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隊長、隊長、と。
まるで雛が刷り込みでもしたかのように、後をついて来る子供がいる。
まだ幼い身体は一切の穢れを知らず、見上げてくる瞳はいつも綺麗で、輝いていた。
周りの大人に置いて行かれまいと、一所懸命に足を動かす姿さえも愛らしい。
生意気盛りの子供独特の我がままは、行軍に疲れた大人達の心を癒してくれた。
預けた刀を大事そうに、まるで自分の宝物のように抱える腕。
初めてそれを預けた時は、とてもとても驚いた顔をして、嬉しそうに笑っていた。
刀持ちという役目故に、常に子供は傍にいて、そんな自分が子供はとても誇らしかったようで、
周りの大人に揶揄されようが、ひっそりと陰口を叩かれようが、真実は此処に在ると言うように、自信に満ちていたものだ。
赤報隊に入りたいと、その身一つで目の前に現われた時は、大丈夫だろうかと危惧もした。
信州のとある地方を行軍していた時、最中に子供は現れて、真っ直ぐこちらを射抜いた瞳を、今でもはっきり覚えている。
幼い故の、無知であるが故の、真っ直ぐさだと思っていた。
赤報隊が“赤報隊”と成す以前の所業を知らないからだと。
年貢半減を唱え、四民平等を訴える姿は、小さな田舎で日々を過ごしていた少年にとって、
心に燻っていた冒険心や、情景の念を向けるには、これ以上ない対象であっただろうから。
綺麗毎だけでは何も変えられない事を知らないから、だからこそ、真っ直ぐ見つめてくるのだと。
しかし信州の片田舎で暮らしていた少年の瞳は、それ以上のものがあった。
帰れと言った所で聞かず、無理に外に追い出そうとすれば暴れ、しがみ付いて離れない。
一緒に行くんだ、オレも戦うんだ―――――そう言って、訴えてきた瞳のなんと眩しかった事か。
だから、この少年の入隊を許可した。
これから先を託してみたいと、思ったから。
以来、子供は常に後ろをついて回る。
急な山道だろうと、流されそうな土砂降りだろうと、文句も言わずに、隣について一生懸命歩いて行く。
まだ幼い身に辛いか、寒くはないかと、何度となく問い掛けた。
その度に子供は「平気です」「村はもっと寒かったから」と言って笑う。
頭の天辺から、足の爪先までズブ濡れになっても、雪に霜焼けになっても、子供はいつも笑っていた。
預けた刀を大事に大事にその腕に抱え、隊長、隊長と後ろをついて来る。
つんつんに立った髪の毛のお陰で、トリ頭と揶揄される事が多かった。
そうして怒る子供を見ながら、それなら本当に雛だなぁ、とこっそり思ったものである。
危なっかしい場面は多々あるものの、確かにその子供は、自分達にとって希望であった。
赤報隊の唱える四民平等が叶っても、それで自分達の役目は終わりではない。
それはあくまで先駆けでしかなく、その後どうなっていくのか担うのは、この子供達の世代なのだから。
意志を継いでくれる者が在る事を厭に思う者など、いる筈もなかった。
言葉が、願いが現実への第一歩を踏み出し、形だけでも整えられたなら、
今度はこの子供が大人になり、その世の中を繋いでいかねばならない。
それを、この子供に託した。
雛のように後ろをついて歩く子供に、未来の希望を。
まだ小さなその手に。
隊長、隊長、と。
その子供がこれからもずっと、笑っていてくれたら。
きっと目指した未来が其処にあるのだと、信じている。
【未来へ】
伝令からの言葉に、隊員達からどよめきが起こる。
相楽総三は黙ってそれを聞き入れていたが、顔に出さないだけで、胸中は同じだ。
此処まで走って来て……最後の最後でこれか――――――……
こういう事態を予測していなかった訳ではない。
維新政府の財政難を知らなかったとは言わない。
だがこうもあっさりと、しかも黒となって立場を一転させられるとは。
赤報隊の隊員の殆どは、農民や商人の出である。
相楽は江戸で生まれた郷士の出であり、公家出身の者も皆無ではない。
しかし実働隊のなり得た者達は、半分以上が地位の低い立場の者だった。
お上が斬り捨てるには十分、いなくなって困るものではない―――……
そうして傷付いてきた人達がいたから、これ以上そんな人達が傷付くことがないように、この赤報隊は立ち上がったのに。
握り締めた拳の震えには、誰も気付いていないように見えた。
皆、伝令の言葉に憤り、平静となっていられるのは自分だけらしい。
だがそんな中に一つの視線を感じて、相楽は顔を上げた。
無遠慮なほどにまじまじと見つめて来る者は、隊長と言う立場からか、そう多くはない。
巡らせれば直ぐに視線の持ち主と目があった。
預けた刀を抱いて、不安そうに見つめる子供―――左之助。
話の内容を何処まで理解できたのか、相楽には判らない。
