[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「アンジー兄さん」
つんつん、と。
可愛らしい居候に、可愛く突付かれて。
アンジーが視線を落とすと、まだアンジーの身長の三分の二ほどまでしか伸長のない子供がいて。
「兄さん、トリック・オア・トリート!」
にーっと悪戯っ子の笑みを浮かべて、小さな手を差し出しながら言う。
この子供がハロウィーンと言う行事を知ったのは、去年の事。
師から稽古をつけて貰った帰り道で、お盆は過ぎてクリスマスにはまだ早過ぎるこの時期の、華やかと言うには少々不思議な飾り付けを見つけた日。
『女優』に帰った子供は、同じく飾り付けをしていた店の様子に、今日は何かあるのかと問い掛けた。
それで帰ってきたのがハロウィーンと言う単語であった。
夏祭り程華やかではない様子に最初は興味を持たなかった子供だったが、お菓子が貰える日と聞いて目色を変えた。
普段どんなに背伸びしてみせる年頃でも、食い意地はやはり子供らしかった。
それから一年。
この子はしっかり今日と言う日を覚えていた。
「なんかあるだろ?」
「うふふ。抜け目ないわねェ、京ちゃん」
貰えないなんて露ほども思っていない顔で言う京一。
そして、その言葉通り、アンジーは用意していたお菓子を小さな手のひらに乗せてやった。
「サンキュー!」
「どう致しまして」
京一は、貰った飴玉や小さな袋に入ったスナック菓子を、纏めてズボンのポケットに突っ込んだ。
それから店内で寛いでいたサユリとキャメロンの下にも走る。
「サユリ兄さん、キャメロン兄さん!」
「あら、京ちゃん」
「なァに?」
駆け寄ってきた京一に何用かと尋ねながら、本当はサユリもキャメロンも今日と言う日を知っている。
でも此処は敢えて聞いてあげなければ。
先駆けてお菓子を渡すのも喜んでくれるかも知れないけれど、「イタズラが出来るかも知れない」と言う子供らしい楽しみを奪っては可哀想だ。
うきうきした表情で、京一はサユリとキャメロンの前で立ち止まる。
その浮き足立った表情は、とても可愛らしくて堪らない。
「トリック・オア・トリート!」
「はァい、待ってたわヨ」
「どうぞ、京ちゃん。お腹一杯食べてね♪」
京一が差し出した両手に、沢山のお菓子が乗せられた。
多すぎて手の平から零れ出してしまう位に。
落ちた飴を拾おうとしながらも、京一は両手が一杯で動けない。
手の中の飴をポケットに入れようと思っても、その為に動く事すら出来なかった。
両手の山盛りの飴と、床に零れた飴を、おろおろ見比べる姿が可愛い。
アンジーはそんな京一の頭を撫でて、落ちた飴を拾うと傍にあったソファに置いた。
それを見て、取り敢えずは自分もそうして置こうと、京一も手の中の飴をソファに転がす。
両手が自由になって、京一は最後にカウンターの向こうにいるビッグママの下に駆けて行った。
「ビッグママ!」
「なんだい?」
「トリック・オア・トリート!」
先と変わらず、うきうきと。
何が出て来るんだろうと、待ちきれない様子でカウンターに乗り出しながら京一は言った。
すっかり此処の面々に気を赦してくれた子供に、ビッグママは小さく微笑み、冷蔵庫へと向かった。
―――――――が。
ふと思い立って、ビッグママはわくわくと冷蔵庫を見ている京一に声をかけた。
「京ちゃん、例えばだけど―――」
「あ?」
「お菓子が貰えなかったら、どんなイタズラをしてくれるんだい?」
それは、ちょっとしたイジワル心から来た質問だった。
