例えば過ぎる時間をただ一時でも止められたら。 忍者ブログ
  • 10«
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • »12
[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

Preta-loka














人は最初から一人で

生まれ、歩いて、死んでいく




人の腹から生まれ

人の中で育ち

人に囲まれ目を閉じる


それでも、一人で生きて歩いて死んでいく





生まれた時、其処にあるのは光と闇

赤子が泣くのは、誕生への喜びと、現世の地獄に嘆き泣く為








絵図などよりも、この世は地獄

現世と言う名に最も近い地獄の世界





その地獄の中で、一人、死に物狂いで這って生きる。

































【Preta-loka】





































傷だらけで帰ってきた少年を、この場所だけは、何も言わずに受け止める。
良くない顔をしている事は少年にも判ったが、何も言わないから、それに甘えて此処にいる。

寝床は手放す気にはならなかったし、何より、此処は居心地が良い。
今となってはくすぐったい言葉も、照れ臭くても、此処なら素直に受け止められた。
何をしても何を言っても、此処の人達はいつも許してくれる、だから。




腹、減った。
そう言えば、いつも暖かい食事が用意される。

疲れた。
そう言えば、いつも暖かい寝床があって。



一時、強い日差しも雨風も、隠れようがなかった時があった。
今よりも小さかった手に木刀一本だけを握って、後は何も持っていなかった。
高架下で寒さに震えて、膝を抱えて丸くなり、眠る事さえ出来なかった日もあった。

そんな日々の後で、柔らかな寝床が出来たから、もう一度あの生活に戻りたくないと思う気持ちが強い。
だからどんなに帰り辛いと少しでも思う時があっても、この場所にだけは、帰って来た。





優しい目で見下ろしてくる優しい人の顔を、最近見ていない。
どんな顔をして見ていいのかが判らなくて、目線を合わせられずにいる。
優しい人はそんな自分に怒りもせずに、無理に顔を合わせようともせずに、ただ此方に合わせて応えてくれた。


今日も同じで、その人は、傷だらけで帰って来た京一を、お帰りなさいと言って受け入れた。
返事をしないで中に入って、定位置になりつつあるソファへと腰を下ろせば、直ぐに救急箱を持って他の人もやって来る。

挨拶はコミュニケーションの基本よ、と何時だったか言われたのを、今もまだ覚えている。
けれども、それをきちんと守っていたのは数年前の話で、最近はめっきり減った。
だけど、やっぱり誰もそれを怒る事はなくて。






「………ッ」
「あ、ごめんね、京ちゃん」






額の傷に消毒液が染みて、一瞬表情が苦悶に歪んだ。

直ぐに謝罪の言葉があって、京一は平気だと首を横に振る。
そうすると、アンジーは眉尻を下げて笑って、そう、良かった、と。



額の傷、目尻の痣、頬の火傷、首筋のを伝う血。
ボロボロになったブレザーはすっかり草臥れて、靴も泥だらけ。

学校に行ったのは、いつの話だっただろうか。
義務教育だと言われても全く興味が沸かずに、気が向いた時にだけ、此処の人達に教えて貰った。
その内容も殆ど覚えていないから、頭の中はてんで軽いんだろうと、自覚があって。
でも学校になんて行く気がないから、そんな事はどうでも良かった。


自分がどんな顔をしていたって、此処にいる人々は気にしなくて。
それ以前から自分を知っている事もあるだろうけれど、何処に行っても何をしても、そのまま受け止めてくれる。

今はそれが心地良くて、






「この手、大丈夫かしらねェ……」
「……なんともねェよ」
「なら、いいんだけど。痛かったら、先生の所に行ってね」






無理強いもなく。
取り上げる事もなく。

やりたいようにやらせてくれる。


それが心地良くて、都合の良いように利用しているような気もして、







「アラ。また、何処かに行くの?」







立ち上がった京一を、アンジーは止めなかった。
まだ手当てが終わっていない事も、言わない。











「いってらっしゃい、京ちゃん」
















心地良いのに、時々、泣きたいくらいに酷く痛い。




















































理由の判らない痛みも。
満たされない、正体の見えない餓えも。

どうしてか判らないけれど、剣を振るっている時にだけ、忘れる事が出来る。



発作のように、動悸のようなものが始まって、息が出来なくなる時がある。
酷い時には立っていられなくて、胃の中のものを吐き出して、それでも治まらない。

腹の中が空っぽになれば、当然次は腹が減るのに、食ってもそれは満たされた感覚がしない。
餓えているのは其処じゃない、もっと別の何かがだと、けれどもその“何か”が判らない。
何をすればそれが満たされるのか、ずっと判らないままでいる。


憂さ晴らしのように喧嘩をしている内に、その時だけ、動悸も呼吸も思う通りになる事に気付いた。
ムカ付いた輩を足腰が立たなくなるまで叩きのめして、ようやく飢餓感から開放された。





けれど、それは束の間。





いつからそれが始まったのか、自分の事だけれど、判らない。
随分昔からあったような、つい最近の事のような。
昨日の事さえ忘れている事が増えて、それを思い出すのも面倒になった。

考えようとすると、呼吸が出来なくなる。
だから、必然的に考えるのを止めた。



気を抜いたら、飢餓が来る。
気を抜いたら、呼吸を持って行かれる。

だから、ずっと警戒していた。
見えない何かが、何処かに引き摺り込もうとするから、警戒した。
まだ死にたくない事だけが、明確だった。







いつしか、思うようになった。

此処は、地獄に似ている。
いや、現世の皮を被った、地獄だ。







幾ら食っても満たされない。
食ったものは全て吐き出して、結局零になる。

息が出来ない。
自分の意思だけで息が出来ない。
意識しないと、呼吸の仕方を忘れてしまう。



出口のない地獄。
這い上がる壁さえもない、地獄。













道端で女を犯している男がいた。


背中を蹴飛ばしてやると、蛙が引きつったような声を上げて、男がひっくり返る。
女が呆然と此方を見上げて、数瞬、京一の顔を見てから直ぐに立ち上がって駆け出した。

ヒールの鳴る耳障りな音が遠くなった頃になって、漸く男が起き上がる。







「てめえ糞餓鬼! 何しやがる!!」







女を助けたつもりはないし、正義感なんてものでもない。
見付けて、ただ気に入らなかった、だから蹴飛ばした、それだけの事。


無言のままの京一に、男は眉を跳ねさせる。
バチン、と弾く音がした直後、路地に滑り込んだ灯りが銀を反射させた。

けれども、それは京一の琴線に触れる事はない。
いつしか感情が、感覚が、麻痺するようになってきて、そのまま元に戻らなくなった。
向けられる刃を恐れる意味が判らなくて、口元に浮かぶのは歪んだ笑みだけ。




昔は、どうだっただろうか。
怖いと思った時もあったのだろうか。

今よりもずっと見える視界が低かった頃は、世界はどんな風に見えていたのだろう。
こんなに地獄みたいな世界だったなんて、一度だって考えた事があっただろうか。







「大人ァ舐めんじゃねえぞ、固羅ァ!」







向かってきたナイフの動きは、目を閉じても追える。
滅茶苦茶に振り回されたところで、京一にはなんの苦にもならない。


一歩前に出て、足を払う。
バランスを崩した男の背中を、木刀の柄頭で打った。
蹴った時と同じ、耳障りな声が鼓膜を震わせる。

蹈鞴を踏んだ後で、男は振り返って何か判らない言語を撒き散らした。
唾が跳んで、京一は眉間に皺を寄せる。






「……汚ェモン撒いてんじゃねェよ、ブタ野郎」
「あァア!?」





怒髪天を突いた男は、眼球を引ん剥いて京一を睨む。


木刀を一度振るう。
刃が当たって、ビルのガラスが派手な音を立てて割れた。
ガシャガシャと煩い音が狭い路地に響く。




一つ、息を吐いた。
スムーズに。

筋肉が動くのか、伝達が早い。
信号どおりに躯が動いて、後は本能が命じるままに。
呼吸は意識しなくても、絶える事なく出来ていて。




ナイフが肩を貫いた。
男がにやりと笑う。

その男の顔に間近に近付いて、同じように笑って見せれば、男の顔が引き攣って。










「手前が舐めんな」









右手を振るって、風の切る音がした後で、鈍い音。
見れば男の腕は奇妙な方向に曲がっている。


ナイフが突き刺さったままの肩は、不思議と痛みがない。
信号どおりに筋肉は動くのに、どうしてか、痛みの信号は聞こえない。
腕だって問題なく持ち上がるし、振り下ろせる。

