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………人知れず壊れていく少年を、引き止める術をこの手は持ち得ない。
東京のコンクリートジャングルが瓦礫の山へと変貌してから、二ヶ月。
生き残った人々は悲観に暮れ、未来を見据え、様々な形で日々を過ごしている。
それでも瓦礫に埋もれず生き残った植物達は、季節の訪れを告げる。
また、コンクリートの隙間からは、分厚い岩盤を割って新たな芽が顔を見せる事もあった。
人よりも余程小さくありながら、余程強く生きる植物達に気付く人は、果たして疲弊した人間達の中でどれ程いるだろう。
そんな中で精力的に明日へと歩き出したのは、まだ大人には早く、子供と言う時分を既に終えた少年少女達。
時に衝突を繰り返し、時に涙し、それでも笑って明日へと呼吸を続けている。
大人ほどに遠い日々を見渡せる程に出来上がった精神ではなく。
子供ほどに何も知らないまま日々を過ごせるほど、無邪気ではない。
その狭間に立っているからこそ、現実を受け入れ、未来へ歩き出すことが出来たのだろう。
少年少女達の中で、率先して動き回っている人物達を八剣は知っている。
富士山での闘いの渦中にいた者達を筆頭に、真神学園の生き残った生徒達だ。
美里葵は菩薩眼としての《力》を失い、同じくしてその片目そのものを失った。
だが仲間達に励まされながら、学校に避難した人々に笑顔を見せ、子供たちの相手もこなす。
桜井小蒔と醍醐雄也はボランティア活動に駆け回り、《力》を持たずして最期の一戦の直前まで傍らで彼らと行動を共にしていた遠野杏子は、元来のジャーナリズムであちこち動き回り、生存者の情報を集めて回っていた。
織部神社では姉妹の巫女が人々に未来に光ある事を説き、雨紋雷人は己を慕う少女にこの街を託し、長いツアーへと踏み出した。
桜ヶ丘中央病院は怪我人や病人で溢れかえっていたが、其処に勤める院長と看護士は休みを取らず、ほぼ不休で人々の手当てや精神のケアに打ち込んでいる。
八剣が属していた拳武館は閉鎖し、其処にいた者達はそれぞれ散って己の信じる道を探している。
壬生は最初に何よりも危惧していただろう母の下へ向かった。
幸運なことに彼女は無事で、容態の変化もなかった。
彼女はそのまま桜ヶ丘中央病院に入院を続けており、費用などは院長の好意で支払いを無期限延期させて貰っている。
今はまだ支払いの目処も立たないが、彼は頭が切れるから、不器用ながらに生きていく術を見つける事は出来るだろう。
他にも愛する男を待つことを選んだ者や、仮面を脱ぎ去り表の世界でボランティアを始めた者もいる。
未だ迷うものもいれば、友の手を取り一緒に歩き出した者も存在していた。
そして八剣は――――人の気配の少なくなった拳武館の寮で、今も過ごしている。
その傍らには、一人の少年がいつも蹲っていた。
「――――――京ちゃん」
少年の名を呼ぶが、少年からの返答は無い。
あちこちで崩壊が置き、首都の機能は殆どが麻痺し、此処にも電気は通っていない。
故にこの部屋の灯りは外界のものを取り込むしか方法がなく、夜になると月明かりがなければ闇しか此処には存在しなかった。
だが日中でもこの部屋に灯りは少ない。
そんな空間に少年は蹲り続け、光の無い瞳でぼんやりと宙を見詰めている。
嘗ての、忙しなく変化し続けた表情は面影もない。
数日前よりも、また少し痩せたのではないだろうか。
シャツの襟元から覗く鎖骨が不自然に浮き上がっているように見える。
筋肉が落ちているのは間違いないだろう。
「京ちゃん、起きてるかい?」
問いかけると、擦れた声ではあったが「起きてる」と答えがあった。
じゃあ、と八剣は質問を変えた。
「眠れた?」
言葉での返事は無い。
代わりに、小さくではあったが頭が縦に振られた。
―――――――嘘だ。
「隈、酷いよ」
「……気の所為だろ」
「いいや。凄く酷い」
頬に手を添えて上向かせると、窓から差し込む光で京一の表情がクリアになった。
だが京一はその光を嫌がるように、八剣の手を押しのけ、顔を背ける。
押し退けられた時、細くなった腕に見つけた痕に、八剣は彼の腕を捕った。
途端、それまで動くことの無かった少年の体が抵抗を始める。
だが弱々しい抵抗などで八剣を振り払える訳もない。
袖を捲ると、手首を集中的に切り刻んだ細い傷痕が幾重も重なっていた。