貰えないなんて思っていない様子の京一の事、貰えなかった時のイタズラは考えていないような気がした。
でも考えているのなら、どんな可愛いイタズラをしてくれるのだろうと。
―――果たして、京一は少しの間きょとんとして、
「ないのか? お菓子」
「さてねェ。どうだったかしら。そうだとしたら、京ちゃんはどうする?」
質問を質問で返される形になったが、京一は其処については何も言わず、うんうん考え出した。
乗り出していたカウンターから降りて、子供が座るには高い椅子にちょこんと座って。
頭を右にこっとん、左にこっとん傾けながら、うーだのあーだの唸ってプランを考える。
真面目に考え出した京一の後姿を見て、アンジー達は口元が緩む。
いつでも真っ直ぐに突き進む子だから、揶揄われている事に中々気付く事が出来ない。
ちょっとした冗談で言った事も、こんな風に本気で悩んでくれるのだ。
でも考え事をするのは余り得意ではないから、あまり考え込むようだったら、途中で冗談よと言って上げないと。
ビッグママもそうするつもりで、手は既に冷蔵庫の蓋にかかっていた。
それから数十秒、たっぷり京一は考えて。
「兄さん達の化粧、全部落とすとか」
「キャ~!」
「いや~ん京ちゃんたらエッチィ~!」
無邪気で、且つ残酷な子供の台詞に、サユリとキャメロンが悲鳴を上げた。
響いた野太い悲鳴に、京一はケラケラ笑い出す。
勿論、冗談なのだ。
「ウソウソ。ウソだって」
「ほんとォ~?」
「だって兄さん達の化粧取ったら、ホントに妖怪になっちまうもん」
「ひっどォ~い!」
ケラケラ笑う子供の告げた単語に、一年前ならサユリもキャメロンも激怒した所だろう。
けれども一年間も一緒に過ごしているのだから、今の京一が本気でそんな事を言わない事も知っている。
京一も一年前の邂逅の事件は忘れていないから、本気で言う事はない。
ケラケラ笑う京一を、サユリが抱き締める。
ぐりぐり頬を押し付けられて、添ったばかりの青髭がジョリジョリと京一のまろい頬をくすぐる。
痛ェ痛ェと逃れようとじたばたする京一を、サユリは逃がさなかった。
飛んだ冗談へのお返しの熱い熱い抱擁。
京一は最初の頃からずっとこれを嫌っていて、される度に悲鳴を上げるのだ。
続いてキャメロンが、まだまだ小さな京一の体を高い高いと抱き上げる。
京一は一瞬ひっくり返った声を上げたが、直ぐに楽しそうに笑い出した。
最初の頃はこれも、いつ落とされるかと言う心配からか嫌がっていたが、流石にもう慣れてくれた。
赤子があやされているようだと嫌がることもあるのだが、今日はお菓子を貰った事もあってか、機嫌が良い。
小さな居候がそうして遊んでいる間に、ビッグママは冷蔵庫を開け、目当てのものを取り出した。
「そんな事されちまったら、営業に支障が出ちまうからね。ほら、お目当てのモンだよ」
「やりィ!」
カウンターテーブルに出されたショートケーキに、京一が破顔する。
キャメロンの腕から、座っていた椅子に下ろして貰うと、直ぐにフォークを手に取った。
大きく口を開けてぱっくり一口含むと、丸い頬が幸せそうに紅くなる。
「へへッ、サイコーだよな、ハロウィーンって!」
フォークを咥えて、丸い頬に生クリームをつけて。
笑う子供に、従業員の黄色い声が上がるのだった。
====================================
実は去年のハロウィーンで、この作中の「去年の話」を書こうとしてました。
時間があればそっちも書きたかった………(泣)!
