例えば過ぎる時間をただ一時でも止められたら。 忍者ブログ
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兆し








「お兄ちゃん、待ってよぉ」






掘ったばかりの冬大根を抱えて、あぜ道を歩く左之助に、妹の声。
立ち止まって振り返れば、思ったよりも二人の距離が開いていた。

今年で六歳になった妹の右喜は、一所懸命、兄に追いつこうと足を動かした。


左之助の腕には立派な大きな大根が三本、右喜は一本、それぞれお抱えていた。
今年の冬は随分と寒いが、おかげで美味い大根が収穫できる。
金になるのは幾らもないが、それでも自分達が食える分はちゃんとある。
今日明日は空腹を抱えて夜中に目覚めることはないだろう。

生まれ育った地だから、夜の冷え込みの寒さには慣れている。
寒がる妹と寄り添い会って眠れば、それだけで十分温かい。
母と一緒だったら尚更、父親も――――それを、左之助は言おうとはしないけれど。

でも、空腹ばかりは誤魔化せない。
まして左之助は今年で十歳、食べ盛りの時期だった。



追いついてきた右喜の呼吸が整うのを待ってから、また歩き出す。
今度は置いて行かないように、小さな妹の歩幅に合わせて。





「今日はおっきいの獲れたね、お兄ちゃん」
「ああ。これなら母ちゃん喜ぶぞ」
「晩ご飯、何かなぁ」





豪華と言えるほど豪華な食事なんてした事はない。
朝晩の飯に米がない、なんていつもの事。
それでも、少しでも品数が増えれば、嬉しかった。


右喜が冷え込みで悴んだ手に息を吐き当てている。
その手は、土に塗れて汚れているけれど、柔らかくて温かい事を左之助はよく知っていた。

これ以上、その手が冷えてしまわないように、左之助は大根三本を片腕に抱え、空いた手を差し出す。
右喜はしばらくきょとんとしてその手を見つめた後、嬉しそうに手繋ぎ、握り締めた。
それだけで、吹き付けてくる寒さだってへっちゃらになるから不思議なものだ。






「右喜は今日、何食いてェんだ?」
「なんでもいいよ。お母さんのご飯だもん」






まだ幼い妹の可愛い言葉に、左之助も口元が綻んだ。


米が食いたい、なんて今の自分達の生活では贅沢中の贅沢だ。
朝晩の飯をせめて食いっぱぐれないようにするのが背一杯。

そして何より、家族揃って飯が食えるのなら、これ以上幸せな事はないだろう。





我が家が見える所まで来ると、その戸口に女性が立っているのが見えた。
勝気そうな笑みを浮かべて、子供達が戻ってくるのを待っている。


変わらぬ歩調で返ってきた息子と娘に、女性――――菜々芽は微笑んだ。
釣られたように右喜も笑って、左之助も。











ただいま、と言える場所がある事が、とても幸せだった。































【兆し】


























「おい右喜、寝るんなら布団に入ってからにしろよ」







家族の団欒の傍ら、囲炉裏の傍で寝入りかけていた右喜に、左之助が言った。
こくりこくりと舟を漕ぐ右喜からは、いつもの元気の良い返事はない。
殆ど意識が離れてしまっている事に左之助は小さく溜め息を吐き、幼い妹を布団に入れるべく、立ち上がる。

それを母の菜々目は微笑ましそうに見つめ、上下エ門は世話焼きな長男の行動に煙管を吹かして笑う。
父に対しては年頃の反抗期故か、最近は何かと反発する左之助であるが、妹への行動はいつも優しかった。
甘やかしはしなくても、兄として守ってやらねば、という意識があるのだろう。
頼れる長男になろうとする姿は、両親にはとても喜ばしいものだった。


きちんと畳まれていた布団を運び出すと、手際良く寝床の用意を済ませる。
それから小柄な妹をよいせと抱きかかえ、布団に入れてやった。







「優しいお兄ちゃんねぇ」
「あったり前だぜ。兄貴なんだからな」







母の言葉に生意気な風に胸を張って言う。
その小生意気な口調の翳で、頬がほんのりと朱色に染まっていた。

褒められて嬉しいなんて思ってない、これは当たり前の事なんだから。
子供の可愛い意地っ張りに、菜々芽はくすくすと笑った。



ポン、と煙管の灰を落として、上下エ門も笑い、






「そんじゃ、お前もとっとと寝やがれ。ガキはとっくに寝る時間だぜ」
「誰がガキだよ、クソ親父!」
「お前だお前。ネションベンしねぇように、厠行けよ」
「するか!!」





