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舟の前部で櫂を操る左之助の手付きは、はっきり言って危なっかしい。
同じく、舟の後部で櫂を操る克弘は、それ程危なっかしくは見えないのに、この差は何故だろうか。
克弘がそうじゃない、それじゃ駄目だと助言しようとする度に、判ってらァと左之助が言う。
そうは言っても出来ていない事は変わらなくて、やっぱり判ってないじゃないかと克弘が言った。
もう、いつ左之助がキレやしないかと、周りの大人はヒヤヒヤ(一部は楽しんで)している。
それでも左之助が左之助なりに一所懸命なのは判っている。
「ほら、行くぞ、左之。せーの、」
「うっ……と、このッ」
何度目か判らない、元漁師の隊士の号令に合わせて、左之助は櫂を漕ぐ。
最初のうちはちゃんと櫂を操る全員の呼吸が合っているのに、段々左之助だけがズレて来る。
克弘は一定に漕げているのに。
またズレた。
と、珍しく左之助ではなく、克弘の方がキレた。
「左之、場所変われッ」
「なんでェ、いきなり」
「お前が前じゃ、いつまで立っても舟が進まないだろ」
「進んでんじゃねェか、ちゃんと」
「予定より全然進めてないんだよ。見ろ、皆にも置いていかれてるじゃないか」
克弘が指差したのは、向かう先、対岸である。
何艘かに分かれていた仲間たちは、既にぽつぽつと到着しつつあった。
よりによって一番隊隊長の乗った船が、一番遅れているのである。
「自分だけが勝手に漕いだって、舟は進まないんだぞ」
「ンな事言われなくたって判ってらァ」
「じゃあオレと場所変われ。後ろで、皆見ながら漕いだ方が絶対いい」
克弘の言葉に左之助がむーっと唇を尖らせる。
しかし、舟が遅れている原因が自分であるとは自覚していた。
大人達の隙間を通り抜けて、左之助が舟の後部に回った。
代わって克弘が前に行き、左之助が漕いでいた櫂を握る。
せェの、と元漁師の隊士が声をかけた。
ぎぃぎぃ音を立てて、櫂が揃って動き出す。
左之助は時々ズレたが、それでも前にいる時よりはマシになった。
前で漕ぐ隊士の櫂とぶつからないように、目で見ながら確認する事が出来る。
修正も直ぐに出来るから、克弘の提案は正解だったと言う事だ。
―――――が、左之助が後部に行くのを一瞬渋ったのは、それを認めたくなかったからと言う訳ではなくて。
「もう少しだぞ、左之助」
後部に座するのが、敬愛する相楽隊長で。
その隊長が乗っているのに、自分の所為でこの舟は出足を遅れさせてしまって。
申し訳ないやら悲しいやらで、隊長の傍に行くのに少し気後れがあった。
その隊長は、そんな事なんでもないよと言うように微笑んでいたけれど。
「あの、隊長」
「うん?」
「…その……すんません、した」
櫂を漕ぐのを言い訳に、目を合わさずに謝った。
ごつ、と水面の下で櫂と櫂がぶつかった。
左之助の前で櫂を漕ぐ隊士が振り返ったが、何も言わず、気にするなと言うように微笑んでみせるだけ。
またやっちまった。
思いながら、左之助は出所を見計らって、また漕ぎ始めた。
当たらないように、皆と呼吸を合わせるように勤めて。
ようやっと、上手く行くかなと思い始めた、時。
「大丈夫だよ、左之助」
ぽんと背中を叩く手に、どきりと心の臓が跳ねて。
ごちっ、とまた櫂と櫂がぶつかった。
――――――いい加減にしろよ、と幼馴染の激が飛んできた。
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何処を行軍してるんだか(爆)。
でも川を渡ったりする事もあったと思うんだ、多分。
行く。
歩いて、行く。
何処までも。
あなたが向かう場所に向かって、歩いて行く。
向かう未来がどんなものであるとしても、
目指す未来がどんなに遠いものであるとしても、
あなたが示した指標に従い、歩いて行く。