優しい言葉とか、温もりとか――――多分、慣れていないのだろう。
触れる度に小さく肩を跳ねさせるから。
腹が減ったとか、喉が渇いたとか、退屈だとか、課題が終わらないとか。
拳武館の寮を訪れて、八剣の部屋まで来て京一が言い出すのは大体そんな事だ。
最悪の出逢いとも言える最初の邂逅から、随分経つ。
その頃の京一の警戒振りを思うと、本当によく此処まで心を赦してくれたものだ。
その上、恋仲になるなど――――正に、八剣の粉骨砕身の賜物である。
しかし、それでもまだまだ、前途は多難のようで。
唸り声をあげながら、それでも嫌いな勉強を続ける京一。
今仕上げているのはとっくに提出機嫌を過ぎた生物の課題だ。
担当教諭からお情けで延ばして貰った提出は、明日が本当に限界の提出日となっていたのだが、ついさっきまで全く手をつけていなかった。
なんでも科目の担当教師が嫌いなのでやりたくなかったそうだが、それでも高校はちゃんと卒業したいので、ブツブツ文句を言いつつも問題の解答欄を埋めていっている。
……のだけども、その答えを解いているのは殆どが八剣だったりする。
宿題って自分でやらないと意味ないんじゃない、とは八剣は言わない。
思わないでもないが、卒業できなくなるのは御免だと縋って来られたら、拒否など出来ず。
いや、最初からそういう選択肢は八剣の中に存在していないのだが。
ついでに、京一のこういう事態は珍しくない事らしい。
補習で出された大量のプリントも、学友達の助けあってのクリアが毎度の事だと言う。
そして今日も相変わらず、殆どを八剣に解いて貰って、京一の課題は片付いた。
「ッぐあ~~~~~~~~ッ」
終わったぁあああああ! と言う台詞の代わりのように、吐き出された音。
解答欄の埋まったプリントを下敷きにして、京一はばったりと卓袱台に伏す。
「お疲れ様」
「……あ~~~~~~……」
課題が間に合って、今回の件での留年は免れて。
ようやくほっとした京一の緊張の糸は完全に切れており、まともな返事をする元気もないらしい。
そんな京一の頭を撫でると、ぴくりと細身の肩が跳ねる。
が、頭が持ち上がることはなく、振り払われる事もなかったので、八剣はそのまま京一の頭を撫で続けた。
「美味い茶菓子があるんだけどね。食べる?」
頭が縦に小さく揺れた。
撫でる手を離して、立ち上がる。
京一ものろのろと起き上がった。
全く。
普段からもう少し気をつけていれば、此処まで追い込まれる事もないだろうに。
でもこうしてギリギリになって追い込まれると、京一は大抵自分を頼って来てくれる。
学友達も教えてはくれるけれど、その度に揶揄されたり、莫迦にされたりするのが嫌なのだと言う。
それも彼らとはコミュニケーションの一つではあるのだが、京一にとっては卒業がかかっている為、笑い事に出来ないのだ。
終わればやっぱり、笑い事にするけれど。
八剣ならば教えろと言えば教えてくれるし、学友達のように揶揄ったりしない。
ついでに、終わればこうして食べ物にもありつけるし、そのまま泊まっても良いしで、彼にとっては実に好条件なのである。
八剣にとっても、京一が自分の元へ自ら来てくれる、その上頼ってくれるとなれば、悪い気はしなかった。
でも、どうやら京一の方はまだまだ、そう開き直れないらしい。
盆に茶菓子と茶を乗せて部屋に戻ると、京一はさっきと同じ姿勢のままで待っていた。
お待たせ、と声をかけると、切れ長の目が此方を向く。
その瞳は何かを言いたそうで―――――、彼の手の中には、先ほど片付けたばかりのプリントがあって。
「美味いよ」
「…ん」
片付けた勉強道具に代わって卓袱台に置かれた饅頭に、京一は早速手を伸ばす。
むぐむぐと粗食するのを横目に、「ね?」と笑いかける。
