例えば過ぎる時間をただ一時でも止められたら。 忍者ブログ
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04 笑顔の下に








―――――――機嫌がいいねと言われた。






「………そうか?」






問い返すと、うん、と龍麻は頷く。
それから手に持っていた杯を傾けて、其処に浪波としていた酒を飲み干す。

京一の手にも同じ杯はあったが、中身は既に空だった。
徳利を取って自分で注いで、また空にする。
龍麻の土産話を聞いている間、京一は専らそうしていた。


土産話に京一が質問や相槌を打つ事は少ない。
他の客の対応と、龍麻への態度で言えば確かに違いはあるが。

今日も、聞いているのかいないのか、端から見ればそんな態度を取っていた京一である。
何か違う事などしたかと思っていると、龍麻はそんな京一の胸中を汲んだようで、






「笑ってるね」






京一の顔を指差して、口元に笑みを浮かべながら龍麻は言った。


杯を置いて、京一は口元に手を遣った。
言われて見れば、確かに頬の角度が僅かに上がっているような気がする。






「酒が美味ェからだろ」
「そう?」
「何処の酒だ?」






普段の味と違うと言ったら、龍麻は小さく笑んだ。
どうやら、また旅先からの土産物だったようだ。


口当たりが良く、けれども甘ったるくはない、京一好みの辛めの酒。
喉を通り、液体が胃に入った瞬間から、焼けるような熱さが腹の奥から湧いてくる。
酔いが回るのも早いだろうが、京一は気にせず、また徳利を傾けた。

此処の伎楼が用意する酒も決して不味いものではないが、京一は座敷に上がると大抵飲んでいる。
いい加減に飽きが来ていたものだから、龍麻のこの土産はありがたかった。




また杯を空けた所で、ねえ、と龍麻が声をかけた。






「さっき、」
「あん?」
「……伎楼(みせ)に入った時、見た事ある子がいたんだ」






それはそうだろう、と京一は思いつつ、また酒に手を伸ばす。

龍麻は放浪癖があるから、一度街を離れると、一月は戻って来ない。
しかし街にいる間は頻繁に此処へ来るから、その間に顔だけ覚えた男娼や色子もいるだろう。










「あの子って、京一の禿だった子だよね」









ぴくり、と。
徳利に触れた手が、一瞬揺れた。

………京一の自覚のないままに。



肩よりも少し下まで伸ばした髪を、項で結った色子。
まだ幼い顔立ちをして、左目の泣き黒子が印象的な少年。

それは確かに、昨日まで京一付きの禿として、京一の身の回りの世話をしていた少年である。






「……十二になったからな。今日から水揚げだ」






少年が伎楼に売られてきたのは、三年前の事。

両親の借金苦に泣く泣く売られて来たが、当人はそれを判って、自ら受け入れて此処に来たと言う。
十年程働いて年季が明ければ自由になるのだから、それまでの辛抱だと。


その十年と言う歳月が、此処で生きる人間にとってどれ程長いか―――――京一は歯に衣着せずに教えた。
それで此処に来た事を後悔しようと今更遅いのだから、それならば最初に現実を教えた方が良いと。

だが、それでも少年は笑っていた。
読み書きも、琴も三味線も、京一よりもよっぽど熱心にこなしていた。
他の禿への世話も焼いて、器量の良い、京一にしてみれば人の良過ぎる性格をした少年だった。


……けれど、疲れた京一を労わる時に見せる笑みは、少なからず気に入っていた。



この伎楼の陰間の多くは、十二になると客を取るようになる。
例に漏れず、少年も今日から客の相手をする事になった。






「そう」
「ああ」






短い、意味のない言の葉を交わしてから、京一は杯に酒を注いだ。

酒の減りはいつもよりずっと早かったが、京一はそんな事は気に留めなかった。
杯に酒があれば飲んで、なければ注ぎを繰り返す。
そんなものだから、元々真摯に聞いてはいなかった龍麻の土産話の内容は、既に頭から失せていた。



だが注いだばかりのそれを口につけようとして、腕を掴まれて阻まれる。






「龍――――――」






他にいない男の名を呼ぼうとすると、塞がれた。
ぬるりと熱いものが咥内に滑り込んできて、呼吸と理性を奪おうとする。

手の中で持て余していた杯を取り上げられた。
少し勿体なかったが、零した訳でもなく、膳に置かれたから後ででも飲めるだろうと思う事にした。
その時になって、酒の事まで記憶しているかどうかは、知らないが。


水音が交じり合って音を鳴らし、鼓膜を犯す。
着物の帯が解かれて袂が開き、当人の印象よりは少し無骨さのある龍麻の手が、布の内側に侵入する。






「ん、ん……ふ………ッ」






用意された床になど入る余裕も与えられず、畳の上に押し倒される。


暫くの間、龍麻は口付けを繰り返した。
京一もそれに応える。

ゆっくりと離れて行って、見上げた龍麻の顔は、灯りの影になっていて京一からは見えなかった。






「やっぱり――――機嫌、いいね」
「……ん……?」
「だって嫌がらないから」






言われてから、そういや畳だったか、と背中に当たる固さを感じて思い出す。
普段だったら、幾ら相手が龍麻でも、こんな所でなんか御免だと蹴飛ばしている所だ。







「いいの?」






このまましても――――、と。
問う龍麻に、溜まってんのかと下世話な事をふと考える。


月に二、三度来るなんとかのお偉いと違って、龍麻は京一に無理を強いることはない。
此処で嫌だと言えば褥に移動するだろうし、京一としてもその方が良い。
固い畳の上での行為は、勿論躯の負担になって、最中も決して楽な事はなかった。

けど溜まってんじゃァな……等と、ぼんやりと考えて。
結局京一は考えるのが面倒臭くなって、思考するのを止めて龍麻の首に腕を絡めた。






「してェんだろ?」
「……畳だよ」
「いいからやれよ。気が変わるぜ?」






美味い酒もありつけて。
相手は龍麻だから、明日に支える事もあるまい。

仕事の事なんて滅多に心配しないのにそんな事を考えて、ああ酔ってんな、と他人事のように思う。




……頬に龍麻の手が触れた。









「また、笑ってるね」










呟いて、落ちてきた口付けに身を任せて。


目を閉じる間際、浮かんだ幼い笑顔は、きっともうこの世に咲くことはないんだろう。















----------------------------------------
深読み希望の話(爆)。


昨日傍で笑っていた子が、次に逢った時には焦点も合ってない。
守りたいけど守れない、助けたいけど助けられない。

……そんな話でした。
…………重ッ……(滝汗)ι
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