[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
拍手御礼ログはこちら。
短編 ↑old ↓new
真実となりえた虚構、虚構となった真実
抱えて一人、生きていく。
剣心、左之助
兆し
今はまだ、この手の届く場所で。
左之助一家、幼少期(菜々芽捏造)
未来へ
“帰って来るよ”と、言いたかった。
隊長、仔左之。原作二巻ベース
幼心に、棘一つ 前編 後編
嬉しいのに、羨ましくて。
隊←→仔さの←子克。やきもち子供達。
喧嘩両成敗
どちらが悪い、悪くないなんて、ない。
左之助一家、幼少期(菜々芽捏造
幸せのかたち
一番にはなれないから、せめて。
子克→仔さの。誰にも言わない。
夢-虚像-幻-偶像
追い駆ける背中の、本性は。
隊長×仔さの。ダーク隊長。
迷い路
動かない、動けない、進めない。
隊長→左之助。幽霊。
長編
【草笛】
幼い頃に教えてもらった音色。今もまだ、その音は綺麗にならなくて。
隊長絡みの弱り左之。
壱 弐 参 肆 伍 陸 漆 (幕間一) 捌 玖 拾
【相楽少年記】
身体だけ子供になってしまった左之助。果たして元に戻れるのか?
とにかくチビ左之が皆に構い捲られる話。
神谷道場編 壱 弐 参 肆
ああ、またそんなに傷付いて
性根は真っ直ぐな子なのに
今でもそれは変わらないのに
お前をそんなにしたのは私
そんなに辛い目に合わせたのは私
一人ぼっちにしてしまったのは私
輝いていた未来を真っ黒に塗り潰して
泣いていたのに抱き締めてやれなかったのは私
ただ我武者羅に歩いて
ただ我武者羅に強さを求めて
指標を失ってゆらゆらと彷徨いながら
泣くことさえもいつしか忘れて押し込めて
…………お前が傷を負う度に、笑顔を失くしていくのをただ見ていた
【迷い路】
「ちっ、つまんねぇケンカ買っちまったぜ」
苛々とした所作で土を蹴る。
歯を折られた体躯の良い男が、それを見てぎくりと身を竦ませた。
左之助はそんな事など既に興味の範囲外で、くるりと背中を向ける。
その背中で翻る悪一文字。
……それを見つめる、男が一人。
誰の目にも留まる事もない、気付かれることもない。
男は何故自分がそうであるのか重々承知していて、こうして此処に存在する事自体が今は可笑しいのだと。
判ってはいるのだけれど、どうしても気になる事があって、消えることが出来なかった。
無念のうちに命を絶たれ、心残りがなかったなどと言える者は早々いないだろう。
目指した未来にも、残した者にも、皆それぞれに未練が募る。
斬り捨てられた悲しさや、寂しさも当然あった。
けれども、此処から先に逝けなかったのはもっと別の理由。
いつも後ろをついて来た子供がいた。
預けた刀を大事そうに抱えて、隊長、隊長、と繰り返し呼んでいた子供。
肉眼で最後に見た顔は、泣き出す一歩手前の不安げなものだった。
いつも朗らかに、真冬の空の下、雪の中でも向日葵のように笑っていたのに。
追い駆けようとする子供を残して、自分は彼の目の前から消え去った。
まだ指針が必要であった筈の子供を残して、逝った。
それが何よりも心残りでならない。
その子供は今、成長し、背も伸びて。
嘗ては小さかった手のひらも大きくなり、今では自分と大差ないだろう。
だが、触れて比べることは出来ない。
自分は彼に触れる事は出来ず、彼は自分が此処にいる事さえ見えない。
あの日から曇ったままの瞳は、傍で見守る存在に気付けない。
「………どいつもこいつも、つまんねぇ」
ぎらぎらと、物足りないと鋭い眼光。
募る苛立ちの捌け口を求める拳。
そうして拳を振り上げる度に、次の苛立ちが募り。
延々と続く悪循環は、ずっと子供の中で渦巻いて。
昔から打たれ強い子供は、一発二発の拳を喰らってもなんでもないような顔をするけれど。
だからと言って受けた傷の手当てをしないのは、見守る側としてもいただけない。
出来る事なら、苛立つ子供の頭を撫でて、傷付いた拳を休ませてあげたいのに。
自分に赦されたのは見守ることだけ。
それがこんな時は、余計に歯痒くて仕方がない。
一発を喰らった時に唇の端を切った。
漏れた一筋の血を指の腹で拭い、子供は足を止めずに歩き続ける。
誰もいない、待つ者などいない破落戸長屋に戻る為に。
子供が酒を嗜むようになったのは、いつからだっただろう。
幼い頃は舌先の苦味だけで顔を顰めていたのに。
……いや、嗜むという上品なものではない。
周りの音を、形を、気配を自身の感覚神経から遮断させるかのように煽る。
父親が酒飲みであったと言うから、その遺伝か、子供もそれなりに酒に強かった。
そうして余計に飲む量は増え、酔い潰れる頃には空の徳利が部屋に散乱している。
ケンカで吐き出しきれなかった苛立ちを、酒で晴らす。
けれども、これも悪循環ばかり引き起こす。
人懐こい笑顔を時折浮かべながら、その実、誰一人として真実に近寄らせようとはしない。
誰にも関わらないように、誰にも何も求めないように、子供は一人で生きていく。
それがどれほど、己の神経を磨耗させているかも気付かずに。
やがてカラリと音がして、子供の持っていた猪口が床に転がった。
万年床の敷きっぱなしの蒲団の上ではなく、板床に座ったまま、子供は眠る。
片膝を立て、其処に腕を乗せて、俯いて。
横になれば良いのに、といつも思う。
そのままでは疲れなど幾らも取れぬだろうに……
覗き込んでみた顔は、ぎらぎらとした眼が隠れた分、幼く見える。
背も伸びて、言葉遣いも幼さをなくしてきたのに、寝顔だけは昔のまま。
……心のうちは、あの瞬間に立ち止まったまま――――――……
手を伸ばしてみても、やはり触れる事は出来ない。
抱き締めてもういいんだと囁けたら。
