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ドンドンと荒く叩かれる門戸に、目を覚ましたのは剣心であった。
薫と弥彦は、昨日は随分と修練に熱が入っていたらしく、すっかり爆睡していた。
朝餉の準備もあるので、この時間に目が覚めるのは珍しいことではない。
しかし門戸を叩く音に起こされるというのは、普通に目覚めるのに比べて落ち着かないものだ。
朝早くから一体誰がなんの用事なのか――――、剣心は欠伸を堪えながら手早く着替えを済ませた。
顔を洗って寝起きの頭を覚ましたい所だが、門戸を叩く音は止まず、急かしているようであったから、
仕方なく剣心はこれまた欠伸を堪えながら、神谷道場の門戸へと向かった。
門戸が荒々しく叩かれる事には、良い思い出がない。
何某かの騒動が起きている事が常であるので、剣心は少しだけ、門を開けるのが億劫だった。
とはいえ放って置くわけにも行くまい、この叩く音の大きさは立派な騒音だ。
「はいはい、どちら様でござるか――――――………」
しかし、開けてびっくり玉手箱(いや、門か)。
この日ほど驚いたことはなかったと、剣心は後に語るに自信を持った。
【相楽少年記 神谷道場編】
「………これは、また…………」
随分と下に位置する子供の頭を見下ろす剣心の目は、正に点状態。
開いた門の向こうに立っていたのは、白い薄汚れた半纏を着た小さな子供。
齢は五つか六つの頃と言った所で、弥彦よりもずっと小さい。
だがその面立ちは、剣心が無二の友人と呼ぶ青年にそっくりであった。
負けん気の強いぎらりと光る眼力と、鶏冠を思わせるツンツンに立った髪。
生意気盛りの子供らしく、真一文字に噤んだ口の変わりに、見下ろされるのは不本意だとありありと顔に描かれている。
だからと言って剣心がしゃがんで目線を合わせるなんてした日には、足か拳が飛んでくるに違いない。
更に決定打となりうるのは、額に巻かれた赤い鉢巻。
それこそ、剣心の友人が常に肌身離さず身につけている代物であった。
そう。
この子供は、相楽左之助そっくりで。
「………左之に子供がいたとは、知らなかったでござる」
「お決まりのボケやってんじゃねえよ! 本人だッ!!」
案の定、剣心の言葉に蹴りが飛んできた。
向う脛を遠慮なく蹴飛ばされて、剣心は足を抱えて蹲る。
「言われるだろーと思ってたが、やっぱ言われっと腹立つぜ!」
「おろ〜………」
腕を組んで憤慨する子供に、剣心は眉尻を下げる。
確かに、そうして怒る様は、自分のよく知る青年と綺麗に重なる。
だが面立ちが似てはいても、其処にあるのはやはり幼い横顔であった。
だから思わずもう一度確認したくなるのも、無理はない。
「お主……本当に左之助でござるか?」
「だからそうだっつってんだろ。……まぁ、そう言われても無理ねェたぁ思うけどよ」
むすっとした顔で言う子供―――――左之助は、見下ろす剣心をまた不満そうに見上げた。
長身に育った筈の左之助に見上げられるとは、なんとも奇妙な気分だ。
弥彦曰く“剣心組”の中では、華奢に見られても一番立派な体躯をしていたと言うのに。
……此処にいるのは左之助でありながら、弥彦よりも更に小さな左之助であった。
取り合えず中にと促せば、小さな左之助は遠慮なく神谷道場の敷居を跨ぐ。
出逢って一緒に行動を共にするようになってから、左之助はいつでも遠慮なく此処に来る。
全く気負いのない足並みは、やはり剣心のよく知る左之助と同様のものだ。
更には、背中に悪一文字が翻り。
子供には大きすぎる文字であったけれど、しっくりと嵌る背中に、これは左之助以外の何者でもない。
「しかし、一体何故そのような状態に……」
「そりゃ俺もよく判らねェんだがな。家で一人で考えてても埒開かねェんで、こっちに来てみたんでェ」
大きさの合わない靴―――いつも左之助の履いていた靴だ―――を脱ぎ、左之助は道場の縁側に上がる。
いつも晒しで覆われていた足は、今は外気に晒されて、子供らしく柔らかそうだった。
同じく無骨な大人の形を象っていた手の平も小さくなっており、触れればぷにぷにと反動がありそうだ。
拳ダコも、二重の極みの後遺症すらない、まっさらな手だった。
落ち着いて見れば、左之助の格好は不浮児と言われても文句の言えない身形だった。
着ているのは悪一文字の半纏一つ、いつも開いていた前襟を合わせて、腰の位置で紐で括っていた。
成長したからこそ履けていた細袴などなく、東京の街中ではもうあまり見ない風体だ。
おまけに道中どうしていたのか、左之助は埃塗れ。
怪我こそしていないものの、乞食と間違われても仕方があるまい。
こんな格好で、朝早くの街中を子供一人で歩いてきたのか。
破落戸長屋を出る時でさえよく無事でいられたものだと、剣心は眉尻を下げる。
「何か得体の知れぬものでも食べたとか」
「昨日は修のトコで飯食ったからな。妙なもんは口に入れてねぇよ」
「昨夜は長屋に?」
「おう。飯ついでに酒飲んで帰ったが、ちゃんと床について寝たぜ」
左之助はザルだ。
酒に酔って、何か妙なものを食べたという事はないだろう。