それでも邪魔臭くて鬱陶しかったから、左手でナイフを掴んで引き抜いた。
ズルリと肉を切り裂いて出てきた銀の刃は、紅に濡れてやけに綺麗に煌いた。





痛いとか。
苦しいとか。
辛いとか。

そんなものは要らない。
そんなものは邪魔なだけだ。





男は曲がった腕を抱えて、埃臭い地面の上でのた打ち回る。

痛い、痛い、痛い、痛い、叫んで騒いで泣いている。
同じ言葉を、ついさっきまで己が組み敷いた女が叫んでいた事を、この男は覚えているのだろうか。


右手に木刀を、左手にナイフを持ったまま、男に近付いた。
影に気付いて男は逃げを打ったが、腰が抜けたか、立てずにその場で這い蹲る様はまるで芋虫だ。
追い付くことは容易くて、背後に立って、木刀を振り翳す。

そのまま躊躇せずに打ち下ろせば、男は仰け反って地面に落ちた。





痛い、痛い、助けてくれ。

そう叫ぶ男が、今まで何をして来たかなんて知らない。
それでも、今と逆の立場で同じ事をしていたのを想像するのは容易くて。


助けてくれ、なんでもするから、死にたくない。

して欲しいことなんて何もないし、死にたくないなら逃げればいい。
這い蹲って幾らだって逃げられる、足と腕一本があるのだから。







顔が歪む。

笑みで歪む。



息が楽だった。
こんな事で、自分は容易く息が出来る。

この現世の皮を被った地獄で、まだ生きていられる。









「なあ、悪かった! 悪かった! だから頼む、助けてくれ……!」







あまりに必死に懇願するのが癪に障って、尻を蹴飛ばす。
男は今度は尻を抑えて、仰向けになってじたばたと呻いた。


あれだけ強気に向かって来た癖に、女を力で支配していた癖に。
同じ人間とは思えない程に無様な有体に、京一は無意識に舌を打った。







同じ台詞を言った女に、お前は一体何をした。
同じ台詞を言った奴に、お前はどんな事をした。

そんな事は知らない、知らないけれど。



そいつが願った通りにしてやったと、お前は絶対を持って言い切れるか?






―――――――目障りだ。








自分の肩を貫いたナイフを持ち上げる。
ヒ、と男が引き攣った悲鳴を上げた。




何処に落とす?
どうやって落とす?


斬首刑などで人の首が跳んだ時、人は数瞬意識が残っていると言う。
頭蓋に穴が開いただけでは、人はまだ死なないらしい。

ならば、何処にこの刃を落とす?


















「―――――――――――――ッッッ」




















ガキッ、と音がして。
折れた刃が跳ねて、頬を傷付けた。

皮膚の隙間から零れた紅が、男の顔に落ちる。


男は既に泡を吹いて、白目を向いて、失禁しながら気絶していた。




指の隙間から零れ落ちるように、ナイフが音を立てて地面に転がる。
刃を失ったそれは、もう既になんの役にも立たない、単なるガラクタに成り果てた。



立ち上がって、数歩下がって男から離れる。
足が縺れて、後ろに転んだ。

吐き気がして、左手で口を押さえて、ぬるりとしたものに気付く。
開いた手には、己のものに違いない、紅一色。
けれども一瞬、それが自分のものではなく、他人の――――其処に転がる男のものであるような気がして。







「――――――――……ッッぁ………!!」







息。
息、が。


息、が――――出、来ない。





ドクドクと、鼓動が煩い。

目の前がぐるりぐるりと歪んで、手が震えた。
肩からごぽりと血が漏れて、けれども痛みが判らない。


息をしないと、死んでしまう。
息をしないと。

でも、どうすれば息が出来たか、もう判らない。









何かが足を掴んでいる。
何かが腕を捕まえている。


何かが、引き擦り込もうとする。



見えない何かが、何処かへ連れて行こうとする。











慌てて立ち上がって―――――そのつもりで、酷く動きは遅かった。

機ばかり急いて、足は縺れて、腕が震えて、立ち上がることさえ容易に出来ない。
肩が熱くて、腕に力が入らない。


漸う木刀だけを手にして、壁を伝いに立ち上がる。
失神したままの男は目覚める様子もなく、動かない。
それももう目に入らなかった。



何かが纏わりついてくるかのように、酷く足が重い。
まるで自分のものではないような気がして、其処だけ既に引き擦り込まれているような気がする。

立ち止まっては行けない。
立ち止まったら、あっと言う間に連れて行かれる。
そうなったら、二度と戻って来られない。


剣を振るっている時だけは、そんなものは何一つとして感じない。
だけれど束の間離れたら、直ぐに餓えたそれらは敏感に感じ取ってやって来る。

どんなに抗ってみても、どんなに振り払おうとしても、それらは決して離れない。
まるで取り憑くように傍にいて、隙を見せれば引き擦り込もうとして。
抗えば抗うだけ、何かが酷く餓えて行く。




抵抗するのは、疲れる。








(疲れ、た)








痛みなんて感じない。
苦しいのも、辛いのも、判らない。

だけど、疲れた事だけは、やけにはっきりと判って。


それならいっそ止めてしまえと、餓えた何かが誘いをかける。



それもいいかと、時折、考えて、












「ああ、京ちゃん、此処にいた」












呼ぶ声がして顔を上げれば、路地の出口で、見知った人が立っている。
優しい顔をして、優しい笑みを浮かべて、此方を見ている。


ずるずる足を引き摺って、目の前まで来て立ち止まれば、やはり優しい瞳が見下ろして。
直視できずに俯いたら、大きな手がそっと頬を撫でた。
持ち上げられる事はなかったから、顔を見られる事はなかった。

また怪我しちゃったのねェ、手当てしなきゃね。
理由も何も聞かないで、それだけ言って、行きましょうと告げる声。




甘えているようで。
利用しているようで。

だって、居心地がいいから。


現世に近い地獄の中で、此処だけ酷く心地良いから。








帰りましょうと伸ばされた手を、躊躇いながらも掴んでいる。
























暗い道の真ん中で、光なんて見えない

闇しか見えないこの世界で、光の見付け方が判らない


それでもまだ、光が見たくて、生きている




一人で、暗い道を歩く

一人で、生きて歩いて、いつか死ぬから



その時までに、もう一度光を見てみたくて











現世に近い地獄の中で、這い蹲って生きている
























------------------------------------------------


中学時代、京士浪が失踪した後です。
あの時期の荒れに荒れまくった京ちゃんに非常にときめいております(台無し!)。
そしてアンジーさんには、京一に対して何処までも“愛”でいて欲しい。

全編殆どモノローグですね、こういう文章好きなのです。
そして普段はほのぼの書いてますが、根はシリアス好きなので、こういうタイプは書いてて結構楽しんでます。


タイトル[Preta-loka]はサンスクリット語で[餓鬼世界]。

PR

STATUS : Enchanting 12













――――――共通点を見つけてしまった、ような。
























【STATUS : Enchanting 12】



























朝霞が晴れて、昇る陽光が少しずつ都心のビルの高さを追い駆け始めた頃。
京一は『女優』の横を流れる川の土手上で、木刀を振っていた。




日課と言うほど真面目にこなしている訳ではない修行であるが、行わなければ腕も勘も鈍る。
幼少時代に父から叩き込まれた基本の姿勢と、今は何処にいるかも知れない師に叩き込まれた技と。
繰り返し頭の中で反芻させながら、頭の命令どおりに体を動かせる。