だがただならぬ事態である事は、場の空気で感じられる。
不安げに見つめてくる瞳が、いつもの笑顔と程遠くて、胸が痛んだ。
毎日のように後ろをついて来た雛は、降って湧いた事態について行けていない。
抱き締めて、大丈夫だよと言って頭を撫でてやりたかった。
そうすれば笑ってくれるような気がして。
しかし相楽は無理矢理に交わった視線を引き剥がし、ざわめく隊員達に向き直る。
「ニセ官軍だなんて、とんだ言いがかりだ…!」
「俺達がどれだけ苦労していたかも知らないで……」
「こんなの、あんまりだ!」
隊員達の吐き出す言葉は、そのまま、相楽の心のうちでもある。
立場がなければ、同じように口に出していただろう。
だが、自分は隊長だ。
取り乱すわけには行かない。
そんな事をすれば、見つめる子供が余計に不安になってしまうから。
ともすれば全てを吐き出してしまいそうになる。
それを、ぐっと唇を噛み締めることで堪えた。
「隊長……!」
相楽を見て、戸惑う表情で呼んだのは、江戸を出た時から共に歩んできた男。
そちらを見遣れば、こちらを見つめる瞳は一対ではない。
昔から見知った者、道中で出逢った者、まだ真新しい者―――――其処にいるのは様々だが、目指したものは皆同じ。
出来る事なら、間違いであると。
出来る事なら、嘘だと。
言いたかった、けれど。
「相楽隊長、どうします!?」
「隊長…!」
「相楽隊長……」
呼びかける者達に、相楽は一度目を伏せた。
「…総督府に楯突く訳にはいかん……ひとまず、下諏訪の本陣に出頭しよう」
真っ向切って嘘だと言った所で、聞いてくれる者は既にいない。
碓氷峠の分隊は既に攻撃を受け壊滅し、下諏訪の本陣も今どうなっているか。
……簡単に予想がついてしまう。
それでも、此処で何もせずにいる訳には行かない。
傷付き、疲労し切った伝令に休むように命じる。
控えていた救護役の隊士の一人が直ぐに駆け寄り、奥へと連れて行った。
伝令の背中が小さく震えている。
頭の切れる人物であったから、今後、自分達がどうなるのか、きっと気付いたに違いない。
必死に此処まで伝えてくれた事に、相楽は小さく頭を下げた。
だが、感謝の言葉も浮かばない。
彼の背中に何を言っても、これから先が変わるとは思えない。
ただ、願わくば。
「左之助」
不安げな面持ちで立ち尽くしていた子供を呼ぶ。
はっと上げられた顔は、いつもの向日葵のような笑顔が嘘のように曇っている。
刀を持つ腕が小さく震えていた。
行軍の最中に襲撃を受けても、決して怯えることのなかった小さな魂。
真っ直ぐに前を見つめて、見えない未来に向かって走っていた、光。
………守りたいと願うのは、傲慢だろうか。
「お前は、此処で待て」
「………!!」
刀を取って告げた言葉に、丸い瞳が見開かれた。
いつでも後ろをついて来ていた。
置いて行かれないようにと、一所懸命に。
雛の刷り込みのように、この子供は、いつも全身で自分を追い駆けてきた。
隊長、隊長、と今ではそれがあるのが、相楽にとっても当たり前になった。
ふと背中の子供が静かになると、どうしたのだろうと振り返ってしまうのが、すっかり馴染んで。
でも、此処から先は連れて行けない。
「お前は準隊士、それにまだ若い。此処から先は、連れて行く訳にはいかん」
言外に未熟であるからとでも匂わすように、強い口調で言って背中を向ける。
歩き出せば、いつもついて来るはずの足音は、なく。
「……隊長…………」
置いていかれる事へか。
ついて行けない現実へか。
不安げな声が聞こえて、相楽はいけないと思っていながらも足を止めた。
肩越しに振り返れば、泣き出す一歩手前の瞳が其処にある。
負けん気の強い、生意気盛りの子供。
一所懸命に親鳥の後ろを置いて行かれまいとついて来る、小さな雛鳥。
まだ巣立ちには早い。
家出同然に飛び出して来たことは聞いた。
けれど、まだこの子は守られている筈の歳。
喧嘩別れをした父親に代わって、本来ならば自分が守るべきだ。
今しばらくは、もう少し、温もりの中で。
だけれど、きっと自分は、もう。
「大丈夫」
預けた刀を、いつも大事そうに抱えていた細い腕。
まだ子供子供した、柔らかい小さな手。
意地っ張りで、甘え下手な、可愛い子供。
もう一度抱き締めたい。
抱き締めて、帰って来るよと囁きたい。
そうすればきっと、この瞳の曇りは消え、あの笑顔を見る事が出来るだろう。
でも、もう。
「心配するな」
―――――――“帰って来るよ”とは
…………言えなかった。
隊長、隊長、と。
まるで雛が刷り込みでもしたかのように、後をついて来る子供がいた。
負けん気の強さと、意地っ張りは隊一だったと思う。
同じ年頃の隊士と言ったら、左之助が入って後に入隊した克弘ぐらいのものだった。
