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掠れた音と、小さな笑い声が鼓膜を揺らす。
それが無性に悔しくて、左之助はむっと頬を膨らませた。
「オイ克! いつまで笑ってんだ、いい加減にしろよ!」
「だってお前、何回吹いてもへったくそじゃねえか!」
普段暗い暗いと回りに言われてばかりの克浩が、左之助の前でだけは歳相応に笑う。
実際、彼の性格は暗いと言うよりも内気だという方が正しいだろう。
少なくとも、左之助はそう思っていた。
左之助の前でだけ、克浩がこうして表情豊かでいる事を、厭うたことは一度もない。
なんだか唯一の親友のようで、幼心は嬉しかったのだ。
しかし、だからと言ってこうまで笑われると腹が立つものである。
「なんだと、このバ克!!」
「なんだとー!!」
飛び掛ってきた左之助に、克浩が応戦する。
左之助は小柄とは言えなかったが、克浩の方が少し分があった。
しかし二人が取っ組み合うと、勝つのは大抵左之助の方。
幼い頃から父親と取っ組み合いをする事が多く、負けん気も人一倍だ。
対する克浩は、身体を動かすよりも、からくりの類を弄っている方が性に合っている。
ぶつかりあってどちらが勝つかは、誰が見ても明らかだった。
つんつん立った左之助の髪を克浩が引っ張ると、負けじと左之助が克浩の頬を抓る。
風の心地良い川原で響き渡る子供二人の喧騒に、遠巻きに見ていた大人達が笑っている。
左之助が何をしていたのか、克浩が何を見て笑っていたのか。
遠くで眺めているだけの大人達には判らなかったが、その光景には微笑ましさが浮かぶ。
行軍途中の小休止にまで元気な子供達に、呆れと羨ましさが募る。
そんな視線を一身に受ける子供達は、取っ組み合いに夢中で周りに気付いていない。
「ケッ、こんなの出来なくたって別に困りゃしねぇよ!」
「だったらなんでそんなに何度も練習してるんだよ。上手くなりたいんだろ。自分だけ下手なのが悔しいんだろ」
「下手って言うな!!」
「いててっ! 引っ張るなよ!」
本気になり始めた左之助に、克浩が敵う訳もなく。
逃げに回った克浩を、左之助は追い掛け回す。
けれども、それも長続きしない。
信州の田舎の農家に育った左之助は、足腰の鍛え方が克浩とは違う。
険しい山道も文句も弱音も言わずに乗り越える程、左之助は体力も気力も満ち満ちていた。
後ろ襟を左之助に引っつかまれて、克浩は遂に捕まった。
「どーせオレはお前と違って不器用だよ!」
「誰もそんな事まで言ってないだろ…あててっ」
「お前みてぇに、なんでも器用にゃ出来ねーよ!」
「だからそんな事は……いてぇ、もう悪かった、悪かったよ!」
沸騰した左之助の言っている事はメチャクチャだ。
拗ねた子供のように自分は何も出来ない、なんて大きな声で喚く。
耳元で大声を上げられた克浩は、それに随分と辟易していた。
遠巻きに見ていた大人達の中から、一人が立ち上がる。
赤報隊一番隊隊長の相楽総三であった。
刀持ちを任せている子供と、その唯一の友人と。
もみ合うのを見ているのも楽しいことは楽しいのだが、此処は石の多い川原だ。
怪我でもされたら大変だと、保護者のような心境で相楽は二人に歩み寄る。
「左之助、その辺にしておいてやれ」
「あ、隊長……」
敬愛する師の言葉に、左之助はぱっと克浩を解放する。
ケンカをしていた割にいつも仲の良い二人は、そんな事になっても並んで立っていた。
謝る訳でもない、本気で怒る訳でもない。
性格は水と油のように正反対の性質なのに―――――だからこそか、本当に仲が良い。
ケンカはじゃれ合い、遊びの延長、相手が本気で怒るような事なんてしない。
言葉なくとも繋がっている二人に、相楽はいつも笑みが浮かぶ。
やっぱり保護者のような心境で二人を見下ろしていると、ふっと左之助が視線を逸らした。
いつも真っ直ぐに見つめ、見返してくる左之助には珍しい行動だ。
それから後ろ手で何か隠している事にも、相楽は気付いた。
「左之助、何をしている?」
「えっ……」
「何か隠していないか?」
「い、いえ、なんにもないっス!」
