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兄が、家を出て行った。
せきほうたい、と呼ばれる人達を追い駆けて。
いなくなる前の晩、父と大喧嘩しているのを見た。
付いて行くとか赦さないとか、馬鹿な事考えるなとか本気だとか。
何がどう馬鹿な事で、何に本気なのか、右喜にはさっぱり判らなかった。
判らなかったけれど、今まで見たことがなかった位に二人とも本気で喧嘩をしていたのは判った。
兄と父が喧嘩をしているところは、よく見た。
物心ついた頃から二人は何かと喧嘩をしていて、右喜はそれを見てしょっちゅう泣いた。
大きな声や大きな音は怖かったし、どちらかがどちらかを叩いたりして、肌が赤く腫れるのも嫌だった。
何度か「ケンカしないで」と言ったけど、二人はいつまで経っても喧嘩をしてばかりだった。
でも、心の何処かで感じていたのだ。
喧嘩をしていても二人はちゃんと仲が良くて、喧嘩も二人の間では普通の会話みたいなものだと。
だから母が怒れば止めるし、なんだかんだで二人肩を並べてご飯を食べたり出来たのだ。
―――――でも、あの喧嘩は本当に怖かった。
どっちも譲らない譲らないで、父は本気で兄を投げ飛ばして、それを追い駆けて土間に転がり落ちて、取っ組み合いになった。
母が止めても聞かなくて、終いには母まで泣いてしまって、右喜はもうどうして良いか判らない。
幼い右喜に、本気の男同士の喧嘩を止めるなんて到底出来ない。
泣いて喚くのが精々だった。
そうしている間に、父が「勝手にしやがれ」と怒鳴った。
兄が「勝手にする」と怒鳴った。
「かんどうだ」と父が言って、「もう帰って来るな」と怒鳴った。
兄は家から放り出されて、父は戸口を閉じて、閂まで閉めた。
兄が戸口を開けようとするような音は、なかった。
兄の姿が見えなくなって右喜は不安になって泣いた。
母はそんな右喜を抱かかえて床についたが、父はずっと囲炉裏の傍で肩を揺らしていた。
床についてから母の顔を見たら、母は泣いていた。
二人が喧嘩をしている時に母が泣いたのを、右喜は始めて見たが、床の間で見たのも初めてだった。
いつでも強い母だったから、泣いているのに驚いて、右喜は自分が泣いていた事も忘れた。
でも、幼い右喜は、明日になったらいつも通りに戻るんだと思っていた。
……そうなんだと、願っていた。
なのに、朝になっても兄は帰ってこない。
家から放り出されることは過去にも何度かあったけど、朝餉の時にはいつも皆揃っていた。
冬の寒い時期、鼻水を垂らしながら大根汁を啜る兄をよく見た。
なのに兄は帰ってこなくて、朝餉の席にいるのは、父と母と自分だけ。
「お兄ちゃんは?」と聞いたら、父は顔を怖くして、母は何も言わずに俯いた。
それから、朝餉が終わって、昼になっても、夜になっても、兄は帰ってこなくて、「お兄ちゃんは?」と聞いたら父と母は黙ってしまった。
………それから、一週間程。
父と一緒に大根畑で仕事をしていたら、町から戻ってきたご近所さんが言った。
「お宅の倅、赤報隊に入ったって?」と。
“せきほうたい”が何であるのか、右喜は知らなかった。
でも、其処に兄がいるのは判った。
大好きな兄がいる事は判った。
だったら自分も入るといったら、父は絶対駄目だと言った。
「お前まで母ちゃん泣かせるな」と、怒ったように、でも少し淋しそうに。
そして、“せきほうたい”がこの地を離れた事を聞いた。
帰ってこない兄が付いて行ったのは、明らかで。
もう帰ってこないつもりなんだと思ったら、悲しくて淋しくて、大きな声を上げて泣いた。
――――――二月の終わり。
“せきほうたい”がなくなったと聞いた。
“せきほうたい”の人達も、誰もいなくなったと。
でも、兄は帰って来なかった。
嫌いになりそうだった。
大好きだから、大嫌いになりそうだった。
帰ってきて欲しいのに、兄は帰ってこない。
“せきほうたい”がなくなってから、手紙もない。
探しに行きたかったけど、何処にいるのかちっとも判らない。
泣いた。
泣いた。
泣いた。
そうしていると、いつも何処からか現れて、「しょうがねェなァ」と言って手を繋いでくれるのに。
それもないから、もっともっと悲しくて、喉が枯れるまで泣いた。
自分を置いていった兄。
何処か遠くに行った兄。
戻ってこない兄。
連絡もない。
もう自分達の事なんて忘れてしまったんじゃないかと思った。
嫌いになりそうだった。
嫌いに、
………嫌いに、
……………嫌いに―――――なれたら良かったのにと、思うけど、
幾年月を過ぎて見つけた走る背中に、いつも見ていた背中を見付けた、ような気がした。
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なんか珍しいキャラクターで書いたなァ。
右喜ちゃん可愛いので好きです。