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ふとすれば、聞き逃してしまいそうな位の小さな声で、囁かれた言葉。
嘘だろうと思って顔を上げれば、見下ろす冷たい瞳とぶつかった。
「八、」
名前を呼びかけて、出来なかった。
強く押された肩が床にぶつかって、背中も痛んで、一瞬息が止まった。
それでも見開かれた瞳には、見下ろす冷たい眼差しが映り込んでいる。
ゆっくりと近付いてくる顔から目を逸らす。
見下ろす瞳に宿った冷気が自分に向けられている事を、認めたくなくて。
だってこの男はいつだって――――自分に対して、馬鹿みたいに甘かったから。
「逃げないのか?」
低いトーンと、飄々とした風ではない口調。
そんな声で言葉を紡がれたのは、初めて出逢ったあの時以来ではないだろうか。
いや、あの時よりも今の方がずっと冷たいような気がする。
此方を揶揄うように刃を避けて、京一を挑発するような笑みを浮かべていた時は、こんなにも冷たいと思わなかった。
それとも、この男の温もりを知ってしまった今だから、余計にそう感じるのだろうか。
顔を背けた横顔に口付けが降る。
いつもなら頭を撫でてきたり、頬に手を添えたりするのに、今はない。
それが、今が常と全く違う状況である事を雄弁に語る。
そうでなくとも、この男が京一に対してこんな態度を取ること事態が異常事態とも言えた。
肩を押さえつける手も、もがいても逃げることを赦さない力も、突き刺すように見下ろす瞳も。
何もかもが常と違い過ぎていて、京一はパニックになっている自分を自覚していた。
「震えているようだけど」
「……ッ……」
「怖い……か。だが初めてじゃないだろう?」
ねっとりと男の舌が首筋をなぞる。
京一は身を震わせて、歯を食いしばった。
確かに、初めてじゃない。
だって全部この男に教えられたから。
でも、こんな風に扱われたのは初めてだ。
男に組み敷かれたのは、何もこの男が最初の経験ではなかった。
リンチに遭った事もあったし、本当にそういう意味で京一を征服しようとしている輩もいた。
けれどそれ以上を赦した事はなかった―――――この男以外には。
その目の前の男も、いつもはもっと柔らかい印象で触れて来て、こんなに乱暴にはしない。
征服しようと無理強いを押し通そうとした連中とは、違う生き物だと、思っていたのに。
「……そんなに信じられないか? 泣くほどに?」
「………ッ!」
言われて、京一は初めて、自分が涙を浮かべている事に気付いた。
見開いた眦に滲んだ雫と、音を出す事を拒んで真一文字に噤んだ唇。
泣き出す一歩手前、と言う表現が当て嵌まる。
顔を隠そうと腕を浮かせた途端、肩を抑えていた腕が其方に移動した。
強い力で床に縫い付けられて、京一は涙の滲んだ瞳で、見下ろす男を睨み付ける――――けれど、其処にいつもの強気な光や覇気はない。
震えが止まらない。
躯の温度が急激に下がって行く気がする。
喉の奥がカラカラになって、胃の中が気持ち悪い。
………“あの頃”と同じ衝動が、身の内で再び芽吹き始めている。
(いやだ)
(こわい)
(いやだ)
(いやだ……!)
温もりを知ったから。
熱を知ったから。
冷たささえも感じられない恐怖を知っているから。
あの頃に戻りたくなくて、心が悲鳴を上げている。
けれどカラカラに乾いた喉は音を発することはなく、代わりに目の奥が熱くて仕方がない。
見下ろす冷たい瞳の中に、目を見開いて涙を零す自分がいて。
――――――見下ろして来る冷たい瞳に、少しずつ、柔らかな光が戻って来た。
「………嘘だよ、京ちゃん」
抱き起こされて、腕の中に囲われる。
くしゃりと頭を撫でられて、あやすようにぽんぽんと背中を叩かれた。
「ほんの冗談だったんだけどねェ。そんなに役者かな? 俺は」
「………やつるぎ、……」
「ちょっとおふざけが過ぎたかな」
震える声で名を呼ぶ少年に、男はいつもの優しい手付きで触れて来る。
それが酷く温かく感じてしまって、また涙が溢れて来た。
常の強気な姿など忘れたかのように、京一は子供のように泣いた。
三年前、埋もれた太刀袋を探し出した時のように。
いつものと変わらぬ笑みを浮かべて頭を撫でる男の胸に顔を埋めて、声をあげて泣いた。
まさか其処まで泣かれるとは思っていなかった八剣は、驚きつつも、拒否することはしなかった。
ただもう二度と、冗談でも同じ言葉を言うべきではないだろうと、自分自身に戒めて。
嘘でも二度と聞きたくない。
嘘でも二度と言わない。
だってそれは、互いを傷つける言葉にしかならない。
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最近、極端にドライか、極端に依存度の強い京ちゃんがマイブームです。
八剣が何を言ったかは、ご想像にお任せします。
ただ京一泣かしたら駄目だぞ、八剣ッ! 龍麻と違ってお前は嫌われる可能性大なんだ…!!(書いたのあんただ)