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君の手を引いて歩いて行く
君に手を引かれて歩いて行く
いつか辿り付く場所へ
其処にあるのが例えば暗闇であるとしても、君と一緒ならきっとなんにも怖くない
- たまには遠出しようよ -
麦わら帽子の男の子の名前は、京一。
龍麻の知らない名前だった。
それでも構わない。
名前はしっかり心の刻んで、消えたりしない。
麦わら帽子の笑顔と一緒に。
京一は毎日、龍麻のいる山道の麓にやって来た。
右手に木刀、左手に虫取り網と虫かごを持って。
ある日は龍麻に一声かけて、じゃあ行って来ると山に入って行った。
空の蒼が茜に変わる頃に降りて来ると、虫かごの中の虫を得意げに見せる。
その度、何処かに怪我が増えていたけれど、京一はちっとも気にしていなかった。
カブトムシやクワガタムシを見せる京一は、なんだかとても楽しそうで、龍麻も見ているだけで楽しくなった。
ある日は砂利道の端っこに座って、龍麻が絵を描くのをじっと見ていた。
時々一緒になって地面に絵を描いて、何かを描くこともある。
テレビで見たキャラクターだと言われても、時代劇や歴史モノしか見ない龍麻は、判らなかった。
知らないと言うと京一は驚いた顔をして、一つ一つを説明してくれた。
ある日は傍らに流れる川に足を浸して、ぱしゃぱしゃ跳ねさせて遊んでいた。
龍麻はそれを見ているだけだったけれど、京一は楽しそうだったから、龍麻も楽しかった。
麦わら帽子の笑顔はいつも眩しくて、龍麻はそれが好きになった。
その内、二人が一緒にいる光景は、通り掛かる大人達にも見慣れてきた。
あれあれ、ひーちゃん、友達かい?
坊、名前はなんてェ?
へえ、京一、京ちゃんかい。
仲が良いねえ。
そんな二人にご褒美だ、飴さんあげよう。
二人でちゃあんと分けっこするんだよ。
そんな風に声をかけられる度、京一は麦わら帽子で顔を隠した。
どうして隠すの、と訊いたら、なんでもねェ、と言った。
その耳が赤かった。
貰った飴やおにぎりを、二人で分ける。
一人で貰った時にも美味しかったけれど、もっと美味しかった。
美味しいね、と言ったら、ん、と京一が頷いた。
嬉しかった。
誰かと一緒に遊ぶのが、凄く楽しい。
京一と一緒にいられるのが、凄く嬉しい。
きらきらの太陽の下、きらきらの麦わら帽子の笑顔を、どんどん好きになっていく。
みぃん、みぃん。
じー、じー、じー。
今日も暑い。
でも、日陰は涼しい。
絵を描いていた手を止めて、龍麻は道の向こうを見た。
京一、そろそろ来るかなぁ、と。
いつもこれ位の時間になって、麦わら帽子の男の子はやって来る。
龍麻は朝から此処にいるけど、京一は昼になってから。
朝から昼の間は剣術稽古をしているから、出て来れるのがそれが終わった後なのだ。
昨日は腕に大きな青痣があってびっくりした。
でも京一は、母ちゃんが冷やしたからヘーキ、と言って腕を振り回していた。
痛くないのと訊いたら、慣れてる、と笑って言った。
道の向こうに、麦わら帽子を見つけた。
「きょーいちー」
立ち上がって手を振ったら、麦わら帽子が上がって顔が見えた。
京一は直ぐに走り出して、龍麻の傍まで来て止まる。
その手に、いつもの木刀はあるのに、虫取り網と虫かごがなくて、龍麻はあれっと首を傾げる。
「京一、虫取り網、忘れた?」
「今日は置いてきた」
山に行く日も、此処で過ごす日も、いつも虫取り網と虫かごがあったのに。
今日はなんで置いてきたんだろうと、反対側に首を傾げた。
と。
京一の左手が、龍麻の右手を捕まえた。
「今日はお前も山行こうぜ」
「え?」
言われた意味が一瞬よく判らなくて、龍麻はきょとんとする。
京一は直ぐに歩き出していて、龍麻はそれに引っ張られて歩き出した。
「お前、勿体ねェんだよ。此処で絵描いてんのも、いいけどさ」
「何が? 勿体ないって、何が?」
「山には面白ェもん一杯あるんだからさ。龍麻もたまには見に行けよ」
山に行く。
山に登る。
今まで、学校の遠足ぐらいでしか、登った事のない山に。
初めての事に、どうしよう、と龍麻は迷った。
嫌だと思っている訳じゃないけど、あんまり行きたいとも思わない。
それは多分、学校の子達と会うかも知れないから、それを避けたい為で。
