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鬼との戦いを終えて、埃だらけの衣服のままで。
家路に着いた女の子二人を見送って、醍醐は明日は部活の朝練習があるからと一人帰っていった。
別段急いで帰る理由もない龍麻は、同じく帰る気のない京一と、二人で川の橋の上。
欄干に登って腰掛けた京一の隣で、龍麻はぼんやりと空を見上げていた。
同じように京一も、何をするでもなく、ただ空を仰いでいる。
一歩間違えれば死が目前に在る、鬼との闘い。
昨日も今日もそれに明け暮れ、日々鬼との闘争の数が増えていく。
今こうしている刻も、ひょっとしたら何処かで鬼が生まれているのかも知れない。
――――考え始めれば、キリのない事だった。
けれども、この橋の上は、今だけはとても静かで。
「冷えてきたな」
ぽつりと呟かれた京一の言葉は、殆ど、独り言だった。
此処にいるのは龍麻と京一の二人だけだったけれど、だからと言って龍麻に投げかけられた訳でもないだろう。
窺った京一の視線は相変わらず空へと向いていて、月明かりに照らされた肌が青白く映える。
然程血色の良い彼ではなかったけれど、不健康と言う程でもない。
日頃、何かと無精にして見せるから、そんな印象になるのだろうか。
……けれど、銀月の光に照らされた彼は、何故か酷く儚いものに見えた。
それは日頃、ふとした瞬間に見せる、寂しそうな表情の所為か。
きっと龍麻以外は誰一人――いや、昔から付き合いのある人は知っているのかも知れない――気付いていない、顔。
あれを知っているから、そんな風に思えるのかも知れない。
風が吹いた。
確かに、今日は少し冷える。
季節が秋になり、衣替えも済んで、長袖で生活するようになった。
開放的だった季節が終わり、一転、守りの姿勢になる。
来るべき凍える季節を耐え忍ぶために、今から動物たちも冬篭りの準備に入っている頃だろう。
今宵はまだまだ冷えそうだ。
「ラーメン、食べに行く?」
「もう閉まってんだろ」
何時だと思ってんだと、京一は半ば呆れ混じりに言った。
時計なんて持っていない。
けれど、さっき街中で見た街灯のデジタル時計は、既に日付を跨いでいた。
繁華街はこれから賑わうだろうけど、飲食店の殆どはもう閉まっているだろう。
けれども都会とは便利なもので、24時間営業の店も珍しくないのだ。
「確かに、コニーさんはもう寝ちゃってると思うけど。何処か開いてるよ、多分。たまには他の店でもいいんじゃない?」
「オレはあそこのラーメンがいいんだけどな。まぁ、たまには……悪かねェけどよ」
「風邪ひいちゃう前に行こうよ」
京一の舌を満足させられるラーメン屋が、簡単に見付かるかは判らないけれど。
こんな吹き曝しの川の上で、いつまでもぼんやりしていく訳にもいかない。
欄干をひょいと降りて、京一はしっかりとアスファルトに足をつけた。
「そういや、吾妻橋の奴が代々木の方に美味いトコがあるとか言ってたな」
「じゃあ、今日は其処だね」
此処からだと少し歩くけれど、それもたまには良い。
淡い月の光に照らされて、それもいつまで続くのだろう。
街に入れば、立ち並ぶビルに空は埋もれて、月も見えなくなってしまう。
変わりに光るのは沢山の強い人工灯。
その、強い明かりに照らし出される親友の姿を、龍麻はずっと見てきたけれど。
一歩先を歩く京一に、手を伸ばす。
木刀を持つ手とは逆の、いつもはポケットに無造作に突っ込まれている左手を、掴まえた。
突然の事に京一の肩が一瞬跳ねたのが可笑しくて、笑いそうになるのをなんとか堪える。
自分から肩を組んだり、スキンシップが多いくせに。
人から触れられる事はどうも苦手らしいと気付いたのは、最近の事。
近付かれる度、気安く触れられる度、心臓が高鳴っていた事を、京一は果たして知っているだろうか。