見えない敵を頭の中で作って、目を閉じればそれが見える程に強く強くイメージする。
それが鬼であるか、ヒトであるかは関係なく。



上段から下段に袈裟懸けに切りつけ、一歩踏み込んで体を反転させ、返す刀で横一線に薙ぐ。
相手側から迫る刃に、地面を蹴って後ろに跳び、着地、一瞬の停止の後直ぐに距離を詰めて躊躇わずに剣を振う。

右から来たら、左から来たら、後ろから来たら―――――架空の情報を脳はめまぐるしく作り、集め、計算し。
目が動く、腕が動く、足が動く―――――脳から筋肉へと伝わる電気信号を、何よりも早く掴んで処理して、動く。


踏んだ草が朝露を散らす。
昨晩の内に雨でも降ったか、地面は少し柔らかかった。
コンディションは、はっきり言って悪い。

そういう事だってある。


ズルリとぬかるみに脚を取られて、バランスを崩した。
無理に立ち上がろうとはせずに、地面につけた左手を軸に前転して、隙を突こうとした相手を下段から切り上げる。

地面に脚をつけて振り返り、もう一度剣を薙ごうとして―――――京一の動きが止まる。









「おはよう、京ちゃん」








『女優』の壁に寄りかかり、食えない笑みを浮かべ、悠長に朝の挨拶なんぞをして来る男。

朝からコイツの顔を見る事になろうとは。
京一の顔はその心情を判りやすく吐露していた。
が、相手は相変わらず京一のそんな表情を気にする様子はない。



動きを止めてしまえば、呼吸は普段どおりに戻る。
汗が噴出して、張り付いた前髪が邪魔だった。

シャツの袖で汗を拭って、京一は改めて手についた泥を見つける。
じっとりと湿った土を、両手で叩き合わせる事で払った。


そうしている間に、八剣は距離を詰めていて、気付けば後二メートル程の位置。







「……ンだよ」






言外にそれ以上近付くなと言う意味を込めて、問う。
八剣はそれを受けて、歩を止めた。







「熱心だねェ」
「別に」







日課と言うほど真面目にしている訳でもなく。
かと言って、不真面目と言う程にサボっている訳でもなく。

それでも習慣付いている事は否めず。


取り敢えず、褒められる程のものではないので、素っ気無い返事をして、また袖で汗を拭く。


代謝率の上がった体は、冬の寒空の下でもそれを感じさせない。
寧ろ今は熱い位で、火照った体を冷ましたい。
シャツの襟を引っ張り袂を広げれば、滑り込んだ冷えた空気が気持ち良かった。






「大胆―――と言うより、天然だよね。京ちゃんは」
「あァ?」






八剣の言葉に、また何を訳の判らない事を……と京一は眉根を寄せる。
しかしどういう意味であるか、聞きたくはない。






「……フザけた事言いに来ただけなら、もう帰れ」






と言うか、帰れ。

判りやすく拒絶の意を示す京一だったが、相手がそう簡単に聞くとも思えない。
何せ今の今まで、此方の言う事をまるで無視して、こうして『女優』に居座り続けている男だ。
京一が帰れという言葉を今直ぐ聞くのであれば、今日のこの瞬間まで、何度もこの男と顔を合わせる筈がない。


案の定、八剣は帰る様子を見せないので、京一の方が先に背を向けた。
相手をする気がないと判れば、直に離れて行くだろうと予想して。



下ろしていた木刀を持ち上げ、構える。
其処でまた声がかかった。






「京ちゃん」






無視する。

静止したまま、京一は呼吸を整えた。







「京ちゃん」







一つ長く息を吐いて、同じ長さ分吸い込む。
吐き出さずに息を詰め、踏み込みと同時に一度剣を引き、突き出す。
半歩下がって構え直し、左から右へ、柄から右手を離し左手だけで左上へと斜めに振う。

見えない敵はガラ空きになった腹を狙って来る。
腕を振った勢いをそのままに、左足を軸にして反転しながら蹴り倒す。







「京ちゃん」







ぐるりと一転して、浮かした右足を地面に降ろす。
下ろした場所がぬかるんでいたが、体制を崩すことはなかった。
変わりに泥が靴底に纏わりつく。

小さく舌打ちが漏れた。
それでも止まらず、左足に体重を乗せ、反動をつけて跳ぶ。


着地場所目掛けて、大上段に構えて。









「京―――」

「るっせぇぇええッッッ!!!」









繰り返し繰り返し呼びかけられる、呼ばれたくない呼び名。
無視だ無視だと言い聞かせるようにしていた京一だったが、元来、我慢強くはない。

明らかに意図して集中力を折ろうとする八剣に、堪忍袋の緒が切れた。






「なんなんだテメェは! オレの邪魔しに来たってか!?」
「いやいや。まさか、そんな事は」
「だったら帰れっつってんだろーが!! うぜェ!!!」






怒鳴りつける京一だったが、やはり八剣は飄々としている。

目の前でこれでもかと言う程の怒声を浴びせられているのに、おざなりな謝罪だけ口にして、あとはいつもの笑顔。
迫る京一を宥めるように両手を開いて降参のようなポーズを取るが、それも本気ではあるまい。



もう一度噴火するかと思うほどに、怒りで赤くなった京一の顔。
それを正面から受け止めて、八剣はいつもと変わらぬ調子で言った。






「相手しようか」
「あァ!?」
「だから、相手」






何言ってやがる、と云わんばかりに一度吼えた京一であったが、繰り返し告げられた言葉に、沸騰しかかった熱が下がる。


修行の相手。
それを買って出ようというのだ、八剣は。






「……………」
「何もしないよ」






何を考えているのか、探るように窄まった京一の目に、八剣が苦笑した。
疑われるのは仕方がない、そんな顔で。




相手がいる事は有り難い。
イメージトレーニングには限界がある。

しかし、相手が八剣であると言うことが、どうしても京一は引っ掛かるのだ。


真神のメンバーとなら気兼ねしないで良い。
特に龍麻とは、修練でありながら次第に本気になって打ち合った事もある。

だが八剣だ。
目の前にいるのは、馴染んだ相棒ではなく、嘗ての敵。
今となっては、京一の苦手なモノの一つに数えられる。



再会した時から、八剣はずっと敵意を見せない。
此方を油断させようとしている訳でもなく、本当に単純に京一が気に入っているのだろう――――そう思うと背中がやたらと寒気を覚えて、挙句痒くなって仕方がない。
だから今更、修行に託けて何某かしてくるとは思えないのだが………


京一の脳裏を過ぎるのは、先日の八剣の行動。
京一が『女優』に寄り付かなくなった最大の理由であった。








「何もしないよ」








先と同じ言葉を告げる八剣。
眉尻を下げて、本当だよ、と。







「………フザケた真似しやがったら、ブッ殺す」







あらん限りの低い音でそう言えば、八剣は笑む。
それまでの飄々とした顔とは、ほんの少し―――多分―――違う顔で。









向け合う刃に浮かぶ高揚感は、決して嫌いではなかった。







































目が覚めてから聞こえた声と、音。
何処から聞こえるのかと探して、外界からである事に気付くと、龍麻は窓辺に近付いた。

ガラス一枚向こうに広がる光景を見つけて―――――……僅かに、龍麻の眉が寄った。



土手の上で動く影が、二つ。
一人は素早く、もう一人はゆらりゆらりと。







(京一と―――――八剣君)







真冬の空の下であるにも関わらず、京一はいつもの薄手の格好。
今はそれで丁度良いのだろう、きっと寒さなんて感じていないから。



振われる木刀に、躊躇いや加減は見られない。
それでも、喧嘩だとか言うものではなく、修行である事は龍麻にも判った。


いつもなら、相手になっているのは自分だ。
一番遠慮も気兼ねも、手加減も要らないから、互いに本気で打ち合える。
勿論、それは修行あるのだが、気を遣わなくて良いという事は非常に大きなものだった。