でも京一はそんな事は知らなくて、良いこと思いついたみたいに笑っている。
時々、振り返ってついて来るのを見て笑うのを見たら、行きたくないなんて言えない。
初めてなのはそれだけじゃない。
こうやって、手を引っ張られるのも初めてだった。
学校の子達は、無理強いは良くないと先生に言われていて、龍麻が行きたいと言わなかったらもう誘わなかった。
答えを聞く前に手を繋がれて、引っ張って行かれて。
でもそれも嫌じゃなくて、寧ろ嬉しいくらいで。
「カブトムシだろ、クワガタだろ、チョウチョもいるし」
「チョウチョは春だよ」
「夏だって飛んでらァ。知らねえの?」
「白いのしか覚えてない」
「ほらみろ、勿体ねェ」
何が、ほらみろ、なんだろう。
判らなかったけど、京一は楽しそうだった。
「いるのに知らねェなんて勿体ねェよ。キレーなチョウチョ飛んでるんだぞ」
「京一、見たことある?」
「見た見た。昨日も見たんだぜ」
ふぅん。
京一は見てるんだ。
じゃあ、僕も見たいかも。
「オニヤンマも飛んでたぜ。あと、夕方になったらヒグラシが鳴いてる」
「ヒグラシ、僕も知ってる」
「見たか?」
「ううん」
「じゃ、見せてやる!」
京一が知ってることなら、自分も知りたい。
龍麻はそう思った。
京一が見たものは、自分も見たい。
京一が見せてくれると言うのなら、凄く見たい。
「でも、虫取り網、ないよ」
「なくたって取れらァ」
「そうなんだ。京一、すごい」
任せとけ、と笑った京一は、やっぱり眩しい笑顔だった。
みぃん、みぃん。
じー、じー、じー。
京一は木登りが上手い。
龍麻の知っている人の中で、きっと一番に上手かった。
すいすい登っていって、あっという間に天辺まで行ってしまう。
龍麻も木登りが出来ない訳じゃないけれど、あんなにすいすい登って行けない。
一所懸命置いて行かれないように頑張ってみるけど、やっぱり京一は早かった。
虫を見つけるのも上手い。
龍麻は何処にいるのか見えないのに、京一はすぐに見つけた。
あそこだ、あそこ、と指を指されても、龍麻は中々見つけられない。
目を擦ったりして見るけれど、見付からなくって京一の方が焦れた。
結局京一が藪の中や茂みに入って、手で捕まえて見せてくれた。
最初にカブトムシを捕まえて、見せてくれた。
凄く大きなカブトムシ。
一緒にクワガタムシも見せてくれた。
カブトムシの角と同じくらい、大きなハサミ。
挟まれたら痛そう、と言ったら、痛ェよ、と京一は言った。
山道の途中で見つけたカマキリも、京一は手で捕まえた。
龍麻は鎌が怖くて触れない。
慣れちまえばへっちゃらだ、と京一は笑った。
蜂の巣も見つけた。
そーっとしゃがんで通ろうとしたら、ぶーんと音がして驚いた。
二人で一目散に逃げた。
その後で、青い蝶が目の前を飛んでいった。
京一がやっぱり手で捕まえた。
少しの間手のひらの中に閉じ込めて、二人で息を殺してじっと見た。
黒地に、キレイな青白い筋が一本入った蝶。
そっと手のひらを開いて、ふぅわり飛んでいくのがキレイで、二人でそれを見送った。
山に色んな虫がいるのは知っていたけど、こんなに沢山いるなんて。
見つける度に驚いて、見つけられる京一にも驚いた。
網も使わずに捕まえてしまうから、もっと驚いた。
みぃん、みぃん。
みぃん、みぃん、みんみん、みぃん。
じー、じー、じー。
今もどうやったら見えるのか、京一は木の上の蝉を見つけて、それを捕まえようと登っている。
他の木よりも一際高いのに、なんだか細く見える木に、龍麻は下でハラハラしていた。
京一は平気平気と笑っていたけど、もしも枝が折れたりしたらどうしよう。
足元の地面は、山道に比べると柔らかかったけど、きっと落ちたら痛いに違いない。
落ちないで、落ちないで、と龍麻は祈っていた。
京一はそんな龍麻のことなど気付かずに、もう随分高い位置。
もう少し。
もう少し。
木の幹にしがみついた京一の息が、詰まる。
狙っているのは、背中が緑のミンミンゼミ。
龍麻が近くで見たことがないと言ったから、見せてやろうと木に登った。
そっと手を持ち上げて、狙いを定めて、迷わずに。
ぱしっと手が幹と当たった音を鳴らして、其処に蝉を捕まえた。
「捕まえた!」
言うなり、京一は飛び降りた。
天辺に近い高さから。
