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「あのさ、京一」
「あん?」
「お、京一。少しいいか?」
「………醍醐君…」
「ん? ……何か不味かったか…?」
「ねぇ、京一」
「なんだよ」
「あーッ! 京一、お前また掃除サボっただろ!」
「げッ、小蒔!!」
「逃げるな!」
「………」
「龍麻、」
「あら、緋勇君と京一君。あのね、この間生徒会で出た議題で相談があるんだけど」
「…………」
「…私、何かいけなかった?」
「……別に」
「京一、」
「京一、見て見て! 来週の記事、マリア先生特集よー!!」
「お、ちょっと見せろ」
「………」
「おい、龍麻、」
「蓬莱寺、補習だ。逃げるなよ」
「………わぁってんよ」
「龍麻、話が」
「緋勇君、ちょっといいかしら? アタシの今日の授業、また寝てたわね?」
「……ごめんなさい」
「京一、あのさ」
「アニキィィィ!!」
「おう、なんだ」
「………」
一緒にいたいだけなのに。
なんでこんなに上手くいかない?
呼び出されたり、追い駆けられたり、割り込まれたり、掻っ攫われたり。
恋人だからと特別に優先するほどにはなれない、友達以上の(気持ちが)恋人未満。
でも一緒にいたい。
恋人同士になったからって、何が変わる訳でもない。
放課後に集まるメンバーは、既に見慣れたものだった。
龍麻を中心に、京一、葵、醍醐、小蒔、時に其処に遠野も加わる。
鬼との闘いも、近頃は五人揃ってのものが増えてきた。
京一が勝手な行動(無論、当人にとっては理に基くのだが、周りにそれを言わないから勝手も同然だ)も減ってきた。
何かと衝突が起きていたメンバー達だったが、そろそろ、各自の折り合いというものが着いて来た。
そんな調子で半年も過ごした頃になって、急に“親友”が“恋人”に変わったからと言って、今更付き合い方は変えられない。
変えられないし、京一は変える気もなかったのだ。
変えるとしても、何処をどう変えれば良いのかも判らない。
一日の内に初めて顔を合わせた時、声をかける時、隣に並ぶ時、一緒にサボる時。
鬼との闘いに赴く時、鼓動さえシンクロしたように同調した時、互いの無事をその眼で確認した時。
―――――既に何度となく繰り返してきた動作を、今更どう変えろと?
変えようがないだろう。
少なくとも、京一にとってはそうだった。
今日は吾妻橋達と一緒に夜の街に繰り出す予定だった。
それは龍麻にも話してあったし、見たい映画があったから、放課後は一緒に過ごせない事も告げていた。
だと言うのに、別れ際に見た龍麻の顔。
(………言いたい事があんなら、さっさと言えってんだ)
老舗の映画館の真ん中を陣取って、スクリーンを見上げながら思う。
頭の中を巡るのは、別れ際の親友の表情ばかりで、一つもストーリーに集中出来ない。
折角、前々から楽しみにしていた映画だったというのに、これでは台無しだ。
――――――判っている、なんとなく予想はついている。
多分、今の京一の態度が、龍麻にとっては腑に落ちないのだ。
恋人同士になったからと言って、何が変わった訳でもない。
龍麻とて何も劇的な変化を期待しているのではないだろうけれど、京一は余りにも変化がなさ過ぎた。
スキンシップもいつも通り、声をかける時も、鬼と闘っている時も、その後もいつも通りで。
でも、それならそれで、京一にも言い分はある。
あの日、人気のない帰り道、歩道橋の直ぐ傍で。
「好きだよ」と告げて、「愛してるよ」と告げた、親友。
そして唇を塞がれた。
嫌ではなかったのは事実で、コイツなら悪くはないかもな、とも思った。
男同士で、変な話だとは思うけれど、本当にそうだったのだから仕方がない。