尋常でない位目敏いくせに、同時に尋常でない位鈍いから、きっと気付いていないに違いない。
だから、これは少しの仕返しと。
「……何してんだよ」
「京一、歩くの早いから」
繋いだ手をそのままに、睨み付ける眼光。
月の光に照らされた顔がほんの少し赤いのは、きっと見間違いではなくて。
「並んで行こうよ。折角だから」
何が折角なんだと、顔を顰めているけれど、決して振り解かない繋いだ手。
こうして掴まえていれば、君は何処にも行かないから。
月に照らされた君が、どんなに消えて行きそうに見えたって、此処から何処にも行かせないから。
だから今日は、月夜の下を二人で散歩。
男子高校生が手繋いでるって……大好きです。
すい、と風を切って飛んで行ったのは、紙飛行機。
「……京一、今の問題用紙」
「知ってる」
席を寄せて囁いてみれば、平然と返ってくるそんな台詞。
教室からグラウンドへと放たれたそれは、元は京一の机の上に置いてあった数学の問題用紙。
珍しくまともに机に向かって何かしているなと思ったら、コレだ。
教卓にいる数学教師はどうしたのかと見てみれば、不真面目な生徒のそんな悪戯にも気付いていない。
午後の陽気に当てられたのか、椅子に腰を下ろして舟を漕いでいる。
それを一瞥して、もう一度龍麻は京一へと目を向け、
「どうするの? 授業」
「寝てる」
あっさりと返された台詞は、なんとも彼らしいものだった。
「プリントは?」
「もう知らねえよ」
「何処行ったの?」
「あの辺」
そう言って、京一はグラウンドの方を指差す。
示した方向に既に紙飛行機の影は見えず、あるのは晴れ渡る午後の陽気。
「届かないね」
「おう」
「じゃあ、仕方ないね」
龍麻の言葉にもう一度おう、と呟いて、京一は机に突っ伏した。
龍麻は、手の中にあったシャーペンを机の上に転がした。
ころり転んで消しゴムに当たると、それは其処から動かなくなる。
正方形ではないプリント用紙をしばし眺めて、龍麻はその端と端を摘んで、対角線上に折った。
程無くして出来上がったのは、飛んで行った紙飛行機と同じもの。
少しだけ椅子から乗り出して、京一の席の向こうの窓へ放つ。
「龍麻?」
何してんだ、と突っ伏していた顔を上げ、京一が此方を向いた。
そして親友の机の上が、自分同様がらんとしているのに気付き、
「お前、プリントは?」
「あの辺」
そう言って指差すのは、グラウンド。
緩い風に乗って、それはまだふわふわと確認できる場所にあった。
あった、けれど。
クッと京一が笑った。
「届かねェな」
「うん」
「じゃ、仕方ねェよな」
教卓にいる教師は、まだ舟を漕いでいる。
生徒たちはヒソヒソと小さな声で話をしているが、それは教師には届いていないらしい。
目を覚ます様子のない教員に、教室内は自習状態。
プリントを真面目にやっている生徒もいれば、半分程埋めて寝てしまった者もいる。
葵や醍醐はまだ問題に取り組んでいて、小蒔は退屈そうに欠伸をしていた。
そして、自分達は、これから昼寝。
だって仕方がないじゃないか。
紙飛行機は、もう届かない所まで飛んで、自由になってしまったのだから。
後で先生から大目玉くらう。
……その前に二人とも逃げるか(笑)。
乾いた喉を潤す水分。
それがただの水であれ、甘いジュースであれ、炭酸であれ、美味い事に変わりはない。
ついでに腹が満たされれば文句なしなのだが、流石に其処まで言うのは高望みだ。
精々、水っ腹にならない程度が良い所だろう。
開けたばかりの缶ジュースを一気に煽れば、あっという間に半分まで減った。
学校に置いてある自販機は安くて学生に優しいのだが、量で言うと物足りない。
250mlなんて瞬く間になくなってしまうのだ。
値段は今のままで量だけ増えねェかな――――なんて都合の良いことを考える。
後半分はちびりちびり飲みながら、京一は季節の移ろう空を見上げる。