進む道がどんなに暗い道であっても、
戻る道さえ見付からなくなる道であっても、
あなたが示してくれた未来へ向かい、歩いて行く。
何処まで行けばいいのかなんて知らない、けれど。
歩いて行こう、何処までも。
あなたの隣で、いつか辿り付く未来まで。
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行く、逝く、育、幾、往く………色々あるものなんですね。
前向き仔さの、子供ならではの真っ直ぐさです。
……つか短いな。びっくりした。
何を要求されても、彼は答えた。
綺麗な指裁きで期待に応じ、周囲の満足を得てみせる。
結果、ライブも無事に大盛況となった。
「助かったぜ。ありがとよ」
「此方こそ。凄く楽しかった」
「そうか、そりゃ良かった」
握手を交わしているのは、“CROW”正式メンバーの雨紋雷人と、ヘルプでシンセサイザーを担当した少年。
その雨紋の隣には亮一がいて、今日の彼は終始機嫌が良く、今もそれは変わらない。
握手を交わす二人を見つめる表情は、ライブの出来にも、緊急参加の人物にも、大満足しているようだ。
ヘルプとして今回“CROW”のステージに立ったギタリストとドラマーも、同じく満足しているらしい。
互いに手を叩いて喜び合い、笑顔を零している。
――――――しかし。
「……………………」
楽屋の古ぼけたソファにどっかりと座る京一の眉間には、深い皺が刻まれている。
出番もアンコールも無事に終わって、皆各々に健闘を讃え合っている中、彼の表情はその場で浮いていた。
しかし周囲は殆どそれに気付いていない。
ライブの盛り上がりが納得行かなかった訳ではない。
それそのものは、京一としても十分に楽しめるものだったと言って良い。
自分のベースは良い音を鳴らしたし、他の面々も申し分なかった。
文句をつけなければならないような事は、一つも無かったといえる。
しかし、京一の機嫌は頗る悪かった。
「お前も毎度ありがとうよ、蓬莱寺」
雨紋の声に顔を上げる。
さっきまで少年と手を合わせていた雨紋が、今度は京一にそれを差し出していた。
京一はそれに応えないまま、腰を上げる。
「帰るのか」
京一が握手に応えなかった事に、雨紋が気を悪くした様子はない。
ベースを担いで部屋を出て行こうとする京一に、雨紋が問い掛けた。
「おう」
「打ち上げ、来ねェのか」
「ん」
パス、と言うように、振り返らないまま京一の手がひらひらと振られる。
雨紋は一つ息を吐いて、いつもの所だから、気が向いたら来い、とだけ言う。
それにもひらりと手を振っただけで、京一は楽屋を後にした。
京一が楽屋を出て行ったのを切欠に、ギタリストとドラマーも楽屋を出た。
彼らは何某かの用事があるとかで、それが片付いたら打ち上げに参加する。
残ったのは“CROW”の二人と、緊急参加の少年一人。
楽屋の後片付けを始めた雨紋と亮一に倣い、少年もゴミの仕分けやらを自主的に手伝い始める。
この少年を雨紋が見付けたのは、一ヶ月ほど前の事。
亮一のギターの弦の換えを買う為に楽器店に行って、ついでにバンド雑誌を買おうと思った時。
其処でスコア譜の新譜を探している彼と逢った。
声をかけたのは珍しい事に亮一で、理由は本人もよく判らないらしい。
見ていたスコア譜が自分の趣味と同じものであったと言うのもあったかも知れないし、本当に単なる気紛れとも言える。
その日は少しの間話をして、シンセサイザーを扱える事だけを聞いた。
それから暫く経って、一昨日の事だ。
ライブ直前になってヘルプで入ってもらっていたシンセシストが亮一と喧嘩になり、抜けてしまった。
亮一もそれなりに気に入っていた筈の人物だったのに、何が原因だったのか、運の悪い事に束の間その場を離れてしまっていた雨紋には判らないままだ。
喧嘩をした事でライブ直前になってメンバーが足りなくなった事に、亮一は落ち込んだ。