あの時触れてやることが出来なかった代わりに。
―――――――……左之助…………
名を呼んでみるけれど、届くことはない。
あの日、子供を置いて逝った日から。
どれだけ傍にいても、どれだけ近くにいても……もう届くことはない。
触れる事の出来ない身体に手を伸ばし。
気付くことのない子供を、腕の中に閉じ込めた。
そうしてみても、もう子供の温もりは感じられない。
あんなに何度も抱き締めたのに、あんなに何度も手を繋いだのに。
触れた場所から、いつも温もりが伝わって来たのに……
せめて夢の中だけでも、守ってやりたい。
現実から切り離された世界でだけでも、せめて。
この子が笑っていられるように。
薄い肩が揺れて、子供が小さく身動ぎした。
「………隊…長……………」
零れた呼ぶ声に応えることが出来たなら。
誰も知らない筈の涙を、拭ってやることが出来たなら。
どれも、今となっては叶わぬ願い。
あの日から立ち止まったまま。
我武者羅に歩き続けているようで、心は置き去りにしたまま。
背が伸びて、骨格が出来上がっても、心だけはあの日のまま。
矛盾した魂は、いつも独り。
もう二度と失う痛みを感じたくないから。
人の輪の中で、陽だまりのように笑うのが似合う子なのに。
今、この子が浮かべる笑みは、憎しみと嘲りから来るものばかり。
誇りを悪と斬り捨てた維新政府に、何も出来なかった自分自身に。
拳を振るいながら、本当に悲鳴をあげているのはその心。
あの日から、溢れ出す血流は止まらない。
――――――………左之助………―――――
笑っていて欲しいのに。
笑っていて欲しかったのに。
例え自分の未来が絶たれようと、この子が笑っていてくれたならと。
だからあの日あの時、この子を残して逝ったのに。
強いたのは、痛み。
裏切られる痛みと、失う痛み。
置いて行かれる、恐怖。
あの日から。
あの日から、ずっと。
ずっと一人で、彷徨い続けて。
指針を失った小舟は、いつになったら対岸に辿り着く事が出来るだろう。
濃霧に飲まれ、櫂を失い、声を上げることさえ出来なくなって。
救い上げてやれないのが、悔しくて。
それなのに傍を離れる事は出来なかった。
だからきっと、これは罰なのだろうと思う。
彷徨う子供の道標になる事も出来ず、夢の中でさえ語り合うことも出来ない。
ただ此処にいて、気付かぬ子供を見つめているしか出来ない。
触れる事さえ出来ないこれは………置いて逝ったことへの、罰なのだと。
―――――もういい、左之助……もういいから…………
夢の中だけでも、せめて今だけは。
束の間の幻でも良い、笑ってくれたら。
――――――もう、泣くな――――――――――――
けれど零れ落ちるのは、
子供さえ知らぬ、悲涙。
「――――――拙者も判らぬ」
すぅと目を細めた剣客に、左之助は相変わらず真正面から挑んでいる。
伝説の人斬り抜刀斎。
何十人、何百人と斬り捨てた筈のその男は、左之助よりもずっと小柄な優男。
人気の牛鍋屋で出逢ったのは、ほんの偶然。
其処での騒ぎに左之助が居合わせたのも、彼等の下に湯飲みが飛んだのも、全くの偶然。
買い専門と自負する左之助が珍しく売る側に回ったのも、やはり全くの偶然で。
諸外国に比べればずっと狭い島国だけれど、それでも出会う人より出逢わぬ人の方が多い国。
東京と言う人のごった返した中で、この出会いは本当に、本当に単なる偶然に過ぎなかった。
だけれど、その言葉を聞いた時。
これは何某かの運命だろうかと、思ってしまった。
「性根は真っ直ぐな筈なのに………今のお主は、酷く歪んでしまっている」
苛立ちと、嘲りと。
周りのものにも、自分自身にも拳を突き立てて。
吐き出しても吐き出しても蓄積されていくばかりの、心の傷。
一番荒れていた時期に比べれば幾らか収まりはしていた子供だったけれど。
それでも、一人で彷徨い続けていたのは変わらなくて。
そんな彷徨う心のうちに誰も気付く事はなく、いつしか己自身でさえも忘れていた頃。
出逢った伝説の人斬りは、不殺の流浪人として子供の前に現れた。
彷徨い続けた子供の心に、誰よりも早く気付いて。
「―――――――……何がお主をそのように歪ませたでござるか……?」
己の悲鳴の声を気付かぬ振りをして。
ただ我武者羅に、何も振り返らずに突き進み。
守りたいものも、傍にいたい人も、何一つ作らずに。
心一つを置き去りにして、行き着く先も見えない迷い路を走り続けて。
示すものなど何もなく。
ただまっすぐ歩いていけば、まっすぐに背筋を伸ばしていれば、見えるはずのものさえも見ずに。
いつだってこの子は悲鳴を上げていたのに、誰もそれに気付けなくて。
自分は、ただ傍で見守ることしか出来なくて。
歯痒くて、泣きたくて――――…でも一番泣きたいのは、この子の筈。
この子の未来は潰すまいと、不安げな子供を抱きしめることもせずに置いて逝った。
彷徨い続ける子供の指標となる事を、自分はあの日、放棄してしまったから。
あの時、この子が何を願っていたのか一番判っていた筈なのに………
あれから、十年。
立ち止まったままのこの子に、今一度。
背中を押して、今でも出来ることはあるのだと。
まだやらなければならない事は沢山あるのだと。
迷い路から抜け出すのは、今なんだと。
理屈で判るような子ではないから。
言葉一つで納得するフリさえ出来ない子だから。
気に入らないことがあれば手を出すし。
放って置けなかったら手を出すし。
……そんな、危なっかしい子だけれど。
それでも意志を継いで欲しくて、生きていて欲しいと思う子だから。
もう一度、笑って欲しいと願っているから。
身勝手だとは思うけれど。
触れる事の出来ない自分の代わりに。
この迷い路から抜け出す指針を。
長い……!