内気な克弘だったが、不思議と左之助にだけは心を開いて、瞬く間に仲良くなり、一緒に駆け回るのを相楽は何度も見た。
釣った魚を左之助が逃がしただの、それは克弘が大きな声を上げるからだの――――、
なんでもない事で揉めて、最後は二人揃ってけらけら笑っているのを、相楽はいつも見ていた。
左之助が笑うと、克弘が笑う。
二人が笑うと、回りの大人達も一緒に笑う。
気付けばそれは、相楽にも伝染して行った。
左之助が入隊したのは、冬が始まる頃だった。
だと言うのに、左之助と一緒にいると、不思議と寒さを感じない。
其処にいるだけで陽だまりが零れているような、不思議な子。
気付けば冬は終わりに差し迫り、左之助は春になったら花見に行ってみたいと言い出した。
今年は行けるかどうか判らないけれど、いつか一緒に行けたら良い。
だから、見えない未来に約束を交わすと、左之助は嬉しそうに頬を染めて頷いた。
いつ来るか判らないその日を、左之助はどんな風に思い描いていたのだろう。
桜の舞う下で、左之助はどんな風にして笑うのだろう。
相楽も、何度となくそれを思い描いていた。
冬とは違う陽射しの下で、桜色に頬を染めているのが脳裏に浮かび上がる。
父親が酒飲みであったと言うことからか、随分早くから酒に興味を持っているようだが、まだそれはお預け。
その代わり、たらふく団子や握り飯に被り付いている事だろう。
隣で克が呆れていて、大人達はそれを囲んで笑うのだ。
そして左之助は、相変わらず、隊長、隊長と言って傍に駆け寄ってくる。
それを、受け止めることが出来たなら、どんなに嬉しいだろう。
陣に準隊士達とごく少数を残して、行く。
追い駆けてくる気配がしたけれど、振り返らない。
同じ歳の子供が止めている声がした。
隊長。
隊長。
相楽隊長。
よせ、左之助。
顔を見る事が出来ない。
顔を見たら、戻ってしまう気がして。
江戸に妻を置いて発った時でも、こんなに痛い思いをした事はなかった。
彼女は出来た女性で、言わずとも判ってくれて……ただ、寂しそうな顔をしているのは覚えているのだけれど……、
こんな風に引き裂かれそうな声で呼ばれたのは初めてで――――…こんなに痛いものだとは思っていなかった。
真っ直ぐな子供は、こんなところでも真っ直ぐで。
……どうかこれからも、その心が何処かで折れてしまわないように。
見守っていられたら、良いのだけれど。
願わくば、その心が、これからの出来事に泣かなければ良いのだけれど。
『ねぇ、隊長』
遠ざかる呼び声に、代わりのように、明るい声が木霊した。
『世直しがさ、上手く行って、その四民平等になったらさ』
『農民の子のオレも、堂々と苗字名乗れるんスか』
何度も何度も言って聞かせた、四民平等への願いと、思いと、道程と。
言葉の続きをそっくり覚えて奪った左之助に、小さな笑みさえ漏れたあの日。
嬉しそうに言った言葉が、蘇る。
『そしたら、オレ』
『“相楽”って名乗っていいスか! 隊長!』
背負うのなら、同じが良いと。
変な名前になってしまうだろう、と言ったら、それでも嬉しそうに笑った。
駄目だと言わなかったのが、子供にとっては先ず大事だった。
手ずから巻いてやった緋色の鉢巻を揺らして、くすぐったそうに笑った子供。
同じ名を背負うという事は、その意志を受け継ぐことのようにも思えて。
左之助にとっては憧れの人の名を継げることを、相楽にとっては目指す未来を託すことを、まるで約束したかのようで。
其処に抱いた喜びの形は違うけれど、そうして受け継がれていく事は、とても嬉しいことだった。
あの時、振る雪の中で見た笑顔は、温かくて愛しかった。
どうかあの笑顔が消えないことを、祈る。
―――――――隊長、隊長、と。
雛の刷り込みのように、後ろをついて来る子供がいた。
同じ名を、背負ってくれると言ってくれた子供がいた。
未来を託した、子供がいた。
最後に抱き締めてやれなかったことだけが、酷く心残りで。
だけれど、生きていて欲しかったから。
笑っていてくれることを、願う。
ヒヨッコ左之助。つかヒヨコな仔左之。隊長の後をちょこちょこついて回る。
左之助の負けん気の強さは昔からだと思うんですが、やっぱり隊長には甘えて欲しい……
原作二巻の隊左之にフォーリンラヴで書いてみました。
行っちゃう隊長の背中に、不安げな左之が可愛くて大好き!
当時の左之が大人達の話に何処までついて行けるかは判りませんが、あれだけ周りが取り乱してたり、“ニセ官軍”なんて言葉が出てきたら、やっぱりただ事じゃないでしょう。
そんななのに「此処で待て」なんて言われちゃあ……置いて行かれることにも、隊長が行っちゃうのにも不安になりますって。
ちょこっとだけ克も投入。
そして気持ち程度の、隊左之。