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薫が弥彦を連れて出稽古に赴くと、剣心も道場を後にした。
人気のなくなった道場の門の鍵をしっかりとかけて、街へと繰り出す。
流浪人をしていた時には想像もしていなかった程に、すっかり馴染んだ八百屋に顔を出す。
昨日はスキヤキと豪勢だったから、今日は反対に質素になってしまった。
食べ盛りの弥彦は物足りないと言い出しそうだが、家計については仕方のない話。
白飯で我慢してもらおうか。
道すがら、酒屋の主人に声をかけられた。
昨日は友人等と酒盛りをしていたらしく、今でもまだ二日酔いが抜けないのだと言う。
主人は奥方に耳を引っ張られ、剣心は苦笑した。
風車を持った子供達が街道を駆け抜ける。
夏が近付き、湿度が上がって随分暑くなったと言うのに、子供達は変わらず元気だ。
子供の無邪気さだけは、いつの時代も変わらない。
汗で張り付いた前髪を掻き上げる。
駆ける子供達の一番後ろを走っていた子供が転ぶ。
二番目に後ろにいた子供がそれに気付いて、すぐに戻って転んだ子の手を取った。
転んだ子供は泣きそうな顔をしていたが、ぐっと堪えて口を噤む。
手を差し伸べた子はそれに笑い、取った手をそのまま引っ張って走り出す。
他の子供達は随分遠くに走って行ったが、二人はそれでも楽しそうに駆けて行った。
転んだ子が、置いて行かれまいと一所懸命足を動かして走っている。
何処か痛めたのかぎこちない走り方ではあったが、それを他の子供に言った様子はなかった。
強い子だ。
沢山の元気な小さな背中は、人波の中にすぐに埋もれて見えなくなった。
見送って気が済んだ剣心は、くるりと踵を返して前へと向き直る。
その時、周りから一つ飛び出た長身を見つけた。
白半纏と翻る鉢巻。
何処にいても目立つ出で立ちだと剣心は思う。
その目立つ彼に言わせれば、「お前の方がよっぽど目立つ」となるのだろうが。
「左――――――………」
奇遇な出会いに顔が綻び名を呼ぼうとした剣心だったが、それは最後まで音にならなかった。
剣心から真横に真っ直ぐに歩く背中は、しゃんと伸びて天に向かっている。
袖珍に手を突っ込んで、左之助は空を見上げながら足を進めている。
人にぶつかる事はなかったが、その瞳は何処かぼんやりとして見えた。
昨日の彼の様子を、勿論剣心ははっきりと記憶している。
一瞬足を止めた間に遠退いた背中を、我に返ると直ぐに追った。
草笛の音がする。
それは、昨日と同じ川原の傍だった。
街中で珍しくも彼を見失ってしまい、もしやと思って来てみた所だった。
買出しした野菜も手に持ったまま、剣心は左之助を追って来ていた。
そして見つけた背中は、昨日と寸分違わぬ形で其処に存在していた。
…………何があった? 左之…………
聞こえる草笛の音は、やはりこれも昨日と同じく途切れがちで、時折風に浚われる。
川辺の岩に浅く腰掛けて、鳴らす草笛。
温もりと寂しさが入り混じるのは、奏者の心が其処にあるからだろうか。
土手を降りて砂利を踏むと、草の音が止んだ。
柔らかな風に遊ばれる鉢巻が翻り、勝気な瞳が剣心を捉えた。
「なんでぇ、お前か」
「誰だと思ったのでござるか?」
「いんや、別に」
勝気な瞳が一瞬瞠目していたのを、剣心は見逃さない――――否、見逃せなかった。
右手が何かを隠すように、それでも中のものを潰さぬように丸められている。
いつも強く握られる拳が今は猫のように柔らかくて、剣心は気付かれぬ程度の笑みを零す。
岩に腰掛けている左之助の横に立つと、いつも見上げる顔が今だけはほんの少し下にある。
「先程の音、あれは草笛でござるな」
「……ああ、聞かれちまったか。へったくそだろ」
右手を解いて、左之助は其処に隠していたものを見せる。
左之助の手の平の半分もない、小さな葉が其処にはあった。
咄嗟に隠そうとしたのは恥ずかしさからか。
他者の知る自分らしくないと思ったのだろうか。
何れにしても、剣心には通用しなかったと思うけれど。
笑って下手だと自己申告する左之助に、剣心は小さく笑う。
確かに、お世辞でも上手いとは言えない音色だった。
流れる音は途切れがちだし、その音も随分と掠れて聞こえてきた。
洗練された楽器と比べるでもなく、上手いか下手かと問われれば、下手だと言われてしまうだろう。
「何回吹いても、ちぃとも上手くなりゃしねぇ」
「それよりも拙者は、左之と草笛というのが意外でござったな」
昨日も聞いていた事は言わずに、初めて見た時の感想を告げる。
左之助はその言葉は予想できていたようで、はは、と笑ってから、
「だろうな。オレもそう思うぜ」
手の中で小さな葉を弄びながら、左之助は言った。
「しかし、何ゆえ左之が草笛を?」
「長屋のガキ共の間で最近流行ってんだよ。それで、ちょっとな」
興味が湧いたんだ、と続ける左之助に、そうか、と剣心は呟く。
それ以上の追求はしなかった。
「草笛は案外と難しいと聞いたが」
「おう。オレはまともに吹けた例(ためし)がねぇな」
「音が出るだけでも上等ではござらんか?」
「掠れてばっかの見苦しい音だぜ。上手い奴は上手く吹けるのになァ」
口笛だったら幾らでも出来るんだが、と言う左之助に、剣心は確かに、と頷いた。
左之助が口笛を吹く場面を何度か見たことがあるが、実に見事に吹き渡るものであった。
挑発であったり感歎であったり、様々なものを言葉なくして伝えてくれるのだ。
口笛一つに器用な男だと、いつしか思ったこともあった。
だが草笛の音は掠れがちなばかりで、其処にはただただ温もりと寂しさが入り混じる。
左之助自身はそれを判っているのか………
「克のヤロウは上手く吹けてたってのにな………」
零れた名前は、左之助の幼馴染のもの。
十年と言う歳月を経て、偶然か必然か、再会を果たした、もう一人の赤報隊の生き残り。
左之助と共通の思い出を持つ、今となっては唯一の人物。
指で摘んだ小さな木の葉を天に翳せば、丸く欠けた部分から光が差し込んでいた。
零れた陽光は左之助の瞳に反射し、ゆらゆらと揺らめく。
剣心は黙したまま、その揺らめく光を見つめていた。
「何回も何回も吹いたのに……まともに鳴った事なんざ一度もねぇ」
左之助の言葉は、独り言だった。
隣に剣心が在る事さえ、今は頭の中に残っているのか判らない。
自分の世界に浸ってしまう事の少ない彼が、本当に珍しい姿だった。
その瞳がまた、迷子になった子供のようで。
「“あの人”みてぇに、吹けねぇんだ―――――――…………」
置いて行かれた子供の影を、見た気がした。
左之、鬱気味……(汗)?