それらは全て赤黒い色を残し、血が流れ、それを放置していた事は誰の目にも明らかだ。
「これも気の所為?」
壁に背を預けたままの京一。
顔を近づける八剣から逃げる術など無く、ただ視線を逸らすだけ。
手当てしたいが、八剣はそれが出来ない。
彼を此処に住まわせるようになってから数週間が経つが、彼のこの行為は初めてではない。
最初の頃から片鱗が覗き、見兼ねて何度か手当てをしたのだが、その度に包帯も解き更に酷い傷をつけるのだ。
一度は腕が使い物にならなくなるのではと思うほど、自ら深い傷を腕に彫り込んだ。
その時は嫌がるのも構わず懇意にしている病院に運び、なんとか治療に間に合った。
腕を――――それも利き腕を傷付けるなど、相当の事だ。
一歩間違えれば使い物にならなくなり、常に握り締めていた木刀さえも二度と振るう事が出来なくなる。
だと言うのに、彼は何度も自傷を繰り返した。
手当てをしなければ表面の皮膚を裂くだけで気が済むらしい。
だが既に負った傷の上を更に傷付け、放置すれば、細菌が入って腕は結局壊死してしまう。
手当てをすれば更に深い傷を。
放っておけばいずれ腐って落ちる。
「腕はもう止めなよ。使えなくなる」
「………」
「それでもいいの?」
京一は無言で、八剣から視線を逸らしたまま。
剣は京一にとって切っても切れないもので、彼が唯一信じ続けるものだ。
それを失えば、京一は自分自身の存在価値を自ら捨てた事になる。
「…腕………」
「うん?」
「……腕じゃねェなら…」
「本音を言えば、何処も止めて欲しいんだけどね」
また京一が口を噤む。
八剣の声色が低い事に気付いたのだろう。
彼が、静かに憤っている事を。
―――――それでも、今の京一には自傷を止める事が出来ない。
八剣はそれに気付いたから、彼を自分の下に置くことにした。
歩き出した仲間達の傍にいる時は、平気な振りをして笑う事しかしないから。
その陰で、彼の精神はゆっくりと崩壊して行った。
理由が何であるのか、八剣は明確には知らない。
富士山での闘いの後、《力》と瞳を失った美里葵のように、大きすぎる《力》の反動により精神に異常を来たした者もいる。
それによるものが大きいようにも思えたが――――病院に連れて行った時、京一をよく知る院長からは、もっと別のものも要因として有り得ると言っていた。
幼少の頃に父を失い、その後無意識ながらに導としていた剣の師が姿を消した事。
それが京一にとって、自覚のないままに暗い影を落とし、今回の勝利と引き換えに親友を失った事が重なり合っているのではないかと、院長は言っていた。
その自分自身の精神状態に対して、自覚を持っていなかったのが悪かった。
八剣が言及してみても彼に自覚が無い為、空回りばかりで、結局此処まで状態は悪化してしまったのだ。
「京ちゃん」
呼んでも此方を見ようとしない京一は、まるで小さな子供のようだ。
掴まれた腕を離そうともがく様子が、余計にそれを髣髴とさせる。
傷だらけの腕。
傷だらけの心。
信じていた者を掴み続けることが出来ない、手。
置いて行かれるばかりで、誰も傍にいてくれない。
幼い頃から追い駆け続けて、それでも置いて行かれてしまう。
それでも求め続けずにはいられない。
ジレンマに苛まれた心は、幼少期に歯車を止め、あちこちで可笑しな噛み合い方を続けるようになってしまった。
異物を挟んだままで回り続けた歯車は、彼の親友が彼を置いていなくなったことで、ついに瓦解を始めた。
そんな少年の弱い心に、誰も気付くことが出来ない。
「京ちゃん」
「………離せ」
「駄目だよ」
彼の言葉通り、手を離したら――――きっとこの少年は、本当に壊れてしまうだろう。
今彼を現実に繋ぎとめているのは、彼自身が自らに刻み込む痛みと、八剣の彼を掴む手だけ。
「俺は、君にまでいなくなって欲しくないんだ」
………例えそれが、今以上に君を傷付けることになるとしても。
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二幕第九夜と第十夜の間を龍京←八で、京一が壊れかけの状態でよく妄想します。
って言うかいつか書こうと思ってる(そんなのばっかだ)。
独自設定で書いてますが、うちの京一は父ちゃんの死と師匠の失踪がトラウマです。其処から妄想妄想。
そんでもって、ボロボロになった京一を八剣が抱き締めてる図に萌えてます。
…何処まで京一を可哀想にしたら気が済むんだ、私は…(これも愛故って事で(殴))