手加減無用の我が子の蹴りを、父は容易く受け止める。






「息子が親父に敵う訳ねぇだろ!」
「うるせー! 今此処で泣かしてやらぁ!!」
「おお、いい度胸じゃねぇか!」


「こら、止めなさい!! 右喜が起きちゃうでしょ!」






本格的に取っ組み合いでも始まろうかと言う所で、妻、そして母の声。
この界隈で腕が立つと評判の上下エ門も、生意気盛りの左之助も、彼女だけには頭が上がらない。
母は強し。



父と息子はしばらく睨み合ったが、二人同時にフンッとそっぽを向いた。

夫も長男も元気なのは良い事だが、こうまで元気が有り余っているのも困り者だと菜々芽は思う。
おまけに左之助は見事に父の性格を受け継いでいるようで、短気で喧嘩っ早かった。
親子同士で手が出るのが早いのには、菜々芽も少々持て余し気味である。


左之助はそれから上下エ門と顔を合わせることはしなかった。
父に言われた通り、右喜の眠る布団に一緒に入り、寝る体勢になる。

古びた家だ。
隙間風が吹き込んで、布団も温まるまでは冷たいだけ。
それより、人とくっついて眠った方がずっとずっと温かい。

妹を抱き込んで、寒さに目が覚めたりしないように、温もりを分け合って眠る。
仲の良い兄妹の寝顔に、菜々芽は幸せを感じていた。




さて、聞かん気の強い頑固な父親、夫はと言えば。
左之助が寝入ってようやく、クツクツと面白そうに笑い出した。






「あんまり左之助を揶揄っちゃ駄目ですよ」
「なぁに、構やしねぇよ。あれぐれぇ威勢がある方が良いってもんだ」
「だからって屋内で喧嘩はよして頂戴ね」





菜々芽は、しっかりとした女性だった。
主立ちはすっきりとしたもので、右喜は母の特徴をよく捉えて生まれていた。

上下エ門も頑固だが、菜々芽にだけは頭が上がらない。
惚れた弱味か、上下エ門を知る者が見たら驚くのではないだろうか。
案外、カカァ天下な家だなんて。

右喜の目鼻立ちは本当に菜々芽によく似ていて、ならば性格も似るのだろうかと上下エ門は思う。
今は左之助の後ろを一所懸命歩いて、不安があるとお兄ちゃんお兄ちゃんと泣く一人娘。
成長した娘と、嫁と、二人に叱られる様が頭を過ぎり、上下エ門はそりゃキツいかもなぁと一人ごちた。
その時はきっと、頼れる筈の長男も、隣で頭を項垂れているのだろう。



上下エ門がらしくもなく、そんな未来図を描いていると、菜々芽が小さく溜め息を吐いた。







「ん? どうしてェ?」






その溜め息が十年連れ添った妻にしては珍しいもので、上下エ門は問い掛けた。

菜々芽は、うん……と少しの間目を伏せる。
瞳がもう一度覗いた時には、寂しげな瞳が其処にあった。







「ちょっと、左之助がね……」
「左之助がどうかしたってんでェ? また何処ぞで喧嘩でもしてやがったか」
「それ位なら、今更気にはしないんだけど」






左之助の喧嘩っ早さには、ほとほと困り果てている菜々芽である。
しかも上下エ門はそれを一つも咎めず、寧ろ喧嘩して帰って来るのを良い事だと言い出す始末。
……どちらかと言うと、後者の方が菜々芽にとっては頭痛の種だ。

しかし、それなら喧嘩相手の親に謝りに行く程度の事で済む話だ。
やんちゃな息子の無鉄砲さに呆れて拳骨を落とす事はあっても、こんな寂しげな瞳を見せることはない。


黙って先を促す夫に、菜々芽は一呼吸置いてから話し出す。






「近頃、遠くを見ている事が多くなってるみたいでね……」
「ああ、そういやぁそうだな。なんか物珍しいもんでも見えてんのか…」
「珍しいものがあるだけなら、良いんだけど」






