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夕暮れ時になると、それまで見える風景が大きく変わってくる。
其処にあるパーツは変わらないのに、降り注ぐ色が違うからだ。
昼間に降り注ぐ光が暖かい黄色だと言うなら、この時間は少しだけ冷たい緋色か。
赤というほどはっきりとした鮮明なものではなく、眩しいと言い切るには寂しい光。
東空には逆の色を持った藍色がゆっくりと、水彩絵の具のように滲んで広がっていっていた。
京一にとっては、ごくごく見慣れた光景だ。
時にはこの屋上ではなく、校庭に聳える木の上で眺めてきた。
この真神学園に入学してから、ずっと。
昼間とは違う景色。
陽が沈めば、闇色に埋もれていく景色。
束の間に生きるこの光景が、京一は嫌いだった。
刹那にしか生きていけないのに、酷く強く印象に残るこの光景が。
そして、今。
「あ、京一」
遠く広がる景色を眺めていた相棒が、振り返る。
いつも何処かぼんやりしていた面に、夕暮れ時の強いコントラストが差し込んでいた。
京一が認識していた親友の存在は、まるで空気のようなものだった。
其処にあるのが当たり前で、わざわざ改めて確かめるようなものではない。
ふと振り返れば其処にいて、振り返らなくても其処にいて、京一はそう思っていた。
闘いの最中でも、葵や小薪に対するように、その無事を確認しようとは思わない。
醍醐の場合はまた別だけれど、彼と目の前の親友とでは、京一の中で明らかに位置が違った。
何も言わなくても、その姿を見なくても、其処にいるのが判る。
だから京一にとって、この相棒は、其処にあって当たり前の、空気のようなものだった。
――――そう思っていた事を、疑ったこともない。
……筈、だった、のに。
「―――何? どうかした?」
強いコントラストに彩られたその輪郭は、くっきりと陰影を映し出し。
ふわりふわりとした面が、常は感じさせない存在感を醸し出していた。
この、刹那の刻の中で。
あと半刻もすれば闇に溶ける、この刹那の刻の中で。
「…………ムカつく。」
「え!?」
それ以上、強い存在感を視覚認識を持って確認したくなくて、背を向けた。
一言投げかけて、そのまま屋上を降りる階段に向かう京一を、龍麻が駆け足で追いかけてくる。
僕何かした? という質問が聞こえたが、京一は答えなかった。
(誰が言ってやるもんかよ)
刹那に生まれたその存在感が、
あと半刻で消えてしまうんじゃないかと思って、
―――――――酷く寂しくなったなんて、誰が教えてやるもんか。
目を閉じてたって判るのに、眼を開けてみたら消えて行きそうに見えた。
龍→京ばっかじゃなくて、たまには龍←京も。
でも京ちゃんツンデレですから、こんなん出ました。
駄菓子屋で安かったから、買ってきた。
シャボン玉。
いつものように京一と一緒に、授業をサボって。
ズボンのポケットに入れていたそれを思い出して、取り出した。
京一に見せると、彼は眉根を寄せて、
「お前、そんなもんどうするんだ?」
―――――どうって、遊ぶしかないだろう。
ふわりふわりと飛んでいく、柔らかい球体。
今日の風はそれほど強くなかったのが幸いした。
のんびり眺めるぐらいには、それは僕らの前に存在していた。
グラウンドに流れて行くシャボン玉を、揃って眺める。
「楽しいね、シャボン玉」
「ん……まぁ、そうだな」
女子供の遊ぶ道具だ、と言っていた京一だったけれど。
童心に返ったのか、シャボン玉を眺める眦はいつもより優しく見えた。
「京一もやる?」
何気なくそう問い掛けてみる。
やらねえよ、という言葉が返ってくるものだと思っていた。
けれど予想に反して、少しの沈黙の後、無言で京一の手が出された。
落とさないように少し気をつけながら、シャボン玉の道具を手渡す。
ふぅっと拭けば、小さなシャボン玉が空に散らばった。
「面白い?」
「……あー」
気のない返事だ。
それでも、止める気はないらしい。
そんな京一に笑みを零して、僕はフェンスに寄り掛かる。
「京一って、シャボン玉、好き?」
また小さなシャボン玉が散らばる。
ふわりと柔らかい風が拭いて、散らばったシャボン玉は空に流れて行った。