一口目に食んだそれをよく噛んで、飲み込んで、また食んで。
京一は持ったままだったプリントを見ている。
「…………おい」
「うん?」
京一の声は、少し強張っていた。
視線はやはりプリントに向けられたままで、八剣を見ようとしない。
「……悪ィな、毎回」
小さな声で呟かれた言葉に、八剣は一瞬瞠目した。
京一はまだ此方を見ない。
京一は八剣を見なかったが、八剣からは京一の横顔が少しだけ見えた。
首から耳から赤くなって、頬も薄らと紅潮しているように見える。
正面から顔が見たかったけれど、絶対に嫌がるだろうと予想できるから、覗き込もうとは思わなかった。
突然だった侘びの言葉の真意を、八剣は測りかねる。
謝られるような事など、八剣はした覚えはないし、京一にされた覚えもない。
多分――――毎回付き合せていることと、自分では解けない問題(ほぼ七割近く)を八剣に解いて貰う事と。
それについて八剣が文句も何も言わずに引き受けるから、返って居心地が悪くなるのだろう。
学友達のように、冗談でも貶すような態度を取るなら、言い返してスッキリ出来るのだろうけど。
打算も計算も何もなく、ただの好意であるというのに、この少年はいつもそうだ。
いや、だからこそ慣れないのだろうか。
だからきっと、此処で優しい言葉をかけても、この子はまた気まずい顔をするのだろうけど、
「構わないよ。それで京ちゃんが助かるなら、幾らでも」
……言ってから。
ああやっぱり俯いちゃった、と下を向いてしまった京一を見て思う。
でも慣れてないと言うのなら、自分はずっとこうして彼と接するだろう。
いつか、自分の言葉で笑ってくれる日が来るように。
====================================
10月10日現在の拍手、“正直になれないあなたに5のお題(01 慣れない優しい言葉)”で書いていたものでした。
此処に放置するネタ粒って、なんか八京が多いような……ってか、そればっかり?
なんでかしら。書き易いのかしら。ちょいとした話は確かに書き易いかも。
龍京も書きたいんですけどねぇ……改めて考えると、中々思いつくものがないです。ほら、ナチュラルラブだから、うちの二人。
「殺れよ」
物騒な言葉だ。
一つ間違えると、意味が違ってくる言葉だ(下の意味で)。
けれども茶化すところでないだろうから、八剣は黙した。
学ランを脱いで、シャツを脱いで。
巻かれたばかりの白い包帯を剥き出しにして。
京一は、壁に寄り掛かったまま目して動かない男に問う。
「なぁ、殺れよ。なんでしねェんだよ」
ともすれば触れ合いそうな程に、互いの唇の距離が近い。
京一が少し前に傾ければ、八剣が少し動けば、それは間違いなく重なるだろう。
その直前の距離を保ったまま、二人の間はそれ以上には縮まらなかった。
また何処かで喧嘩をして来たのか、京一の唇の端は切れて、血の固まった痕が残っていた。
先刻まで学ランの襟で隠されていた首にも鬱血があり、痣になっている。
何気なく、八剣は京一の首の鬱血に触れた。
そのまま重ねようと思えば重なる唇は、やはり互いに動かないまま距離を保つ。
切れた唇の端を舐めても良かったが、止めておいた――――なんとなく。
「聞いてんのか」
「聞いてるよ」
何も言わない八剣に焦れて睨む京一に、八剣は端的に返す。
疑うように眼が光る。
「殺れよ」
「どうして?」
同じ言葉を繰り返す京一に、八剣は問う。
「殺られてみてェ」
またこれは……興味本位とは、実に物騒な言葉だ。
そして見下ろす瞳もまた、この上なく物騒で危険だ。
其処に何があるのか。
其処で何があるのか。
見てみたい。
ただそれだけの事。
小さな子供が、見つけた小道の向こう側に興味を示すのと同じ事。