お盆と言うことで、隊長(幽霊)。
成仏し切らんでずっと左之助を見守ってるとか。
その目が他の誰も見ないように
その口が他の誰も呼ばないように
切り取ってあげようか
………偶像だけを、追い駆けていられるように
【夢-虚像-幻-偶像】
うとうと。
舟を漕ぎ始めた子供に気付いて、相楽は読んでいた本を閉じる。
左之助は、宵の口に敷いた蒲団の上ではなく、畳の上で座った姿勢のまま寝入りかけていた。
前日までの山越えに子供は何も言わず、弱音も吐かなかったが、やはり疲れたのだろうか。
あどけない横顔が行灯の揺らめく光に照らし出されている。
閉じた本を文机の上に置き、相楽は左之助に近寄った。
いつも爛々と輝く瞳は瞼の裏側に隠されて、今は相楽を映すこともしない。
「左之助」
呼びかけると、いつもきらきらとした透明な瞳が此方を向く。
けれど今日は意識も殆ど手放しているのだろう。
僅かに反応を返すことはしたものの、瞼が持ち上げられる事はなかった。
「左之助、眠るなら蒲団に入りなさい」
「……うー……」
愚図る子供のように唸る左之助に、相楽は笑みが零れる。
普段はあれだけ生意気にしてみせる癖に、こういう時は甘えたがりの左之助に。
揺すったところで目覚めるとは思えなかったので、相楽は小さな身体をそっと抱き上げる。
振動にまた左之助は身動ぎしたが、結局目を開けることはなく。
少しの間小さな手が彷徨い、相楽の胸元を掴むと、そのまますぅと寝息を立ててしまった。
意識があれば、飛び起きて謝り出すのだろう。
後ろをついて来るのは躊躇わないのに、こうして触れると途端に緊張するのだ。
それを見るのが面白くて、時折、無性に揶揄いたくなる時がある。
今も、ともすれば目を覚まし、跳ね起きて慌て出すのではないかと容易に想像が出来てしまう。
柔らかな蒲団の上に横たえた小さな身体から、腕を離す。
すると左之助は、暖を求めるかのように丸く蹲った。
「たい…ちょ……」
甘えたような声で呼ばれて、相楽は口角を上げる。
夢の世界にまで、この子供は自分を追い駆けているらしい。
そんなにも子供の世界は、相楽総三という人間の存在で染め上げられている。
そう思うと、無性に沸き上がってくる衝動がある。
「可愛いな、左之助」
手袋を嵌めたままで、柔らかな頬をそっと撫でる。
左之助は仔猫のように小さくむにゃむにゃと呟くと、その手に擦り寄った。
手を離そうとすれば、眠っている癖に判るのか、不満そうにむぅと言う声が漏れた。
だからその声を無碍にする事無く、もう一度触れてみると、また甘えてくる。
眠っている時でなければ、素直に甘えることが出来ないのだ、この子供は。
準隊士という立場もあって、相楽が命令だと言えば、左之助はぱたりと大人しくなり、
触れる手に動揺することこそあれど、遠慮するような行動を取る事はないだろう。
“命令”は左之助にとって素直になる為の口実の一つであり、相楽にとって左之助に好きに触れる為の口実。
そうでなければ左之助は恐れ多いだの、示しがつかないだの、そんな事ばかり言うから。
勿論、左之助がその“命令”に従う理由は、それだけではないのだろうけれど。
だから時々、相楽は、沸き上がる衝動を誤魔化せない瞬間がある。
「左之助……」
眠る子供の顔に、己の顔を近付ける。
幼い寝顔は安心しきって、傍らの存在を信頼しているのが感じられた。
勿論、それを裏切るつもりは、ないのだけれど。
「お前は、私を信じ過ぎだよ」
――――裏切るつもりはないし。
――――泣き顔が見たい訳でもない。
――――――けれど、どうしようもない程に壊してしまいたい瞬間が、ある。
此処にいるのが、聖人君子だとでも思っているのかい?
お前の傍にいる男が、お前が夢見た通りの男だと、そう思っているのかい?
追い駆けているのが、本当にお前の望む“隊長”であると、信じて疑ったことはないのかい?
眠る子供に問い掛けたとて―――増して音にしてもいない問い掛けに―――返事がある筈もない。
返事があったとして。
想像出来る答えは、たった一つしかなかった。
「………お前は本当に、可愛いよ」
真っ直ぐに背中を追い駆けてくる存在を、いつもそう思う。
あまりに愚直過ぎる子供を愛でるなと言われても、土台無理な話だ。
理想と現実の境界線を持たない子供は、本当に可愛い。
己が見ているのが真実であろうとなかろうと、この子供は、ただ真っ直ぐに後ろを追い駆けてくるだろう。
正面から見た時、相楽がどんな顔をしていたとしても、左之助はきつと目を逸らさない。
偶像を追い駆けていると、気付かない限り。
「た…いちょぉ……」
夢で追い駆けているのは、間違いなく左之助が無意識の内に作り上げた偶像の“隊長”。
現実の隊長は傍らで、昏い笑みを浮かべてその幼い肢体を見つめている。
寝惚けて伸ばされた手が、相楽の洋装を掴む。
けれども夢の中で左之助が掴んだものは、現実此処にいる相楽ではない。
左之助の頭の中だけに存在する、信じて止まない“隊長”。
――――――どうしたら、それを打ち壊せるだろう。
いや、きっとそんな事は永遠に不可能に違いない。
例えば、その唇を貪ったとて。
例えば、その耳に舌を這わしたとて。
例えば、その幼い四肢を組み敷き、全てを奪い尽くしたとて。
愚かにも理想と現実の境界を持たぬが故に、子供は偶像を崇め続ける事だろう。
そうして、誰かがこの異常性に気付いた時には既に遅く、侵食した色は最早元には戻るまい。
子供は、望んでその闇色に堕ちたに等しいのだから。
それでも、もし。
この子供を光の下に連れ戻そうとする者がいると言うのなら。
その前に。
「なぁ、左之助」
頬を撫でると、丁度眠りが浅くなっていたのだろうか。
うぅと小さく呻いた後で手が持ち上がり、柔らかな手が瞼を擦る。
その手を掴んで引き寄せると、寝起きで回らぬ頭で、左之助はぼんやりと相楽を見上げてきた。
「たい…ちょう……?」
水気を含んだ黒々とした眼。
其処に映り込んだのは、胡散臭い笑顔を浮かべた一人の男。
左之助が盲目的に慕う“隊長”の姿が其処にある。
「その目、抉り取ってしまおうか」
綺麗な綺麗な、穢れを知らないその目玉。
抉り取って、大事に大事に保管して。
穢れなど知らぬまま、永遠に。
光を其処に宿したままで。
永遠に望む世界だけを追い駆けていられるように。
ダークな隊長、怖ッ! でもこういうのも結構好きです。
普段ほのぼの書いてる事が多いので、その反動かな?
危険な香りの隊さの、如何です?
