例えば過ぎる時間をただ一時でも止められたら。 忍者ブログ
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【鈍色の道の先にあるもの】

例えば

人の道を一歩でも踏み外したら






もう、“ヒト”には戻れないのだろうか

















それなら少しでも曲げた己が掲げた正義の鏃は






………もう二度と、もとの形には戻らないのだろうか








































【 鈍 色 の 道 の 先 に あ る も の 】




































「――――――佐野君!」









この数ヶ月の間にすっかり耳慣れたものになってしまった声が聞こえた。



きっと追い駆けてくるだろうとは思っていたけれど、それがこんなにも心苦しいものになるなんて思わなかった。
それでも佐野は立ち止まらずに、振り返ることもせずに前へ進んでいく。
走ろうとしないのは何故だろうか、後ろを追って来る足音は確かに駆けている筈なのに。

本当は迷っているのか、なんて自分に問いかけても見るけれど、当たり前答えてくれる者など何処にもいない。
判っているのは迷う暇なんてないということ、迷っても導き出される結果は同じだということ。

だからせめて、この僅かな時間さえも無駄にしないように、佐野は前へ前へ進むことだけを考えた。


けれど、それを咎めるように呼ぶ声。





「佐野君、待って下さい!」





走らなかったから当たり前に追いつかれて、呼ぶ声の主が佐野の肩を掴んだ。
構わず進もうとしたら思っていたよりも強い力で制されて、身体が前へ進まなくなった。

露骨に仕方がない、という表情をしながら、佐野は振り返る。






「なんや、今更」






冷たい声を出せば、目の前の男―――……犬丸は酷く傷付いたような表情を浮かべた。

この数ヶ月の間に何度も顔を合わせ、時には一日中一緒にいたりもしたけれど、彼のこんな顔を見たのはこれが初めて。
彼はいつだって人好きのするような表情を浮かべていて、ちょっと佐野が揶揄ったりしてみると、困ったような顔で笑う。
佐野よりも一回り近く年上である筈なのに、揶揄に拗ねた時は子供のような顔になる。

バトルで佐野がちょっとしたミスで酷い怪我を負った時は、申し訳なさそうな顔をする。
こんな事に巻き込んでしまってごめんなさい、と。
それでも、今浮かべているような表情はした事がなかったと思う。


其れほどまでにこの出来事が、彼にとって酷く大きなこととなって覆いかぶさっているのだと佐野も判る。
信じられない、嘘だと言ってくれ……目は口ほどにものをいうのだと、佐野は改めて実感した気がした。



犬丸は向けられた瞳に一瞬臆したように口を閉じたが、それでも引き下がれないと思ったのだろう。
一度唾を飲み込んで、負けまいとするように佐野をきつと強い瞳で見つめた。





「何、じゃありません。さっきの言葉、どういう意味ですか」
「…どうもこうもあらへん。そのままや」
「何故そんな事をするのかと聞いているんです!」





犬丸が言いたいことを察していながら的外れなことを言えば、怒鳴られた。


ワンコに怒られたん、初めてや。


今はきっと関係ないことだ。
しかし佐野の思考は随分と冷め切っていた。

平時であるならば彼が声を荒げたことを珍しさとともに驚いて見たことだろう。
けれども今回は最初からある程度予測できていたし、判っていてこんな台詞を吐いた。
犬丸の神経を逆撫でしていると承知していながら。








「十団にっ…ロベルト十団に入るって、何故です!?」








佐野の前に回った犬丸の手が、佐野の両肩に置かれた。
震える手が彼の心情を何よりも吐露している。

佐野はそれを振り払おうともせず、ただ真っ直ぐに犬丸の顔を見上げた。



泣きそうや。
いや、泣いとるんやな。

まだ涙こそ出ていないけれど、もう少しで零れてしまうんじゃないか。
そんな表情を浮かべている犬丸の顔を、じっと佐野は眺めていた。



端整な顔立ちをしていると思う。
その名の通り犬みたいな性格をしていると認識するまで、それほど時間はかからなかった。
佐野よりも幾つも大人である筈なのに、時として単純で揶揄って遊ぶ相手にするには申し分ない。
ヘタレっちゅう奴かなぁ、と日頃の犬丸の様子を思い出しながら佐野は思った。