あれから“恋人”同士になった――――……一応は。
でも、それきりなのだ。
(……何も言わねェ、何もしねェ。なんなんだよ)
別れ際、何か言いたそうな顔をして。
でも結局、彼は「また明日ね」と言っただけ。
そう、あれっきり。
触れてきたのは、あの時限り。
(好きだったんじゃ、ねェのかよ)
龍麻がいつから自分の事が好きだったのか、京一にはよく判らない。
判らないけれど、別にいつからでも構わなかった。
男相手に面と向かって好きだといって、キスまでしてきた。
そんな行動に出てしまう位には、龍麻は自分の事が好きだったのではないのか。
―――――なのに、あれからノーアクションとはどういう事だ。
(ワケ判んねェ)
映画はもう終盤にさしかかっている。
前半の話がどういうものだったのか、ちっとも頭に残っていない。
映画の主人公が、イイ事を言っている。
でも、頭に入らない。
カラッポの、決められた台詞だとしか、思えない。
頭の中を巡るのは、あの時触れた、一瞬の熱と。
別れ際に見た、親友の顔。
嫌だとは思わなかった、嫌いとは思わない。
でも、感情は持て余したままで。
この感情は、「愛してる」と言った彼と、正しく同じベクトルを向いているのだろうか。
戸惑ったままで“親友”が“恋人”になって、それは嫌じゃないんだけど、
だからって何をどうすれば良いのか判らなくて、すっかり受身になってる京一。
龍麻が何も行動してこないので、余計にぐるぐる。
……この龍麻、ヘタってる……?
親友。
相棒。
そういう言葉が、一番しっくり来る。
言葉を告げた時、月並みな台詞に弱いらしい親友は、顔を赤くして「そうかよ」と言った。
ああ意味を判ってくれてないなと(予想はしていたけれど)思ったから、次は「愛してるよ」と言った。
親友はきょとんとした後、露骨に顔を顰めて、「なんの冗談だ、そりゃあ」と言って背を向けた。
そのまま見送っても良かったのだけれど、それでは今までの日々と変わらないから、追いかけて捉まえた。
「本当に愛してるんだよ」と正面から言ったら、ようやく理解してくれたらしい。
この言葉が冗談でもなければ、語弊でもなく、心の底からの言葉だと言う事を。
関係が壊れてしまうことは覚悟の上で、気持ち悪いと言われてしまうのも覚悟の上で。
龍麻は龍麻なりに、断腸の思いで京一にその言葉を告げたのだ。
京一は唖然とした表情で龍麻を見つめ、「……マジで?」と言った。
視線を逸らさずに頷いて、証拠を求められる前に、見せた。
いや、して見せた。
ぽかんと半開きになった唇にキスを。
唇を離した後、しばらく呆然としていた京一は、我に返ってから拒絶をしなかった。
真っ赤になって龍麻の頭を木刀で思い切り殴った後、脱兎の如く駆け出して、近くにあった歩道橋に昇っていった。
そして自分達以外、誰もいない、車の音だけが止まない歩道橋の上から、言ってくれた。
嫌いじゃねえよ、と。
感謝の気持ちだとか、好意だとかを素直に表せない性格だ。
それでも嫌いなものは嫌いだと、不満は不満ときっぱり告げて斬り捨てる、残酷さに似た優しさを持っている。
彼は、それをしなかった。
受け止めてくれたとも言い難いけれど、斬り捨てる事はしなかった。
あの時、真っ赤になっていたのも含めて、脈アリと見ても良いだろう。
だけど。
咆哮をあげて襲い掛かってくる鬼に、龍麻は怯む事無く踏み込んだ。
そのまま、鬼に向かって突進する。
正面から向かって来る無謀な人間を狙って、鬼が両腕の鎌を振り上げた。
しかしそれは下ろされる事無く、上腕部から切り離され、鮮血を散らして宙に舞う。
切断面は綺麗なものだった。
腕の痛みに絶叫を上げた鬼の腹部に、龍麻は正拳を打った。
餌付き、屈んだ鬼をそのまま力任せに上空へ打ち上げ、追って跳躍する。
