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「よう」
神谷道場の夕餉時、やってきた男は常と変わらぬ所作で挨拶をした。
それを出迎えたのは修行をしていた弥彦で、滑り落ちる汗を拭いながら、同じように「おう」と返した。
無沙汰になるのか、左之助はよく何かを口に食んでいる。
それは道端に生えている雑草だったり、飯時に食べた魚の頭だったりする。
今日は草だった。
その草を目にした弥彦は、ふと昼間の情景を思い出す。
川原に一人佇み、草笛を鳴らしていた――鳴らしていたのは見えなかったけれど―――左之助の背中を。
いつもの左之助だよな。
ぷっと草を吐き捨てる左之助を見上げ、弥彦は思った。
あの時寂しげに見えた背中だったけれど、目の前に立つ男は見慣れたままの姿だ。
此処に来た目的だって、最早習慣にもなっている集りである事は間違いないだろう。
今日一日吹き続けていた柔らかな風は今も変わらず、左之助の赤い鉢巻を揺らしている。
腹に巻かれた晒しも相変わらず、汚れが少々目立つ白半纏も相変わらず、
背中を見れば、背負った悪一文字も変わらず其処にあるだろう。
何も変わったことなどない筈だ。
―――――だのに、あの頼りない背中が忘れられない。
「ん? なんでえ、じろじろ見やがって」
上から下まで、観察するように見る弥彦に気付き、左之助は片眉を上げた。
目付きが鋭いのに怖い印象を覚えないのは、弥彦が見慣れてしまったからか、それとも本気を含んでいないからか。
恐らく両方だろう。
「いや、別に」
「そうかよ」
弥彦の言葉に、左之助も然程気になっていた訳ではなかったらしい。
それだけ言うと、勝手知ったる道場の中へと入っていく。
弥彦はそれを追い駆けず、竹刀を持ったまま、道場に上がる左之助の背中を見つめていた。
“悪一文字”は、やはり其処にある。
棚引く赤い鉢巻も。
広い背中も、其処にある。
川辺で見た、頼りない翳は何処にもない。
負けず嫌いで頼れる兄貴分、そんな背中があった。
なのに何故、あの背中が頭から離れないのだろうか。
………物珍しかっただけだよな。
行き着いた答えは、弥彦を納得させるには十分な代物だった。
普段見ないものを見つけた時、それは初めて見たという鮮烈さから頭の中に強く残る。
それがほんの一瞬のものであっても、たった一度のものであっても――――否、だからこそ。
優しい人が怒った時のように、いつも怒っている人に優しくされた時のように、
たった一度だけしか見ていない場面だけれど、焼き付けられたイメージは忘れられなくなるのだ。
料理がてんで駄目(当人は否と言うが)な薫が、時々美味い飯を作れば、やるようになったなと思う。
人に飯を集ってばかりの左之助が、奢ると言えば周りは驚く。
とにかく、そんな風に、ほんの一瞬の出来事ではあるけれど、常と違うものを見るとそうなってしまうものなのだ。
いつも強い背中を見ていた。
弥彦の中で一等強いのはずっと剣心であるけれど、左之助は別の意味で強い。
喧嘩屋をしていた間は負け無しだと言うが、それも嘘ではないだろう。
弥彦が知っている限り、左之助が負けた相手はたった一人だけ。
それも左之助は越えようと、強くなろうとしている。
剣心の隣に並ぶ背中は、いつも自信に満ち溢れて、真っ直ぐ前を見つめていた。
時折肩越しに此方を見遣る瞳もやはり自身に満ち、揶揄いながら弥彦に発破をかける。
優しく諭す事などしないけれど、蹴倒す勢いで背中を押す事を躊躇わない男。
剣心とは違う、ギラギラと強い光を持つ男。
それが明神弥彦がよく知っている、相楽左之助だった。
だから、あの川原で見た情景を忘れることが出来ないのだ。
(大体、迷子みたいだなんてねぇよな。こんな奴に)
土間の方から聞こえてくる薫の怒鳴り声に耳を塞ぎつつ、弥彦は思い、うんうんと頷いた。
草笛なんかを吹いていた。
一人であんな場所にいた。
ほんの少し、寂しそうな背中。
本人曰く、おセンチな性格ではないと言うけれど、時にはそんな気分になる日だってあるだろう。
大方、博打で負けたとか、つまらない喧嘩を買ってしまったとか、そんなものだ。
あの豪放磊落だって、たまには落ち込む事もあるだろう。
夕闇に染まり始めた空に空腹を覚えて、弥彦は夕餉の催促をした。
弥彦視点。
るろ剣のキャラは皆難しいなぁ……