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――――――波紋は静かに、広がっていく
【STATUS : Enchanting 9】
お帰りなさいと、最早耳慣れた言葉である筈なのに、涙声に聞こえるのは気の所為ではないのだろう。
「もう京ちゃんたら! 心配したのよォ~!」
「……判った、判ったから」
「浮気しちゃイヤ~!」
「…なんでそんな台詞が出てくるんだよ…」
次々と浴びせられる抱擁と言葉に、京一は今日ばかりは大人しくしていようと決めていた。
抱き寄せられるブ厚く硬い胸板は心底遠慮願いたい所だが、それだけ彼女達に寂しい思いをさせたと言う事だ。
一応、世話になっている身であるのだから、これぐらいは寛容するべきだと。
背骨が時々嫌な軋みを上げているが、それもどうにか堪える事が出来た。
…ただ一つ、ジョリジョリと髭の生えた頬を摺り寄せられるのだけは、断固拒否を示したが。
「京ちゃァ~~~ん!!」
「だーッ! 悪かったって!!」
尚も熱い(息苦しい)抱擁に、堪えるべきだと思いつつも、我慢が限界になって来た。
このままでは際限なく続けられような気もする。
多少申し訳ないと思いつつも、京一はごっくんクラブの面々を押しのけ、ビッグママの待つカウンター席へ移動した。
其処にはビッグママだけでなく、なんの興味からか、真神のクラスメイト達もいる。
龍麻は時々京一と一緒に此処に来ていたが、葵、小蒔、醍醐まで来たのは珍しかった。
小蒔はいつであったかも見た店員達の抱擁に、若干顔を引き攣らせている。
「相変わらずだね、此処の人達は……」
「…まァな。ママ、茶」
「ハイハイ」
小蒔の言葉に一言だけ返し、ビッグママに催促する。
ビッグママは仕方がないねという苦笑を漏らして、グラスにウーロン茶を注いだ。
テーブルに突っ伏して溜め息を吐いた京一の隣に、アンジーが座る。
「だって仕方がないわよ。み~んな京ちゃんが来るのを楽しみにしてるんだから」
「……へいへい。判ってるよ、悪かったよ」
唇を尖らせ、京一はばつが悪そうに拗ねて見せる。
その表情さえ彼女達は久しぶりのものだったから、微笑ましそうに眺めるだけだ。
京一の前にウーロン茶を置くと、ビッグママは龍麻たちへと目線を配らせ、
「アンタ達も何か飲むかい?」
「いいんですか?」
「折角来てくれたんだからね。お金は貰うけど」
「まぁ、安くしてあげるから」
ビッグママの言葉に一瞬小蒔が顔を引き攣らせたが、すかさずアンジーがフォローに入った。
「それじゃあ、私もウーロン茶頂けますか?」
「俺も、それで」
「ボクも」
「…僕は―――――」
「苺ちゃんは苺牛乳ね」
葵、醍醐、小蒔に続いて同じものを注文しようとした龍麻を、遮るようにアンジーが言った。
龍麻はきょとんとしてビッグママとアンジーを見た後、京一へと視線を移す。
京一は話は聞こえているのだろうに、気に留める事無く、ウーロン茶を飲み干していた。
他の三人に比べて、龍麻は京一と一緒に此処に訪れる事が多い。
その都度、龍麻はメニューにない苺牛乳を特別に作って貰っていた。
でもそれは京一と二人で此処に来た時の事だ。
他の面々がウーロン茶なのに、自分ばかり図々しいことは言えない、と思っていたのだが、
ビッグママ達も京一も一切気にした様子はなく、ママに至ってはさっさとミキサーに苺を詰めていた。
龍麻が苺牛乳に限らず、苺製品が好きだというのは、今更説明するまでもない事だ。
京一にすれば何を今更遠慮することがあるのか、と言う気分だった。
事実、葵達も気にした様子はなかった。
「ハイ、京ちゃん」
やはり、最初に手渡されたのは京一だ。
「京ちゃん、ご飯はどうするの? もう食べて来ちゃった?」
「いいや。今日はそれ所じゃなかったからよ……」
アンジーの言葉にいささかうんざりとした表情で、京一は呟いた。
「…そうだな。コニーさんの所に行く暇なんてなかったな…」
独り言のように漏れた醍醐の台詞が、想いの他、店内に響く。