雨紋もそうしたかったが、それよりも先に新しいヘルプを探さなければならない。
亮一には落ち着くように言い聞かせて、雨紋は一人、知り合いの伝を回ってOKしてくれそうな人物を探した。
散々走り回って見付からず、今回は打ち込みで行くしかないか、と諦めかけた時だ。
一人の人物の顔が頭を過ぎった。
一月前に楽器店で会話した少年がシンセシストであった事。
また、その少年が都内の高校の制服を着ていたと言う事。
頼むからいてくれと言う祈りに近い事を考えながら、雨紋は都内の高校へ向かった。
かくして彼は其処にいて――――急な上に時間もなくて悪いが、と頭を下げる雨紋に、彼は了承をくれたのである。
片付けを一通り終えて、そろそろ出ようかと。
思った所で、雨紋はキーボードを鞄に入れている少年に目を向けた。
良く言えばおっとりのんびり、と言う表情をしている少年。
彼の面立ちと、“CROW”の音楽は、正直言ってあまり合わないように思える。
ヘルプを頼んだ時は夢中でそんな事まで考えていなかった。
頼れるのならとにかく頼って、出来るだけ生音を使いたくて、それしか頭になった。
彼自身がどんな音楽を奏でるのか、聞いてもいなかったのに。
頼んで二日後、当日になって京一から「大丈夫なのか?」と問われた時に、ようやく気付いたのだ。
彼の音を聴いていないこと、彼がどんな音を操るのかと言う事を。
かくして、結果はご覧の通り。
本番前のセッションで、彼はその顔に見合わぬと思うほど、激しいロックの音を鳴らした。
彼の音は見事にその場に調和し、ライブも成功した。
とは言え、彼が普段弾いているのは、クラシック音楽や民俗音楽が主だと言う。
それを聞いたのは激しいロックの音を聞いた後だったので、それも含めて周囲は開いた口が塞がらなかった―――――只一人、京一を除いては。
(そういや、やけに機嫌が悪かったな)
去り際の―――いや、ライブ前からの京一の様子を、雨紋は思い出していた。
終了後の打ち上げに参加しないのはいつもの事だが、演奏中にまで渋い顔をしていたのは珍しい。
今日の昼に顔を合わせた時には、もう少し機嫌が良かったように見えたのに。
一体何処で下降線を辿る事になったのだろうか。
……ライブに支障を来たさなかったのと、彼自身が他者の接近を赦さないので、雨紋は何も言わなかったが。
とっとっ、と足音がして、雨紋は現実に還る。
ギターを背負った亮一が横にいて、どうかしたのかと首を傾げていた。
「なあ亮一。蓬莱寺の奴、今日は機嫌悪かったか?」
「ああ……そう、かな。けど、途中からだと思うよ」
「……だよな」
集合に遅れた少年が会場に着いて、雨紋がそれを迎えに行く為に一時席を外して。
戻って来た時、一枚扉の向こうからうっすらと聞こえてきたアンサンブルは、随分楽しそうに聞こえた。
放って置けば終わりそうに無いその音は、そのアンサブルの奏者達が機嫌が良い事を示していた。
―――――だと言うのに。
雨紋は、丁度キーボードを仕舞い、提げた少年に再び目を向けた。
「なぁ、お前――――、」
雨紋が声をかけると、少年も此方を見た。
何? と問うように、少年は首を傾げる。
そうだ。
この少年が来てから、この少年の顔を見てからだ。
京一の機嫌が、一気に下降線に向かったのは。
「お前、蓬莱寺――――ベースの奴と知り合いだったのか?」
顔を見るなり、京一が不機嫌になったものだから、雨紋はそう思った。
初対面の人間に馴れ馴れしく触られたり、声をかけられるだけで彼は顔を顰める。
しかし、この少年は顔を合わせての最初の挨拶以外、京一と話をしていない筈だ。
セッションに必要不可欠なアイコンタクトは時折取っていたけれど、直接的な会話はしていない。
彼のシンセサイザーの腕も大したものだったし、依頼後の時間のなさを含めて考えれば、十分すぎる出来だった。
