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空の蒼を反射させたその瞳は、酷く透明で、酷く儚かった。
それが目の前の男の内側に眠る、子供のような寂しさから来るものだと、直ぐ判った。
すぅと目を細めてその横顔を見つめる剣心に、意外に目敏い左之助は気付かなかった。
顔を上げて空を仰ぐのは、溢れそうな感情を流すまいと耐えているから。
それが耐えているだけだというのなら、まだ良いのだけれど。
耐える事に慣れてしまえば、いつしか流し方まで忘れてしまう事になる。
目の前の男がどちらであるのか、剣心は掴み兼ねた。
京都の激しい戦いの後、右手は白い包帯に覆われるようになった。
既に大人の骨格を完成させつつある体である。
その手も骨格と同様に節が目立つようになり、無骨な無頼者の形を成そうとしていた。
だが不思議と大人になり切れずにいるように見えるのは、彼がまだもう一つ、成長することを拒んでいるからか。
人の成長は肉体の変化と年月によるものだけではない。
限界を自らが超えようとした時、自身の手で一歩前に進むように、その体も成長を刻む。
心身共にあってこそ、人は“成長”していくのだと、剣心は何処かで聞いた話を思い出した。
もともと、左之助の性格は、どちらかと言えば子供染みた部分が目立つ。
理屈っぽいことは嫌いだし、善悪云々よりも自分がやりたいようにやる。
時折、辛辣な言葉を投げることもあるが、性根はいつまでも子供のように真っ直ぐで正直だった。
その子供染みた部分は、きっと生涯変わらない。
左之助が“左之助”である由縁なのだから。
だから、その手を幼くさせているのは、きっともっと別の部分。
空を仰ぐ剣心に、左之助は気付かない。
やはり心は何処か遠くに在るようで、つい先程まで話をしていた相手が今も隣にいるという事すら、忘れたように見える。
思い出の中に余所者は不要―――――……
それが温かな思い出であるというのなら、剣心もこうまで気に留めなかっただろう。
以前、左之助と幼馴染の月岡津南が再会を果たした時のように。
だが今左之助が思い出しているのは、もっと別の思い出。
同じ引き出しの中にありながら、取り出す時、その色は酷く儚い色を持つ。
無粋であろうと思いながら、剣心は左之助の隣に腰を下ろした。
刀の唾鳴りが僅かに聞こえて、その音に左之助の瞳が現実に還る。
「やっぱオレぁ、こういうもんは駄目だわ」
「さようでござるか?」
「どうもガキん時から不器用だからな。こういうもんは向いてねぇ」
手の中の小さな葉をひらひらと振りながら、左之助は笑う。
「拙者は吹いたこともござらんなぁ……」
「やってみっか? お前なら楽勝だろ」
「いや、拙者は口笛も吹けぬから……」
「だったっけか? そいや、お前が口笛吹くトコなんざ見ねぇな」
顎に手を当て、思い出す風な仕種を取る左之助に、剣心は頷いた。
吹けても、左之助ほど器用に吹く事は出来ないだろう。
「お主が教えてくれるなら、多少はやってみても良いか」
「おいおい、オレが教えんのかよ。オレぁ下手くそだっつったろ?」
「良いではござらんか、下手くそ同士で練習と言うのも」
「ぜってーお前直ぐに吹けるようになんだろ」
幾ら吹いてもオレは駄目なんだから、と。
呟く左之助は、見つめる剣心から逃げるように目を逸らす。
おろ? と剣心は一瞬瞠目する。
いつでも真っ直ぐ受け止めて、勝気に睨み返してくる彼にしては本当に珍しい。
これは重症か……と剣心は気付かれぬ程に浅く溜め息を漏らしていた。
そんな時、左之助は剣心の足元に置かれている野菜の存在に気付く。
「なんでぇ、買出し中だったのか?」
「ん? ああ」
「今日は嬢ちゃんと弥彦はどうしたんでェ」
「二人は出稽古でござるよ」
現在の神谷道場の唯一と言って良い収入源だ。
ふーん、とそれで左之助は納得し、勝手に買出しした品をチェックしている。
「で、今日の晩飯はなんだ?」
思いっきりタダ飯目当てなのが明け透けで、剣心は怒る気にもならない。