わあ、と龍麻が声を上げた後に、京一は地面に降りていた。
「ほら見ろ、龍麻。ミンミンゼミ!」
嬉しそうに差し出されて、龍麻はそれを覗き込む。
案外小さくて、龍麻は少し驚いた。
あんなに大きな声で鳴くから、大きいものだと思っていた。
だけど目の前の蝉は、羽は確かに長いけど、体はとっても小さくて。
じぃっと見ていると、突然、蝉が鳴き出した。
みぃんみぃんみんみんみんみんみん。
「うわッ」
間近で聞いた大きな声に、京一が思わず手を放す。
ぱっと蝉は飛び出して。
「げッ」
「わっ」
ぴしゃり。
何かが降って来て、京一の手に引っかかった。
液体だ。
…おしっこだ。
「げぇ~ッ! ベタベタするッ」
京一は顔を顰めて、ズボンに手を擦り付ける。
京一のズボンはとっくに砂埃やホツレ糸があって、多少汚れても気にならなかった。
それでも匂いが気になるらしく、京一は手を顔に近付けては嫌そうな顔をした。
「洗う?」
傍に流れていた小川を指差すと、京一は頷いた。
木に立てかけていた木刀を左手に持って、直ぐに坂を下って川岸にしゃがむ。
ぱしゃぱしゃ手を洗う音がした。
その傍に歩み寄って、龍麻も川の水に手を浸してみる。
水面は太陽の光をきらきら反射させて眩しいけれど、その下はひんやり冷たくて気持ちが良かった。
アメンボが通り過ぎていった。
みぃん、みぃん。
じー、じー、じー。
さらさらさら、ぱしゃぱしゃ、さらさら。
さらさらさら、ぱちゃん。
さらさら。
日差しは強くて暑いけれど、そんなに眩しくはなかった。
龍麻は京一のように麦わら帽子を被っていないけど、頭の上の木々の枝が覆ってくれる。
上を見れば、隙間から零れる光が、やっぱり眩しかったけど。
京一は、雪駄を履いている。
サンダルじゃない、雪駄だ。
父親が和装を好んでいて、雪駄を履くから、真似るように履くようになったらしい。
その雪駄履きの足を、京一はそのまま水の中に突っ込んだ。
水の中の足は、涼しそうだった。
それを見て、龍麻は靴も靴下も脱いで、足を水につけた。
手を入れた時も冷たくて気持ち良かった、これはもっと気持ち良い。
楽しい。
山遊びがこんなに楽しいなんて、初めて知った。
ぽかぽか、ぽかぽか。
暖かいのが止まらない。
ふわふわ、きらきら。
嬉しいのが止まらない。
京一が誘ってくれなかったら、知らなかった。
京一が手を引っ張ってくれなかったら、判らなかった。
知らないものを一杯見れることが、楽しくて面白くて仕方ない。
隣で麦わら帽子の笑顔がきらきら光っているのが、嬉しくって仕方ない。
「あっちィなー」
「うん。でも、気持ち良い」
「だな」
京一が水を蹴った。
雫が、きらきら孤を描く。
きらきら。
きらきら。
皆光る。
みぃん、みぃん。
じー、じー、じー。
ふと、龍麻は見つけた。
川の向こうが途切れていて、その向こうに見える二つの山を繋ぐものを。
「京一、京一」
「あ?」
肩を叩いて振り向かせてから、龍麻は立ち上がる。
京一も水から足を上げて、歩いて行く龍麻について来た。
途切れた川は急な下り坂に沿っていて、その下へと流れていた。
その手前で立ち止まって、龍麻は見つけたものを指差した。
一つ向こうの二山を繋ぐ、それは多分、
「あれ、つり橋かな」
「……みたいだな」
遠くを少し眺めて、京一が頷いた。
「何かあるのかな」
「さぁ。オレ、あそこは行ったことねェや」
知らないもの。
見たことのないもの。
知らないものを見付けた時、子供の好奇心はこれでもかと言う程に高鳴って。
つり橋が何を繋いでいるのか。
繋ぐ山には何があるのか。
どんなものが隠されているのか。
山が少し遠いことなんて、子供達にはどうでもいい事だ。
道は、山は、地面は繋がっているんだから、歩いていれば辿り付く。
探していたものに辿り付く。
子供は、自分の限界値なんて知らないし、そんなものがある事すら知らない。
目標が出来たら、後は真っ直ぐ、それに向かって進むだけ。
「行ってみようぜ、あそこまで」
その言葉に、嫌だなんて言う訳もなく。
みぃん、みぃん。
じー、じー、じー。
坂を下る子供達を、蝉たちが大丈夫かねェ、あの子達、と囁くように鳴いていた。
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