下手な失敗を打った場面もなく、京一の機嫌を下げるような事はしていなかったと思う。
沸点の低い京一であるが、理由もないのに人を毛嫌いする事はあるまい。
根本的にウマが合わないとか、本能でそれを感じ取って近付かないとか、そういう事はあるだろうけど。
それでも初対面の人間に対して、始終あの顔でいると言う事はないだろう。
ならば、少年と京一が初対面ではなく、京一が彼を苦手としているのでは、と考えるのは自然な事だった。
しかし、少年が呟いたのは予想外の一言。
「―――――蓬莱寺、って言うんだね。あの人」
初めて知った。
そんな意味を含ませて呟いた少年―――――緋勇龍麻。
彼は、かの人が最初に出て行った扉を見つめ、何処か嬉しそうに笑みを零した。
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……京一に続いて、龍麻もなんだか神がかり的な腕を持ってるようです。
凄いね、こいつら!(←他人事のように…)
地味~に連載になってますね。
なんだか新鮮で楽しいんです。龍麻に対してツンツンな態度の京一が。
雨紋からライブの助っ人を頼まれ、引き受けてから一週間弱。
日曜日の午後2時、京一はライブハウスに入っていた。
其処には、“CROW”の二人と京一以外に、ギターがもう一人とドラム、シンセサイザーを担当する者がいる――――筈だったのだが。
「おい、シンセの奴どうした?」
ベースのチューニングを済ませて京一が問い掛けると、雨紋と亮一の動きがピタリと止まる。
先週のヘルプ依頼と同じパターンだ。
そして毎度のパターンでもある。
先週と同じく大きな溜息を吐いた京一に、マイクの高さを調整していた雨紋が振り返る。
「いや、まぁそうなんだがな。ヘルプはちゃんと頼んである」
「へーえ……大方昨日か一昨日の話なんだろ。使えるのか? そいつ」
歯に衣着せず直球で問う京一に、雨紋はガリガリと頭を掻く。
大丈夫―――と言いたいが、といった風だ。
緊急のヘルプがそんなので良いのか。
状況としては京一も似たようなものであるが、今はそれは棚に上げておく事にする。
それに、京一はそれでもこなして来た実績があったから。
雨紋は顔が広いから、ヘルプに頼める人間も多い。
しかし京一が知っている限りでも、その半分は亮一と衝突して折り合いが悪くなった。
そうなれば何度も呼べる訳ではなくなるし、噂も広まって相手も了承し辛くなる。
新しい知人に頼ってもそれは同じだ。
適度に距離を取っときゃいいのに。
誰かと亮一が衝突するのを見る度、京一はそう思わずにはいられない。
妥協しないのが良いだなんて言うけど、それも時と場合に寄るだろう、と。
次の奴はいつまで持つかな。
他人事のように―――実際、京一にとっては他人事だった―――思いながら、ベースを鳴らす。
話を終わらせた京一に代わって、ドラムの青年が代わって問うた。
「本当に大丈夫か? 集合時間はとっくに過ぎてんのに、まだ来ないような奴だぜ」
「いや、そりゃそいつの所為じゃない。事故だかなんだかで電車が遅れてるんだとよ」
「あ、そ……それならそうと早く言えよ!」
「悪かった――――と、」
詫びた後で、雨紋はジャケットから携帯を取り出す。
イルミネーションが点滅するそれを弄って、また仕舞う。
「今着いたってよ。外にいる」
「これでようやく音合わせか」
ギタリストの呟きに、雨紋は頷いて。
迎えに行って来ると言って、一人外へと赴いた。
リーダーでもあるボーカルが抜けて、ドラマーとギタリストは楽器から離れる。
此方の二人は普段から付き合いのある者同士らしく、京一達をそっちのけで話を盛り上がらせている。
そんな遣り取りに我関せず、京一はベースを鳴らしていた。
視線を感じて振り返ると、亮一と目が合う。
逸らされる事はなくて、どうやら今日はそこそこ機嫌が良いらしい。
ベースを鳴らすと、亮一もギターを鳴らす。