それが今は、八剣が相手をしている。






(京一、楽しそう)






龍麻とは違う理由で、遠慮も気兼ねも、手加減も要らない。
八剣の実力は京一自身が身に染みて知っているし、八剣もそれに見合った実力がある。


獲物が同じ類だと言う事もあるだろうか。

京一の周りで、京一と同格に打ち合える剣士は殆どいない。
部活で竹刀を鳴らすのとは違う、本気の剣技のぶつかり合い。



ゆらりゆらりと掴み所のない足取りを踏む八剣。
それを追う京一の目は、確かな高揚を覚えているのが見て取れる。





ガラス向こうをじっと見つめる龍麻を、アンジーが目に留めた。






「おはよう、苺ちゃん」
「おはようございます」
「どうかしたの?」






問い掛けるアンジーに、龍麻は窓の外を指差す。
倣って視線を向けて、ああ、とアンジーは納得したようだった。






「京ちゃん、今日も頑張ってるのね」






京一の修行風景は、『女優』の人々にとっては見慣れたものだ。
それでも、相手がいるのは珍しかったらしく、






「嬉しそうねェ、京ちゃん」
「……うん」






気兼ねの要らない相手。
その存在が事の他嬉しいらしい京一に、アンジーが微笑む。


後でそれを言えば、京一はきっと否定するだろう。
だが自覚はしている、恐らくではあるが。


いつから修行を始めているのかは判らないが、短い時間ではないだろう。
勉強事では長く続かない京一の集中力は、剣に関しては別格だ。
それでも、京一の呼吸に乱れはなく、動きも踊るように流麗で、疲労と言う言葉を知らないように見える。

それも日々の修練の賜物であるのだが、それ以上に、京一の今の高揚感がそれを助長させていた。






いつまで続くかと思われた風景は、龍麻がそれを見つけてから5分程で終わった。
数字で見れば短い時間だったが、京一は満足したらしい。




地面に腰を落として、京一は空を仰いで長い呼吸をした。

激しい運動を休憩を挟まずに続けていたのだから、意識はしていなくても、体は疲れている。
動きを止めて一挙に噴出した汗を、京一はシャツの袖で拭っていた。



地面に座る京一に、八剣が手を伸ばす。
しかし、京一はそれを払い除けると、自力で立ち上がった。

京一が八剣に何かを言っていたが、ガラス一枚隔てた場所から眺めているだけの龍麻には、その内容は判らない。
八剣はただそれを聞いていて、時折、いいよ、とでも言うように唇が動いただけだった。
その都度、京一は数瞬口を噤んで、頭をがしがしと掻いている。


しばらく遣り取りが続いて、京一が先に動いた。
此方に戻って来るのだろう、足は『女優』へと向いている。





その途中で、顔を上げた京一と、龍麻の目があった。












気付いた事を知らせるように、挨拶のつもりなのだろう、片手が上がる。



それだけで少し機嫌の直る自分に、単純だなあと内心呟きながら、同じく龍麻も手を上げるのだった。



















八剣×(→)京一!

龍麻がちょっと劣勢気味?
次は龍麻の押せ押せモードで行こうと思います。

To tell the truth, both are mortified




















………悔しいんだよ、いつもいつも

























【To tell the truth, both are mortified】



































やらせろ。




歯に衣着せぬ物言いが、一体何を示してのものなのか、一瞬判じ兼ねた。
兼ねたが、現状を思い返してみれば、示すものは一つしかない事に気付く。

つい数分前まで、躯を重ね合わせていたのである。








「元気だねェ、京ちゃん」







言って抱き寄せると、違ェバカ、と顔を掌で抑えられる。







「やれって言ってんじゃねェ、やらせろっつってんだ」
「だから、するんだろう?」
「させろってんだよ!」






微妙な言葉のニュアンスが食い違っていることには、八剣も気付いている。



京一も男だ。
その男としてのプライドが、同じ男に組み敷かれる事に反発を訴えるのも無理はない。

片手では足りないが、両手では余る回数。
いい加減に京一も我慢の限界だと言う事だろう。


京一が本気で嫌がる事は八剣も強要したくないし、京一の要望にはなるべく善処する心持である。
しかし、自分が女役を担うことには賛同できないし、何より自分が京一を抱きたいのだ。
こればかりは譲れない―――――京一にしてみれば不条理だと言う所だろうが。




腕を取ってシーツに押し付ける。
身を捻って逃れようとするのを体重をかけて封じて、八剣は京一の鎖骨に舌を這わす。
熱の名残を残す若い躯は、与えられる快感に正直で、鍛えている割には薄い肩が跳ねる。







「……ッ…」







艶の篭った吐息が漏れる。


どす、と音がして、腹を蹴られた。
ろくに力など入ってはいなかったから、痛くはない。
痛くはないが、完璧に拒絶の姿勢である事は確かだ。

見上げ、睨む京一の強い眼に光悦感を覚えたが、あまり機嫌を損ねるのは宜しくない。
腕を解放すると、京一はさっさと八剣の躯の下から抜け出して、起き上がった。






「ヒトの話を聞きやがれ、このケダモノ!」
「男は皆ケダモノだよ」
「テメェは格別にな!」






もう一度足が飛んできて、八剣の肩を蹴った。
その足を捕まえようとした手が触れる前に、それは引っ込んで逃げる。
惜しい、と思ったのが顔に出たか、京一の眼が更に剣呑さを帯びた。

……もうしばらくその眼を見ているのも悪くはないのだが、このままでは話が進まない。


仕方なく1メートル分距離を取って、聞く姿勢を取る。
京一はまだ此方を警戒していたが、ようやく喋れると思ってか、一つ息を吐いてから、







「毎回毎回、テメェばっか好き勝手しやがって」
「まぁ、否定は出来ないかな」
「違うとか言ったらマジでぶっ飛ばすぞ、テメェ」






忌々しげに言う京一に、八剣は笑むだけだ。
それが更に京一の神経を逆撫でしているのだろうが、八剣はその表情を止めない。


京一ががしがしと乱暴に頭を掻いて、また一つ、大きく息を吐く。







「……やらせろ、オレにも」
「好きなように?」
「当たり前だ」







胡坐をかいて、京一は八剣を睨んで頷く。


八剣は、少しだけ安心した。

攻める側としてやらせろと言ったのであれば、どうしたものかと少し考えていたからだ。
前述でも述べたが、八剣は京一の要望にはなるべく善処する姿勢であるが、抱かれる事だけは容認できない。

杞憂で済んだのならば、次に沸いてくるのは、どんな事をやってくれるのかと言う興味であった。







「例えば何を?」
「………何、って………」






問われて、京一の視線がしばし彷徨う。
好き勝手にされて腹が立つから、自分にも好きにやらせろ、と言う気持ちは確かであったが、しかしいざとなると何をすれば良いのか、特に決めてはいなかったようだ。

考え込む京一を急かすことなく、八剣は、さてどうしてくれるんだろう、と面白そうに想い人を眺めた。


しばらく視線を宙に彷徨わせた後、京一は何かを思いついたらしい。
が、いまいち決断出来ないようで、あーだのうーだの小さく唸る。
眼は何度か八剣に向けられ、また逸らされてを繰り返した。