「拳武館てよ、暗殺集団なんだろ」
「ああ」
「依頼したらよ。金払ったら殺ってくれんだろ」
「さてね、無差別の暗殺集団じゃないから。誰も彼もって訳じゃない」
「基準は?」
「単純に言えば、法の隙間で悪事を働く連中―――が、標的になる」
「判断すんのは?」
「館長だね」
依頼。
するつもりなのだろうか、この少年は。
冗談とも本気ともつかない言葉の真意は、八剣にも判らない。
単なる言葉遊びをしているようにも見えるが、先程の物騒な言葉と、興味本位と言うのは恐らく本気だ。
仮に目の前の少年が拳武館に依頼をしたとして、館長は受けるだろうか。
―――――恐らく否、あの人はこの少年の人となりと、その傍らにいる人間を知っている。
「オレはどうなる?」
「標的にはならないよ」
「お前、オレ殺りに来ただろうが」
「…あれは偽者だったから」
あの話をされると、今も耳が痛くなるし、心中は酷く複雑になる。
信じるものを信じていたら、その信じた筈のものが紛い物になっていて、それに気付かずにいた。
お陰で自分はこの少年に出会えたから、悪いことばかりでなかったと言えばそうかも知れないが、やはり――――悔やまれる事は多い。
今後、目の前の少年が八剣の標的になる事はないだろう。
京一は口も悪いし、態度も悪いし、目つきも優しくはないが、素直じゃないだけだ。
根は真っ直ぐで気に入らないことは気に入らないというし、其処にも彼自身の行動理念がある。
裏表の顔がある訳でもなく、この少年が再び拳武の標的にされる事は、恐らく有り得ない。
依頼が来たとしても、せめてその真意を確かめてから、と言う事になるだろう。
だが、通常ならばそれで安心しそうなものを、この少年は判り易く舌打ちした。
「――――どうしてそんなに死んでみたいの?」
京一の両の頬に手を当てて、少し上向けさせて。
真っ直ぐに視線を交わらせて、八剣は問うた。
京一は、その手を振り払わなかった。
「あの時―――結果的には生きていたけど、死に掛けたんじゃないのかな?」
「ああ。死んだと思った。ムカついたけどな。生きてる訳ねェってよ」
「じゃあ、もういいだろう」
最初の逢瀬。
最初の決着は、京一の完全な敗北で終わった。
あの時、八剣は殺すつもりで京一を斬った。
躊躇うこともなければ、感慨を残すこともなく、紙切れに鋏を入れるのと同じように。
その後確認したつもりはなかったが、生きて戻って来る事もないと思っていた。
京一自身、死の淵を彷徨った覚えがあると言う。
《力》を持っていた所で、躯は生身で、多少頑丈だと言う程度で、不死になった訳ではない。
大きな傷と大量の失血をすれば生命維持は出来なくなり、やがて心臓は止まる。
紅い海の中で、紅い世界で、闇の底へと落ちていく――――――。
京一は生きて戻ってきたけれど、その一歩手前まで行っていた。
「あまり何度も経験したいものでもないと思うよ」
「あー……そりゃまァな。夢見の良いモンでもなかったし」
頬に手を添えられたまま、京一は思い出すように目を動かしながら言う。
だが、どうも気が変わることはないようで、
「けどよ。今なら面白いモンが見れそうだし」
やっぱり単なる子供の興味本位のように、京一は言う。
表情も変わらない。
「あン時、嘘だろってよ。そればっか思ってた。吾妻橋が喚いてんのもどうでも良くて。負けんのがありえねェってよ」
「今こそ、京ちゃんが俺に負ける事はないと思うよ」
「嘘吐け。ああ、その前に、負ける負けねえの話じゃねえんだよ」
同じ姿勢でいるのが辛くなったのか、京一が少し身を起こした。
「負かせろって誰が言ったよ。殺れっつってるだけだ」
「違うのかい?」
「勝負してねェから、オレが負けた事にゃならねェ」
「ああ、成程」