鉢巻乾いてねぇか、と言う左之助に、剣心は洗い物の手を止めて立ち上がり、物干し竿へ足を進めた。
きちんと糊付けされた悪一文字の半纏が、風に翻る。
そちらは触れてみるとまだぐっしょりと濡れていて、着れたものではなかったが、
並べて干していた赤い鉢巻の方は、身に着けるに差し障りない。
「ほら、左之」
「おう、ありがとよ」
ようやく手元に戻って来た鉢巻に、左之助も嬉しそうに礼を言う。
額に当てて慣れた手付きで結び終えると、満足そうに笑う。
やはり、左之助にとって“赤報隊”は特別なのだ。
隊員皆が身につけていた赤い鉢巻は、今となってはその名残を形にする唯一の物。
この原色に込められた思いは、他者には到底想像もつかないだろう。
左之助がひょいと縁側に腰掛けると、その隣に弥彦も座った。
剣心は残りの洗い物を済ませる為、水桶に手を入れる。
「風呂はどうだったでござるか?」
「ん? あー……ま、のんびり出来たしな。悪くはなかったぜ」
言いながら、ちらりと左之助は弥彦を見遣る。
風呂場での失態を知っている唯一の人間だ。
言うんじゃねえぞと釘は差したが、何せ弥彦だ。
何かの調子に口を滑らせないとも限らない。
だが今回は言うつもりはないようで、剣心の目線に気付いた弥彦は、左之助の言葉を肯定の意として頷く。
剣心は少し物言いたげな顔をしたが、弥彦と左之助が揃って目を逸らすと、苦笑して追及するのを止めた。
「それは良かったでござるな」
「おう。一応、嬢ちゃんに感謝だな」
温かい風呂なんて久しぶりだったし、と呟く左之助。
足音がして振り返ると、薫の姿があった。
「あ、左之助、お風呂どうだった?」
「まぁいい加減だったぜ。ありがとよ、嬢ちゃん」
「ねっ、お風呂入って良かったでしょ」
満足げに嬉しそうに言う薫に、左之助も笑って応える。
「もう鉢巻してるの? もうちょっと乾いてからの方がいいんじゃない?」
「コイツがねぇとどうも落ち着かねェんだよ。洗って貰っただけで十分だ」
鉢巻の端を指先で弄りながら言う左之助に、そう、と薫も納得したらしい。
他人にしてみれば赤い布切れでしかないソレが、左之助にとってどれほど大切なものか。
薫も理解しているし、自分もいつも身につけているリボンがないと落ち着かない事がある。
濡れている訳でもなし、本人が良いと言うなら良いだろう。
だが薫の手には裁縫道具があり、半纏の方は繕うまで返す記はないらしい。
それまで、このぶかぶかの弥彦の寝巻きを借りたままなのか……と左之助はまた落ち着かない。
あの半纏も鉢巻同様、自分の身に馴染んだものなのだ。
乾いたら早く返してもらって、寝巻きも弥彦に返したい所だが、薫はそうも行かないようである。
まぁ、ボロボロなのは確かにみっとも無い。
一人暮らしをして長いから、身の回りのことは一通り出来るが、やってくれると言うなら甘えよう。
「剣心、半纏乾いたら私に貸してね」
……薫もすっかりやる気であるし。
剣心は苦笑して頷くと、洗い終わった洗濯物を干し始めた。
作業を続けながら、剣心が呟く。
「しかし、何故そのような姿になったのでござろうなぁ」
パンパンと着物の皺を伸ばしつつ呟く剣心に、オレが聞きたい、と左之助は返す。
「まるで覚えがねェよ」
「酒の摘みに変わったものを出されたとか……」
「いや、特にそんなもんはなかったな。皆で一個の皿から突いて食ってたし。オレ一人食ったってモンはねェぞ」
「昼間はどうしていたでござるか?」
剣心の問いに、左之助は腕を組んで考え込む。
昨日の昼間は、神谷道場で昼飯を集った後、何をするでもなくブラブラと町を歩き回っていた。
頭の中にあったのは晩飯はどうするかという事で、その時は修の所に行く予定はなかった。
無為に時間を過ごした後、目的なく歩き回るのが面倒になり、克弘の所に行った。
しかし新聞屋としての情報探しの真っ最中で不在、空振りに終わる。
宛が外れてさてどうするかと、自身の住む破落戸長屋に戻り、夕方までゴロ寝。
目が覚めた時に丁度修が長屋にやって来て、智や銀次などの顔馴染みの面子に揃って、修宅で夕飯にありついた。
食後は安酒を飲みながら雑談に花が咲き、面子の半分程が潰れた所でお開き。
家の近い者は運んでやり、家が遠い、歩けぬ程酒の酔った者は修宅にお泊りとなり、
左之助は意識もはっきりしていたし、夜風に当たって酔い覚ましをしながら自分の長屋に帰り着き、眠った。
――――――別段、変わったことなど何もない。
「……碌でもない生活してるわね……」
「思いっきりプータローだな」
「煩ェな、本題は其処じゃねえだろ」
薫と弥彦の突っ込みに、左之助はムッとしながら言う。
「酒も飯も、ダチ同士で持ち寄ったモンだったし、自分で勝手に徳利から注いでたぜ」
「うーん……仮にその酒や飯に何か入っていたのなら、他の者にも同様の事態が起きている筈でござるな」
「……って剣心、もしかしてオレのダチが食いモンの中になんか仕込んだと思ってんのか!?」
剣心の言葉に、左之助の声に険しさが篭った。
言葉が足りなかったかと剣心は慌てて首を横に振り、眉尻を下げる。
「いや、左之助の友人が何かしたと言うのではなく、買った酒や調味料に何か混じっていたのではと…」
店で買った酒や調味料の細かい成分など、判る筈もない。
左之助の友人達が意図していないに関わらず、その類のものを偶然手に入れ、
そしてこれもまた偶然、昨日の夕食時に持ち寄ったのではないかと、剣心は言った。
友人と疑っている訳ではないと言う剣心に、左之助も落ち着いた。
「ともかく、それも確認せねばならないでござる」
「昨日集まったのは、修に知に銀次だろ。あと……」
「……結構集まってたんだな」
指折り数える左之助に、その数を見た弥彦が呟く。
裏社会に関わらず、左之助は顔が広い。
そして左之助の一本気な性格に惚れ込んだ者達も多く存在する。
左之助が集まろうと言えば、皆喜んで集まるのだろう。
右手の指では足りなくなって、左之助は名前を連ねながら、左手も折っている。
これを全て当たって尋ねて回るのは骨が折れそうだ。
左之助が思い出し終えた時、両の指は一本だけが残っている状態だった。
「ざっとこんなもんだな」
「その中で、家を把握しているのは?」
「オレが知ってんのは……6人だな。後の3人は、大抵誰かのトコぐるぐる回って寝泊りしてるみてェだ」