そうして数分の時間が経ち、京一は腹を括って再び八剣に向き直る。







「……………フェ、ラ……とか…」







呟きが消えかけて、顔は真っ赤。

腹は括っても、いざそれを口に出すと一挙に羞恥が募る。







「……してくれるの?」
「……あーもうッ!!」






思わず八剣が問うと、京一は癇癪を起こしたように声を上げた。
羞恥がピークに達して自棄になったのだ。


離していた僅かな距離を一気に詰めると、京一は八剣の下肢に屈み込む。
これ以上何か言われて余計な羞恥心を煽られる前に、思い切ることにしたらしい。

八剣が眼を丸くしている事などお構いなしに、京一は八剣の雄を口に含んだ。
ぬるりとした生温かい感触が走って、八剣は現実に帰る。






「……京ちゃん?」
「…るせェ、喋んな」






それだけ言うと、京一はまた奉仕を再開させる。



無理に離す訳にも行かないし、本音、京一のこの行動が嬉しくない訳がない。

日頃豪胆に見えて、色事に置いては恥ずかしがり屋な想い人は、今までにこういった行為を一度もしてくれた事がない。
情事の最中に前後不覚になるまで昂った後ならともかく――――自ら行動する事はなかった。
だから八剣は、京一がフェラをする、と言う事にしたいして、思わず確認するような言を取ってしまったのである。


それがなんの気紛れか知らないが、こうして奉仕などという行為をしてくれている訳で。
嬉しくない訳がない、ついでに興奮しない訳もない。



ぴちゃり、と濡れた音がする。
時折、少し苦しげな呼吸が艶を含んで漏れていた。







「ん、ぐ……」







行為を始めた事で羞恥心をかなぐり捨てたか、京一の舌遣いは徐々に大胆になる。


男同士だから、何処をどう刺激すれば良いのかは判る。
拙いながらにポイントを抑えた舌遣いは、八剣を昂らせるには十分な役目を果たしていた。

けれども、それよりも、京一がこういった行為を自ら起こしたと言う事が、何よりも八剣を興奮させる。






「……っは……ん……」






口を離して呼吸を一つしてから、もう一度。
鼻で息をするのが上手く出来ないのか、京一の表情は時折苦しげに歪んでいた。






「無理しなくても良いよ、京ちゃん」
「……る、せェ…っつってる……」






八剣にとっては宥めるつもりで言った台詞だったが、逆に京一のプライドを刺激させたらしい。
それまで竿を舐めていた舌が離れ、亀頭を口一杯に含む。

硬質を持ち始めた八剣の雄に気付いて、京一は気を良くした。



先端を舐め、気紛れに吸い上げようとする。

時折ちらりと窺うように切れ長の眼が八剣の顔へと向けられた。
どうだ、とでも言うように瞳が窄められて、八剣は苦笑しか出て来ない。




どうもこうも。
興奮しない訳がない。




躯を重ねる関係になってから、少しずつではあるが、京一の八剣への態度は軟化しつつあった。
真神の友人達のようには無論行かないが、彼らに見せない顔を八剣に見せる。
年齢よりも少し幼く感じられる表情と、それとは正反対の性質を持つ妖艶な表情と。
以前ならば顔を合わせれば警戒しかされなかったのだから、それは八剣にとってかなりの進歩である。


けれど、それとは違い、出逢った当初の――――まるで研ぎ澄まされた刃の切っ先のような眼差しも、八剣は好いていた。
全身で警戒していると知らせる猫のようにも似ていて、八剣はそれを屈服させたかった。
一閃の下に斬り捨てたあの瞬間、嘘だ、と絶望にも失望にも似た表情を浮かべたのを見た瞬間、その愉悦は満たされた。

満たされたから、もうその愉悦を望むべくはないと思っていた。
それ以上に、もっと暖かで柔らかな熱に手が届くのだから、血の緋色を望むことはないだろうと。


だが人は何処までも貪欲で、際限を知らない。

行為の最中に、自身のプライドを尊厳を傷つけられて溜まるかと、強気に睨む眼差しに、あの時の色を見てしまった。
以来、僅かな合間にその色を見つける度、強い光を屈服させたい支配欲に捕らわれる。






「…っく……ん、この…ッ」






膨らみ始めた欲望に、顎が痛くなったらしい。
京一は口を離すと、飲み込めずに垂れた唾液を手の甲で拭った。

熱が浮かび始めた瞳は、理性と言う人間独特の感情は既に遠くに放置してきたようだが、強い光は変わらない。
行為を始める前の真っ赤になった顔だとか、何をしてくれるのかと問われて迷った青さは、其処にはなかった。






「無駄にデカくしてんじゃねーよ、やり辛ェ!」
「そう言われてもねェ。いつもこんな感じだよ?」
「……信じらんね……」






天を突き、最早支えなくとも起立した雄を見て、京一がげんなりと呟く。
コレがいつも自分の中に入ってるのか――――……そんな事を考えながら。







「じゃあ、やめる?」






勿論、此処で止められて辛いのは八剣の方だ。
起立した雄に集まった熱は、解放を求めている。

しかし、京一が辛いと言うなら中断しても構わない。


それに―――――これ以上続けられてしまったら、芽を出し始めた欲望を止める自信がなかった。



だが、相手を思っての言葉でも、京一にとっては全て逆効果になるらしい。
相手が八剣であるから、余計にそうなのか。

京一はムッとしたように肩眉を上げると、また雄を口に含む。
もう相手の様子を窺う間など持つつもりはないようで、只管愛撫に神経を注ぐ。






「っふ…ぅ……ん…」
「…京ちゃん」
「……むぅ……っく……」






ちゅ、ぴちゃ、と濡れた音が広くはない部屋の中に反響する。
呼んでも、もう返事はなかった。


髪の毛を指で遊んでみると、相変わらず、毛先は少し痛んでいる。
勿体無いねェと毎回思うが、言った所で京一は女じゃねえからいいんだ、と取り合わない。
そういう所も含めて京一らしいとは思うけれど、やはり少し勿体無いと考えてしまう。
綺麗にしたら、それは良い色になると思うのだけど。

後ろ髪を撫でていると、京一の頭が一度不自然に揺れた。
猫が急に撫でられて驚いたような、そんな仕種。
悪戯心が沸いて後ろ髪を少し持ち上げ、露になった項に指を這わせると、ぴくりと肩が小さく跳ねた。


そのまま少しの間項をなぞっていると、京一の手が浮いて、八剣の手を払おうとする。






「……触んな、バカ」
「感じた?」
「………」





手を払う仕種をした京一に、おどけたように聞けば、気分を害したと言わんばかりに渋面になる。


仕返しのように、京一は八剣の雄の先端を舌でぐりぐりと刺激した。
急に訪れた強い刺激に、八剣は一瞬言葉を呑む。

は、と息を吐いて、京一は雄から口を離し、にやりと笑って八剣を見上げる。







「感じたかよ」






ざまあみろ。
顎を伝う唾液を拭って、京一はまるで勝ち誇ったかのように言った。



……油断するとこういう反撃に合うから、益々溺れてしまう。











―――――従属させてしまいたくなる。












「敵わないな、京ちゃんには」
「あ? なんだよ、ギブアップか?」
「まさか」
「そーかい。じゃ、続行な」






業務連絡並みに淡々と言うと、京一はまた八剣の下肢に顔を埋めた。


竿の裏筋をゆっくりと舐めて、亀頭を口に含む。
手も使って扱きながら、京一は先端を舌で刺激した。

自分の呼吸が少しずつ上がって行く事に、八剣は気付いていた。
見下ろせば、こちらも僅かに紅潮しつつある京一の顔があり、その口が自分の雄を咥えている。



項をなぞっていた手が移動し、京一の背筋を滑る。
京一は一度ふるりと肩を震わせたが、強気の眼差しは相変わらず、八剣を睨んでいた。

しかし、その眼は次の瞬間驚愕に見開かれる。







「おい、待……ッ…―――――!」






八剣の手は一度撫でるように京一の臀部を滑り、食指が動いた瞬間に京一は声を上げたが、既に遅かった。
四つ這いの姿勢で高い位置にあった秘孔に、つぷりと長い人差し指が侵入する。

叫びかけた声は、後頭部を抑えつけられ、含んだ熱によって遮られた。


少し前に交わったばかりの熱の名残は、まだ京一の其処に燻って残っていた。
締め付けはきついものだったが、痛みを感じる様子はないようで、八剣はそのままゆっくりと深くへ埋め込んでいった。
抗議のように京一の拳が八剣の腹を叩いたが、構わず埋めていく。