「……あー……喉痛ェ」
呟いたのは誰に対してでもなく、ただの愚痴。
けれども意外とお喋りが好きな――本人は聞いているだけだが――親友が、ひょいっと視界に入ってきて、
「あれだけ大声出したんだから、当たり前だよ」
「……仕方ねェだろ、ムカついたんだから」
龍麻が言うのは、先ほどの休憩時間での出来事。
醍醐と京一が珍しく互いに声を荒げるほどのケンカをしたのだ。
発端が何であったか、京一も龍麻も覚えてはいないが、お互い譲れない事でぶつかったのは確かだ。
最初は単なる意見の食い違いであっただけなのに、何処でどう発展したのやら。
気付いた時にはあと少しで殴り合いになるところだった。
チャイムが鳴って、京一の腕を龍麻が掴んで問答無用に教室を出たから、未遂に済んだ。
そのまま龍麻は京一を引き摺って屋上に出て、醍醐は教室に残った――――今頃は真面目に授業を受けているに違いない。
醍醐とケンカをしたのなんて、どれ位振りだろうかと京一は考える。
出会いこそ温和なものではなかったが、それなりに長い付き合いで、それなりの距離があった。
それが急激に縮まったのが今年の春からで、以来、時折考えの相違でぶつかる事も見られるようになった。
……それでも、あそこまで派手に言い合いをしたのは、随分久しぶりだったと思う。
それでも、少しは落ち着いた。
散々怒鳴り散らしたお陰だろうか。
声を荒げている最中は腹が立つばかりだったのに、時間を置いたら頭が冷えた。
一度沸点に達して上がりきってしまえば、後は下りていくばかりだ。
飲んでいる冷たいジュースも要因の一端かと思いつつ、空を眺めていたら、龍麻がしみじみと呟いた。
「京一って、よく怒るねぇ」
その呟きにそうか? と言えば、そうだよ、と返された。
「怒るって言うか、叫ぶって言うか……大きい声出すよね」
「……そんなに出してたか?」
「だと思うよ。僕はね」
龍麻の言葉に、ふーん、と京一はさほど興味なく漏らす。
――――確かに、よく怒鳴るかも知れない。
最初の頃は葵に対してもよく声を荒げたし、小薪にも悪辣な言葉で詰った事がある。
醍醐に対しては付き合いも長いから遠慮をする事がない。
龍麻に対してだって、気に入らないことがあれば京一は真正面から声を荒げる事があった。
言われて見れば、思い当たる節がかなりの数になっている。
それじゃあ喉も枯れる筈だと、京一は熱の引いた喉を擦りながら思った。
それから、そんなに怒鳴る友人と一緒にいながら、いつも静かな親友に気付き。
「お前は静かだよな」
「そう?」
「だろ。ンなので疲れねェのか?」
「怒鳴る方が疲れると思うけど…」
「そういう事じゃなくてだな」
龍麻の呟きは最もと言えば最もだ。
怒っているのに怒鳴れば尚更腹が立つし、怒鳴られてもやっぱり腹は立つ。
深呼吸一つすれば落ち着くものも、ささくれ立って棘だらけになってしまう。
退くに退けない状態になって、心身共に疲れてしまうのは当然。
だが京一が言いたいのは、そういう事ではなくて。
「お前だって、ムカつく事はあるだろ。喚きたい時だってあんだろ。そんな時でも、お前はへらへら笑って受け流すのか?」
発露する事で正常値に戻る、という事だってある。
京一はそういうタイプで、自覚もあるし、ずっとそうして来た。
腹が立てば怒鳴り、悔しければ喚き―――みっともない事もあるけれど―――、そうして、自分を本来の軸に戻す。
追い付かなくて荒れに荒れた時期もあるけれど、あの時散々荒れたから、今はそれなりに落ち着いている。
ならば、この親友はどうだろう、と時々思う事があるのだ。
誰に何を言われても、笑顔で受け流すのが常であるのは、何故なのか。
京一の問いに、龍麻は首を傾けて、困ったように笑う。
返事に詰まると、龍麻は大抵この顔だ。
なんだかそれが腹立たしくて、京一は龍麻の頬を抓ってやった。