「今日は小国診療所に行くから……半日でそれを全て周るのは少々キツいでござるな」
「そうか?」
確認するだけだろうと軽い調子の左之助に、剣心は苦笑し、
「いつもの左之なら楽勝でござろうが、今の左之助は子供になっているのでござるよ。全部周ろうとしたら陽が暮れる」
「だからって、問題はねェだろ」
「ダメよ!!」
横合いから声を上げたのは薫だった。
「陽が暮れてからも子供が破落戸長屋の近くをウロウロしてたら危ないじゃない!」
「あのな、あの辺にだってガキは住んでるんだぜ。碌でもねェ場所みてェに言うなよ」
「でも夜中に歩いてる子はいないでしょ」
「……そりゃ、あんまり見ねェがよ……」
「ほら。どっちにしろ、小さい子が夜中に歩き回るなんて言語道断だわ」
きっぱりと言い切る薫に、左之助も、横で聞いている弥彦も若干押され気味だ。
左之助としては、さっさとこの事態がどんなものなのか把握して、元に戻りたいのだ。
何より左之助にとっては破落戸長屋の周辺も身に馴染んだ土地。
今更何を心配することがあるのかと言う気分なのだろう。
だが、これについては剣心も薫に賛成だった。
「左之、もう少し自分の姿形を自覚した方が良いでござる」
「中身はオレのまんまなんだから、問題ねェだろうが」
「背も縮んで、恐らく骨格や筋肉も昔のものになっている。その右手、いつもの調子で打てば、逆に痛めてしまう事になる」
包帯もなく、拳ダコもない、まっさらな柔らかい掌。
拳を握った所でその大きさはたかが知れている。
風呂場でも見つめた自分の小さな手に、左之助は顔を顰めた。
「子供が夜半に歩き周れるような場所でない事は、あそこに住んでいるお主が一番よく判っている筈でござるよ」
気が急く気持ちが判らないでもないが、焦っても仕方がない事であるのも確か。
左之助は唇を尖らせ、恨めしそうに剣心を見上げ、
「……今朝だって、その長屋から一人で此処まで来たんだぜ」
「それもあまり感心はせぬよ」
「…………」
胡坐を組んだ足に手を乗せて、左之助は俯いた。
項垂れる所作が叱られて拗ねる子供のようで、剣心はこっそりと笑う。
一人前の男の意識のある左之助にとって、今の状況がどれほど屈辱的か。
だが如何に当人が大丈夫だと言っても、周りはそうは行かないものだ。
どれ程屈強な相手が立ちはだかろうと、左之助ならば剣心も心配しない。
しかし、それは左之助の実力があり、剣心がそれを認めているからこそ。
今の左之助には経験はあっても、身体がその経験から遠い状態になっている。
大の大人を相手にして、今までのように毅然とはしていられない。
小さくなった手を、ぎゅうと握り締める。
無骨な筈だった手は柔らかく、ふと、もう十年も逢っていない妹を思い出した。
彼女の手もこんな風に柔らかくて、守ってやりたいと思った。
今の自分は、その“守られる手”しか持っていない。
――――やっぱり、早く元に戻りたかった。
「――――――左之助」
呼ぶ声にも、左之助は顔を上げなかった。
構わず、剣心は続ける。
「原因も判らぬのだから、今は焦っても仕方がない。気持ちは判らぬでもないが、今は順序良く行くでござるよ」
洗濯物を全て干し終え、桶の水を流しながら言う。
それを鼓膜だけで捕えながら、左之助は息を吐いた。
「……おう…」
いつものはきはきとした声とは程遠かったが、それでも返ってきた言葉。
風に翻る悪一文字が、早く持ち主のところに戻りたがっているように見えた。
次
またちょっと真面目な話。
子供扱いする周囲と、判りはするけど癪に障る左之助。
出逢った時から、お前の一番は決まってた。
どう頑張ったって、オレはお前の一番にはなれなくて。
オレはそんなお前を好きになって。
お前はあの人ばかり追いかけて。
オレはそんなお前の隣にいて。
最初からずっとそうだったから、これから先もきっと。
ずっと変わらないまま、お前はあの人を追い駆けて、オレはお前の隣にいて。
オレはずっと、お前を隣で見ているだけで。
それは、時々酷く虚しくもなるけれど―――――――……
【幸せのかたち】
釣り糸を垂らして、四半刻。
案の定欠伸を漏らし始めた左之助に、克浩は苦笑を漏らす。
「なんだ左之助、もう飽きたのか?」
「……だってよぉ…じっとしてると退屈なんでェ」
動き回っている方が性に合っている左之助にとって、釣りは退屈なだけ。
魚が食いつけばそうも言ってられないが、この四半刻、釣り糸は川の流れに従順。
所々で魚が跳ねる水音はするのに、糸には一向に当たりが来ない。
このゆったりとした時間を克浩は意外と気に入っているのだが、
釣れない釣りになんの楽しみを見出せというのか、というのが左之助の言い分。
「仕方ないだろう、釣りなんだから」
「……そう言われてもよぉ……」
「だからお前は隊長と一緒に待っていれば良かったんだ」
左之助の性格が釣りに向いていないことなど、克浩も相楽隊長も、百も承知。
当たりが来るまで暇を持て余す釣りよりも、森の中で木の実でも食用の草木でも探している方が良い。
野兎を捕まえるのだって左之助は得意だから、釣りよりよっぽど彼にあっている。
しかし、季節は冬。
飛び回る野兎を見つけるのは容易な話ではなく、草木も眠る時期。
何より土地勘などない山の中を子供達だけで歩き回らせる訳には行かない、というのが隊長の言葉。
おまけに左之助は一つの事に夢中になってしまう為、兎を追い駆けて行方不明になり兼ねない。
其処まで言葉にすれば左之助は怒るので、誰も口には出さないが。
退屈そうに釣竿代わりの木の枝を揺らす左之助に、克浩はやっぱりこうなったか、と息を吐く。
「左之助、あまり竿を揺らすなよ。魚が逃げるだろ」
「……だから暇なんだって……」
「…もうオレ一人で釣るから、隊長のところに戻ってろよ」
左之助は克浩と同じ準隊士だが、隊長の刀持ちの役目を持っている。
それを左之助は随分と喜んでいて、その日以来、隊長にくっついて中々離れようとしない。
今日は何の気紛れか、食料調達を任された克浩に付き合っているが、いつもなら隊長の横にいる筈だ。
じっとしているのが苦手な癖に、隊長の傍にいる時はどんな瞬間よりも嬉しそうに笑う。
隊長と一緒なら、どんな事も苦にはならない、左之助はいつもそう言っている。
今もこの場に隊長が一緒にいて、同じように釣り糸を垂らしていたら、
会話がなくても、当たりがなくても、左之助はずっと嬉しそうにしているに違いない。