「ん、ぅ……!」
「本当に敵わない。俺を煽る事に関しては、特に」
「ふ、んぐっ…んんッ……!」






纏わり付く肉壁を押し広げながら、八剣は京一の秘孔の奥を目指す。
熱を含まされた咥内は、行為を忘れて文句を上げているようだったが、結局言の葉にはならなかった。


もう一本、指を挿入させる。
京一の躯がぶるりと震えた。

名残の蜜液が滑りを助け、指は更に奥地を目指す。
内壁を押し広げると、立てられていた膝がガクガクと震えた。






「京ちゃん、口がお留守だよ」
「んっ、ふ…! うぅんッ…!」






後頭部を押さえつけたままで囁くと、京一は眉を顰めて八剣を上目に八剣を睨む。

うっそりと笑む八剣の顔を見つけて、京一は内心でサド野郎、と呟く。
そのサディズムの火をつけた上で煽ったのが自分であるとは、気付かずに。


咥淫を再開させた京一に、八剣は競わせるように菊門を刺激する。






「んぷっ……っく、ぅ……ん、ん…」
「……上手いね、京ちゃん」






八剣の思惑通り――言えば確実に怒りを買う――、京一は八剣に負けまいとするように舌を動かす。

息苦しさと匂いに当たられたか、目尻に雫が浮かんでいる事も気付いていないようだった。
とにかく、息が上がるのも自分の今の格好も構わず、必死で奉仕していた。



ずるりと京一の秘孔から指を引き抜く。
内壁に擦れる感触に京一の躯が震え、熱を含んだままの口が小さな呻きを漏らす。
その呻きがなんとも言えない艶を含み、八剣の興奮を更に昂らせた。


咥内で更に体積を増した雄に、京一は顎が痛くなった。
一度離して呼吸も落ち着かせたかったが、後頭部に添えられたままの手がそれを許さない。

抑える力は強くない筈なのに、離そうとすると絶対の形をそれを拒む。
同時に秘孔を攻める手が激しさを増すから、文句を言う事も出来ない。
いっそ噛み千切ってやろうか、と物騒なことまで考える。






「此処、ヒクついてるよ」
「んんッ……!!」






誰がンなことするか! と言いたくても、言えず、言った所で嘘だと返される。

事実、京一の熱を煽ろうとするように、指先が京一の秘孔を口をなぞってみれば、形を確かめるように動く指に、京一は我知らず腰を揺らしていた。


指が抜き差しを始め、強い快感に京一は耐えるように硬く目を閉じる。
寄せられた眉根に気を良くして、八剣は指を動かす速度を速めた。






「んふっ、う、うぅんッ! ふぐ…んふぅッ!」
「気持ちいい? 京ちゃん」
「んぁッ…!」






内壁のしこりを指先で引っ掻くと、高い声が京一の喉奥のから上がった。







「んッ、んーッ! う、ううぅんッ!!」







同じ場所を刺激すれば、ビクッビクッと若い躯が跳ね上がる。
程無くして、京一は声にならない悲鳴をあげて、熱を吐き出した。

ずるりと指を抜き出すと、その指は白濁に塗れていた。






「いつもより少し早かったかな?」
「…………!!!」






八剣の呟きに、京一がガバッと起き上がる。
完全に怒りの眼になっていた。







「テメェ!! マジで食い千切るぞ、コラァ!!!」
「ごめん、ごめん。可愛かったから、つい」
「殺ス!!!」







飛び掛る勢いで伸ばされた京一の腕を、八剣はあっさりと捕らえた。
捕えた両腕を片手でまとめ、空いた手で京一の腰を強く引き寄せる。
上体を逸らして仰け反った京一の上に乗る形で、八剣は京一をシーツに押し付け、馬乗りになった。

あっと言う間の視点の転換についていけなかった京一は、しばらく呆然とした様子で八剣を見上げていた。
が、現状を把握すると途端に暴れ出し、八剣を自分の上から退かせようと腹を蹴る。
それも空いていた手で制すると、八剣は京一の足を肩に乗せて、そうなると京一の秘所は露に晒される。





「テメ、待て、コラ!」
「無理だね、待てない」
「オレにやらせろっつっただろうが! つーか、さっきのもお前、勝手に」
「うん、そうなんだけどね」






確かに、京一は自分の好きにやらせろと言って、八剣も容認したつもりだ。
京一がどんな事をどんな風にしてくれるのか、興味もあったし、見たい気持ちも勿論ある。

あるが、それ以上に限界が近い。







「京ちゃん、俺を煽るのが本当に上手いから、もう我慢出来なくなった」







健康的に日焼けした鎖骨にキスを落とす。
見える場所に付けるなと言われている事など、もう頭には残っていなかった。

それよりも、限界まで昂ったこの熱を、早く京一と共有したくて堪らない。


つい先ほどまで指を埋め込んでいた箇所に、張り詰めた熱を宛がった。
同じくそれをついさっきまで口に含んでいた京一は、改めてその度量を直に眼にしたからだろうか。
そんなモン無理――――と珍しく弱気とも取れる呟きが、京一から漏れた。






「痛くないよ。いつもそうだろう?」
「バッ……!」





痛いようにはしていない、と囁く八剣に、京一の顔が赤く染まる。

強気な眼と、恥ずかしがり屋の顔と。
ギャップがあり過ぎて、それが余計に八剣を深みに嵌らせて行く。



ヒクリと伸縮する秘孔にゆっくりと禊を埋めていく。
体内に侵入する圧迫感から逃れるように、京一が仰け反った。






「あ…ひ、ぅあ……ッ……」
「くッ……」






痛みはなくとも、圧迫感までなくなる訳ではない。
呼吸を忘れて力んでいる所為で、それは余計に京一を苛んだ。

同時に、八剣も痛いくらいの締め付けに眉を顰める。


頬に手を添え引き寄せて、酸素を求めているのに息の仕方を忘れた唇に、口付ける。
あやすようにキスを繰り返していると、次第に眼差しはトロリと濡れ、艶を含んだ細い呼吸も漏れ始める。

締め付けが緩み、八剣は奥を目指して突き上げる。
性急に始まった攻め立てに、京一の躯は成すがままに揺さぶられた。
先ほど達したばかりの京一の中心は、早々に再び起立を始めている。






「ちょ、待ッ……お、オレ、さっき、イ…ッ…」
「ごめんね、余裕ないんだよ。俺も」
「ん、うっ、んんっ……ふぁッ! あ…!」






耳元で囁いて、八剣は更に奥を突く。
鼓膜まで犯されたような気がして、京一は身震いした。






「あ、あうッ…! 手前ッ、また、勝手にィッ……!」
「ああ、それじゃあまた今度にね。今度は京ちゃんの好きにしていいから」
「信、用ッ…んぁッ! …出来るか……ッああ!」






涙目で睨む京一。
八剣はそれに小さく笑みを浮かべ、また謝って目尻を舐めた。


確かに信用できない、自分で言っておいてなんだけれど。

だって仕方がないだろう――――京一がしているのを見ているだけなんて、そんなのは拷問だ。
奉仕してくれているだけで我慢が利かなくなったのだから、これ以上なんて絶対に無理だ。
言い切れる。




ずちゅ、ぐちゅ、と卑猥な音が響く。
肌を打ちつけ合う音も一緒に。
攣ったようにピンと伸びた京一の足が、突き上げられ穿たれる度にビクンビクンと跳ねた。
突き上げのタイミングに合わせて細く締まった腰が揺れる。

