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大好きだった。
撫でてくれる手も、見つめる優しい眼差しも。
大好きだった。
繋いでくれた手も、ほんの少し儚く見えた柔らかな笑みも。
大好きだった。
大好きだった。
守りたかった―――――――………
【 草 笛 】
洗練されたのではない音に、剣心はふと立ち止まった。
それに数歩遅れて薫と弥彦が立ち止まり、進んでしまった分後ろにいる剣心を振り返る。
「剣心、どうしたの?」
「いや……」
買ったばかりの味噌を肩に担いで足を止めた剣心に、薫と弥彦は顔を見合わせる。
一陣の風が吹き、それから、風に乗って運ばれた響く音に気付く。
その音は笙や龍笛、篳篥のようなものではない。
時折掠れた音を含ませながら、途切れ途切れに繋いで空気を振動させている、それ。
不器用さを表すような途切れ勝ちの鳴き音は、素朴でいて、懐かしさを感じさせた。
さらさらと川の流れの音のみが聞こえてくるのが常であった川辺に、少しだけ違う色が添えられている。
それは決して川音を邪魔する事はなく、風の音を嫌う事もなく、ほんの少し寄り添うように存在していた。
ともすればこのまま風に乗り、川の流れに乗り、彼方へと流れて行ってしまいそうな。
この、音は。
「草笛………」
呟いたのは、弥彦だった。
それがどうという事ではなかったが、なんとなく剣心は足を止めてしまっていた。
恐らく、この草笛の音が、酷く寂しそうな音に聞こえたからだろう。
途切れ途切れの音は、この草笛の奏者が決して上手ではない事を知らしめている。
けれども寂しさを感じさせるのはそういう所ではなくて、途切れた合間に吹く僅かな風が運ぶもの。
既に暑い夏を迎えようとしているのに、ほんの一瞬、その風は冷たさを感じさせていた。
まるで置き去りにされてしまった冬の名残のように。
……もう、春も終わりに近いのに。
この音が何処から聞こえているのか確かめたくて、剣心は土手下を流れる川原に目をやった。
案外早く、その音の主は見付かった。
一つ大きな岩の上に浅く腰掛けた、白半纏に黒で染め抜いた“悪一文字”。
吹き抜ける柔らかな風に棚引く赤い鉢巻は、自己主張するように揺れる。
遠目に見ても目立つだろう成り立ちは、其処にいるのが誰なのか、はっきりと教えていた。
「………左之……―――――――」
此方の所在には気付いていないのか、いつもの釣りあがった勝気な目が此方を向く事はなかった。
声をかければ、直ぐにあの威勢の良い粋な声で「よう」と片手を上げて気楽な挨拶をしただろう。
しかし如何してか、剣心も薫も、弥彦でさえも、そうする事を憚られてしまった。
他者から見て随分と自堕落と呼ばれるだろう生活を送っている彼だが、いつも背筋は真っ直ぐに伸びていた。
何があろうと何が起ころうと、誰の前だろうと怯まない、曲がった事が大嫌いな彼。
人懐こい大型犬のような、気位の高い猫のような、飄々として見せる彼であるけれど、
長身を天に向けて真っ直ぐに伸ばすその体は、彼の生き様をそのまま映し出しているようだった。
その背中が今日は、少しだけ傾いている。
長身故に周りを見る時は少しだけ見下ろす姿勢を取る彼であるが、今日はそれとは違う。
少しだけ寂しそうな、道に迷った子供のような………頼りない、背中。
「………草笛、あいつが…?」
弥彦が不思議そうに呟けば、薫も首を傾げる。
凡そ“草笛”と“左之助”という像が想像出来なかった。
そして何より、あの寂しそうな背中が見知った青年のものであると、直ぐにはピンと来なかった。
何をするでもなく見つめていると、また草笛の音。
途切れ途切れに、それでも飽きる事無く響く音色。
たった一つの音だけを、繰り返し、繰り返し。
三人はしばらくそれを聞いていたが、何度目か、プツリと草笛の音が切れ。
風が吹き、ふわりと一枚の緑が舞い飛んだ。
「……お…………」
ほんの少し、左之助の右手がそれを追い駆けるように動いた。
けれども右手は緑に届かず、気紛れに泳いだ緑はさらさらと流れる水面に落ちる。
持ち上げられた右手は少しの間彷徨っていたけれど、やがて腰掛けた岩へと下ろされた。
緑はさらさらと水面の上を滑って行き、二度と風に舞うことはなかった。
風は緑を浚おうとはせず、運ぶ水面を後押しするようにほんの少しさんざめく。
左之助は立ち上がりもしなかったし、頭を動かして緑を追おうともしなかった。
顔は此方を振り返る事はなかったから、視線で緑を追い駆けていたかも知れないけれど。
左之助は其処を動くことはなかった。
近付くことを、干渉することを、拒絶した背中だった。
図々しいくらいの人懐こさは其処にはない。
踏み込むことも、踏み込まれることも、その背中は拒んでいる。
“斬左”の時とは違う。
道に迷っていた時とも違う。
我武者羅に、自分の力だけで突き進もうとしていた時とも、違う。
迷子になった子供のような、泣くのを堪えて強がる子供のような。
いつも真正面からぶつかり、怒り、笑う左之助の姿が今だけは、酷く儚い翳に見えた。
流れて行く緑は、既に見えなくなっていた。
掴もうと追い駆けた右手は、何を求めようとしていたのだろうか。
やっちゃった……なるろ剣小説。人生初。左之助ラブで行きます。
左之助メインでイタタな話になる予定。弱り左之で。