不思議そうな女優達の視線が学生一同に向けられる。
京一はそれからすら逃れようとでもするかのように、カウンターテーブルに突っ伏した。
龍麻は唯一、常と変わらぬ様子で差し出された苺牛乳を受け取り、嬉しそうに飲んでいる。
醍醐、小蒔、葵の視線が、とある一点へと寄せられた。
それに倣って、アンジー、キャサリン、サヨリの視線も同じ場所へと方向を変える。
「そんなに急かしたつもりはなかったんだけどねェ」
六対の視線を一心に浴びて、飄々と言ってのけたのは、八剣右近である。
この人物に言いたいことは多々あれど、この状況でそれらをぶち撒けるのは抵抗がある。
先日の拳武館との闘いは既に幕が引かれ、人それぞれに遺恨は残れど、取り敢えずは解決したのだ。
それを此処で、あの闘いとは全く関係のないこの平和な場所で、蒸し返す訳にはいかない。
よって学生達に出来る事は、この場に恐らく最も不似合いと思しき人物へ、白い目を向ける事だけだった。
「馴染みのラーメン屋なんだって? 今度俺にも紹介してよ、京ちゃん」
「絶対断わる」
八剣の言葉に、京一は低い声音ではっきりきっぱりと答えた。
けんもほろろな京一の態度に、八剣は特に気に障った様子もなく、肩を竦めて見せるだけ。
京一の反応など最初から予想済みだったのだろう。
「京ちゃんが気に入ってるなら、美味しいんだろうね」
「美味いぜ。美味ェけどお前にゃ絶対教えねェ」
「いいよ、勝手について行くからさ」
ミシ、と京一の手の中でグラスが軋んだ音を立てた。
此処で破壊行動は流石に慎みたいのだろう(以前、ソファと銅像を真っ二つにしたが)、グラスが割れる事はなかった。
しかし京一の心情の荒れ具合が如何程のものか、醍醐達は重々承知している。
わなわなと肩を震わせる京一に、学校での爆発再来かと醍醐が危惧した時だ。
いつの間にか京一の隣の席に腰を落ち着かせていた龍麻が、くしゃりと京一の頭を撫でた。
「……何してんだ、龍麻」
「なんとなく?」
「疑問系で言うな」
マイペースに京一の頭を撫でる龍麻に、一先ず醍醐達は安心した。
龍麻の唐突な行動には毎回意味を察し兼ねるが、京一の暴走行動を止められるのも龍麻だけだ。
軋んだ音を立てていた京一のグラスは、もう彼の手の中で何事もなかったかのように鎮座している。
カウンターに立てかけられた木刀も、太刀袋に入ったままで変わらず其処に置かれていた。
動いたのは龍麻だけで、他は誰一人として、変化していない。
京一は胡乱げに龍麻を見遣ったものの、撫でる手を好きにさせた。
一週間前の学校でも、同じような事をしていた気がする。
「ねぇ、京一」
「あん?」
撫でる手をそのままに呼んだ親友に、京一は振り返らずに返事をする。
「今日は此処に泊まるの?」
「……ああ、そうだな」
約10日振りに此処に戻って来たのだ。
心配もかけたし、彼女たちも寂しかったと言うし、今日は此処に泊まった方が良い。
京一が泊まると聞いてか、アンジー達が嬉しそうな声を上げた。
其処まで自分の来訪を心待ちにされていた事が、照れ臭いような、恥ずかしいような――――。
頭をがしがしと掻いて、京一はグラスのウーロン茶を飲み干した。
それから、龍麻が少しだけ寂しげな表情を浮かべている事に気付く。
学校を出る時、昨日・一昨日と同じように、龍麻は今日も家に泊まるだろうと聞いてきた。
自分はそれに頷いて、それがすっかり当たり前になっていた。
龍麻は人と一緒にいるのが好きらしいから、10日振りに一人の家に帰るのが寂しいのだろうか。
寂しげな親友に何かを言おうとして、京一は結局何も言わなかった。
優しいだけの慰めの言葉なんて持ち合わせていないし、クラブに泊まるのを撤回できる空気でもない。
差し出された苺牛乳に口をつけて、龍麻は小さく微笑んだ。
大丈夫だよ、と言っているような表情に、なんだか余計にバツが悪くなる気がする京一だ。
何も言わずに笑っているから、真意を量り兼ねてしまう。
京一はまた頭を掻いた。
「あー……龍麻」
「なに?」
呼べばいつもと同じトーンで返事をする。