勝負ではなく、一方的に。
暗殺の標的として屠れと。
無茶を言うなァ、と八剣は思って、笑みが浮かんだ。
感情の殺し方はしっているし、知っている人間を殺した事が皆無と言う訳でもない。
表の顔の付き合いがあった人間の中で、裏の顔を見た事だって何度もある。
見ていなくても、標的になれば刀を振るった。
それが自分の選んだ道だから。
館長からの見え隠れする気遣いも、気持ちだけを汲み取って、昨日までの知り合いを闇に葬って。
後で血反吐を吐こうが、見えない何かに追われようが、刀を振るうのは止めなかった。
でも、駄目だ。
目の前の少年だけは、もうどうしたって“標的”として見る事が出来そうにない。
「無理だね」
「何が」
「京ちゃんを殺すのが」
「ンだよ」
「館長も受けないだろうし」
「………」
八剣の言葉に、京一は至極つまらなそうに唇を尖らせた。
子供が拗ねる顔と同じだ。
その顔で、物騒なことを考えている。
「いいじゃない。一度死に掛けたんだし、俺は京ちゃんを殺しかけた。そういうのは、一度きりで」
「だから違ェよ。オレは今殺られてみてェ気分なの。あの時と違ェんだよ」
抵抗する意思がない、それが最大の違い。
向けられた刃を、今度は素直に受け止める。
それでも無理だと繰り返して言い続けていると、くるりと京一は八剣に背を向けた。
機嫌を損ねたかと一瞬思ったが、どうやらそういう訳でもないらしく。
背中から倒れこんできた京一は、八剣に胸に寄り掛かって体重を預け切って来た。
見下ろした先に白い包帯があって。
その下にある傷は、自分が刻み付けたものだ。
「京ちゃん」
「あ?」
「面白いものって何?」
「あ? ……ああ、」
八剣の言葉が、先程自分の言った言葉そのままだと思い出して。
京一はがりがりと頭を掻いてから、
「さぁな。知らね」
「そう」
「でも、あン時とは違うんだろーなって思ってよ」
負けると思っていなくて斬られた。
だから、あの瞬間其処にあったのは自信と自身の喪失感。
でも今は違う。
勝ち負けとは関係なく、ただ斬られる。
判っていて逃げずに、斬られる。
「例えば、オレを斬った時のお前の顔とかよ」
「京ちゃん、案外趣味が悪いんじゃない?」
「良くはねェだろ。お前ェと一緒にいるんだし」
これはこれは、酷いことを言ってくれる。
けれども、八剣は腹を立てなかった。
「あの時は見てなかったからな。お前の顔」
「見なくていいよ」
即座に返ってきた言葉に、京一が顔を上げる。
互いに見上げ、見下ろしていた。
先程と同じように、少し動けば触れ合うほどに近い距離で。
「見てみてェんだよ」
「酷い顔してるから、見なくていい」
「だから、」
「いいから」
言い募る声を遮って、八剣は強い口調で言い切った。
================================================
……此処ら辺で着地点が判らなくなって、手が止まって、以降進まなくなりました。
まぁ、恐らく甘々を暫く書き綴ってたので、その反動だったんだと思います。
急に視界が変わった。
開けた通りを歩いていた筈なのに、瞬き一つした後に見たのは、薄汚れた暗い細い路地。
一瞬何が起こったのか判らず、呆然としてしまう。
だが呆けた後、目の前に迫る顔が何者であるか思い出し、
「テメェ―――――――ッ」
開けた口が塞がれて、侵入してくるものがあった。
息苦しさと気持ち悪さで背中にぞわぞわとしたものが走り、京一はそれから逃れようと身をよじる。
しかし相手がそれを許すことはなく、抵抗の意を見せる腕を掴み容易く封じ込めてしまった。
木刀は右手にある。
あるだけだ。
反応が遅れた所為で、反撃が出来ない。
油断していた自分を今更ながら忌々しく思う。