「きょーいち、いたい……」
「当たり前だ、痛くしてんだから」
これで痛くないとか抜かしたら、殴る。
直接的な制裁を口にした京一に、龍麻は勘弁してよ、と笑った。
やっぱりそれが腹が立って、結局――加減はしたけど――握った拳で龍麻の頭を殴ってやった。
怒鳴って、
喚いて、
泣いて、
喉が枯れて。
――――――その後笑うことが出来たら、きっと。
黙って飲み込んでたら、いつか壊れてしまうかも知れない。
だから偶には、泣いて喚いて、吐き出して。
第二幕《宿星編》に繋がったりとかね。したりして。
「眠ィ」
言うなり、体重を預けられて、龍麻は固まった。
赤茶色の髪の毛先が首元に当たって、くすぐったい。
それを言おうと頭を動かそうとすると、連動する筋肉と骨も動いて、京一が不満げに唸った。
「……動くなよ、龍麻……」
声は既にまどろみの中に身体半分漬け込んだようなものになっていた。
「動くなって言われても……急になんなの、京一」
「何もクソも言ったろ、眠ィんだよ」
突然の行動の発端を尋ねてみれば、端的かつ何よりも判り易い答え。
眠い、彼は確かにそう言った。
それは限りなく、現在の京一の状態の真実に近しいのだろう。
屋上の陽射しは柔らかく暖かで、吹き抜ける風は心地良く、ぽかぽかとした陽気は学生達の眠気を誘う。
連日深夜の街に繰り出して、温和でない部活動(言うと京一は違うと反論するが)のお陰で、龍麻達は慢性的に寝不足気味で、そんな状態でこの気候に当てられたとなれば、寝るなと言うのが無理な話であった。
「…で、僕に寄りかかってどうするの?」
「どーもこーも……」
喋る事すら面倒臭くなってきているらしく、京一の声はいつもの覇気がない。
ちらりと顔を見遣ってみれば、丁度欠伸を噛み殺している所だった。
いつも強気で鋭い光を放つ眦に、うっすらと透明な水滴が滲んで浮かんでいる。
「寝るに決まってんだろォ……授業なんか出てられっかよ……」
腹も溜まったしな――――空っぽになったパンの袋をコンビニのビニール袋に突っ込む京一。
確かにこの陽気に加えて満腹ともなれば、もう眠気に逆らう気にはならない。
ついでに言うと昼前の授業は体育で、龍麻と京一もサッカーに興じていた。
適度な運動、その後の食事、そしてぽかぽかとした暖かな陽気―――――。
見事に揃ったこの好カードを敢えて捨てるなど、勿体無さ過ぎる。
「だからって僕を枕にする?」
「…おめーが其処にいるからだろ」
「いつもの所とか行かないの?」
「……面倒」
いつもの所、とは、京一がよく昼寝をしている校庭の木の上。
この屋上も心地良いが、あの木の上も悪くはない。
そして此処よりも邪魔が入ることは少ないので、授業をサボってゆっくり寝るなら、そちらの方が平和である。
が、京一はもう其処まで移動することさえ面倒臭かった。
にじり寄って来る睡魔は既に身体の力を皆無にさせ、瞼を上げているのも辛くなってくる。
気の知れた相棒に寄りかかったまま、とっとと眠ってしまおうかとも思っていた。
「次、生物だよ」
「……寝る」
昼休憩開けの授業が、自分の苦手とする人物の担当教科と知り、京一は本格的に寝る姿勢に入った。
身体の力を抜いて寄りかかる京一に、龍麻はうーと唸り、
「きょーいちぃ…重い……」
「……知らねぇ」
「じゃなくてー……」
なけなしの抗議すら聞いてはくれないらしい親友に、龍麻も結局は諦めた。
それに。
なんだかんだ言って、無理矢理押し退ける気にはならなかったのだ。
寄りかかって来る、温かな重みを。
今此処で、こうして、眠れるという事は、
信じてくれているから、それ以外になくて。
「重いよ、京一」
だけど、しばらくの間は、このままで。
眠りの波間を漂う君の、傍にいさせて。
居眠り京ちゃん、枕代わりの龍麻。
多分、この後龍麻も寝ます。