「お前も、泊ま」
「心配しなくても、京ちゃんは俺が面倒見るから大丈夫だよ?」
「何当たり前の面して割り込んでんだ、てめェッ!!」
台詞の途中で割り込んできた八剣に、京一は即座に木刀を振った。
しかし、腕の力だけで振り下ろされた木刀は、力が足りずに八剣の腕に止められる。
呆気なく受け止められたのが余計に腹が立って、京一は力任せに八剣の腕を押し返した。
その間にも八剣は平然とした様子で、龍麻に顔を向ける。
龍麻は京一を前にしていた時の寂しげな表情などすっかり消え、無言で八剣を見返していた。
特筆するような感情の浮かんでいない瞳は、逆に空恐ろしさを感じさせる。
「八剣君も此処に泊まってるの?」
「二週間ほど前からね」
「この前、京一が泊まった時も此処にいたの?」
「ああ」
「ふーん……」
「おいコラ、無視すんなッ!!」
木刀を止められていた京一が、椅子に座ったまま八剣に蹴りを放つ。
八剣はスイと身を引いてそれを避けると、緩やかな笑みを浮かべて京一に向かい合う。
「ああ、ごめんね、京ちゃん。寂しかったのかな?」
「……マジに頭カチ割るぞ、てめェ……」
忌々しげに呟く京一は、殆ど椅子から腰を浮かせている。
完全な臨戦態勢に入っていた。
遠巻きに見ている葵達は、今にも京一がキレそうなのを心配そうに見ている。
「大丈夫かしら、京一君……」
「思い切り挑発されてるね」
「また暴れ兼ねないな…」
世話になっているクラブに迷惑をかけたくないと思っていても、何せ京一だ。
我慢の限界が来れば、此処が何処だろうと木刀を振うだろう。
「――――あの、皆さんは心配じゃないんですか?」
場違いなほどに微笑ましげに京一を見守るアンジー達に、葵は問い掛ける。
「アラ、心配なんてしてないわよ。前もこんな感じだったし」
「京ちゃんが素直じゃないのは、昔からだしねェ」
「……そんな問題かなァ、これ……」
小蒔の呟きは、誰にも聞こえていない。
アンジー達は京一を微笑ましげに見守り、京一は八剣を睨み、八剣はそんな京一を楽しそうに見つめ返す。
ビッグママは忙しげにグラスを片付け、龍麻は苺牛乳を飲みながら成り行きを見守っている。
葵、小蒔、醍醐が何を言ったところで、誰も気にする事はないと言う事だ。
いつ破裂するかも判らない空気が続く。
八剣が一言でも何か言えば、確実にそれは京一の神経を逆撫でするだろう。
その瞬間に京一の木刀が、あらん限りの力を持って振われるのは想像に難くない。
しかし、それを打破したのは八剣でも京一でもなく、苺牛乳を飲み干して満足そうに笑う龍麻だった。
「京一」
「――――あ!?」
刺々しい雰囲気を纏ったまま、京一は龍麻を睨む。
いや、見ただけだったのだが、苛立ちで目が釣りあがって睨んでいる形になってしまっただけだ。
龍麻はそれを気にする事無く、京一を見て微笑み、
「今日、僕も此処に泊まっていいかな?」
穏やかに告げられた言葉に、一瞬、店内が静かになる。
張り詰めた空気には全くそぐわぬ声色であったからだろう。
この状況でそれを言うのか、と言うような。
周囲の視線も気にせず、龍麻は京一だけを見つめて、皆が見慣れたいつもの笑みを浮かべている。
ふわふわとした、何処か掴み所のない、見ていると安心できる気がする笑顔。
この10日間、京一が毎日見ていた、龍麻の笑顔。
寂しげな笑顔よりも、ずっと気に入っている表情。
気が削がれた。
京一は木刀を下ろすと、椅子に座りなおした。
「そういうのは、オレじゃなくてビッグママに聞けよ」
嫌なら嫌とはっきり言うのが京一だ。
言わなかったと言う事は、許容されていると言う事。
それまでピリピリとささくれ立っていた京一の纏う空気が、僅かであるが緩む。
一触即発かと思われていた店内に、常の穏やかさが戻って来た。
ホッと息を吐いたのは葵、小蒔、醍醐の三人で、アンジー達は龍麻の宿泊希望を諸手で喜んでいる。
その傍ら。
「ずるいねェ」
「そう?」
八剣の呟きに、龍麻は笑みを浮かべるだけだった。
次
お互い牽制しあいで、ゆっくり話も出来やしない。