青空の中、てんてんと、虹色の球体が孤を描く。
京一の視線は、じっとシャボン玉に向けられている。
いや、ひょっとしたら、それさえ見ていないのかもしれないけれど。
「嫌いじゃ、ねぇよ」
流れて行くシャボン玉を見送って、呟かれたのはそれだけ。
手を差し出すと、言わなくても判ったらしい。
シャボン玉の道具が返された。
フェンスに背中を預けて寄り掛かったまま、ゆっくり吹く。
少し大きなシャボン玉が、ぷかりと空に浮かんだ。
その大きなシャボン玉に、僕と、京一が映り込んでいた。
「僕も好きだよ」
「だろうな」
じゃなきゃ遊び出したりしないだろう、と。
京一のその呟きに、笑う。
もう一度、今度はさっきよりもゆっくり、息を吹いて。
また一回り大きなシャボン玉がぷかりと浮いた。
映り込んだ京一の顔を見つける。
「ホントに、好きだよ」
判ってるよ、と。
判っていない声が聞こえて。
――――――面と向かって言えたら良いのに。
ちょっとヘタレな龍麻君。
顔を見ないで告白しても、気付かない京ちゃん。
妙に視線を感じるので、振り返ってみれば。
手に持った石越しに、自分を見つめる親友に気付いた。
龍麻が持っているのは、瓶のラムネについていたビー玉だ。
昼休憩の時にラムネを飲んでいたのは京一で、何気なくその中のビー玉を出したら、龍麻が欲しがった。
別に必要ないものだったので、京一はすぐに龍麻にそれを譲り渡した。
それから休憩時間も授業中も、龍麻はビー玉に夢中になっている。
謎の転校生の不思議な行動には、京一はもう慣れてしまった。
何を考えているか判らないので、変に勘繰る方が疲れるのだ。
だが、この行動には口を出さずにはいられなかった。
「なんだよ龍麻、ジロジロ見やがって」
視線が不快とは言わないが、あまりに見られては気になるというもの。
増して周囲の気配に敏感な京一は、必要以上にそれを感じてしまうのだ。
龍麻はまだビー玉越しに京一を見ている。
一見すればビー玉だけを眺めているようにも見える。
が、京一は確かに、その小さな石の向こう側から、強烈な視線を感じるのだ。
あのビー玉は透明ではないけれど、不透明と言うほどでもない。
覗き込めば向こう側が薄らと透けて見える。
其処から龍麻は、じっと京一を見ているのだ。
休憩時間も、授業中も、飽きずに、ずっと。
「んー………」
夢中になっているのか、龍麻は京一の問いに答える気はないらしい。
溜め息を一つ吐いて立ち上がると、龍麻も動いた。
近付いてくる京一にしっかりと標準を合わせ、相変わらずビー玉越しに見つめて来る。
「おい、龍麻」
「なに?」
席の横まで来て声をかけると、ようやっと返事があった。
座ったままの龍麻を、京一は見下ろしていた。
それだけ距離が近くなっても、龍麻はビー玉を覗くのを止めない。
ビー玉の位置は、龍麻の右目に程近い距離にあった。
京一から見ると、親友の目にビー玉がそのまま埋め込まれたように見える。
指先で掴んでいるのは判っているが、だってビー玉越しに目玉がこちらを見ているのだ。
半透明のガラス球体が目玉の役目を果たしているような錯覚に陥ってしまう。
「それ、やめろ」
「なんで?」
「なんか気持ち悪ィ」
顔を顰めてそう言うと、龍麻はしばしきょとんとした。
が、京一が本気で嫌がっているのは判ったらしく、ビー玉を机の上に転がした。
コロンと転がったビー玉は、程無くしてピタリと動きを止めた。
「なんか面白いモンでも見えたのかよ」
「うん。京一が見えたよ」
「……別に面白くもなんともねェだろ」
「面白いよ。京一だもん」
にっこりと笑顔で言われて、京一はまた顔を顰めた。
意味が判らない。
行動も思考回路も、全く読めない。
親友としてそれは如何なんだと時折思う事はあろうとも、判らないものは判らないのだ。
それでも京一が龍麻の事を気に入っているのは、変わらない。
「まぁいいや……ほれ、ラーメン食いに行くぞ」
二人の半ば恒例となった放課後のラーメン屋。
いつも通りに誘ってみれば、うん、と頷く龍麻。
しかし、今日の龍麻はすぐには動かなかった。
龍麻の視線は、机の上で静止したビー玉に注がれている。
「龍麻?」
何やってんだ、と問い掛けるも、返事はない。