腕を組んで隣に腰掛ける剣心を、左之助は見上げた。
「うーん……拙者もこれはなぁ…初めて見るものだし」
「やっぱ知らねェか。そりゃそうだよな、ガキになっちまうなんてよ」
「小国診療所に行ってみてはどうでござるか? 身体の異常は、医者の領分でござるよ」
「……って、あの女狐のトコじゃねえか。こんなので言ったら、何言われっか判ったもんじゃねえよ」
「しかし、何か奇病かも知れぬでござる。放って置いては、何が起こるか判らぬよ」
懇意にしている医者の名を上げれば、其処で働いている女性を思い出し、左之助はあからさまに顔を歪める。
整った面立ちであった筈の凄み顔はそれなりに効力のあるものだったが、今はまるで皆無。
医者にかかるのを嫌がる子供のように見えて、剣心はどうしたものかと首を捻った。
剣心の危惧が判らぬでもない左之助は、むうと押し黙って腕を組む。
子供になってしまった自身の身体の変調は気になるものの、左之助と恵は顔を合わせれば憎まれ口を叩く仲。
決して悪い仲ではないのだが、こんな情けない姿を見せる気にはならぬもの。
それでも剣心のもとにあっさりと来たのは、自分が認めた男だから、という意識の違いか。
意地っ張りな左之助のこと。
一人ではどうあっても、診療所には行かないだろう。
「拙者も同行するでござるから、話だけでも聞いて見るでござるよ」
「……………わーったよ………」
渋々という表情で頷く左之助に、一先ずこれで良し、と剣心は息を吐く。
「これから拙者は朝餉を作るが、左之も食べるか?」
「おう。起きてからずっとこんなだからな、腹減っちまった」
「薫殿と弥彦には拙者から話そう」
「おう」
台所に向かう剣心の後ろをついて歩く、小さな子供。
ちょこちょことついて来る様がなんだか雛のようで、剣心はこっそりと笑った。
小柄とは言え、剣心は大人だ。
普通の歩幅で歩いては、今の小さな左之助を置いていってしまう形になる。
かといって今の左之助に合わせて歩けば、それに気付いた左之助が怒り出すのは容易に想像できた。
身形は小さな子供のようでも、頭の方は剣心達がよく知る左之助なのだ。
小走りになる左之助が追いつくことが出来る程度の歩幅で、剣心は台所へ入っていった。
米を砥ぐ剣心の横で、左之助は落ち着かない様子で、半纏の裾を捲り上げたり戻したりしていた。
十九歳の時はしっかりと肌身に合っていたのに、今は腕を下ろすと手が袖の中に隠れてしまう。
未発達の肩にも半纏は乗り切らず、ずるりと容易く落ちてしまった。
幼児期と比べ、自分が如何に成長していたか、逆の形で認識させられるとは思わなかっただろう。
なんとも微妙な表情をしている左之助を尻目に、剣心は米を釜に入れた。
「左之助」
「あ? ……おう、なんだ?」
半纏の前を合わせていた紐を結びなおしている左之助に、剣心は声をかける。
「すまぬが、米を炊いておいてくれるか? 拙者は魚を焼くから」
「ああ、いいぜ。暇だしな」
鞴を手渡すと、左之助は嫌な顔一つせずに竃の前に屈む。
最近はすっかり他人に集る事の多い左之助だが、もともとは一人暮らしで、出身は農家だ。
意外と様になっているおさんどん姿に、また剣心はこっそりと笑う。
釜土の火を左之助に任せ、剣心は七輪を取り出す。
戸口の外に運んで、火をつけて魚を四尾乗せた。
パチパチと小気味の良い音を立て、魚に火が通っていく。
時折、左之助が煙に噎せ返るのが聞こえた。
気付かぬ振りをしていると、左之助は咽た涙目を擦りながら、また鞴を吹く。
「今日は左之助がいてくれるから助かるでござるよ」
「嬢ちゃんなんかは……ゲホッ、やらねえのかい」
「たまには作る事もあるでござるよ。でも、昨日は弥彦を随分扱いていたようだし、お疲れのようでござるから」
そういう理由で、大抵朝夕の準備は剣心の役目になっている。
他にこれと言って目立ってする事もないから、剣心にとっては気の楽なものであった。
「ふーん……そうか…ゲホッ、けほ、うっぷ……」
「左之? 大丈夫でござるか?」
風向きの所為で、煙が少し土間に入り込んでいた。
常であれば気にならない程度のものであったが、左之助のムセ具合が気になった。
しかし、中から聞こえてきたのは気丈な声。
「ああ、ヘーキヘーキ。気にしねぇでくれ」
「……あまり無理は良くないでござるよ」
「ヘーキだって。米ももう直ぐ炊けるからよ」
風向きを考えれば良かったな、と今更になって剣心は考える。
せめてもと、少し七輪を移動させ、煙が土間に入らないようにする。
焼き魚の香ばしい匂いに、頃合かと七輪を火消し壷へと運んだ。
丁度その時、土間の方から足音が聞こえ。
「剣心、おはよう」
「朝飯なんだー?」
町評判の剣術小町と、神谷活心流門下生の子供が揃って土間に顔を出し。
そして、固まる。
二人の視線は、揃って剣心の横にいる見慣れたような、見慣れぬ少年に釘付けになっていた。
「「………左之助って、子供(ガキ)いたんだ(のか)………」」
「本人だッッッ!!!」
剣心と同じ感想を述べる二人に、左之助は噛み付く勢いで吼えた。
次
やっちまった!!
左之助、ちっこくしてしまいました。
とにかく、皆に構われまくる話です。