こうして突発アンサンブルを始める事は珍しくなく、京一と亮一の無言のコミュニケーションでもあった。
互いはそれを特に意識した事はなかったが、会話の代わりにどちらともなく始まる行為だった。
亮一の機嫌も良かったが、京一自身もそこそこ機嫌が良いようだった。
音の微妙な差を感じ取って、亮一が小さく笑う。
京一も口角を上げて、ベースのリズムを上げた。
亮一はしっかりとそれについて走る。
会話はいらない。
余分なものはいらない。
音だけでいい。
既存の曲から“CROW”のオリジナルの曲から。
無作為に選んでアレンジして弾く京一に、亮一は何も言わずに応えた。
二人の突発アンサンブルは、こうして始まると、雨紋が声をかけない限り終わる事がない。
今回は、戻ってきた雨紋が扉を開ける音が終わりの合図になった。
「これで全員揃ったぜ」
「やっとかァ~」
「遅ーぞ、お前ー」
「ごめんなさい」
ギタリストとドラマーの茶化した声に、真面目に謝る声が聞こえた。
「じゃあ、早速で悪いが、一度合わせて貰っていいか」
「うん」
ゴトゴトと音がして、多分それはシンセサイザーの準備だ。
京一は気にせずに首を鳴らす。
と、京一の隣にキーボード用のスタンドが置かれる。
文字通りの緊急で呼ばれた新メンバーがどんな人間なのか。
気になったと言う程ではないが興味が湧いて、京一は隣へと目を向ける。
そして、京一の瞳は見開かれた。
「よろしく」
へらり、浮かべたあの笑顔が其処にあった。
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いつもより若干短め……かな?
アニメ原作では京一と亮一ってマトモな絡みまるでなかった(戦闘してただけだし)二人ですが、この話では微妙に仲が良いようです。殆ど会話しないけど。
亮一は基本的には淋しがり屋だと思うんですが、そのベクトルが雨紋だけに強く傾いてるんだと私は思ってます。ずっと雷人雷人だったし。
だから其処の関係を壊そうとする(介入しようとする)他者に対して、警戒心や敵対心が湧くんじゃないかな…。
アニメで雨紋と喧嘩別れの形になったのも、他者が自分達の間に介入したことで、自分達が大切に頑なにして来たものが、その共有者である筈の雨紋によって形を変えられてしまったからだし。
と、珍しく亮一について考えてみました。
まぁこのパラレルでは、アニメ原作の設定や相対図とか丸無視してるんですけども(爆)!
居候させて貰っているオカマバー『女優』、現在営業時間前。
その店内の真ん中にあるソファに、どっしりと居場所を確保している京一。
彼に目の前には、特徴的な髪型をした体躯の良い男が一人。
「――――――ヘルプだァ?」
判り易く顔を顰めた京一に、男―――雨紋は頼む、と顔の前で両手を合わせる。
「お前しか頼める奴がいねェんだ。来週までに新譜が弾けるような奴!」
「…って、三週間前に新しいベースの奴入ったんじゃなかったのかよ」
京一の言葉に、雨紋は気まずそうに口を噤む。
それだけで、京一は大体の事情を察した。
はぁ、と大きな溜息が漏れる。
「どうせまた亮一だろ」
「…………」
雨紋雷人は、幼馴染の唐栖亮一と“CROW”と言う名のバンドを組んでいる。
ボーカルを雨紋が担当し、ギターと作詞を亮一が受け持っているのだが、それ以外のメンバーは固定しない―――否、出来ない。
元々人付き合いの上手くない亮一がメンバーと衝突を繰り返し、喧嘩別れになってしまうのだ。
京一が二人に出会ったのは、中学生の頃――――三年前になる。
小さな古いライブハウスで、複数のバンドが参加する合同ライブがあった日。
ヘルプで別のバンドに入っていた京一は、楽屋で“CROW”が揉めている場面に居合わせた。
その時もメンバーと揉めていたのは亮一で、最後にはギターを担当していたメンバーが出番直前になってライブハウスを出て行くと言う事態になってしまった。