眠れるってことは、それだけ安心できる場所だってこと。
たまには飲んでみなよ、と。
差し出された苺牛乳のパックに、どうしたもんかと京一は眉間に皺を寄せた。
目の前には、にこにこと満面の笑顔の親友。
手の中には、普段は絶対に口にしないであろう甘ったるい飲み物。
頭の上には、ムカつく程に燦々と照る、夏の太陽。
どれを取っても、京一の機嫌は右肩下がりの一途を辿っている。
そもそも、なんでこんな事になったのだか。
いや、単純に自分が財布を忘れた所為なのだけど。
忘れた財布の在処は予想がついている。
昨日はごっくんクラブに泊まったから、多分其処だろう。
寝ている間にソファの下にでも入り込んだのだ、きっと。
それに気付いたのはついさっき、体育の授業の後に自販機に行ってからだ。
ポケットを探って見付からなくて。
傍に冷水機もあったから、その時はそれで十分だと思い、深くは考えなかった。
本当に。
しかし、その時はそれで良くても、その後が辛かった。
昼休憩になって食事をした後、何か飲みたくて仕方がない。
龍麻に集ろうかと思ったが、タイミングの悪い事に、龍麻の手持ちもなかった。
食事前にいつものように買った苺牛乳に使った金銭が、今日の持ち合わせの最後だったのだ。
飲めないとなると益々飲みたくなってしまう。
暑くさで噴出す汗の所為で、喉の渇きが尋常ではない事になっている気がする。
このまま干からびるんじゃないかと思うほどに。
そうして喉が渇いた、暑い、と繰り返していたら、差し出されたのだ。
親友の愛飲する苺牛乳を。
「喉渇いてるんでしょ。いいよ、あげる。少しだけだけど」
「……いや、これ全部を飲む気にはならないから、其処ンとこは大丈夫だけどよ……」
にこにこと笑って告げる親友に、京一はどうしたもんかと悩んだ。
これは好意だ。
しかも苺牛乳。
龍麻と言う人物を思えば、この上なく特別なことである。
何せ龍麻は大の苺好きで、苺牛乳の事も当然大好きだ。
これを少しとは言え人に譲るとは、京一が自分の分のラーメンを他人に譲る事と同じである。
その行為の大きさがどんなものか判らぬ程、鈍くはなかった。
だが、何せ苺牛乳である。
龍麻の行為はありがたいし、喉はカラカラ。
しかし生憎、京一はそれほど甘いものが好きではない。
2月の聖戦を例外として、出来ればあまり口に含みたくはない。
しかも苺牛乳。
その甘さたるや。
「早く飲まないと、温くなるよ。冷えてる方が美味しいんだから」
……それは冷水系のジュースならどれだってそうだろう。
増して苺に牛乳、生温い状態で喉を通したくはない。
かと言って、無碍に突っ返すことは出来なかった。
タイミングを逃してしまった所為もある。
だが何よりも、目の前の笑顔が、裏切れない。
「脱水症状とか、なっちゃったら危ないし」
「……そうだな」
「熱中症もね」
「……そうだな」
完璧な好意。
そう、これは好意だ。
財布を忘れ、水分の補給が侭ならない京一を慮っての好意。
無碍にするのは良くない。
でも、これは甘い甘い苺牛乳だ。
滲み出た汗が、頬を伝って顎に溜まり、重力に従って床に落ちた。
夏の日差しが恨めしい。
そして財布を忘れた自分がもっと恨めしい。
手の中のパックを見つめながら、京一は過去の自分を憎んだ。
そして。
「じゃ、貰うぜ……」
「うん!」
京一の言葉に、龍麻は喜色満面。
苺仲間が出来るとか、まさかそんな事考えちゃいないだろうな……
見つめる眼差しに期待が含まれているような気がして、京一は胸中で呟いた。
―――――――思った通り、苺牛乳は自分には甘すぎた、けれど。
隣の親友がなんだか妙に機嫌が良いので、素直に感謝を述べることにした。
龍麻に妙に親近感を覚えるなと思ったら、自分も大の苺牛乳好きでした。
でも飲まない人には、苺牛乳ってかなり甘い代物らしい……
これでも龍京と言い張りますよ。