もとより、左之助が道場に飯目当てにやってくるのを、形だけでも拒んでいるのは薫ぐらいのものであったが。
その薫もなんだかんだ言って本気で嫌がってはいない。
昨日のスキヤキも良かったが、やはり三人で食べるより四人で食べた方が楽しいものだ。
カラカラと笑う左之助に、剣心は眉尻を下げるしかない。
チェックした品から夕飯の想像がついたのか、左之助は「今日はショボいな」と呟く。
昨日が豪勢だったのだから、これで丁度良いくらいだと剣心は言った。
「ついでに酒とか買ってかねえのか?」
「其処までの余裕はないでござるよ」
いけしゃあしゃあと追加注文をする左之助。
これ以上は無理と剣心に言われると、そうか、と特に表情を変えずに引き下がった。
薫が聞いたら血管が切れてしまいそうな台詞だった。
今日はいなくて正解だったかも知れない、と剣心は一人ごちる。
買出しの品を見下ろしながら、左之助が小さく呟いた。
「酒もあんなら、行こうかと思ったんだけどな―――――………」
左之助の言葉に引っ掛かりを感じて、剣心は左之助の顔を見る。
今度ばかりはその視線に気付いて、左之助が顔を上げる。
覗き込む剣心の瞳と、光の揺れた左之助の瞳とがぶつかった。
「…………お主、今日も来るつもりでござったのか?」
剣心の口から出た言葉は、呆れの混じったものだった。
……真に問い掛けたいことは、また音にならずに。
「おうよ。ショボいっつったって、長屋で食う飯よりゃ良いしな。嬢ちゃんが出稽古って事ぁ、今日はお前が作るんだろ」
「一応そのつもりではござるが………」
「お前の飯も結構美味いからな。そんで酒がありゃ言う事なしだったんだが」
残念だ、とばかりに息を吐く左之助だったが、その溜め息が果たして酒の有無によるものか。
判然としかねて、剣心は黙したまま、左之助の言葉を聞いていた。
「安酒でもいいから、無性に飲みたくなってよ。此処んトコ乾いてしょうがねェ」
むしゃくしゃしている――――という様子ではなかった。
何かを持て余した風ではあるけれど、苛立ちの感情は其処にはない。
遣り切れない感情の吐き出し口を彷徨って、結局一人で飲み込もうとしているような……――――――
その為の、酒。
束の間の夢を見、そして忘れる為の。
「それは……間が悪かったでござるかな」
「いんや、別に」
呟いた剣心の言葉に、左之助は頭を掻きながら素っ気無く応えた。
有るなら有るで、来なかったのではないだろうか。
剣心はそう思った。
人と騒ぐ酒を好む左之助だ。
一人で飲むより、宴会でも何にでも乗じて飲む方が美味い事を知っている。
静かに飲む酒の美味さも知っているけれど、左之助は専らそちらを好いていた。
気心の知れた者と一緒だからこそ、来なかったのではないかと……――――剣心は、思う。
「しからば、今日の夕餉はどうするのでござる?」
「さぁな。修辺りにでも集るか……」
此方も気の良い舎弟の一人の名があがる。
けれども、その瞳は何処か遠くを彷徨っていた。
“いつも通り”を振る舞いながら、
“いつも通り”でいられない。
見えない壁を張っていたようだと、左之助は剣心に言ったことがある。
流浪人としていつ此処を離れても良いように、出来るだけ誰の心にも己の軌跡を残さぬように。
薫に対しても、弥彦に対しても、恵に対しても……一番背中を預けられる、左之助に対しても。
それが京都から東京に帰ってから、少しずつ緩和している。
京都での死闘を経て、東京に戻り、いつであったか。
薫と話をしていた時か、それとも弥彦の稽古に付き合っていた時だっただろうか。
判然としないのは、そのどちらにも言われた覚えがあるからだろう。
だが、その薄い薄い、透明な壁が、今。
変化に最も早く気付いた己が張っている事を、左之助は果たして気付いているのだろうか。
人との関わりを拒絶している訳ではない。
こうして話をするのだから。
此処から去って行こうとしないのだから。
だけれど、踏み込まれることを拒んでいる。
―――――――その日、
草笛の音は、二度と響くことはなかった。
キャラ違いすぎて怒られそう……