鬼を挟んだ反対側で、剣線が閃いた。
再生能力を持った鬼。
それでも心の臓を砕かれれば、頭部が飛べば死に至る。
寸分狂わぬタイミングで、龍麻の拳が鬼の心臓を貫き、京一の木刀が鬼の頭部を切り取った。
鬼が消滅する。
京一は木刀を肩に担いで、フンと鬼のいた場所を一瞥する。
「図体デカかった割には、大した事なかったな」
懐に仕舞っていた太刀袋を取り出して、それに木刀を納める。
龍麻も体の埃を軽く払うと、右手の手甲を外した。
くるりと踵を返して、他のメンバーとの合流に向かう。
その体には傷一つなく、それは龍麻も同じ事。
庇い合う程に依存しあう関係ではなく、守りあう程に互いを信頼していない訳でもなく。
傷の一つ二つを負った所で、声をかける事はあっても、助けに行くほど柔ではない。
「まぁ、俺達にかかりゃ、あんなの雑魚だな」
背中を預けた関係は、守りあうものではなく、突き進む為に。
肩越しに振り返って笑う親友に、微笑み返す。
満足そうな京一に、龍麻もまた嬉しくなって。
だけど。
だけど。
親友。
相棒。
その存在は、とてもとても大切だけど。
“恋人”と言うには、なんだか程遠い気がして、溜め息が漏れた。
ずっと親友のスタンスだったから、急にスイッチの切り替えは無理ですよ。
全くいつも通りの京一と、やきもき龍麻。
昼と夜の間。
一時の橙。
学校と家の間。
一時の道。
一人で歩いた、小学校の帰り道。
一人で歩いた、中学校の帰り道。
一人で歩いた、道場からの帰り道。
家に帰れば大好きな父が、母が、待っている。
ひーちゃんと優しい声が、眼差しが、待っている。
だから悲しくなんてなかった。
寂しくなかったと言ったら嘘になる。
だけれど、悲しいなんて事はなかった。
これは本当。
ジャンケンをして、ランドセルを押し付けあって競争したり。
ちょっと寄り道をして、自分達だけの隠れ家に行ったり。
また寄り道をして、道の途中の小さな駄菓子屋さんに入ったり。
いつも遠くで見ていたそれに、いいなぁと思ってはいたけれど。
其処に入りたいと思う気持ちは、いつの間にか諦めになって消えて流れた。
ケンカなんてした事なかった。
する相手がいなかった。
ふざけあったりなんて覚えてない。
する相手がいなかった。
夕暮れの帰り道。
鞄を背負って、隣を手を繋いで通り過ぎていくクラスメイト達を見送った。
それから誰もいなくなった細い道を、一人で歩いて家に帰る。
夕暮れの田舎道。
一人で歩いた帰り道。
悲しくなんてなかった。
悲しくなんてなかった、けど。
寂しくなかったと言ったら嘘になる。
だからほんの少しだけ、夕暮れの帰り道が嫌いだった。
皆で歩く、高校からの帰り道。
家に帰れば誰もいない。
静かな空間だけがある。
だけれど、悲しくなんてなんてなかった。
寂しくだってなかった。
だって気持ちはそのまま此処にある。
明日に繋がる喜びがある。
ジャンケンをして負けて、6人分の鞄を持って、次の電信柱でまたジャンケン。
長い影が賑やかに動いて、子供のようなケンカが始まる。
ふとお腹空いたなぁと呟いたら、ラーメン食いに行くかと、暗黙に決まる寄り道先。
いつも遠くで見ていた賑やかさの中に、自分がいるのが少し不思議で。
諦めていたつもりの気持ちは、知らない間にまた芽を出して、当たり前にするする成長して行った。
時々ケンカもする。
直ぐに仲直りもする。
ふざけあう事もする。
冗談言い合うのが楽しいって、初めて知った。
夕暮れの帰り道。
分かれ道でそれぞれの家の方向へ別れて、それぞれ歩き出す。
帰る先がころころ変わる相棒は、今日はもう少しだけ一緒で。
繁華街のアーケードが見えてくると、彼は立ち止まる。
いつもの場所に行くようで、其処で挨拶一つ交わして別れた。
夕暮れの都心。