龍麻は嬉しそうに、楽しそうに、じっとビー玉を見ている。
そんなに何か面白いものが見えるのかと、京一はビー玉に手を伸ばす。
すると、届くか否かという距離で龍麻が手を伸ばし、そのビー玉を攫ってしまった。
「なんだよ、だから!」
「なんでもないって」
「じゃなんで隠すんだよ」
「別に隠してるんじゃないよ」
そう言って、龍麻はビー玉を元あった場所に置く。
そうしてまたビー玉をじっと覗き込んだ。
「意味判んねぇ」
「うん。判んないだろうね」
「教えろよ」
「だーめ」
これまた楽しそうに言うものだから、京一はこれでもかと言うほど眉間に皺を寄せて。
一発殴ってやろうかと物騒なことを考えたが、止めた。
ビー玉を見つめる親友の横顔が、やけに穏やかだったから。
腹、減ったんだけどな。
そう思いつつ、京一は手近にあった席に腰掛ける。
しばらくはビー玉を見つめる龍麻の横顔を見ていたが、直に飽きてしまった。
外は既に夕暮れ時。
窓枠の向こうは、綺麗な朱色に染まっていて。
……それに目を向けていたら。
「教えないよ、京一には」
ビー玉をつんと突いて、龍麻が呟いた。
意味が判らなかったので、聞かなかった事にする。
だから、京一はずっと知らない。
龍麻が本当に見ていたものが、なんなのか。
ガラス越しのキミと、ガラスの世界のキミ。
龍京と言うより、これは龍→京ですね。
うちの京ちゃんは鈍いから……
片思い龍麻。
鬼との戦いを終えて、埃だらけの衣服のままで。
家路に着いた女の子二人を見送って、醍醐は明日は部活の朝練習があるからと一人帰っていった。
別段急いで帰る理由もない龍麻は、同じく帰る気のない京一と、二人で川の橋の上。
欄干に登って腰掛けた京一の隣で、龍麻はぼんやりと空を見上げていた。
同じように京一も、何をするでもなく、ただ空を仰いでいる。
一歩間違えれば死が目前に在る、鬼との闘い。
昨日も今日もそれに明け暮れ、日々鬼との闘争の数が増えていく。
今こうしている刻も、ひょっとしたら何処かで鬼が生まれているのかも知れない。
――――考え始めれば、キリのない事だった。
けれども、この橋の上は、今だけはとても静かで。
「冷えてきたな」
ぽつりと呟かれた京一の言葉は、殆ど、独り言だった。
此処にいるのは龍麻と京一の二人だけだったけれど、だからと言って龍麻に投げかけられた訳でもないだろう。
窺った京一の視線は相変わらず空へと向いていて、月明かりに照らされた肌が青白く映える。
然程血色の良い彼ではなかったけれど、不健康と言う程でもない。
日頃、何かと無精にして見せるから、そんな印象になるのだろうか。
……けれど、銀月の光に照らされた彼は、何故か酷く儚いものに見えた。
それは日頃、ふとした瞬間に見せる、寂しそうな表情の所為か。
きっと龍麻以外は誰一人――いや、昔から付き合いのある人は知っているのかも知れない――気付いていない、顔。
あれを知っているから、そんな風に思えるのかも知れない。
風が吹いた。
確かに、今日は少し冷える。
季節が秋になり、衣替えも済んで、長袖で生活するようになった。
開放的だった季節が終わり、一転、守りの姿勢になる。
来るべき凍える季節を耐え忍ぶために、今から動物たちも冬篭りの準備に入っている頃だろう。
今宵はまだまだ冷えそうだ。
「ラーメン、食べに行く?」
「もう閉まってんだろ」
何時だと思ってんだと、京一は半ば呆れ混じりに言った。
時計なんて持っていない。
けれど、さっき街中で見た街灯のデジタル時計は、既に日付を跨いでいた。
繁華街はこれから賑わうだろうけど、飲食店の殆どはもう閉まっているだろう。
けれども都会とは便利なもので、24時間営業の店も珍しくないのだ。
「確かに、コニーさんはもう寝ちゃってると思うけど。何処か開いてるよ、多分。たまには他の店でもいいんじゃない?」
「オレはあそこのラーメンがいいんだけどな。まぁ、たまには……悪かねェけどよ」
「風邪ひいちゃう前に行こうよ」
京一の舌を満足させられるラーメン屋が、簡単に見付かるかは判らないけれど。
こんな吹き曝しの川の上で、いつまでもぼんやりしていく訳にもいかない。