「うー………」
それが今日に限って、左之助は隊長の下に戻ろうとしなかった。
片手で揺らしていた釣竿を両手に持ち直し、石の上で膝を抱える。
左之助らしからぬ表情に、克浩は眉根を寄せた。
「なんだよ、隊長に怒られでもしたのか?」
「……んな事してねェよ」
いつだって左之助は隊長一番で、隊長が喜んでくれるならなんでもする。
それこそ多少の無茶は当然の事で、時折それは度を越してしまうことがある。
無謀な真似を仕出かした左之助が隊長にお叱りを受ける事は、克浩も時々一緒になっていたし、よく知っている。
だから、この左之助らしからぬ表情は、それによるものかと思ったのだが―――――返ってきたのは否定の言葉。
その返事を聞いてから、克浩も左之助の表情の微妙な違いに気付いた。
叱られた時はそれこそ地の底に沈むんじゃないかと思う勢いで凹むのだが、今日はそうではない。
落ち込んでいるとか、凹んでいるとか言うよりも、何か考え込んでいるような。
…………左之がこんなになるまで考え事なんて、珍しいな。
克浩がそう思ったのを知ったら、左之助は怒り出すこと間違いない。
オレだって考えごとぐらいすらぁ! と言って、同時に拳が飛んでくるのが容易に想像できてしまった。
想像するだけで頭を殴られたような気分になって、克浩は後頭部を擦る。
昨日も隊長の後ろをついて行くのがヒヨコみたいだと言って、思いっきり殴られたばかりだ。
隊長に止められていなかったら、後二、三発はやられていた気がする。
またああして隊長の一言に鶴の一声宜しく大人しくなるから、余計にヒヨコに見えるのだ。
……しかし、言葉より先に手が出るのはなんとかならないものか。
隊長にもよく注意されているだろうに、あればかりは生来の気質なのか。
ぴちょんと魚の跳ねる水音。
跳ねる暇があるなら、食いつけ。
そんな事を思いつつ、克浩は気紛れに釣り糸を手繰り寄せる。
「だったら、いつも通り、隊長と一緒にいればいいだろ?」
「……最近、鈴木さんとか、油川さんとなんか難しい話してっから」
「…………鈴木…油川…」
「お前な……二番隊と三番隊の隊長だよ、それぐらい覚えとけよ」
思い出せないという顔をする克浩に、左之助は呆れた顔で教えた。
「他の隊なんか、殆ど会わないじゃないか。別に覚えなくても困らない」
「じゃあ今覚えとけ。そう言えばお前、一番隊の人達の名前も半分も覚えてねェだろ」
「一番隊だけで100人近くいるんだぞ。お前は全員覚えてるのか?」
「……少なくとも、お前よりゃ覚えてる」
赤報隊に入ったのは、克浩よりも左之助の方が先だ。
ならば克浩よりも覚えていて当然。
だが、それを差し引いても、克浩が覚えている赤報隊の隊士の数は少ない。
克浩がよく話をする相手と言ったら、唯一同じ年頃の左之助と、相楽隊長ぐらいのもの。
左之助と違って人懐こい訳でもない克浩である。
隊士達も克浩のそんな気質をなんとなく感じるのか、可愛がるのは専ら左之助ばかりであった。
克浩は手先の器用さや、子供の割りに落ち着いている事は評価されているが、性格は暗い方だと自身でも自覚しているし、
大人達だって揶揄ったり可愛がったりするなら、打てば響く左之助の方がよっぽど良いだろう。
自然と克浩は決まった人物達以外と会話をする事は少なくなり、比例して人の顔を覚えることも減った。
もともと友達が少なかった克浩は、それを大して気にした事はない。
克浩は、左之助だけでも自分を知っていれば十分だった。
そして、敬愛する師である隊長が覚えていれば、それで良い。
克浩のそんな心中など知らない左之助は、また釣竿を揺らして溜め息を吐く。
それを見た克浩は、会話を元の路線に戻すことにした。
「それで、その人達と隊長が話をしているから如何なんだ? そんなの、お前はいつも見てたじゃないか」
隊長の刀持ちとなる以前から、以後は前よりも隊長の後ろをついて行く左之助の事。
自分の目の前で、隊長が隊士達と難しい話をしているのは何度も見てきただろう。
今更、左之助が気にするほどの事でもないと思うのだが。
克浩の視線に、言葉にならなかった部分を大方察したのだろう。
左之助は釣り糸を手繰り寄せると、ひょいっとまた川原に向かって投げた。
「……難しい話は、オレにはまだ判んねェ」
「オレだって判らないのに、お前に判るもんでもないだろ」
「一々ムカつく事言うな」
「判った判った」
睨み付ける瞳の光が、見慣れたぎらつきを帯びていて、克浩は少し安堵する。
克浩は釣り糸に餌のミミズを付け直し、また川に投げた。
それを一通りぼんやりと見送ってから、左之助は話を続ける。
維新政府の方針の事、これからの道程の事。
隣で控えている左之助に聞こえる話は、どれも難しくて、まだよく理解できない。
理解できた所で準隊士の自分は口を挟めないだろうから、それそのものは別段、気にした事はないのだ。
左之助がらしくない表情をするのは、そういう事ではなくて。
その時に感じる、溝のような、隙間のような。
「――――――隊長が他の大人達と難しい話してる時、なんか、すげェ遠い感じがする」
………あの人は。
改革の話や、作戦の話をする時以外、左之助や克浩と話をする時、しゃがんで目線を合わせてくれる。
他の隊士達の前では控えているが、自分達だけになった時、いつも子供達に合わせてくれた。
そして優しい笑みを浮かべて、頭を撫でてくれて、子供扱いだと判っていても、克浩も嬉しかった。
克浩が嬉しかったのだから、心酔し切っている左之助などは尚更だ。
いつも見上げてばかりの隊長を、その時だけは自分の目線で顔を合わせることが出来る。
隊長相手に恐れ多いとか、思わなくもないのだけれど、やはり子供心にそれは嬉しかったのだ。
けれども、あの人は“隊長”だ。
そして、自分達は準隊士。
二人合わせて、半人前にもならない。
あの人が“隊長”として立っている時、自分達はいつも見上げてばかり。
作戦の話をしている時は、割って入れる雰囲気ではなく、厳格な“一番隊隊長”の姿が其処にあった。
それは当たり前の話で、左之助だって、克浩よりも長くその姿を見てきた。
どんなに背伸びしても届かない、彼の人のいる高さ。
左之助は、ずっと彼の人を見上げていて。
「……別によォ、今に始まった事じゃねェし」
「そうだな」
「隊長は隊長だし、オレはただの準隊士だし」
「ああ」