呼吸が上がって、京一は理性など殆ど残っていなかった。
それは八剣も同じで、まるで獣同士の交わりのようにも思えてくる。


弱い箇所を攻めれば、強い快楽から縋り逃げるように腕を絡めてくる。
抗議のように髪を引っ張られても、背中に爪を立てられても、気にならない。
寧ろそれすら愛おしい。







「あ、う、やッ……んぁッ! はひっ…あ……!!」







熱に喰われて虚ろになった瞳を見下ろし、八剣は嗤う。


気紛れな猫のように甘える顔も、いつまでも挑むように強気な瞳も、全て自分だけに向けられたもの。
快楽に全てを攫われて、妖艶に身を捩らせるこの姿も―――――全て。
この顔を知っているのは自分だけで、この顔をさせる事が出来るのも自分だけ。

愛欲も征服欲も、全てが満たされて行くのが判る。







「んぁッ、ああッ! も、もう……やべ…や…ッ」







先走りを漏らし始めた、京一の雄。

片手で縋る京一の頭を支えて、もう片方の手で京一の雄を包み込む。
突き上げと同時に扱けば、直ぐに増していく熱と体積。







「やめ、それッ…い、く……イぅッ…! …や、つるぎ……ッ!」
「ああ。俺も……」







限界を訴える京一に、従じるように。
同じく、限界を迎えた八剣。








「ひ、あ……あぁあッ……!!」







熱に浮かされた悲鳴は、酷く、耳に心地良かった。







































ぐったりとシーツの波に躯を埋めながらも、京一は忌々しげに八剣を睨んでいた。
そんなに機嫌を損ねてしまったかと、八剣は眉尻を下げる。


途中からは完全に八剣のペースで、京一はすっかり翻弄された。
京一が自分のペースを保っていられたのは、結局、最初のうちだけだったと言う事だ。
それが益々、京一の機嫌の右肩下がりに拍車をかけている。

京一の「やらせろ」と言う言葉を途中で完全に撤回した事は悪かったと思っているが、かと言って、反省はしていない八剣である。
だって京ちゃんが可愛かったから、なんて思っている事を口にすれば、もれなく蹴りが飛んでくるだろう。



布団の上でうつ伏せになり、シーツに顎を乗せたままで、京一はぎりぎり歯を鳴らした。






「…っのヤロー……ムカつく…」






ぶつぶつ漏れる呟きは、大半が八剣への罵倒であった。

それを聞いても、八剣は気に留めない。
ポンポンと出てくる罵倒も、それは京一が自分を気にしてこそのものだと思えるからだ。
そうでなければ、悪口どころか、相手の事さえも京一は口にしないだろう。



薄い肩に手を乗せて、八剣はそっと京一の耳朶に口付けた。
京一はいぶかしむ様に眉根を寄せたものの、一つ溜息を吐くと、ごろりと仰向けになった。






「ったく。次はオレがやるんだからな」
「はいはい」
「今度は勝手な事すんじゃねえぞ」






念押しする京一に、八剣はふとした疑問が沸く。






「京ちゃん」
「なんでェ」
「やけに拘るけど、どうしてそんなにやりたいの?」





今回だって、いつもは絶対にしない事をして。
なんの気紛れで、行き成りそんな事を考え出したのか、気にならない訳がない。


京一は問われた瞬間、やっぱ聞くのか、と苦々しげに顔を歪める。
それを宥めるように目尻にキスを落とすと、京一はまた溜息を一つ。





「テメェの所為だ、テメェの」
「俺の?」
「テメェのその余裕ぶっこいてる面が気に入らねえんでェ」
「……そう言われてもねェ」





言われても、自分が普段どんな顔をしているのかなんてよく判らない。
京一が気に入らないと言うなら、改めた方がいいんだろうか――――などと思う。






「やってる時も、余裕面しやがって」
「それはないと思うけど」






緩い反論を、京一は無視した。











「オレばっか一杯一杯になってんのが、ムカつくんだよ」










ふいとそっぽを向いて、ともすれば聞き逃しそうな声で京一は呟いた。

一瞬、言われた意味を判じ兼ねて、八剣は静止した。
しばしの間を置いてから八剣は壁を向いた京一を見る。



自分ばかりが翻弄されて、相手はいつも余裕の笑みを浮かべたまま。
出逢った時から今の今まで、京一の中でそのバランスが崩される事はなかった。
二度目の対峙の瞬間を除いて。

日常でも、情事の最中でも、確かに八剣は殆ど表情を崩さない。
相手に表情を読ませれば自分の手の内が読まれるから、おのずと身に付いた防衛の術だ。
ゆらゆらと掴み所のない顔をして、相手の調子を崩せば、己の優位は磐石となる。

それが気に入らないと、京一は言う。







(違うよ、京ちゃん)






抱き寄せれば抵抗はなく、京一は八剣の胸に後頭部を押し付けて動かなくなった。
気を許してくれている証拠だ。

此方に背を向けた京一の髪を手櫛で梳く。






(京ちゃん相手に余裕なんて、ある訳がない)






さっきだって、興奮して自分を抑えるのが大変だった。
結局、その努力は徒労に終わったし。

浮かべた笑みの裏側で、八剣がどれだけ葛藤しているか、京一は知らない。
八剣も言うつもりはなかったし、今更この仮面を取り去る事は容易ではない。


知らないままでいい。
こうして、自分の事をどんな形であれ、考えていてくれるのなら。

知らないままでも構わない。
仮面を剥ごうと躍起になってくれる恋人が、可愛くて仕方がない。
それ程までに、京一は自分の事を想っていてくれる訳だから。









「愛してるよ、京ちゃん」

「あーあーハイハイ。聞き飽きたぜ、その台詞……」










素っ気無い言葉の裏、赤い耳と振り払わない態度が本音。
それに甘えて、繰り返し愛を囁く。
















―――――――この関係に、余裕なんてある訳がないんだ。



















八京でラブえっち。
京ちゃんにご奉仕して貰いたかったのです。……途中で八剣が調子に乗りましたが(笑)。
うちの八剣は裏モノになるとS入るらしい……

ラブラブにすると京一のツンデレの匙加減が判りません。難しい。
と言うか、ラブラブ八京がまず難しかったです。

05 君が世界で一番











………蹴られて目が覚めた。






思わぬ衝撃に安眠を妨害された事に少々の気だるさを覚えつつ。
起き上がってから、もう一発喰らって、龍麻はなんなんだろうと隣を見た。

見てから、其処に眠る人物に一度驚いて、ああそうかと漸く思い出す。



ぽっかり口を開けて、其処に寝ていたのは、蓬莱寺京一。
親友で、相棒で、恋人の。





思いを遂げてから、龍麻が何もしなかったと言う事もあって、二人の間は恋人同士でありながら微妙なものだった。
気持ちが通じているのだから、それだけでも幸せだと思っていたし、同時に物足りないような気分もあった。
そのどちらもが龍麻の本音であったから、京一がどう思っているのか掴めなくて、所謂最後の一線を越えないままだった。

それが昨日、遂にその一線を越えた。


切っ掛けはなんとも色気のない、京一の「何もしねェのか?」と言う質問からだ。

その一言に、龍麻は表情にこそ出なかったが、内心かなり驚いていた。
男同士である事を龍麻は気にした事がないし、故に一線を越す事そのものに疑問や躊躇はなかったけれど、
京一は、スキンシップこそよくしてくるものの、それと恋人同士が交わす契りとは別物であっただろうと思う。
最初のキスだって、あれは龍麻が避ける隙を与えなかったから出来た訳で、そうでなければ気持ち悪いと言うに決まっている。

そんな彼の方から、「しねェのか?」と言われたのだ。
龍麻だって驚く。


していいの、と問えば、京一はしばらく固まった後、しどろもどろになったが、最終的には「……まぁ、一応」と言った。



後は、世の中の普通の男女の恋人達と同じ流れだったと言っていい。
夕飯を片付けて、少しの間テレビを見て(その間、京一は若干ぎこちなかった)、風呂に入って。
電気を消して、一つしかない蒲団の上で――――――







(………しばらくプロレスみたいだったけど)






言ったのは京一であったし、彼自身の良いとは言ったが、なんと言うか、往生際が悪かった。
男が男に抱かれると言うのだから、ネコ役になってしまった彼の葛藤が半端ないものであるとは判ったが。