火箸で囲炉裏を突つく菜々芽の横顔は、なんとも言えない儚さがあった。

ぽっと吹かした煙がふわふわと揺れ、空気に溶けて消える。
隙間風が吹いて、その煙もきっと外へ流れて行っただろう。













「いつか此処から、飛び出して行ってしまいそう………」













菜々芽の言葉は予言染みていた。
腹を痛めて生んだ、母としての直感だったのだろうか。

息子がこの信州の片田舎で収まっている程の男でない事は、よく判る。
これは男親としての、男同士の仲で言える直感だ。
けれども今の左之助はまだ十歳足らず、此処を跳び出て行くには幼過ぎる。
もっと幼い、己を慕って止まない妹がいるというのに、今この瞬間に何処に飛び出していくと言うのだろう。
その時の上下エ門には、菜々芽が其処まで気にする理由がよく判らなかった。






「そう気にする事ぁねぇよ。優しい兄貴は、妹放ってどっか行くなんざしねぇさ」






布団で丸くなる兄妹を見遣り、上下エ門は言った。




布団の中でごそごそと右喜が身動ぎしている。
左之助は気付いていないのか気にならないのか、ぴくりとも動かなかった。

右喜は暖を求めてか、安心できる場所を探しているのか、身動ぎは長かった。
最終的には左之助の腕の中で、その温かい兄の胸に顔を埋め、ようやく落ち着いた。
左之助が動いたのはそれから少し経ってからで、妹の背中に腕を回して抱き寄せる。
お兄ちゃん、と嬉しそうな呟きが静かな家の中に溶けて消えた。


まだ幼い右喜は兄を一心に慕い、一番好きだと言って憚らない。
生意気盛りの左之助は、それを正面から言われると素っ気ない態度を取るが、それでも空気は柔らかかった。
甘えたがりの妹が手を繋ぎたいと言えば、左之助は小さく笑って、成長途中の左手を差し出す。
連れ立って歩く兄妹の姿はこの界隈でもよく知られ、仲の良い兄妹だと評判が良い。

周りの目など気にする子供達ではない。
今目の前にある幸せを、ただ守りたいと思っているだけだ。



だから、左之助はその手を振り払ってまで此処を出て行く事はない。
そんな事をすれば、大事な可愛い妹がどれだけ泣いてしまうかぐらい、ちゃんと判る筈だから。







けれども、菜々芽の表情は晴れなかった。













「それなら、良いけど……――――――」













息子に、何処も行くな、とは言わない。
いつか此処を出て他の地を、他の居場所を探すこともあるだろう。

だが菜々芽は、ざわつく心を抑える事が出来なかった。
遠くを見つめる左之助が、何を求めているのか、菜々芽には判らない。
ただあの瞳を見る度に、言いようのない不安が過ぎるのだ。


まだ発展途上のその魂は、いつか家族以上の何かを見つける事になるだろう。
それが新たな家族なのか、それまでの人生の中で培った生き様か。
家を守る身となった菜々芽にも、その家を支える父となった上下エ門にも判らない。



ただ願うのは、今この時はもうしばらく、息子が“息子”でいてくれる事。





冷たくなった湯飲みの中の茶を見つめ、菜々芽はまた目を伏せた。
その瞼の裏には、近頃見る事の増えた息子の後姿が焼き付いたように映る。

上下エ門は囲炉裏に煙管の灰を落とし、妻のその横顔を見つめていた。



――――――父親と母親は、それぞれ役目が違う。


その腕に抱き、守り、慈しむのは母親の役目。
父親の役目は、それとは正反対。
いつか巣立つ日の為に、生きる術を教えること。

菜々芽が不安に思うのは、その役目の為だろうか。
まだ守られている筈の、守っていて良い筈の息子が、早すぎる巣立ちを感じさせるから。







吹き付ける風が冷たい。
ちらりと外を見遣れば、しんしんと雪が舞い落ちていた。

明日の朝には積もるだろう。
生意気盛りの息子ははしゃいで走り回り、娘はそれを一所懸命追い駆けているに違いない。
ふざけて雪球をぶつけてやれば、左之助は怒りに燃えて投げ返してくるだろう。
菜々芽はそれを見つめていて、殴り合いになりかけた所で止めるのだ。