「まだ、ガキだし」
釣竿を手元で弄る左之助の意識は、恐らく、殆ど此処には残っていまい。
頭の中にあるのは、いつも追い駆けている隊長の事で一杯。
そんな左之助を、克浩は誰よりも近くで見てきた。
「三木さんや、油川さん達みたいな役にゃ、立てねェ」
追い駆けても追い駆けても、隊長はいつも前を向いて進んでいく。
まだ子供でしかない自分達は、それを一所懸命追い駆けていくのが精一杯。
隣に並んでも、見上げないと彼の人の顔を見る事すら出来ない。
そんな子供が他の隊士達同様に、隊長の役に立てる事など滅多にない。
剣術は指南してもらっているけれど、敵襲となると大抵は奥に控えていろと言われてしまう。
左之助も克浩も、言われた通りに退いたことは少なく、隊長の傍らで必死に剣を振るうけれど、
それでも何度周りの大人達に救われたか判らない。
子供の自分達に出来ることなど、幾らもない。
隊長はそれについて、左之助や克浩に何事か言う事はない。
他の大人達も、それは同じ。
けれど、子供であっても男だ。
敬愛する人の役に立ちたい気持ちは当然あって、それが出来ない自分が歯痒くて仕方がない。
「最近は特に難しい話してる事多くなって、でかい声出してる事も増えてよ」
「……隊長が?」
「お前ェは知らねェだろうけどな。なんか最近、苛々してる感じもしてさ」
隊長が声を荒げる場面を、克浩は中々想像することが出来なかった。
無茶をする左之助や克浩を叱る時でさえ、何処か優しいのだ。
刀持ちとして常に隊長の傍にいる左之助は、そんなに珍しいことでもない、と続ける。
ただ最近は本当に苛立ちを隠しきれない様子で、左之助にはその理由も言わないし、隠そうとしているようだけれど、
常に隊長の後ろをついて行く左之助は、その微細な変化さえも敏感に感じ取れるほどになっていた。
「オレにはいつも笑ってくれるけど……それもぎこちねェ感じするし」
「……全然気付かなかったな、そんな事……」
独り言のように呟くと、そうか? と左之助は首を傾げる。
その微細な変化を感じ取る程、左之助は隊長を見ているのだ。
他の何より、他の誰より、一番近くで。
それが少しだけ、克浩は悔しかった。
「会議の後は疲れた顔しててよ。あんまり飯も食わないし……あ、食われてやがる…」
手繰り寄せた釣り糸の先に、餌のミミズは存在していなかった。
話に夢中になっていた間にか、それとも単に左之助が気付けなかったのか。
逃げられた事に溜め息を吐いて、左之助は新しいミミズを括りつける。
ひゅっと風を切る音がして、ぽちゃり、それは水の中へ。
「だからよォ、オレになんか出来る事ねェかなって思ってよ」
「……それで、釣りか?」
「釣りっつーか、食料調達。隊長が元気出るような、でかくて美味い魚釣ってやろうと思ってさ」
当たりが来ない限り、ただ只管待ち続けている、左之助にとって苦手な作業。
それさえもやはり、隊長の為なら持て余す事はあれど、苦ではないのだ。
「………相変わらずか」
「? なんか言ったか、克?」
「いいや」
漏れた呟きに首を傾げた左之助に、克浩はなんでもないと返す。
左之助はそんな幼馴染にまた首を傾げるが、追求はしなかった。
「隊長の為、か」
「ああ。隊長にゃ元気出して欲しいからな!」
少し照れ臭そうに頬を染めて笑う左之助に、克浩も笑みが零れる。
「オレはガキだし、隊長の手助けなんて殆ど出来ねェし。会議の中にいても、なんの話か判らねェし。
でもよ、やっぱりなんかしてェんだ。横で見てるだけなんて嫌でさ。
食料調達なんかオレじゃなくたって出来るけど……やっぱり、オレがなんかしたいんだ。
それで隊長が笑ってくれたら、やっぱオレ、嬉しいからよ」
笑うその横顔が、克浩にはとても眩しくて。
此処でそれを見ているのは自分だけなのに、その笑顔は自分には決して向けられる事はない。
それでも、すぐ隣で見る事が出来るのは、克浩にとって何よりも嬉しい事。
一途に隊長だけを追い駆ける左之助は、克浩のそんな視線に気付く事はない。
そして克浩も、それを左之助に気付かせるつもりはなかった。
克浩を赤報隊に入隊させる切っ掛けを作ったのは、左之助だ。
その頃から左之助の存在は、克浩にとって何よりも特別なものだった。
隊長の事は勿論尊敬しているけれど、それと比べるものではない。
けれど左之助にとって、克浩は友達で。
克浩にとって左之助は“特別”であるけれど、左之助の“特別”は隊長で。
それは、これからもずっと変わらないに違いない。
克浩がそれにいち早く気付けたのは、この場合、幸いだったのだろうか。
結果の見えた勝負をしたがる程、克浩は左之助のように負けず嫌いではなかったし、挑むような相手でもない。
時々それが虚しく思えたりもするけれど、左之助とのこの距離は克浩にはとても居心地が良い。
無作為に打ち壊したいとは、望まなかった。
気の持ちようだ。
考え方次第。
左之助は、克浩の想いに気付かない。
ならば拒絶されることもない。
打ち明けたりなどすれば、真っ直ぐな左之助の事、ぎくしゃくしてしまうだろう。
そうして今の距離が遠退いてしまうのは、克浩も嫌だった。
届かぬ想いを抱え続けることは容易な事ではないし、吐き出せない辛さも時には感じる。
だけど、やっぱり。
「左之、ひいてるぞ」
「え!? よっしゃ、絶対ェ釣り上げてやる!」
「バカ、無理したら糸が切れる!」
数分前までの沈んだ表情は何処へやら。
静かだった川のせせらぎの中、静寂を破る魚の跳ねる水音が響き始める。
力任せに吊り上げようとする左之助だったが、当たった魚は大物なのか、左之助の方が川面へ引っ張られている。
克浩は自分の釣竿を川原に固定すると、急いで左之助に駆け寄り、横合いから釣竿を掴んだ。
「っく……重てェッ!」
「踏ん張れ左之!」
釣竿の枝が大きく撓り、左之助の身体が前のめりになる。
克浩は、釣竿を左之助に任せ、左之助が川面に落ちないように背中に周って抱え込む。
絶対に吊り上げてやると意気込む左之助だが、魚も勢いを失わない。
右へ行き、左へ行き、どうにか逃れてやろうと足掻く。
二人も諦めようとせず、必死に竿を握り締めた。
しかし、力の拮抗は長くは続かなかった。
ぷつり、と糸が切れ、後ろに比重をかけていた二人は、揃って川原に転がった。
「つ〜……」
「いって……克、悪ィ。大丈夫か?」
後ろにいた所為で下敷きになってしまった克浩に、左之助が謝る。