メンバーが欠けてその日のステージをどうしようかと頭を抱えていた雨紋に、京一が声をかけたのが最初だった。
当日になって何が原因で喧嘩をしていたのか、今でも京一は知らない。
付き合いが長くなる内、そういう事は彼らには珍しくないという事だけ、知ることが出来た。
京一が普段触っているのはベースだったが、ギターもベース程でないにしろ人前で引ける程度の技術は持っていた。
簡単なコード進行とアドリブでいいなら、と言う京一に、雨紋は構わないと言った。
あの時の彼は当日のステージを無にしたくない一心で、心底、藁をも掴む思いだったのだろう。
それ以来、京一と“CROW”の関係はつかず離れずの距離で続いている。
雨紋は時折、冗談半分で京一を“CROW”正式メンバーに誘う言を取る事があった。
亮一も機嫌が良ければ「それがいいよ」と言っていた。
しかし京一は当時から専らヘルプで参入するだけで、何処にも属さない。
雨紋と亮一の誘い文句にも、「気が向いたらな」と言うだけ。
けれど、だからこそ京一と“CROW”の関係は切れる事なく続いているのだろう。
切れる事なく続いている関係だから、こういう緊急のヘルプに呼ばれる事も増えた。
亮一がメンバーと揉めて喧嘩別れして、それがギターやベースである場合、十中八九、京一に声がかかるのだ。
「……別にいいけどよ」
溜息交じりに呟いた京一の言葉は、しっかりと雨紋に届いたらしい。
俯けていた頭がパッと上がり、その表情は喜色。
「そうか! 助かるぜ、新譜はコイツだ」
「持って来てんのかよ」
「お前の事だから、引き受けてくれると思ってよ」
今からでも蹴ってやろうか。
雨紋の台詞に、そんな気持ちが湧き上がってくる。
が、嬉しそうに新譜の狙い目について説明する雨紋を見ていると、まぁいいかと思う。
「で、此処からが転調でな。それと、此処の三連は強めに弾いてくれ」
「……ってちょっと待て。三連の三連なんか入れてんじゃねーよ!」
「亮一がこれで行きたいって言ったんだよ。お前だったら出来るだろうが! それともなんだ、出来ねェってのか!?」
「ンな安い挑発に誰が乗るか! そんな阿呆な曲にすっから、揉めるんだろーが!」
「バカ言え、これでも簡単にした方なんだぞ。元は九連だったんだ」
「自慢にもならねーよ!」
バンッとテーブルを強く叩く。
強くし過ぎて、こっちの手が痛くなった。
京一の癇癪持ちに、雨紋はとうの昔に慣れていた。
と言うか亮一も癇癪持ちの感があるから、こういう手合いとの付き合い方を心得ているのだ。
そしてなんだかんだと言っている京一も、結局はこの譜面のままで引き受ける。
雨紋と亮一のこだわりを受け入れると言う訳ではなかったが、自分の方に押し通すほどの意地がないのだ。
ベースやギターは好きで触れているし、好きこそものの上手なれという奴で、彼らほど情熱がある訳ではない。
だったら出来る範囲なら付き合ってやるか、と思うのが常だ。
もっとも、京一がこうして譲歩する相手は、ごく少数だが。
「で、新譜はこいつだけか? 後は前に弾いた奴でいいのかよ?」
「ああ。ステージは三曲の予定だが、こいつ以外はテッパンで行こうと思ってる」
「亮一の奴は納得してんのか?」
「問題ない」
と雨紋は言うが、それも当日になってどうなるやら。
亮一が癇癪を起こしてメンバーと揉めるのと同じ位、ナンバー変更は有り得るのだ。
そんな“CROW”に短気な京一が付き合っていられるのは、この微妙な距離感があってこそ。
毎日のように顔を合わせていたら、亮一の癇癪に耐えられなくなる自信が京一にはある。
……だからメンバー交代ばっかなんだな、と京一は譜面を眺めながら思った。
「なんにせよ、これで助かったぜ。来週のライブをフイにしなくて済みそうだ」
雨紋がほっと一息吐く。
「おい蓬莱寺、明日暇ならセッションしようぜ」
