例えば過ぎる時間をただ一時でも止められたら。 忍者ブログ
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2009-バレンタイン







平日の人気の無い運動公園の一角で稽古をして。
いつもふらりといなくなる師匠は、その日も稽古をした後はふらりといなくなり。
一人で嫌々ながら桜ヶ丘中央病院に向かい、稽古で出来た傷や痣を一通り看て貰って、手当てをされて。

陽が立ち並ぶビルの隙間に落ち行く頃、そろそろ『女優』に戻ろうと、歩き慣れた帰路を進んでいた時。






「兄さん?」






歌舞伎町の通りに入ろうと思った所で、京一は道の端で佇むアンジーを見付けた。


世話になっている『女優』で働く人々の中で、京一は彼女が一等お気に入りだった。

彼女と会話をする前に話をしたキャメロンやサユリの印象が強烈過ぎた事に比べ、アンジーは最初から京一に対してずっと友好的な態度で、京一が『女優』に居候する為にビッグママに口添えしてくれたのも彼女である。
また、キャメロン達ほど過剰なスキンシップがないのも気に入る理由の一因であった。



駆け寄っていくと、アンジーも京一に気付いて手を振った。






「京ちゃん、今お帰りなの?」
「おう」
「京サマは?」
「知らね。どっか行った」
「あら、そうなの。残念ねェ」






頬に手を当て、言葉通り残念そうに眉尻を下げるアンジー。
それでも瞳や口の形は笑みを象っている。

京一の見慣れた顔だった――――――が。






「兄さん、なんかあったのか?」






思ったら直ぐ、思った言葉がそのまま口を突いて出た。
出た事に京一は驚かなかったが、アンジーの方は驚いていて、少し目を丸くしている。






「あら、どうして?」
「なんか変な顔してるぜ」






しゃがんで目線の高さを合わせるアンジー。
倣って京一も見上げていた目をいつもの高さに戻して、目の前に屈んだアンジーの顔を見る。

高い位置にあると少し窺い難かった、アンジーの表情。
同じ高さになるとよく見えるようになって、京一はまじまじと彼女の顔を覗き込んだ。
アンジーはヤダわ恥ずかしい、なんてやっぱり眉尻を下げて微笑む。


その瞳が、いつもよりも少し赤いのを京一は見付けた。






「兄さん、泣いたのか?」
「そんな事ないわよ」
「ウソつけ。目ェ赤ェじゃん」






嘘を吐かれて、京一の顔が剥れる。

可愛がっている子供に拗ねられて、アンジーはまた苦笑した。
その顔はいつもと同じ――――だったように思う。


黙っていては京一が益々拗ねると判ったのだろう。
観念したようにアンジーは目を閉じ、手に持っていた箱を京一の前に差し出した。
綺麗にラッピングまで施されたその箱は、アンジーの手には小さいが、まだ幼い京一の手には両手で抱えても大きかった。

ラッピングの飾り付けに使われているリボンを留める為のシールが目に入る。
其処には、綺麗な印字で「Happy Valentine」の文字が書かれていた。



ああ、今日ってバレンタインなのか。

最近まるで暦を気にしていなかったから、京一はそんな事にはまるで気付いていなかった。
気にしていた所で、家を飛び出してから此処に来て、貰う宛てがある訳でもないが。






「兄さん、誰かにチョコやるのか?」






一瞬、京一の脳裏に師匠の顔が浮かんだ。
が、多分違うだろうと直ぐ否定する。

いつ現れていつ消えるのか判らないような人間を、一々此処で待つ事はしないだろう。
渡すつもりだったら、店の冷蔵庫に入れて置いて、来た時に渡すのが一番確実だ。



目の前の人物が誰かに“貰う”と言う事は、恐らくないだろう。

バレンタインは女性が男性にチョコレートを贈ると言うお菓子会社の陰謀の日(数年前にこれを言ったら姉から「夢がない」と殴られた)だが、アンジーは“男性”ではない。
京一はアンジーも含め、女優の人々の事を「兄さん」と呼んではいるものの、彼女達がその性を捨てて生きている事は判っているつもりだ。
だから、これを持っていると言う事は、これから誰かに渡す予定なのだろうと思った。


しかし、アンジーはゆるゆると首を横に振った。
その時の彼女の表情が酷く淋しそうで、京一は眉間に皺を寄せる。

表情の意味を、アンジーは直ぐに教えてくれた。






「もういいのよ。フラれちゃったから」






淋しそうに、それでも笑うアンジーに、京一は無言だった。






「判ってたのよ、最初から。アタシ達はこんなだもの」
「………」
「もしかしたらって、ちょっとだけ期待してたんだけど……やっぱりね」






やっぱり、と言いながら笑うアンジーに、京一の眉間の皺が益々深くなる。

やっぱりと思いながら、それでもチョコレートを渡したいと思ったのなら、その想いは本物だ。
普通の女だってそう言う事は考えるだろうから、目の前にいる彼女は、間違いなく女性の心を持っていた。




……でも、女じゃねえんだよな。




女みたいに髪を伸ばして、女みたいに化粧をして、口調も女みたいだけれど。
目の前にいるこの人も、世話になっている店で働く人達も、みんな本物の女じゃない。
だからどんなに本気の恋でも、断然、悲しい思いをする事の方が多い。

頭を撫でてくれる手は優しいのに、毎日作って貰う料理だって美味いのに、彼女達はいつも報われない。
相手が振り向いてくれる可能性は、普通の男女が恋をするより、ずっとずっと低い。