左之助ほど打たれ強くない克浩は、じんじんとする背中の痛みを笑って誤魔化した。
起き上がって釣り糸を手繰り寄せれば、半分程の長さになっていた。
「ちぇっ、逃げられちまった」
「無理矢理釣ろうとするからだ。先ず相手を弱らせないと」
「んなまどろっこしい事してられっかよ」
「……本当に左之は釣りに向いてないな……」
結構大物っぽかったのに、と左之助が呟いた直後。
ばしゃんと音がして川面を見遣ると、二人の身長の半分はあろうかという大きな魚が跳ねていた。
ざまあみろとでも言われたような気がして、左之助がカチンとし、
「あンの野郎、絶対ェ釣って食ってやる!!」
「……寄せよ、デカ過ぎるだろ。幾らお前でもありゃ無理だ」
「いーや、絶対釣る! そんで隊長に見せるんだ。あんだけデカけりゃ、精も付くぞ!」
止める克浩にお構いなしで、左之助は益々やる気になっている。
半纏の袖を捲り上げ、まるで戦闘でも始まるかのような顔で川面を睨む。
新しい糸と餌をつけた竿を思い切り振って、左之助は一つ大きな石の上にどっかりと腰を落とした。
克浩の呆れたという視線は、左之助には全く届いていない。
頭の中はあの大きな魚を釣り上げることと、隊長の事で一杯。
「克、お前ェは好きにしていいぜ。釣るモン釣ったら、隊長に報告に行けよ」
「……で、お前はあの魚釣るまで動かないつもりか?」
「出発するなら行くけどな。それまでに絶対釣る!」
「…つまり、動かない訳だ」
こうなったら、隊長が収集をかけない限り、左之助は梃子でも動かない。
克浩が何を言った所で馬の耳に念仏。
克浩は放置したままになっていた自分の釣竿を取ると、左之助の座る石の傍に腰を下ろす。
ひょいっと投げた釣り糸は、左之助よりも此方に近い位置で水に落ちた。
「全く、お前は……」
「なんだよ」
「別に。付き合ってやるよ、あの魚釣るの。さすがのお前でも、あれを一人で釣るんじゃ骨が折れるだろ」
目線を合わせずに言えば、左之助の視線がこちらに向くのが感じられた。
しばしじっと克浩を見つめた後、ありがとよ、と言う左之助の声。
少しの沈黙を感じてから、克浩は何気なく、左之助を見遣った。
左之助の視線は真っ直ぐと川面に向けられていて、やはり克浩に気付く事はない。
克浩は左之助の視線にいつだって気付くけれど、左之助はその逆。
どれだけ長い時間こうして見つめても、偶然に左之助がこちらを振り返らない限り、気付かれる事はない。
……もうこの時点で、この想いの行く先なんて見えたようなものだった。
それでも構わない、こうして誰よりも何よりも近い場所にいられるのだから。
きっと他の人には――――隊長にすら言えない事を話せるのは、きっと自分だけだから。
ぴんっと左之助の釣竿にまた当たりが来た。
「よし来たァ!!」
「だから、無理矢理引っ張るなって!」
喜色満面の左之助の背中を抱えて、また引き込まれないように。
力一杯竿を引き上げようとする左之助を、克浩は持てる力で支える。
「う、わっ、ヤベ……!」
「く……!」
引きずり込まんと暴れる魚に負けまいと、左之助が口を噤む。
竿を掴む手がぶるぶると震えているのが克浩にも見えた。
それでもお互い、離すもんかと。
――――――結局、その魚にも逃げられて。
左之助が満足するような大きな魚を釣り上げるのは、それから半刻もしてからの事だった。
川辺の縁の岩に腰掛けている人物を見つけ、左之助が走り出した。
その腕には、身長の半分程もある大きさの魚。
「隊長ー、相楽隊長――――!」
呼ばれて振り返ったその人は、左之助を見て少し驚いた顔をした。
「ほら、見て下さいよ! これオレ達が釣ったんですよ!」
「これは……凄いな、よく釣れたものだ」
隊長の言葉に、左之助の頬がほんのりと染まる。
白い手袋をはめた手が、ツンツンに立った髪をくしゃくしゃと掻き撫ぜた。
他に人にされると子供扱いするなと烈火の如く怒るのに、隊長にされるのは嬉しくて堪らないのだ。
それから隊長は、左之助に少し遅れて辿り着いた克浩の頭も撫でる。
なんだか気恥ずかしくなって、克浩は撫でられた箇所に手を当てた。
休息していた一番隊の隊士達が子供達の帰還に気付いて声をかける。
どうだ、いいもん釣れたか、という大人に、左之助はにーっと笑って腕に抱えた魚を見せた。
「へへっ、どーでィ! オレと克で釣ったんだ!」
「ほぉ、こりゃ大したもんじゃねえか。隊長、早速こいつ食いましょう」
「そうだな。折角左之助と克浩が釣ってくれたんだ、新鮮なうちに食べないと」
隊士達からも褒められて、左之助は一層嬉しそうに笑う。
隣に立つ克浩を見遣ると視線があって、またにーっと笑った。
それを見た克浩の表情も、俄かに緩む。
左之助は魚を料理が得意な隊士に預け、いつものように、隊長の元に駆けて行く。
克浩はそれを見送っていた。
と、その途中で左之助が振り返り、
「ありがとよ、克!」
照れ臭そうに笑う左之助の言葉に、克浩は別に、とだけ返す。
他人が聞けば素っ気無い台詞にも、左之助は十分だったらしく、すぐに踵を返して背中を向けた。
小さな背中は隊長の下に駆けて行き、あっという間に克浩の入る隙間はなくなった。
魚を抱えていた所為で濡れた半纏の袂を、隊長が手拭で拭いている。
自分でやれますから、と慌てている左之助に構わず、隊長は左之助と目線を合わせ、いいから、と微笑んだ。
近くで見る隊長の笑顔に、左之助の顔が真っ赤になって、それ以降は大人しくなる。
隊長の手がまた左之助の頭を撫でる。
俯き気味だった左之助だったが、その後、隊長の言葉に顔を上げて笑う。
何を言ったのか、離れていた克浩には聞こえなかったが、左之助にとって嬉しい言葉だったのならそれで良い。
照れ隠しでもなんでも、左之助が笑っていられるのなら、克浩にはそれだけで十分だ。
そう、それだけでいい。
見ているだけでいい。
左之助が幸せなら、それで十分。
あの笑顔が見られるのなら、何があっても、きっと自分も幸せだから。
オレは、どうしたってお前の一番にはなれないから。
だからせめて、お前の一番近くで、幸せな顔を見ていたいんだ。
……それぐらい、赦されたっていいだろ?
報われなくてごめん、克……!
見守る幸せ(恋)があってもいいと思うんだ、うん。
段々話が長くなってきたよー! 前後編にしようかとも思ったけど、いい区切りが見付からなかった…