皆で歩く帰り道。
悲しくなんて、寂しくなんて、なかった。
悲しくなんてなかった。
寂しくなんて無かった。
だけど、物足りなくないと言ったら嘘になる。
明日はもう少しゆっくり歩こうか、そんな事も考える。
色々思うけど、一先ず帰りながら、今日一日を思い出そう。
いつの間にか、嫌いから好きに変わった、夕暮れの帰り道。
――――――その言葉を胸に抱いて。
うちのサイトにしては珍しく、龍麻単品になりました。
でもやっぱりちょっとだけ京一贔屓(笑)。
「やってられっかああァァッッッ!!!!」
隣席から響いた声は、聞きなれたものではあったが、ボリュームが最大だった。
流石に鼓膜にキンと響いて、龍麻はわんわんと余韻を残す耳を手で押さえ、隣に座る人物を見る。
「京一、煩い」
「るせェ!!!」
龍麻の歯に衣着せぬ物言いを、京一はこれまた大音量で掻き消した。
詰まれたプリントの束を盛大にバラ撒いて。
プリントの内容は言わずもがな、サボりにサボった結果の産物である。
「あンの野郎、ムカ付くぜ! 嫌がらせかっつーの!」
「……先生としての職務を全うしてるだけだと思うけど」
京一が言うあの野郎、とは、真神学園生物教師の犬神だ。
とかく犬神が苦手らしい京一は、他の?%E:317%#ニ以上に生物の?%E:317%#ニをサボっている。
京一の前に詰まれたプリントの束の内容の殆どは、その大嫌いな犬神製作の生物のプリントだ。
これを片付けなければ、京一は卒業が出来なくなる?%E:221%#ナ、教師としてはそれは宜しくあるまい。
故に、この仕打ちは当然の結果とも言えるのだが。
バラ巻かれたプリントは、?%E:606%#フ周りに散らばっている。
それも後で綺麗に片付けなければならない事を思うと、やる事が倍量になった気がする。
「あーくそッ! もう止めだ、止め!」
「やらないの?」
「やってられねーよ!」
足元に置いていた薄い鞄に、これも少ない筆記用具を突っ込んで、京一は立ち上がる。
そのまま、京一の足は迷うことなく、教室の出入り口へと向かった。
―――――――が。
「京一、卒業できなくなるよ」
その言葉に、ぴたりと京一の足が止まる。
既に扉にかかっていた手は、目の前のそれを開ける為に動く事は無かった。
勉強は嫌だ。
詰まれたプリントも嫌だ。
ついでに、これを置いて行った生物教師は大嫌いだ。
けれども、卒業したくないと言う?%E:221%#ナはない。
正直に言えば、したいし、その時は毎日顔を合わせている面々と同時が良い。
一人残って見送って、もう一年間、高校三年生をする気にはならない。
その一年間は、今続いている一年間よりも、きっと色褪せたものにしかならないと思うから。
くるりと返った踵。
憮然とした表情で、相棒は隣へと腰を下ろした。
片付けた筆記用具を取り出して、散らばった中で辛うじて?%E:606%#ノ引っ掛かっていた一枚を引っ張り寄せる。
それと同時に、教室の後方のドアがからから音を立てて開けられた。
「おーい、捗ってるー?」
「おい、落ちてるぞ。京一か?」
「京一しかいないでしょ。あーあー、こんな一杯散らばっちゃって」
「あとどれくらいかしら。判らないところあったら言ってね」
小蒔、醍醐、遠野、葵。
いつもの、鬼退治部のメンバー。
肩越しにそれを見遣って、京一はまた前を向くと、がしがしと頭を掻いた。
うんざりしたように溜息を漏らしながら、その雰囲気は何処までも柔らかい。
そんな相棒に、龍麻は小さく微笑んで。
「皆で一緒に、卒業しようね」
ほんの少し賑やかになった、放課後の教室。
それを楽しいと思えるのは、きっと学生だけの特権。
外伝弐話の補習プリントの量、凄かったな……
どれだけサボれば、あんな紙の塔が出来るのか。