今彼女の手の中にあるチョコレートだって、きっと勇気を出して用意したのだろうに。
行き場をなくして、今のアンジーの表情みたいに苦そうに見えた――――甘いチョコの筈なのに。






「ごめんね、京ちゃんに話しても仕方ないわよね」
「……別に」
「うん。聞いて貰ったらちょっとスッキリしたかな。ありがとう、京ちゃん」
「…別に」






アンジーは京一の返事を聞いていない。
事実、殆ど単なる相槌みたいに漏れた言葉だ。

くしゃくしゃ京一の頭を撫でて、アンジーは立ち上がった。






「それじゃ、帰りましょうか。お腹空いたでしょ」






そう言って笑った彼女の顔は、もう京一の見慣れたものに戻っていた。
……戻っていたのだけれど。




京一は、まだ誰かを好きになった事がない。
同じ歳の子の何人かは、誰が好きとか誰が可愛いとか、マセた子なんかはあの子と結婚するとか言っていた。
けれど京一は物心着いた頃には既に剣術一本で、女の子の誰が可愛いとかなんて興味がない。

今もそうだ。
歌舞伎町に来てから、夕暮れ道を歩く時間帯、派手なイルミネーションの前で話をしている綺麗な女の人を見るようになった。
でもだからって興味が沸いた事はなくて、寧ろ高い声で――若しくは酒焼けか煙草かの低い音で――騒ぐのを見ると、思わず眉間に皺が寄ってしまう。


幼い頃から彼の中に強くある想いは、“強くなりたい”と言う事だけ。
その為に何をすればいいか、どんな風に剣を振るえばいいのか、考えていたのはそんな事ばかり。



だから、誰かを好きになって、想いが実らなくて。
それがどれだけ悲しいのか、京一にはまだ漠然としか判らなかった。

でも、さっきのアンジーの顔が頭から離れない。






手を繋ごうと差し伸べられる、アンジーの手。
其処に自分の手を伸ばして――――京一は出された手とは反対の手にあった箱を掴んだ。







「あ、」






もういいと言いながら、手放せずにいた実らなかった想いの形。
それが途端になくなって、アンジーは思わず声を上げていた。

それを聞きながら、京一は勢い良く箱のラッピングを破いていく。
ああ、と嘆きに似た声が隣から聞こえて、もう少しゆっくり破けば良かったかと、少々的外れな事を考える。
無理もない、幼い京一にはまだまだ気遣いなんてものは働かなかったから。


リボンもシールも一緒にして、京一はラッピングの包み紙を全部破いた。
紙切れになったゴミが足元に散らばったが、お構いなしだ。
箱の封となっていたセロハンテープも乱暴に引き千切って、ようやく蓋を開ける。

綺麗な形のチョコレートが一つ一つ分けられて、綺麗に20個並べられて入っていた。
ハートの形なんてものは一つもない代わり、それぞれ色んな形に歪んでいる。
ラッピングこそ綺麗に施されていたけれど、明らかな手作りである事が判った。



一つ摘んで、口の中に放り込む。






「――――――京ちゃん、」






呼ぶ声が聞こえた。
けれど、京一は顔を上げずに、また一つ口の中に放り込む。



甘い。
ちっとも苦くない。

京一は甘いものが苦手だ。
食べられない訳でもないけれど、進んで食べたいとは思わない。
多少苦い方がまだ食べられるかも知れないと時々思う。


アンジーもそれは知っていて、だから余計に京一の行動に驚いていた。


一心不乱に、口の中のものが溶け切らない内に、次のチョコレートを放り込んでいる京一。
明らかに無理な食べ方をしているのは目に見えていたが、それでも京一は食べるのを止めようとしなかった。

そうしている内に、チョコレートはもう半分もなくなっていて。




夢中になってチョコレートを頬張る子供の前に、アンジーはまたしゃがんだ。






「京ちゃん、お口の横についちゃってる」
「む」






ハンカチを取り出して、京一の口の周りを拭いてやる。
それから、同じようにチョコレートがついていた手も綺麗に拭いた。

拭き終わると、京一はまたチョコレートを食べ始める。


拭いた傍からまたチョコレート塗れになりつつある子供の顔を見詰めながら、アンジーは微笑んだ。








「………ありがとう、京ちゃん」








ぽつりと落ちた呟きは、小さなものではあったけれど、子供の耳にはちゃんと届いた。
ぴくり、小さな手が一瞬動きを止めて、しかし直ぐにまたチョコレートを摘む。










来年は、きちんとこの子の分も作らないと。
そろそろ甘さに限界が来ているだろうに、それでも食べる子供を見て、アンジーは決めた。


だって、来年の今頃―――――きっとこの子は、とびきりイイ男になっているだろうから。












====================================

………どんな変化球だと言う話です(爆)。

だってうちの京ちゃんが誰かにチョコあげる訳ないし。
今年は逆チョコと言うネタもあったけど、うちの京一は絶対に喜ばない……だって甘いもの嫌いなんだもん。下手したら突き返します。ラーメン奢るじゃいつもと同じ話だし。
唯一、渋々顔しながらも受け取るだろう相手は、『女優』の兄さん達。特に子供の頃なら、まだ受け取るかなーと。


将来有望な感じのチビ京一が書きたかったんですね。
優しい言葉や慰めなんてものを口にするのは苦手だけど、行動で。子供なので、やる事が突飛な上に極端ですが(うちの京ちゃん、大人になっても極端か…)。

……だからってなんでアンジー兄さん失恋ネタ…?

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