春が来るまで、その風景は一体何度見られるだろう。




妻の不安げな面差しに、上下エ門はなんと言って良いか、最終的に判らぬままだった。
理屈ではないだろうから、尚の事。

いつものように笑って大丈夫だろうと言ってやる事が出来ない。
それは何処かで、自分もそんな日が近いことを感じているからだろうか。











「…………寝るか」











ようやく漏れたのはそんな言葉で、この会話はお終いとなり。
菜々芽も何も言わずに頷いて、湯飲みと急須を片付けると、自分達の布団を敷いた。
一つの布団で一緒に眠る、二人の子供達を挟む形で。


囲炉裏の火も、煙管の火も消した。
灯りのなくなった家の中は、それだけで酷く寒くなったような気がする。

布団の中で右喜が身動ぎすると、今度は左之助ももぞもぞと動いた。
擦り寄る妹を抱き締めて、ほんの少しすると二人揃って寝息を立てる。






まだ暫くは。


こんな家族の肖像が、此処にある筈。















































毎年の事だが、積もった雪に案の定、左之助がはしゃぎ回る。
歩けば出来る自分の軌跡が面白いらしく、まっさらな雪の上を踏み締めては楽しそうに跳ね、
右喜はその後ろを一所懸命ついて行き、転べばすぐに兄が駆け寄って来て甘えていた。

それを菜々芽が家屋の中から見て微笑み、雪掻きをしていた上下エ門はその手を止めた。






「お兄ちゃん、待ってよぉ」
「右喜、こっちだこっち! 此処、雪深ぇぞ、面白ェ!」
「転んじゃうよー」
「大丈夫だって! ほら、来てみろ!」






こんもりと積もった雪の小山の上で、左之助ははしゃぐ。
右喜はそれを心配そうに見ていたが、左之助にこっちに来いとせかされ、恐々と歩み寄っていった。

子供の体重程度では崩れない雪の山。
おっかなびっくりに登る右喜に、左之助が手を伸ばす。
掴んだ手を引っ張り上げると、揃って小山の頂上到達。






「すごーい、真っ白だぁ」
「こりゃ大根掘るの大変だな」






雪の下に埋もれて隠れた自分達の農作物。
この時期あっての美味い大根だが、やはり大変なものは大変なのだ。

けれども、子供達は楽しそうに笑う。



それを遠目に見ていた上下エ門は、ショベルを雪の上に放り投げ、足元の雪を丸めて固めた。










「おい、バカ息子!」
「あんだよクソ親――――ぶっ!」









真っ直ぐに投げられた雪球は、見事に左之助の顔面に命中した。







「お兄ちゃん!!」






姿勢を崩した小さな身体は、均衡を崩して小山から落下した。
とは言え、雪の深く降り積もった地面だ。
ぽすんと雪の沈んだ身体は大した衝撃もなければ怪我もなく、すぐに起き上がる。








「何しやがんだ、クソ親父!」
「遊んでねーで手伝いやがれ、終わらねぇだろうが」
「口で言え!!」







やられたお返しとばかりに、小さな手が握った雪球が飛んでくる。
真っ直ぐに飛んできたそれをヒョイと避ける。

が、すぐに第二撃が迫っていた。


雪球が上下エ門の頭に当たり、ぱかんと破裂する。








「やりやがったな!」
「先にやったのはテメェだろ!」







静かだった筈の雪山に木霊する、親子の喧騒。
通りがかった村人達はああまた今日もかと笑み、通り過ぎていく。
右喜だけが雪の小山の上にいて、おろおろと兄と父を交互に見ていた。

一人家屋に残る菜々芽はその風景に小さく笑み、昼餉となる鍋を温める。
雪まみれになって寒さに震えて帰ってくるだろう、家族の為に。






















出来る事なら、春が来るまでこのままで。



駆け回る息子の姿を、こうして見守っていられますように。

























捏造左之母。
あの上下エ門の嫁さんだし、左之と右喜の母親だし……結構芯の強い人だったんだと思います。書けてないけど(オイ)。

左之の少年期は赤報隊しか描かれてなかったけど、結構昔から兄貴肌だったんじゃないかと。
妹がいると面倒見良くなりそうだし……私は末っ子なので、これは想像ですが。
再会した時はお互い判らなかったけど、再会時の左之の回想からこんな兄妹妄想。


父親と母親とで、“息子”に対する態度や心配事は違うと思います。
そんなイメージから、飛び出していきそうな長男の将来への不安の違いを書いてみた……つもり。
ただ、まだ十歳足らずだし、もうちょっと家にいて欲しいとは思う親心。
PR

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