呑気に道を歩いていた数秒前の過去の自分の頭を力の限り殴ってやりたい。
厄災がすぐそこに来ていると。
「ん、ぐ……うッ…………!」
背中に埃臭いビルの壁が当たる。
掴まれた腕が頭の横に押し付けられた。
振り払おうとする力を許さないとばかりに強く握られ、手首の骨がミシリと悲鳴をあげたような気がした。
じたばたと不格好に情けなく暴れる。
みっともない自分に腹が立つが、そうでもしないと、この拘束から逃れることは出来ない。
「……………はッ……!」
唇が離れて、息を吸い込んだ直後、足を振り上げた。
腕の拘束が外れて、京一を捕えていた目の前の男の体が離れる。
そいつを睨んで、京一は残る熱の感触を拭い去るように乱暴に口を拭う。
「ふざ、けんなッ!」
「真剣だよ」
叫んだ京一に、男―――――八剣右近が言う。
その言葉にこそ、ふざけるなと言ってやりたかった。
一歩、八剣が足を踏み出すと、京一の古傷がジワリとした痛みを滲ませる。
既に傷は塞がっていて、残ったのは綺麗と称して良いほどに整った刀傷。
もう痛むこともないだろうと岩山から診断され、事実、生活の中で気になることもない。
―――――――――が。
この男の顏を見る度、其処からドロリとしたものが溢れ流れ落ちていく。
「なんの用でェ」
「別に。顏が見たいと思っただけだよ」
「だったら」
もう失せろと言おうとした声が、喉で引っ掛かって詰まる。
僅かに開いていた筈の二人の距離が、また零に近い。
見下ろす眼は、獲物を見付けた蛇に似ていた。
無意識に足が下がって、けれど背中に当たる壁の所為でそれ以上は下がれない。
「やっぱり、見るだけじゃあ勿体ないね」
見下ろす瞳に映り込んだ自分の顏が、酷く滑稽な形をしているような気がする。
足はしっかりと地に根付いていて、返って強く根付き過ぎているような気がした―――――だって早く此処から離れないといけないのに、足は頭の命令を無視したままで動かない。
此処にいるのは危険だと警鐘が鳴っているのに、見下ろす眼から逃げられない。
―――――――その時、通りの方から聞き慣れた声がして、
「京一、もう行っちゃったかな」
「京一だからねー。もう食べ始めてるんじゃないの?」
「あー、ボクもお腹空いたぁー……」
京一の意識がそちらに向くのと同じく、八剣の目が細い路地の向こう、さっきまで京一が歩いていた通りへ向けられる。
その一瞬を逃す手はなく、京一は地面を蹴った。
――――――――が。
「―――――………ッッ!!」
「ごめんね。逃がしてやる気はないんだ」
右腕を捕まれて、おかしな方向に捻られる。
痛みに上がりかけた声は、後ろから延びてきた手で塞がれて、くぐもった音しか出なかった。
呼吸を妨げる手に歯を立てた。
背後で息を飲む気配がしたが、手は離れない。
寧ろ面白がるように指を挿し込んで、歯の裏側をなぞる。
「う、ぐ……!」
正面から壁に身を押し付けられる。
埃臭くてむせ返った。
咳き込んで浮かんだ目尻の雫に舌が這い、ゆっくりと舐めて。
そのまま生温いうごめくそれは場所を変え、やがてうなじに辿り着くと、味を確かめるように繰り返しねぶる。
―――――――ぞくりと、嫌な感覚がして、京一は唇を噛む。
聞き慣れた気配と声は、まだ近くにある。
けれど、確実に遠退いて行く。
――――――――光は近い筈なのに、酷く遠い。
「堕ちておいでよ」
遠退く光と、
己を絡め取る闇と、
――――――………多分どちらを選んでも、きっと何かが壊れるのだ。
================================================
この後は完全に裏。
京一の心情は微妙な所です。
本気で拒絶できないけど、受け入れることも出来ない。
