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ひゅん、と空を切る音がビルとビルの隙間で鳴った。
街灯にさえ忘れ去られた暗い道の中心で、立ち尽くす少年が一人。
それから、少年の足元に転がる男が数人、壁に追いやられていた男が一人。
「おう、無事か? 吾妻橋」
未だピクピクと動いている男の後頭部を、とどめとばかりに踏みつけて。
足元のそれらを一瞬で忘れたような顔をして、京一は舎弟を見遣る。
壁に追いやられていた吾妻橋は、酷い風体だった。
左半身の大きな裂傷は既に見慣れたものであったが、それ以上に、暗がりでも判る青痣が目に付く。
拳大の大きさの青痣は、地面に転がる男達が作ったものだ。
吾妻橋は、自惚れでなく、それなりに腕が立つ。
しかし地面に転がった男達の人数はかなりのもので、流石の吾妻橋も苦戦を強いられた。
京一が途中乱入して来なかったら、今頃どうなっていたか、考えるだけでも恐ろしい。
「へぇ、すいやせん……お手間かけやして」
「オレよか、キノコ達に礼しとけよ。ぎゃあぎゃあ騒いでオレに知らせに来やがったんだ」
「へい」
「折角ムッツリのオゴリでラーメン食えるトコだったのによ」
「へぇ……」
そいつは本当に、と吾妻橋はもう一度謝る。
京一はひらひらと手を振って、もういい、と言外に示した。
その手に滴る色を見つけて、吾妻橋は目を見張った。
「アニキ!」
「あ? ――――うぉッ」
京一の手を捕まえて、ついさっきまで木刀を握っていた手を開かせる。
其処にはべっとりと赤い液体が付着し、それは掌に斜めに走る切り傷から溢れていた。
木刀を握っていた所為だけではないだろう、相当な出血。
確かに、チンピラの一人がナイフを持っていたし、京一は一度それを受け流すために手を犠牲にした。
吾妻橋もそれを見ており、覚えていたが、此処まで深い傷を負っていたとは思っていなかった。
呆然と手を見下ろす吾妻橋に、京一は失敗したと眉間に皺を寄せる。
「……どうって事ねェよ」
言って掴む手を振り解こうとするのを、吾妻橋は許さなかった。
「ねェ事ねェですよ!」
「って言ってるお前の方が重傷だろが」
「あっしのは殴られただけっスよ! アニキは切られてんじゃないスか!」
「此処だけだろ。お前、全身ボロボロじゃねえか」
「俺ァ平気ス!」
オレだって平気だ、と言う京一を、吾妻橋は聞かなかった。
包帯なんて此処にはないし、晒しも巻いていないし、ハンカチやティッシュなんて気の利いたものも持ち合わせていない。
何かないかとジャケットやズボンのポケットを探りに探るが、使えそうなものは見つからなかった。
吾妻橋が何をしようとしているのか察しがついたのだろう。
京一は掴まれた手をどうにか振り払おうと、二、三度手首を捻ってみるが、意外にもビクともしない。
「いらねーよ、いらねーからお前はさっさと…」
「いえ! アニキが先です!!」
病院にでも行け、と言おうとしたのだろう。
それを遮って、吾妻橋の声が狭い雑居ビルの隙間に響く。
舎弟の思いもよらぬ声に驚いたのだろう。
一瞬、京一の肩が跳ねた。
はっと思い立って、吾妻橋は自身のネクタイを解いた。
ケンカの後である事を差し引いても、綺麗な代物ではないが、ないよりはマシだ。
この尊敬する人が誰よりも強い事は知っている。
だから自分が今やっている事は、単なるお節介と大きなお世話と言う奴だ。
それに、自分がこれに気付かなくても、行き付けの病院に行けばそれで済む。
だけども、見付けてしまった。
見付けてしまったら、もう気になって仕方がない。
「……いらねえっての……」
京一が呟いた時には、掌の傷は既に隠されていた。
尊敬している人だ。
その人が信じる剣を握る為の、大事な手だ。
ならば吾妻橋にとっても、大切な手だ。
ぞんざいに出来る訳がなかった。
京一はしばらくネクタイに覆われた手を見て。
汚ェネクタイと呟くのが聞こえて、吾妻橋は頭を下げた。
だから、見えなかった。
くるりと背中を向けて歩き出した京一が、瞬間、どんな顔をしていたのか。
「行くぜ吾妻橋、おごってやっから感謝しろよ」
「ま、マジですかい!? アニキィイイイイ!!」
「抱きつくなっつーの!!」
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たまの反抗だって、愛あってこそ。
うちの舎弟達はやたらと京ちゃんに抱きついてるなぁ……俺と変われッ!!