欄干をひょいと降りて、京一はしっかりとアスファルトに足をつけた。
「そういや、吾妻橋の奴が代々木の方に美味いトコがあるとか言ってたな」
「じゃあ、今日は其処だね」
此処からだと少し歩くけれど、それもたまには良い。
淡い月の光に照らされて、それもいつまで続くのだろう。
街に入れば、立ち並ぶビルに空は埋もれて、月も見えなくなってしまう。
変わりに光るのは沢山の強い人工灯。
その、強い明かりに照らし出される親友の姿を、龍麻はずっと見てきたけれど。
一歩先を歩く京一に、手を伸ばす。
木刀を持つ手とは逆の、いつもはポケットに無造作に突っ込まれている左手を、掴まえた。
突然の事に京一の肩が一瞬跳ねたのが可笑しくて、笑いそうになるのをなんとか堪える。
自分から肩を組んだり、スキンシップが多いくせに。
人から触れられる事はどうも苦手らしいと気付いたのは、最近の事。
近付かれる度、気安く触れられる度、心臓が高鳴っていた事を、京一は果たして知っているだろうか。
尋常でない位目敏いくせに、同時に尋常でない位鈍いから、きっと気付いていないに違いない。
だから、これは少しの仕返しと。
「……何してんだよ」
「京一、歩くの早いから」
繋いだ手をそのままに、睨み付ける眼光。
月の光に照らされた顔がほんの少し赤いのは、きっと見間違いではなくて。
「並んで行こうよ。折角だから」
何が折角なんだと、顔を顰めているけれど、決して振り解かない繋いだ手。
こうして掴まえていれば、君は何処にも行かないから。
月に照らされた君が、どんなに消えて行きそうに見えたって、此処から何処にも行かせないから。
だから今日は、月夜の下を二人で散歩。
男子高校生が手繋いでるって……大好きです。
すい、と風を切って飛んで行ったのは、紙飛行機。
「……京一、今の問題用紙」
「知ってる」
席を寄せて囁いてみれば、平然と返ってくるそんな台詞。
教室からグラウンドへと放たれたそれは、元は京一の机の上に置いてあった数学の問題用紙。
珍しくまともに机に向かって何かしているなと思ったら、コレだ。
教卓にいる数学教師はどうしたのかと見てみれば、不真面目な生徒のそんな悪戯にも気付いていない。
午後の陽気に当てられたのか、椅子に腰を下ろして舟を漕いでいる。
それを一瞥して、もう一度龍麻は京一へと目を向け、
「どうするの? 授業」
「寝てる」
あっさりと返された台詞は、なんとも彼らしいものだった。
「プリントは?」
「もう知らねえよ」
「何処行ったの?」
「あの辺」
そう言って、京一はグラウンドの方を指差す。
示した方向に既に紙飛行機の影は見えず、あるのは晴れ渡る午後の陽気。
「届かないね」
「おう」
「じゃあ、仕方ないね」
龍麻の言葉にもう一度おう、と呟いて、京一は机に突っ伏した。
龍麻は、手の中にあったシャーペンを机の上に転がした。
ころり転んで消しゴムに当たると、それは其処から動かなくなる。
正方形ではないプリント用紙をしばし眺めて、龍麻はその端と端を摘んで、対角線上に折った。
程無くして出来上がったのは、飛んで行った紙飛行機と同じもの。
少しだけ椅子から乗り出して、京一の席の向こうの窓へ放つ。
「龍麻?」
何してんだ、と突っ伏していた顔を上げ、京一が此方を向いた。
そして親友の机の上が、自分同様がらんとしているのに気付き、
「お前、プリントは?」
「あの辺」
そう言って指差すのは、グラウンド。
緩い風に乗って、それはまだふわふわと確認できる場所にあった。
あった、けれど。
クッと京一が笑った。
「届かねェな」
「うん」
「じゃ、仕方ねェよな」
教卓にいる教師は、まだ舟を漕いでいる。
生徒たちはヒソヒソと小さな声で話をしているが、それは教師には届いていないらしい。
目を覚ます様子のない教員に、教室内は自習状態。
プリントを真面目にやっている生徒もいれば、半分程埋めて寝てしまった者もいる。
葵や醍醐はまだ問題に取り組んでいて、小蒔は退屈そうに欠伸をしていた。
そして、自分達は、これから昼寝。
だって仕方がないじゃないか。
紙飛行機は、もう届かない所まで飛んで、自由になってしまったのだから。
後で先生から大目玉くらう。
……その前に二人とも逃げるか(笑)。