いい顔をする時は本当にいい顔なのに、それ以外の時はいつも何処かぼんやりしていて。
どうにも危なっかしいったらない、という事をポロリと本人の前で漏らした時、何故か君に言われたくないと反論された。


そんな彼の、綺麗な顔。
傷跡もなければ、自分のように火傷の痕もない、綺麗な顔。





オレ、この顔好きや。





何故、どうして、と揺さぶられるのも構わず、佐野の瞳はひたと犬丸の顔に向けられていた。


答えない佐野に焦れたように、犬丸の声が荒くなっていく。
このまま黙り続けていたら、怒って帰るのだろうか。
見損なった、と。
それなら、その方が良い、と佐野は思った。




綺麗な顔しとんねん。
美形っちゅうんやろなぁ。
女の子、きっと放っとかんわなぁ。

ほんで、笑うとほんまにええ顔すんねん。
その顔、オレ、もっと好きなんや。


……だから。







「佐野君……っ!!」

「―――――――ワンコ」







ようやく聞こえた佐野の声に、ぴたりと犬丸の動きが止まる。
それでも揺れる瞳に浮かぶ色は、変わっていなかった。


やっと答えが聞けるのか。
やっと意図を答えてくれるのか。

この数ヶ月の間で、佐野は犬丸のことをそれなりに理解できたと思う。
犬丸の方も、佐野がどういう性格でどういう行動理念を持っているか判ってくれた筈だ。
だからこそ余計に理解できない行動を取った佐野の考えが判らなかったのだろう。
僅かな不安の中に一瞬の期待の色を見つけて、佐野は心の中でだけ苦笑した。



お人好しや、ワンコ。
そない簡単に、ヒト信用したらあかんて。







……平気な顔して裏切る奴おるんやで。










「オレが自分の意志で考えた結果や。ええやないか、その方が色々都合ええしな」









にぃっと笑みを浮かべて言えば、犬丸は目を見開いていた。



在り得ない、と。
そう、嘘なんだからそんな言葉は在り得ないものだった。

佐野がロベルト十団の戦い方を嫌っていたのは確かで、出来ればブッ潰したいぐらいには思っていた。
戦う意志のない能力者まで問答無用で叩き潰し、まるで全てを奪い去っていくかのように……
中には五体満足でいられなかった能力者もいて、気絶させれば済むものを、惨いことをすると苛立ちもした。


けれどもいつもと同じ表情で話す佐野の顔を見て、それが虚言と誰が見抜くことが出来ただろう。






「そんなっ…佐野君!」
「神になる事やったら心配すんなや。お前のことも、空白の才のことも、どうでも良うなった訳やない」
「そういう問題じゃない!頼む、佐野君、理由を教えてくれ!」
「せやから言うたやろ。都合がええんやて」





必死になって引き止めようとする犬丸。
それを見ながら、ああ、言わん方が良かったか、と佐野は少しだけ後悔した。
だけど何も言わずに立ち去るのも心苦しかったのだ。

……でも、こんなに必死になって引き止めようとしてくれるなんて思わなかった。
それが少しだけ嬉しいような気がして、でもやっぱり、今はそれに甘えることは出来ない。


佐野は自分の両肩に置かれている犬丸の手を見た。
掴む力は決して痛いほどではないけれど、それは多分、佐野の身体を気遣っての事だろう。
佐野の両肩には、まだ真新しい傷があり、今は包帯に覆われていたから。