八剣はそんなのお構い無し。欲しいから手に入れようとする。
鬼畜全開の八剣って、そういやなんだかんだで書いてなかったなーと思いまして。
だからって街中でねぇ……(滝汗)
その内がっつり書こうと思うんですが、表に晒すかダークサイド行きか微妙な感じだなあ。
同じシチュエーションでも、龍京だったら最終的には結局ラブイチャなんですけどね(笑)。
過ぎた痛みと深い傷は
………悲鳴さえも、もう忘れた
ふらりとやって来た少年を、部屋の中へと招き入れる。
訪れた理由など聞く事はなく、ただやって来た彼をごく当たり前に八剣は受け入れる。
その都度、京一はいぶかしんだ顔をして見せるのだが、結局彼も何も言わず、部屋の敷居を跨いだ。
この猫は、今日は何処をさまよっていたのだろうか。
八剣に聞く権利はなく、あったとしても彼は答えないだろう。
余計な詮索をするなと、くすんだ光が此方を睨むのが精々だ。
知りたくないと言えばそれは嘘だが、相手が言いたくないのならば無理に聞き出すわけにも行くまい。
そんな事をしたら、この猫はあっと言う間に此処から飛び出し、戻って来なくなるに違いない――――――ようやく、この距離まで八剣側から踏み込むことを許してくれたと言うのに。
「シャワー浴びる?」
問い掛けると、京一は無言で此方に目を向ける。
まるで疑うようにしばらく八剣を睨んだ後で、くるり踵を返し、風呂場へと向かった。
バスルームからシャワーの音が聞こえてきてから、八剣は小さく息を吐いた。
詰めていたつもりはなかったが、それでも漏れた息は溜息じみていて、もう一度、今度は本当に溜息が出そうになる。
学ランの詰め襟に隠れ損なった、赤い痕。
終始ポケットに入れたままだった左手の手首。
隠しているつもりはない。
寧ろ、見ろと云わんばかりに京一は痕を晒け出す。
痛みさえも忘れた顔をして。
どういう経緯で―――――なんて話は聞きたくない。
京一はそれを拒絶するだろうし、聞かなくてもおおよそ見当がついた。
(――――――大丈夫だよ、京ちゃん)
口許に浮かんだのは、笑み。
其処に昏い感情はなく、ただ何処までも慈しんで包み込みたい気持ちだけ。
………それに気付いて欲しい人は、未だ灯りのない路地を歩き続けている。
ぽたり。
水の気配がして、振り替える。
しとどに濡れた髪も、朱を帯びた肢体も隠さずに、産まれたままの姿で立ち尽くすのは、想い人。
「風邪ひくよ、京ちゃん」
京一は肩にタオルを引っ掛けたまま。
本来の役目を果たせないまま、布は首周りと後ろ髪の水分だけを吸い取っている。
拭いてあげようか。
冗談めかして言いかけて、京一の方が先に動いた。
八剣の前に膝を落として、まるで雄を誘う彪のように肢体を揺らし。
「抱けよ」
首筋の赤い痕と、腕の手形の鬱血と。
あの時負わせた消えない傷を隠さずに、零に近い距離で囁いて。
挑発的な顔をして、震える声で八剣を試す。
お前はオレを愛してるなんて、薄っぺらい世迷事をほざくけど、
お前がオレに抱いているのは、単なる都合のいい偶像で、
目の前にあるホンモノは、こんなに狡くて汚くて、誰もなんにも信じちゃいない。
これでもお前は愛してるなんて囁くのか?
(――――――………大丈夫だよ)
そんなに震えなくて大丈夫。
そんなに脅えなくても大丈夫。
だから、早く気付いて欲しい。
自分自身が思う以上に、自分が傷付いている事を。
……どんなに君が汚されても、俺は君を愛してる。
-------------------------------
……こんな感じに荒んでる京一と、大海の如く広い度量でそれを受け止める八剣。
どっかで名前も知らない男とヤった後、そのまま八剣のとこに行く京一。八剣の「愛してる」が信じられなくて、こんな事して八剣を試してます。