くなる。

起こさないようにと注意を払い、八剣は京一を抱き上げた。







「………んぁ……」






振動が伝わった京一は、不満そうに声を上げる。







「ああ、ごめんね」
「……うー…」






謝ったところで、眠っているのだから聞こえてはいまい。
それでもタイミング良く漏れた声が返事のように聞こえて、八剣は笑みをすいた。





























陽が沈みかけた時分に、京一は目を覚ました。
床に座っていたのに、ベッドに寝ている自分に京一はしばし不思議そうな顔をしたが、八剣の顔を見ると直ぐに顔を顰めた。
さっさとベッドを降りると、木刀と放り出していた薄い鞄を持って、玄関に向かう。

眠ってしまった事が迂闊に思えたのだろう、京一の耳が赤くなっている。







「邪魔した」
「いいよ」






玄関口で振り返らずに一言断りを入れる京一に、八剣は笑って言う。

そのままドアを開けて、京一は敷居を跨いだ。








「京ちゃん」







呼ぶと、顰め面で京一が振り返る。
呼ぶな、と形作ろうとした口が、音を発されないまま止まった。

ヒュッと視界に放り投げられた物を、殆ど反射反応でキャッチする。



手を開いて其処にあった物に、京一は意味が判らない、と眉間に皺を寄せた。








「あげるよ、京ちゃん」
「………」







京一の手には、この部屋の鍵。








「なんで」
「さぁ、何故だろう?」







京一は鍵と八剣の顔とを何度も交互に見た。
真意を掴み兼ねている所為だろう、眉間の皺が更に深いものになる。

何故と言われても、八剣の中で答えは一つしかない。
京一と共有する時間を増やしたい、その中であの笑顔が一度でも見れるなら。
けれどもそれを言ってしまえば、京一は不機嫌な顔をして鍵を投げて返すだろう。


急に距離を詰めようとすれば、それを察した猫はまた逃げてしまう。
相手から近付くのを待たなければ。

先ずは、その切っ掛けから。







「強いて言うなら―――――誕生日プレゼント、かな」
「……これがか?」







鍵を指先で弄びながら、京一は八剣を見返す。
要らないならいいけど、と言ってから、八剣は京一の反応を待った。



―――――数秒考えた後、その鍵は京一のズボンのポケットに滑り込んだ。







「勝手に来て良いんだな」
「いつでも良いよ」






じゃあ、貰っとく。

それだけ言うと、京一は今度こそ背を向けた。






「送って行こうか」
「女子供じゃねーんだよ」
「まぁいいじゃない」
「…オレの意見なんざ聞きゃしねぇじゃねえか。だったらハナから聞くんじゃねぇよ」
「話がしたいんだよ」






部屋を出て扉を閉めると、肩越しに京一が此方を振り返っていた。
くっきりと刻まれた眉間の皺は、まだ当分、取れそうにない。


外までの道を迷わず歩く京一の、一歩後ろ。
並んで歩くには、まだ早い。






「彼らに見付かったらどうするんだい?」
「別に。もうこれだけ時間が経ってりゃ、諦めてるだろ」
「明日になったら、同じ事を繰り返すんじゃないかな」
「……一日逃げ切ったからな。ちっとは懲りたろ、多分」






祝われること事態は、それほど嫌ではない――――言外にそんな雰囲気が滲む。

あまりに大人数になりそうだったから、恥ずかしくて逃げてきたのだ。
一日逃げ回るほどとなれば、流石に盛り上がり過ぎたか、と友人達も思うか。


好意に慣れない猫を手懐けるのは、彼らにとっても、中々容易な事ではないらしい。







「ゆっくりしたくなったら、またおいで」
「気分が向いたらな」






拒絶されなかっただけでも、良い方だ。
京一の方から来るかもしれない切っ掛けは出来たのだから。



門を潜って歩いて行く京一の背に、八剣はある事を思い出す。








「京ちゃん」
「京ちゃん言うな。なんだよ」







立ち止まって振り返った京一に、八剣は笑んで、










「言ってなかったね」
「何が――――――」









最後に一つ距離を詰めて。













「誕生日おめでとう、京一」












逃げなかった。
いや、逃げられなかったと言うのが正しい。


意外に簡単に距離が詰められたことには、少し驚いた。
あれだけ近付けば飛び退いて逃げていたのが、今この瞬間に始めて逃げられなかった。

四六時中警戒している風だったから、少し近付いただけで逃げられた。
それが部屋を出てから数分間―――それとも、京一が部屋で眠ってしまってからだろうか。
微かに緩んだ緊張の糸が、今の今まで張られることがなかった。




だから触れている間、初めで間近で、じっとその顔を見る事が出来た。




何が起こったのか、理解できていないに違いない。
ぽかんと半開きになったままの口と、見開かれた目がそれを雄弁に語っていた。
不機嫌な顔ばかり見ていた八剣にとって、こんな表情も新鮮そのものだ。

が、それもやはり、ほんの数秒のこと。
触れ合っていた唇が離れて、直ぐに京一は我を取り戻した。







「ななななななッ、何しやがんでェッッ!!」
「何って、接吻だよ」
「言うな――――ッ!! なんだ、なんなんだテメェはッ!!」






飛び退いて口を服袖で拭く仕種に、ああ勿体無いと思った。
思ったけれども、仕方がない。







「じゃあまたね、京ちゃん」
「京ちゃん言うなッ! 二度と来ねェからな、こんなとこ!!」






あらん限りの声で宣言して、京一はくるりと踵を返し、一目散に走り出す。



それを見えなくなるまで見送ってから、八剣はふと思い出す。
……突き返されなかったと言う事は、少しは脈アリと自惚れても良いものか。















――――――渡した鍵は、京一のポケットに入ったままだった。
















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貰えるものは貰う京一。
後から思い出して、どうしようかと暫く困惑すればいい。
そんで返しに行って、結局返し忘れて入り浸ればいい。


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