こんな時にまで佐野を気遣ってくれるなんて、本当にお人好しにも程がある。



それに比べて、自分は。
なんて、嘘を吐くことに慣れてしまったのだろう。









「しつこいで、ワンコ」








ぱしん、と冷たい音が響いた。

行き所をなくした犬丸の手が宙を彷徨う。
同じように犬丸の心も迷子になっているようで、ええ大人の癖に、と佐野は心の中でまた苦笑した。




大人が、そんな泣きそうな顔ばっかするもんやないで。
大人が子供より先に泣いたらな、子供はもっと不安になるもんや。
子供は……な。



……自分は、子供じゃない。
年齢だけで言えば、まだ大人だなんて思われることなんてないけれど。

それでも、子供じゃない。
嘘がつけない子供じゃない、嘘を隠せない子供じゃない。
平気な顔をして嘘でもヒトを裏切れるのは、子供じゃない。






「ええ加減、其処退けや」
「―――っ……退きません!」





此処で退いたら、行くんでしょう、と。
言われたから当たり前やと答えれば、なら尚更退けない、と言われた。

でも、きっと本気で止めるなんて事、彼は出来ない。
それは彼が佐野に対して甘いのか優しいのか…そういう訳でもあるし、バトル内で定められたルールの所為でもあり。
神候補が人間を傷つけることは禁じられているから、こうして行く手を阻むしか出来ない。
今、彼はきっとそのルールを酷く歯痒く感じているのだろう。


それでも退かない。
このまま佐野が押し通しても、きっとまた追い駆けてくる。
堂々巡りになるだろうと佐野にも判った。

それじゃ、意味がない。
この道を選んだ意味がない。



佐野は一つ溜息を吐いて、俯いた。
それを見た犬丸が話を聞いてくれるのかと思ったのだろう、小さく佐野の名を呼んだ。




けれど。












キン、と金属が張るような固い音が聞こえ、

犬丸の顔のすぐ横を、鋭く尖ったものが駆け抜けて、それは壁に突き刺さった。















「退け言うとんのや」














低い、低い、声。
逆らうことを許さない声。


彼相手にこんな声を出すことがあるなんて、思ったことがなかった。
ドスをこめた、気弱な人間ならそれだけで気を失ってしまうことがあるんじゃないかと思うぐらいの声。

犬丸の傷付いた顔が、それまで以上に酷いものになった。
確実な拒絶を込めた声に囚われてしまった様に、犬丸の手はもう伸びて来ることはなかった。
その隣をなんでもない事のように、ただ通行人と擦れ違うだけのようにして通り抜けていく。




「佐野君っ………」




引き止めようと、何度も何度も呼ばれる声。
それでも佐野は振り返らずに、壁に突き刺さり、手拭に戻り地に落ちたそれを拾い上げた。
訓練の途中の情景のように懐に仕舞うと、再び佐野は前に向かって歩き出す。




空に浮かんだ月が眩しくて、佐野は目を細めた。
月なんて生まれてからこの15年間の間に嫌というほど見たけれど、嫌悪に似た感情を抱いたのは初めてだ。
温泉に浸かって星空と月を見上げている瞬間なんて、人生幸せと感じる瞬間ベスト5にランクしている。
迷子にならないように夜道を照らしてくれるその光も、決して嫌いではなかったのだ。


でも、今だけは酷く嫌いだ。


振り返ったら、きっと泣きそうな顔になっている彼がいる。
それを見たら深く深く埋めた何かがマグマになって噴出してしまいそうだ。
だから一番言いたい言葉を言わないように、佐野は振り返らない。
待ってくれ、と何度も繰り返されていたけれど、それを振り切る。

いつまでも聞いていると立ち止まってしまいそうだと思ったけれど、走ったら逃げ出してしまいそうだった。
それをもしも悟られてしまったら、何もかも台無しだ。





「どうして…どうして、佐野君!」





信じてくれている。
信じてる。

佐野が自分の中に一本立てた意志を、信じてくれているから止めようとしている。









あかんねん。
今は、あかんねん。



その声に甘えてもうたら、お前は―――――――………

















「佐野君………――――――!!!!」
































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“うえきの法則”より、佐野清一郎にハマってます。
相変わらず総兄ちゃん大好きです。

そしてやっぱり佐野受で爆進中です。



しょっぱなから犬佐野前程佐野総受の長編です。
いつも長編から書くのね、私……


佐野のロベルト十団入から、十団にいる間の出来事を書きます。基本捏造!
犬佐野前程ですが、二人はまだ恋人ではないし、互いにそう思ってもいません。
大切な親友、かけがえのない存在、そういう感じ。

ロベルトとカルパッチョ以外の十団の人たちは殆ど出ないと思います。
それよりもオリジナルキャラが一話毎に出てくる可能盛大。


そんなもんで宜しければ。





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