ちょっと待てとか、やっぱナシとか、今度にしようぜとか。
逃げ腰になる京一を捕まえて、蒲団に倒して、久しぶりにキスをした。
少しの間京一は暴れたが、その内観念したのか大人しくなり。






(……可愛かった)






思い出して、龍麻は自分の口元の締りがない事に気付く。



どちらも健全な高校生男子。
快楽に流されてしまえば後は躯の方が正直で、性急に事は進んで行った。

熱を解放して、体力を使い果たして、二人蒲団の上で重なり合ったまま寝転んで。
何某か話をしたような気がするけれど、内容はもう覚えていない。
そんなものよりも、龍麻の胸の内は充足感で一杯だった。


一緒にいるだけでも十分幸せだと思っていたけれど、こうなってしまうと、やはり少し変わったような気がした。




好きで、好きで。
好きで仕方が無くって。

親友である事は変わらないし、相棒である事も変わらない。
一緒に背負うと言ってくれた事も忘れないし、変わらない。
互いの立ち位置もスタンスも、きっと変わらないだろう。


葵も小蒔も醍醐も遠野も、皆、皆。
勿論―――――両親だって好きで。


だけれど。






友愛も、親愛も、恋心も、全部ひっくるめて。










「京一、朝だよ」

「………あ……?」












世界で一番、君が好き。


落としたキスに、真っ赤になった顔も好き。















ラストなのでラブラブ~v

恋人同士になったからって、変に意識しあわない二人が好きです。
……だからいつも色気ないんだね、うちの龍京って(にょたも…)。

04 微妙な一線












既に何度か泊まった事のある、緋勇龍麻の家。

一人暮らしの苦学生によく似合う、少し古い、なんだか懐古感さえ感じてしまうアパートの二階。
畳張りで、壁紙一枚剥いでみれば土壁がモロに見えて、小さなベランダは寄りかかればほんの少し軋む音。
築何年なのか、電話線も引いていない部屋の隅で、京一はどうすりゃいいんだと考え込んでいた。



龍麻の家には過去に何度か来た事があるし、泊まった事だってある。
この部屋で(高校生の分際であるが)酒を飲み交わした事もあるし、雑談をすれば、猥談だってした。

が、親友から恋人になってから、此処に来たのはこれが始めてであった。


だからと言って何が変った訳でもない。
ないが、やはり何か違うのだろうと、感覚的には思っているつもりだ。
その辺りの感情を、京一は一切態度に見せたことは無いけれど。




普通の男女の恋仲なら、此処で何某かの進展なりトラブルなり起きるものだろうか。
生憎、京一は自身に恋愛の経験もなければ、興味も無いのでよく判らない。


しかし、しかしだ。
恋人の家に泊まって置きながら、何もありませんでしたなんて事も流石にないだろうと思う。
俗な話、彼氏の家にお泊りした娘が一晩の内にオトナになると言うのが一般的な見解ではなかろうか。
勿論、プラトニックなお付き合いというのもあるのだろうけれども。

そして此処でまた、しかし、である。
一応自分と龍麻は恋人同士であるが、男男のカップルであり、この時点で既に世間一般の恋人同士の付き合い方とは多いに違いが生じている。
プラトニックなお付き合いと言う柄でもないが、かと言って男同士でナニすんの? どうやって? と言う気分であった。







(……あいつもそんな感じしねェしな)







人一人が立つのが一杯と言う、一人暮らしの苦学生によく似合うキッチン。
其処に立って、夕飯になるのだろうコンビニ弁当を温めている人物を見遣って思う。



最初の告白の時にキスをして以来、龍麻は何もして来ない。
して来られても正直困るのだが、何もないと言うのも、不気味と言うか奇妙と言うか、とにかく変な気分だ。

スキンシップは多少増えたような気もするが、それも男同士のじゃれ合いのようなもの。
京一が龍麻に対して行っていたように、肩を叩いたり組んだり、そんな程度。
何某かの気配がするかと言ったら、全く、否であった。


此方の様子を窺っているのだろうか、そうとも取れる。
現状で満足しているのだろうか、そうとも取れる。
ひょっとしてどうして良いのか判らないのだろうか、そうとも取れる。

どれも可能性があると思ってしまうのは、龍麻の考えを未だ掴みあぐねているからだ。
複雑であり、あちこちにショートカットを持つ龍麻の脳内は、把握するのに非常に時間を要するのである。





相手が考えている事は、やっぱりよく判らない。

それなら、自分はどうだろう。








(……オレが龍麻とどうなりてェって?)







……それこそ、判る訳がなかった。


第一、まだ若干ではあるが、混乱は残っていたのだ。
告白された時から続く混乱が。

好きだといわれて拒否はしなかったし、キスは驚いたが嫌だとは思わなかった。
けれども、例えばもう一度して欲しいだとか、二度とするなとか、そのどちらも考えた事はない。
して来ない事を不思議には思ったが、してくれと思う訳でなし。





でも、恋人の家に招かれると言うことは、やっぱり俗な展開を期待されているのだろうか。
























背中から視線を感じながら、どうしたものかと考える。
温め終わったコンビニ弁当のラップを剥がして、箸を取り出すまでの作業を、殊更ゆっくりと行いながら。



恋仲になってから、京一がこの部屋に泊まりに来るのは始めての事だ。
もともと大した頻度ではなかったが、なんだか改まった気分になってしまうのは何故だろうか。

親友であった頃から、想いを寄せる前から何度も京一は此処に来ていたのに。
繋ぐ名が変わっても、日常では何も変わる所などないのに、どうしてこんな時にだけ意識してしまうのだろう。
別に、何をしている訳でもないのに。


家に誘った時にも、京一はいつもの態度で、寝床が見付かったと言う雰囲気だった。
別に此処で、何某か変わったリアクションを期待したつもりはない。
ただ、あれから一晩一緒にいた事はなかったなと思い、折角だからと誘ってみただけの事だ。

そして家に並んで帰って、京一が鞄と木刀を畳に転がしてから、そう言えば二人切りなんだと今更のように思った。

二人だけで時間を過ごす事は、それこそ今更のように多かったのだが、自覚すると妙な気分になった。
恋仲の相手が、一人暮らしの男の家に泊まりに来る―――――男女のカップルなら何かが起こりそうな予感はする。








(でも、京一だし)







何かが起こるんじゃないか、なんて、逆に何が起きるのだと問い返したい。


例えば、顔を合わせて照れ臭そうにしたり。
目があったら紅くなって逸らしたり。
抱き締めて愛を囁いたり。

そのまま、褥を共にしたり――――







(……出来るんなら、したい、かも知れない、けど)







箸を持ってくるりと踵を返すと、丸テーブルに頬杖をした京一がいた。
今日の夕飯となったコンビニ弁当を箸と一緒に手渡すと、無言で受け取られた。



こうしているだけで幸せだと思う事も確かで。
でも、これで満足かと言われると、正直、曖昧でよく判らなかった。

だって幸せだと思うのは事実であって、ならばそれで良いじゃないかと思わないでもないのだ。
こうして顔を突き合わせたら、下らない話をして、時に命を張って、背中を合わせて。
自分の想いを、あの時京一が受け止めてくれたのだと言う事実があって、これが幸せなんだと。
……だったら、わざわざその先にある事を臨まなくたって良いんじゃないかと。


―――――思う一方で、もっともっと、と欲張っている自分もいる。




彼が嫌がる事はしたくない。
このままでも幸せだと思う。

だけど、もっともっと欲しがっている。






彼は自分を、何処まで赦してくれるのか、まだ少しだけ不安だった。















「おい、龍麻」


「何?」


「………お前、オレになんもする気ねェの?」




「え? していいの?」





「……………え?」


















長くなったぁああ!!(いつもの事だろが(爆))

この京一は、ひょっとしたら墓穴掘ったかも知れません。
いえ、ラブラブなんで良い事ですけどね。