「ンだよ、いきなり」
「亮一にも言わなきゃいけねえし、一通りの雰囲気は聞いて置いた方がいいだろ」
「…いらねェよ。つーか暇じゃねェ」
「なんだ。補習か」
また京一の眉間に皺が寄る。
的を射ていた。
「それもあるけどな。そもそも必要ねェよ、練習なんか。本番前だけで十分だろ」
面倒臭いと言う表情を隠さずに告げる京一に、今度は雨紋が溜息を吐いた。
京一は昔からそうだ。
腕はいいからあちらこちらのバンドのヘルプに呼ばれるが、その練習に参加する事は殆どない。
余程暇を持て余している時か、単純に気紛れを起こした時程度のものだ。
京一が必ず参加するのは、本番前の合わせ程度のものだった。
それで本番、見事に弾きこなしてしまうから、とんだ化け物だと雨紋は思う。
京一のその実力は、雨紋にしてみても、他のバンドでヘルプ募集をかけている者にしても、有難い。
時間がなくてもマスターして来るし、当日に飛び込みで頼んでもアドリブで演奏してくれる。
だが、ぶっちゃけてしまえば協調性がないのが悩みの種だ。
京一が何処にも属そうとしないのは、自身のそう言った性質を理解しているからだろう。
けれど、いつまでもそうしていた所で、何も変わりはしないのだ。
あれだけ良い腕を持っていても、その全てを引き出す事が出来ない。
「………ンだよ」
溜息を吐いてから黙した雨紋を、京一は睨み付けた。
いいや、なんでも。
そう言うように雨紋は頭を横に振った。
「引き受けてくれて有難うよ。ライブは来週日曜の5時、“CROW”の出番は6時からだ。出来れば一度合わせておきてェから、2時頃にでも入っててくれると助かる」
「わーったわーった。来週日曜の2時な」
「おう。頼んだぜ」
そう言って立ち上がった雨紋を、京一はもう見なかった。
テーブルに置き去られた譜面を眺めているだけだ。
店を出る間際、雨紋は振り返る。
京一は何も言わない、何も求めて来ない。
頼まれれば答えるが、見返りはなく、同時に自分にも求められる事を厭うている。
本番前に練習しても、それ以外で京一の気紛れが起きても。
周りにタイミングや波長を合わせていても、どうしてだろうか。
雨紋は、京一とセッションしているとは思えない。
亮一と京一の間柄は、もっと冷えている。
人付き合いが苦手な亮一は滅多に京一に近付かず、そんな彼の空気を察してか、京一も亮一には近付かない。
雨紋が間に介していなければ、音合わせの時ですら彼らの間に会話はない。
それでも、亮一は雨紋とセッションする事を楽しんでくれるのだけど。
―――――京一はいつも、一人で音を鳴らしている。
音の楽しさも、バンドの楽しさも知っている。
けれど、誰かと音を共有する事を京一は知らない、感じた事がない。
知れば良いのに。
セッションの楽しさを。
感じれば良いのに。
音を共有する喜びを。
雨紋は覚えている。
最初に亮一とセッションした瞬間の感覚を。
あれに勝る喜びは、そうそう出逢えるものじゃない。
(お前も探せよ、そんなセッションが出来る奴を)
扉が閉じる間際。
聞こえてきたベースの音は、やっぱり“独り”の音だった。
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こんなに雨紋に喋らせたの初めてだ……たまーに書いてもちょびっとしか出てないから…
アニメ本編では中々ベースをマスターできなかった京一ですが、この設定では相当な腕を持ってるようです(書いてから自分でびっくりした…)。
でも一緒に楽しめる相手がいない。好きだから練習はするけど、それを思うように発揮する程楽しいとは思ってない。宝の持ち腐れ状態。雨紋は宝の持ち腐れも勿体無いと思うし、何より本人が弾いてて楽しそうじゃないのが引っかかってる。
……雨紋ってひょっとして世話焼きなのかな。亮一の事とか。ゲームの雨紋も結構お節介だったなぁ。