なんでもないと言いながら、思いっきり視線が泳いでいる。
うろたえているのが丸判りだ。
膝を折って目線の高さを合わせると、左之助が僅かに後ずさる。
後ろ手に隠し物をしたままで。
そんな左之助の視界に、よこからひょいっと克浩が顔を出す。
「別に隊長に内緒にするような事でもないだろ、左之」
「べべべべ別にっ! な、な内緒なんかじゃっ」
「左之、どもり過ぎだぞ……」
ぶんぶんと首を横に振る左之助に、克浩はしらけた目になっていた。
それでも頑なな左之助の態度に、相楽は少しだけ悪戯心をくすぐられてしまう。
「そうか、私に隠し事か」
「ち、違いますっ! 言う程の事じゃないってか、その…」
「だから、それが隠し事だろう?」
「え!? え、そ、そうなるのか…いや……ほ、ホントに言う程の事じゃ……」
「私は聞きたいけどな、左之助が何を隠したがっているのか」
詰め寄ってみると、左之助は益々慌てる。
顔が赤い事には気付いていたが、相楽は止めなかった。
「な、なんでもないです! ホントになんにもないです!」
「じゃあ、手を見せてごらん」
「えっ!!!」
其処でのらりくらりとかわす事が出来ない左之助である。
頭の中は、隊士としての隊長への報告義務と、羞恥心に苛まれている状態。
相楽は、左之助が何を其処まで隠したがっているのかが気になって仕方がない。
隣にいる克浩に聞けば早いとは思うが、恐らく克浩が口に仕掛けた瞬間、左之助の拳が克浩に飛ぶだろう。
今の左之助は、理性なんて頭から綺麗にすっぽ抜けているに違いない。
背中に隠した手を差し出せばそれで済む。
左之助もそれは判っていたし、克浩の言うとおり、内緒にするような事でもない。
けれども、隠した手は頑なに前に出ることを拒んでいる。
そうさせているのは他でもない左之助の中に渦巻く、子供染みた羞恥心と意地であった。
真っ赤になって固まってしまった左之助と、左之助が動くのを気長に待っている相楽。
そんな二人を交互に見て、克浩が溜め息を吐いた。
「左之、言わないんならオレが言うぞ」
「いっ!?」
「隊長、こいつ―――――」
「うっわ―――――――ッッッ!!!!」
バキィッ、と。
それまで微笑ましかった爽やかな小川の光景に、鈍い拳の音。
相楽の想像したとおり、沸騰しきった左之助の拳は見事に克浩を殴り飛ばしていた。
「言うんじゃねえ! ぜーってぇ言うんじゃねえ、このバカヤロ―――――ッ!!!」
真っ赤な顔でそう大声を上げると、左之助は走り出した。
相楽の横をすり抜けて、休憩中達の大人の話も通り抜けて。
「左之助?」
「こら、左之助!」
「いってて……左之、待てよ!」
急に暴走し始めた子供に、隊士達が目を剥いた。
土地勘などまるでない場所だ。
一番隊の準隊士といえど、左之助はまだ十になって間もない子供である。
そんな子供が単独行動なんて危険極まりない。
相楽も他の大人達もすぐに追い駆けようとしたが、小さくても脚が早い左之助だ。
あっという間に近くの雑木林の中に見えなくなってしまった。
それに続いて、克浩までもが走り出す。
「左之!!」
「克浩、お前まで……待て、二人とも!!」
左之助に次いで、克浩も雑木林の中に消える。
小さな二人は鬱蒼とした茂みにあっさりと埋もれて見えなくなってしまった。
「全く、あの二人は………」
「隊長、早く探しに行かないと」
「ああ」
状況について行けていないながらも、子供だけの行動は他の隊士も感心するところではない。
隊士の言葉に相楽は頷く。
「二人ともそう遠くには行かないだろうから、私の他に二名――――…長四郎、秋之助、すまんが手伝ってくれ」
左之助が相楽以外で一等懐いていた隊士二人を指名する。
克浩の方は少し探せばすぐに見付かるだろうが、左之助は何せ暴走している。
相楽一人で探していては、どれほど時間がかかるか。
指名された二人は頷いて直ぐに立ち上がり、子供達の消えた雑木林に入る。
同じく相楽も、他の隊士には待機を命じ、雑木林に消えて行った。
全く、手のかかる子供だ。
だから尚更愛しく思ってしまうのだけど。
【草笛】幕間(過去編)。
本編の合間合間に挟んで書きます。